金子文夫
はじめに
21世紀に入り、米国の総合国力の低下と中国の台頭によって、世界の覇権構造(「国際秩序」)に大きな変動が生じつつある。米国の政治学者グレアム・アリソンは、新興国が覇権国に挑戦するとき、危険な緊張、衝突が生じうることを「トウキディデスの罠」と捉え、米中戦争の可能性を示唆した(グレアム・アリソン『米中戦争前夜―新旧大国を衝突させる歴史の法則と回復のシナリオ』ダイヤモンド社、2017年)。米国の軍幹部、CIA長官などからは、2027年あたりで中国が台湾に武力侵攻するとの予測が流され、米中軍事衝突の危機が煽られている。
ロシアがウクライナ侵攻を続けるなかで、米中覇権争いは深刻化する一方にみえる。しかし、一部のハイテク分野を除けば、貿易や投資の双方向の動きは維持され、断絶とはほど遠い状況だ。対立と相互依存の両面をどう統一的に理解すればよいのか。以下では、米中覇権争いの複合的な構造について、米中両国の国力・覇権意思、貿易の動向、ハイテク分野の攻防などを検討したうえで、今後の展望を試みたい。
1.米中の総合国力の接近
覇権国になるには、能力(総合国力)と意思の両要件が揃う必要がある。そこでまず、総合国力のいくつかの要素を比較してみよう。
GDPをみると、2000年に米国は10兆ドルを上回り、世界GDPの30%超のシェアを誇っていた。WTO加盟直前の中国は1兆ドルを超えた程度、世界の3.5%、米国の12%ほどにすぎなかった。その後、中国は高度成長を続け、2010年に日本を抜いて世界第2位になり、2021年には18兆ドル(世界シェア18.3%)に達した。米国は23兆ドル(23.7%)だったので、中国は米国の77%まで迫ってきた。この勢いが続けば、2030年代には追い抜くという予測が成り立つ。 物価水準を評価した購買力平価基準ではすでに2010年代半ばに追い越しているとの指摘もある。
貿易規模はどうか。中国の輸出の伸びは目覚ましく、2009年に世界第1位になり、2021年には34兆ドル(世界シェア15%)に達し、米国の2倍近い大きさになった。輸入では2009年以降、米国に続く世界2位の位置にあり、2021年は27兆ドル(世界シェア12%)、米国の92%の規模に到達した。中国は輸出超過、米国は輸入超過が続いていて、これが米中貿易戦争の一因をなしている。2021年の世界貿易収支ランキングをみると、中国は6752億ドルの黒字で世界第1位、米国は1兆1810億ドルの赤字で世界最下位にある。
このように貿易面では中国が米国よりはるかに強力になっているが、米国はドルが基軸通貨の地位を維持している点で強みをもつ。国際決済でのドルのシェア44.2%に対して人民元は3.5%にすぎない(2021年)。各国政府が保有する外貨準備では、ドル59.5%、人民元2.4%と大差がついている。対外直接投資でも、2021年の残高ベースで米国は世界全体の23%を占め、中国(6%)を引き離している。
次に軍事力を比較してみる。軍事費は米中ともに増大を続けていて、2022年の米国は7666億ドルで世界第1位、中国は2424億ドルで第2位を占めている。総額でみる限り、その差はなお大きい。核弾頭保有数は米国5425発に対して中国は350発と開きがある。ただし、2035年までに1500発程度に増強する見通しという。各種兵器数もまた総数では米国が中国をかなり上回っている。しかし、米軍をインド太平洋軍に限定するならば、戦闘機、戦闘艦艇、潜水艦それぞれで中国軍は米軍の5倍の規模を備えている。またサイバー空間、宇宙空間などの新領域では、中国が米国に匹敵あるいは一部優勢にあるかもしれない。
全体として総合国力は米国が中国を上回っているが、その差はかなり縮まりつつあり、米国は危機感を高めている。
2.中国の覇権戦略と米国の対抗策
中国は、総合国力の増大とともに、地域覇権(帝国の形成)への意思を示しはじめる。2000年代初めまでは「韜光養晦」路線のもと、大国主義的態度は抑制されてきたが、2000年代中ごろから「平和的台頭論」、さらに「新型大国関係論」などの表現が用いられていく。そして2012年末に成立した習近平政権は、「中華民族の偉大な復興」を掲げ、経済力と軍事力を駆使した大国主義政策を展開することになる。
地域覇権を目指す対外戦略としては「一帯一路」構想があげられる。これは2015年に公式に打ち出された重要政策であり、中国の資金、資材を周辺国に投入し、インフラ建設を通じて中国を軸とする巨大経済圏を構築しようという壮大な構想である。その範囲は中央アジア、南アジアから欧州、アフリカに及び、何らかの協定を結んだ国は150カ国以上とされる。この構想に沿って、アジアインフラ投資銀行(AIIB)が設立された(本店・北京)。
「一帯一路」構想を補完する地域協力機構として、2001年設立の上海協力機構(SCO)がある。SCOの前身は1996年発足の上海ファイブ(中国、ロシア、カザフスタン、タジキスタン、キルギス)であり、当初は国境地帯の信頼醸成を図る機構だったが、2001年にウズベキスタンを加えて地域協力機構に格上げし、その後、インド、パキスタン、イラン等が正式加盟するとともに、南アジア、中東諸国が対話パートナー、オブザーバーとなるなど、欧州以外のユーラシア諸国が参加する安全保障機構へと拡大を遂げている(本部・北京)。
さらに中国が覇権国家になる意思を明確に表明したのが、2015年に打ち出された「中国製造2025」という国家戦略だった。これは2025年、さらに2035年、2049年を目標にハイテク分野を中心にして産業技術力を先進国水準に引き上げる行動計画であり、海洋、宇宙、サイバーなど軍事分野の飛躍的強化を意図した戦略といえる。
米国は、中国の大国化に対して、当初は支援・関与策をとっていたが、2010年代前半に警戒・対抗策へと大きく転換していく。中国の東シナ海・南シナ海への進出、「一帯一路」、「中国製造2025」の発出がその契機と考えられる。中国の躍進を抑制するべく、オバマ政権はTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)を通じた中国封じ込めを画策するが、協定成立直後にトランプ政権が脱退して、この試みは変質した。トランプ政権は「アメリカ第一主義」を掲げ、米国の貿易赤字の主因である対中国貿易を規制し、赤字解消を図る米中関税戦争を仕掛けていく。4段階に及ぶ中国からの輸入品に対する関税引上げは、中国側の対抗的関税引上げを招き、米中間の貿易は大きく混乱した。
次に米国は、安全保障へのリスクを理由にして、中国の通信機器メーカーを標的に、製品購入、半導体供給等を規制し、経営基盤・技術開発力を押さえ込む政策を発動していく。そして対象企業、対象品目を拡大するとともに、米国の友好国にもこれに同調するように誘導していく。
バイデン政権は、「国家安全保障戦略指針」のなかで中国を、「国際秩序を塗り替える意図と能力を持つ唯一の競争相手」と規定し、米中間の貿易・投資活動への規制を強めるとともに、中国包囲網として、軍事面ではAUKUS(米英豪の軍事同盟)、総合安全保障面ではQUAD(日米豪印の戦略対話)、通商面ではIPEF(インド太平洋経済枠組み)などを組織していく。これらはすべて、中国の覇権国家化を容認しないとする米国の国家意思の発動にほかならない。
3.米中貿易戦争の帰趨
トランプ政権は2018年7月以降、中国からの輸入品に対して総額3700億ドル相当の物品に関税を上乗せし、貿易戦争の火蓋を切った。この金額は対中輸入全体の7割以上を占めるもので、中国も対抗して米国からの輸入品に同等に近い規模の関税引き上げを行った。トランプ政権の貿易戦争発動の理由は、中国に知的財産権侵害等の不公正行為に是正を迫ることだったが、同時に米国の国内産業を保護し、過大な貿易赤字の縮小を図る狙いももっていた。
2022年にバイデン政権は、インフレ対策を意図して対中制裁関税の引下げを検討したが、国内の対中国強硬派の意向を無視できず、政策変更を見送った。
貿易戦争を経るなかで、米中間貿易はどう変化したのか、表1,2からうかがってみる。第一に、米国の中国からの輸入は2019~20年に減少したものの、21年以降は元にもどっている。この変化はコロナ禍による経済の縮小と回復の影響を受けていると考えられる。この間、米国の輸入に占める中国のシェアは確かに減少を続けていて、ベトナム、タイ、インドなどのアジア諸国やメキシコがシェアを伸ばしたとみられる。中国側からみても、輸出に占める米国のシェアは一定の減少を示した。
第二に、米国の対中国貿易収支赤字は、金額ではそれほど変化がみられないが、割合は着実に低下した。中国の貿易収支黒字に占める米国の比率も一定の低下を示した。
こうした変化を認めるとしても、米国の中国からの輸入(中国の米国への輸出)がきわめて大きいことに変わりはない。中国のシェアを奪ったベトナムなどの対米輸出品のなかには中国製部品がかなり含まれている可能性がある。今後、米国は戦略的に重要な品目(ハイテク関連の電池・医薬品原料等)の調達については、過度の中国依存を回避していくと予想されるが、対中輸入規制が一般的な電子機器、プラスチック製品などまで波及していくとは考えにくい。
また、米国から中国への直接投資(企業進出)に大きくブレーキがかかっているとは認めがたい。世界の対中国直接投資は2016年の1260億ドルから2021年の1735億ドルまで、コロナ禍にもかかわらず5年連続で過去最高を更新し続けている。むろん一部ハイテク分野の中国企業の対米投資、また米国企業の対中国投資には規制が厳しくなっており、米国企業の対中国投資は減少している。とはいえ、電気自動車のテスラをはじめとして、中国を生産拠点とする企業の多くが撤退するといった状況ではない。追加投資を中国からインドなどに移すなどの対応がみられる程度だ。
全体として米中間の貿易面、投資面における双方向の流れは、なお継続しているとみることができる。政治的対立が経済的断絶(デカップリング)をもたらすわけではない。政治と経済の分裂とみるべきだ。
4.ハイテク覇権の攻防
米中間で全般的な貿易・投資活動が継続している半面、ハイテク分野は安全保障への影響が大きいため、対立が先鋭化している。米国が中国のハイテク企業、とりわけ通信機器メーカーのファーウエイを標的にしたのは、サイバー空間における覇権の奪取を危惧したからだろう。ファーウエイは2015年に通信設備売上高で世界第1位になり、高速通信規格「5G」開発の先頭に立っていた。スマホ出荷台数でも、2020年には一時的に世界のトップに位置した。しかし米国の圧力により、一方では先進国市場から締め出され、他方では高機能半導体の調達が不可能となり、国内部品調達、国内販売へとシフトせざるをえなくなった。
米国の攻撃対象はその他のハイテク機器メーカーへと拡大し、監視カメラのハイクビジョン、ダーファなど、さらにはドローン、太陽光パネル、遺伝子(バイオ)へと広がり、2022年末には633企業・団体が輸出禁止リスト入りすることになった。米国は、中国ハイテク企業に対して、部品だけでなく人材やソフトウエアの供給も止めにかかっている。2023年に入ると、ITサービス企業バイトダンスの動画投稿アプリ「ティックトック」が標的とされ、データの流出を理由として事業売却あるいは一般利用禁止の動きとなった。米国の友好国も同調を要請され、日本やオランダの半導体製造装置メーカーは輸出規制に取り組みつつあり、サプライチェーンの分断が進行している。
中国は最終製品の製造では世界首位が多いとはいえ、半導体などの基盤技術では遅れをとっている。開発のためには先進的な技術、人材が必要だが、その供給も制約されている。
高機能の半導体、半導体製造装置、ソフトウエアなどの利用が止められるならば、中国はハイテク覇権争いで遅れをとることは避けられず、半導体国産化率の上昇は計画どおりには進まないだろう。
しかし、中国のハイテク開発の潜在力は大きい。人材面では、中国の理工系大学を卒業する学生数は年間400万人で、米欧日インドの合計よりも多いという。科学技術分野の研究者数は米国をはるかに上回る。これを反映して科学技術論文の国別ランキングでは、量的にも質的にも世界のトップに立っている。オーストラリアのシンクタンクASPIの調査によれば、先端技術の影響力ある論文数(2018~22年)で、44分野のうち37分野で中国が第1位を占めた(朝日新聞2023年3月3日)。日本経済新聞の調査では、人工知能関連論文数は2021年に米国の2倍、注目論文数(引用数上位10%)は米国の1.7倍に達した(日経新聞2023年1月16日)。半導体の国際学会の論文数でも2023年に中国が初めて米国を抜いた(日経新聞2023年3月7日)。
この結果、国際特許出願件数では中国が2019~22年、4年連続世界第1位となっている(日経新聞2023年3月3日夕刊)。次世代エネルギー技術の核融合でも中国が特許競争力の首位に位置する(日経新聞2023年2月23日)。高機能半導体は技術覇権争いのすべてではない。たとえば、人工知能分野で中国が世界を主導し、ルール形成を主導する可能性も否定しきれない。
5.覇権構造の転換―2極化から複合型へ
世界は新冷戦を深化させていくのだろうか。米中はそれを見据えて覇権構築策を進めている。ウクライナ戦争はその決定的な契機となった。
米国はロシアを押さえ込むべくNATOを強化し、インド太平洋では中国を包囲する軍事ネットワークを編成しつつある。また情報通信技術分野では中国を封じ込め、世界を分断しようとしている。
中国はロシアを抱き込む一方、グローバルサウスへの影響力拡大を図っている。一帯一路構想は、「債務の罠」などの悪評が生じたため手直しを図り、「グローバル開発イニシアチブ(GDI)」、「グローバル文明イニシアチブ(GCI)」といった新たな概念を打ち出して目先を変えようとしている。サウジとイランの外交正常化に仲介役となったことは、中国外交の成果といえる。また、米国によるロシア制裁に、ドル決済システム(SWIFT)が威力を発揮したとみて、別の決済システム(CHIPS)の整備を進め、人民元決済圏の拡大を企図している。
しかし、こうした米中の覇権争いは、軍事面では先鋭化する一方、世界が2大覇権国並立の状況には至らないと予想される。その理由の第一は、米中ともに総合国力が低下していくことである。米国はアフガン・イラク戦争の失敗以降、国際的権威を低下させ、国内的には政治的分断が修復不能な状況に陥った。中国は自国中心主義が各国の警戒・反発を招く一方、人口減少・少子高齢化社会に向かい、経済成長が減速し、社会保障負担が重くなり、共産党統治体制は不安定化していく。
第二に、グローバルサウスが台頭し、米中に続く第三勢力を形成、米中の覇権を相対化する。その代表格のインドは、中国が主導するSCOに参加する一方、米国主導のQUADにも加わり、両陣営のいずれにも深入りしないしたたかなスタンスをとっている。インド、ブラジル、南アフリカ、トルコ等とそれに続く新興国・途上国は、特定の1国でなく国家連携によって国際政治に発言力を増す。国連でロシア批判票が意外に伸びなかったのは、2大陣営のいずれにも属さないとするグローバルサウスの国家意思の現れだろう。
加えて、グローバル経済に利益を見出すグローバル資本は、2大陣営への世界の分断を受け入れず、隠然と抵抗するだろう。また、気候危機などのグローバル課題に取り組むグローバル市民社会運動も、世界の分裂を認めないだろう。
それでは今後の世界覇権構造はどうなっていくのか。イアン・ブレマーは、米国1国覇権後退後の世界について、G2(米中協調)、米中新冷戦、G20(多国間協調)、地域分裂世界の4つのシナリオを提示している(『「Gゼロ」後の世界―主導国なき時代の勝者はだれか』日本経済新聞出版社、2012年)。またインド出身の国際政治学者アミタフ・アチャリアは、パワーバランスの変化だけに注目する見方を否定し、中心軸が存在しないなかで、様々な部分が互いに複雑に依存しあう「マルチプレックス(複合型)世界」というイメージを提唱している(『アメリカ世界秩序の終焉―マルチプレックス世界のはじまり』ミネルヴァ書房、2022年)。
おそらくは、単なる多極化ではなく、相対的に国力の大きい米国、次いで中国、さらにEU、インド、その他諸国が階層構造をもって複合的に並存し、そのなかで非国家主体であるグローバル資本、市民社会組織が存在感を増していき、様々な対立と依存の組み合わせが生じる世界へと至るのだろう。それが安定的なものになるのか、混乱を繰り返すものになるのか、そのカギは国益、私的利益を超えて持続可能で公正な社会を求める世界の社会運動が握っているのではないだろうか。