戦時下のロシア野党ヤブロコ

戦時下のロシア野党ヤブロコ

池田嘉郎

はじめに

 2022年2月24日、ロシア政府がウクライナへの本格的な侵略に踏み切ったとき、侵攻に反対する人々の間で共有されたのが「ニェット・ヴァイニェ」、戦争に否を、という言葉であった。開戦後しばらくは建物の壁の落書きや、通りに出てきた人の手書きのプラカード、あるいはSNS上にこの言葉が広く見られた。ウラジーミル・プーチン政権は3月4日付で刑法典を改正して、軍に関する虚偽情報流布への取り締まりを強化する等の対応をとり、反戦の動きを抑え込んだ。それでもこの言葉や、同じ意図をもつ似た言葉は今でもSNS上に見られる。

 「戦争に否を」という言葉は、開戦後になってから急に現れたわけではない。2021年9月のドゥーマ(下院)選挙に際して、野党「ヤブロコ」が掲げたプログラムでも、この言葉は使われていた。「5. 平和外交」の第1項が「戦争に否を」で始まっていた。この項全体は以下のようであった。「戦争に否を。国外の軍事紛争、外国の内戦へのロシアの参加の拒否。独裁的・権威主義的体制に対する政治的・軍事的・経済的支援の停止。平和的性格の外交。軍事費の制限。民間軍事会社の禁止。徴兵の拒否と契約ベースへの軍の移行」。ちなみに第2項が「核戦争の防止」、第3項が「諸隣国との平和」(そこに記されている対ウクライナ政策については後述)、第4項が「ヨーロッパおよびアメリカ合衆国との関係の正常化」、第5項が「信頼と協力」である[1]

 2022年2月の開戦時に「戦争に否を」と言った人々の大半は、ヤブロコのプログラムを意識していたわけではなかろう。この言葉は「反戦」と同じで一般的な表現である。ただ、2022年2月に戦争が始まる前から、ヤブロコが一貫してプーチンの対外政策また国内政策に反対の立場をとり、開戦後もその姿勢を変えていないことは、あらためて強調されるべきである。本稿では、ヤブロコの活動を概観することで、現代ロシアの政治的断面に光を当ててみたい。

ナヴァリヌイとヤブロコ

 ロシアの反政府運動といえば、アレクセイ・ナヴァリヌイ(1976年生)の名前が有名である。民主主義的プログラムを掲げるとともに愛国主義的な一面もあわせもつナヴァリヌイは、2010年代の反政府運動における中心人物であった。2021年1月以来彼は拘束されているが、獄中から支援者・支持者に向けてメッセージを発し続けている。国際的な注目度やカリスマ的な求心力という点では、グリゴーリー・ヤヴリンスキー(1952年生)をはじめとするヤブロコの指導者たちは、ナヴァリヌイに追いつかないであろう。

 その一方で、ヤブロコにはナヴァリヌイの運動にはない、二つの特徴がある。第一に、愛国主義・ナショナリズムから距離をおいていることである[2]。ナヴァリヌイは現在のロシア=ウクライナ戦争には反対しているが、2014年のクリミア併合に際してはその姿勢には微妙なところがあった。クリミア併合に関する彼の発言は時期によって調子が異なるのだが、2014年中のインタビューでは「クリミアはロシアの一部であり続けるだろう」と述べるなど、プーチン政権の行為を許容するかのような言葉も口にしてきた[3]

ヤブロコはクリミアへの軍事侵攻および編入決定というロシア政府・議会の行動に、一貫して不同意を表明してきた[4]。ただしヤブロコも、クリミア併合という既成事実を前にして、ウクライナへのクリミア半島の即時返還という立場をとっているわけではない。2014年12月に当時のヤブロコ議長セルゲイ・ミトローヒン(1963年生)が述べたように、ウクライナの合意と国際機関の監督のもとで、合法的な住民投票を行なうこと、また投票に先立って国際会議を開いて諸問題の調整を行なうことが、ヤブロコの方針となっている[5]

 ナヴァリヌイの運動にないヤブロコのもう一つの特徴は、オーソドックスな政党だということである。ナヴァリヌイは元々政府の汚職を批判するブロガーとして台頭した。2012年からは政党を率いているが、司法省はその登録を常に拒否してきた[6]。これに対してヤブロコは、1993年秋に起源をもつロシア政界の老舗であり、創設者の一人である経済学者ヤヴリンスキーはミハイル・ゴルバチョフ・ソ連大統領のブレーンであった。なおヤブロコとはリンゴの意味である。

1990年代のロシア政界においてヤブロコは、自由主義左派の立場で野党としての存在感を維持した。21世紀に入りプーチン政権のもとで政治的自由が制限される中、ヤブロコの勢力も減退し(与党「統一ロシア」に有利となるように選挙法が改正され、選挙違反も体系的に行なわれた)、下院議席は1999年の21から2003年の4へと減り、ついで2007年以降はゼロとなった[7]。それでも全国政党としての活動は続いており、79の地方支部があり、2万8000人の党員を擁する[8]。2019年12月からの党議長は、政治家・エコロジー活動家のニコライ・ルイバコフ(1978年生まれ)である[9]。ヤヴリンスキーの方は党の指導機関である連邦政治委員会の議長を務めている[10]

 ヤブロコは開戦後の今日も、議会外野党として存続し、プーチン政権に対して批判的な姿勢を表明している。ナヴァリヌイを獄につなぎ、その政党の登録も許してこなかったことと比べて、プーチンはヤブロコに対してはなお徹底的な抑圧にまでは踏み切っていない。ロシア政治の「民主性」を言いつのるために、プーチンは彼らの存続を許しているかのようでもある。だが、体制によって存在を許容されていることが、ヤブロコの妥協性を示していると考える必要はない。いつ活動を禁止されるか分からぬ状況の中で、粘り強く政府批判を続け、対案を打ち出しているヤブロコの努力は、銘記されるべきである。

開戦後のヤブロコ

 ウクライナとの国境近くにロシア軍が集結し、緊張が高まっていった2022年1月から2月にかけて、ヤブロコは戦争を思いとどまるよう自国政府に訴え続けた。ルイバコフとヤヴリンスキーの署名になる1月24日付声明では、「ロシアにとって戦争は取返しのつかない破壊的結果をもたらすであろう」と強調された[11]。2月13日には「戦争に否を!平和に賛成!」という署名サイトを組織し、開戦までの10日間で2万2000筆を集めた。3月14日に刑法典改正がなされて署名の継続が不可能になるまでに、その数は8万7000に達した。改正された刑法では公共空間で戦争批判を行なうことが事実上できなくなった。そのため、現在もこの署名サイトは残っているが、「戦争」という語は「この***で勝利することは不可能である」といった具合に伏字になっている[12]

  4月16日には党大会が開かれた。党の禁止自体がありうると囁かれる状況下、その準備は秘密厳守で進められた。開会まで代議員にも議題は伏せられ、大会自体も非公開であった[13]

大会で論じられた最重要問題は党規約の改正である。「特別軍事作戦」体制下の厳しい状況において、党組織および党員の活動を極力防衛し、かつ各人の責任をより明確にすることが図られたといえる。すなわち、登録党員と非登録党員という従来の2カテゴリーに替えて、党員、党員候補、党支持者の3カテゴリーが導入された。然るべき理由で党の義務を果たせない場合は、党籍を停止することが認められた(従来は党籍と両立不可能な国務に就いたときに限られていた)。他の政治・社会団体(政党は除く)に参加することも認められた(国政・地方選挙に際して他組織に籍をおくという意味)。従来は党規約違反に対する罰則は除名だけだったが、警告から除名にいたる6段階が導入された。さらに、党の基本的価値に関する以下のような文言も加えられた。ヤブロコは「ナショナリズム、スターリニズム、ポピュリズム、暴力」とは相いれず、「世界リベラル運動の一部であり」、「政治的目標を達成するための手段は、目的自体に劣らず重要である」[14]

 党大会はまた「ロシア=ウクライナ紛争」について、「戦闘停止の即時合意が絶対的に優先されるべき」との決議を採択した。捕虜の全面交換、第三者による予断のない戦争犯罪の調査も提唱された[15]。総じて、ヤブロコは極力市民的勇気を発揮していた。

 9月には統一地方選挙が実施された。政党配置を理解する一助としてモスクワ市の選挙結果(9月12日付。後にごく小さな修正があった)を見ると、1417議席を争って与党「統一ロシア」が1160議席と圧勝した。ついで、「統一ロシア」の別動隊といってよい「私の地区」が134議席をとった。「野党」に区分される中では共産党が42、「公正ロシア――真実のために」が20、「新しい人々」も20、自由民主党が11である。これらの政党はヤブロコのような反政府的立場をとっているわけではない。そのヤブロコは2017年の選挙では176人が当選したが、今回は3(後に4となった)人だけであった。有力紙『コメルサント』は成句「モスクワは涙を信じない」(映画タイトルでもある)をもじって、「モスクワは野党を信じない」と皮肉った[16]

 それでもヤブロコにしてみれば、当選者が出ただけでも健闘であった。立候補が認められないケースが頻発した他、モスクワ市では同党の候補者5人につき1人が取り下げを余儀なくされていたのである。彼らは「平和と自由のために!」をスローガンとして、12地方で462人の候補を立てた。モスクワ市以外でも、スホイ・ログ(スヴェルドロフスク州)、エサウロヴォ(クラスノヤルスク地方)、プスコフ市でヤブロコは議席を獲得した。とくにプスコフ市では総投票数の9.04%を獲得して第3党の地位につけ、多くの選挙区で当選した[17]

 この間、党員は恒常的に抑圧に晒されてきた。2022年3月から2023年6月までの間に、軍を中傷したことや虚偽の情報を広めたことを理由にして、5人の党員が告訴された。そのうちシベリア・ハカシアの党員ミハイル・アファナシエフは、「軍に関する虚偽」を広めたとして5年6か月の自由剥奪刑を宣告された。それ以外にも今日までに、10人が行政逮捕、32人が家宅捜索、33人が軍中傷の咎で調書を作られ、少なくとも26人が拘束された。罰金の総額は257万3500ルーブリに達した[18]

 2023年2月5日にはヤヴリンスキーが『ノーヴァヤ・ラスカース・ガゼータ』誌に論文「停止せよ!」を発表した。この雑誌は2022年3月末に『ノーヴァヤ・ガゼータ』紙が停刊を余儀なくされた後、同紙スタッフによって創刊されたものであるが、やはりすぐに刊行できなくなった[19]。ヤヴリンスキーの「停止せよ!」は、ロシアとウクライナの双方に戦闘停止の合意を呼びかけたものである。「人々を殺すことをやめよ!」と彼は記した[20]

 この論文に対しては、反プーチンの立場に立つ人々の間から、SNS上で多くの批判が出た。詩人のアリーナ・ヴィトゥフノフスカヤ(1973年生)は、「クレムリンと何らかの協定に調印しても何一つ保障されない」と書いた。ソ連の政治抑圧の発掘にあたる人権団体「メモリアル」(2021年12月に解散命令を受けた)のセルゲイ・ダヴィディス(1969年生。彼は現在ヴィリニュスにいる)は、「ロシア人は、そしてとりわけロシアの政治家は、ウクライナ人に対して降伏せよと呼びかけるべきではない。まさにそうすることをヤヴリンスキーは彼らに呼びかけているのだ」と書いた[21]。ヤブロコの内部に、この論文に対する異論があったかどうかは不明であるが、党指導部は彼を防衛した。3月24日、党の連邦政治委員会は、ヤヴリンスキー論文は党の公式見解であるとの決定を採択した(4月10日発表)[22]

 こうしてヤブロコは粘り強く活動を続けた。「平和のために!」をスローガンとした2023年9月の統一地方選挙では、エカチェリンブルグ、ノヴゴロド、クラスノカムスク(ペルミ地方)、ヤスノゴルスク(トゥーラ州)、都合4つの市議会でヤブロコの議員が議席を獲得できた。とくにエカチェリンブルグではナヴァリヌイが、「統一ロシア」党候補を倒すためにヤブロコに投票するように呼び掛けたことが功を奏した[23]

「ロシアで統一地方選挙、与党が圧勝」というのが日本をはじめとする外国での報道の仕方であった[24]。選挙結果全体で見れば、4市議会というのは小さな数字であろう。だが、今日のロシアにおいて、自立的な政治活動を何とか続けている人々がいるという事実は、それ自体で大きな意味をもつのである。

グネズジーロフの言論活動

 戦争反対の訴えにくわえて、ヤブロコは日々の活動で様々な課題に取り組んでいる。地方自治体では彼らは予算配分の提案を出しているし、エコロジーにも大きな関心を割いている[25]

 総じてヤブロコ指導部には学者・知識人が多い。議長ルイバコフを支える3人の副議長も、政治学者イヴァン・ボリシャコフ(1984年生)、評論家ボリス・ビシネフスキー(1955年生)、経済学者セルゲイ・イヴァネンコ(1959年生)という顔ぶれである[26]。ロシア市民の多数にとって、指導部にインテリが多いことは必ずしもヤブロコの魅力とはならないであろう。この点ではヤブロコは、法学者・農学者・歴史家、それに医者などを多く抱えていた帝政末期の自由主義政党カデット(立憲民主党)と似ている。議会制民主主義や法の支配をロシアにもたらそうとしたカデットは(ただし社会立法にも積極的であった)、1917年2月に権力の座についたのだが、法的手続きにこだわらずに社会的平等を即座に実現しようとするロシア民衆の大波と、それに乗ったボリシェヴィキとの前になすすべもなかったのである[27]

 それでも個々のヤブロコ党員は、緊張した日々を送りつつ、前向きな態度を失っていない。彼らの中で、とくに活発に社会活動を繰り広げている一人がアレクサンドル・グネズジーロフ(1986年生)である。彼はヤブロコの連邦政治委員会のメンバーであり、自身が主筆のオンライン誌Smart Power Journalで評論活動を行なう一方、演出家としても活躍している。モスクワのマヤコフスキー劇場が拠点であるが、ロシア=ウクライナ戦争が始まってからはウズベキスタンにも活動の場をもち、同国の国立青年劇場で指導にあたっている。彼はまた川島雄三や大島渚をはじめとする日本映画にも精通し、日本史をよく知り、幾度か訪日している[28]

 Smart Power Jounalでグネズジーロフは、ロシア、ヨーロッパ、アメリカ、日本における自由主義や議会制の歴史について論じることもあれば、現在の国際情勢について批評することもある[29]。とくに興味深い内容をもつものとして、ここでは2022年7月21日付の論説「「グリゴーリー・ユージンに答えて。『新自由主義的資本主義』と2月24日の悲劇」を紹介したい[30]。これは社会学者のグリゴーリー・ユージン(1983年生)がスイスの新聞に発表した論説「別のロシアは可能だ」への批判である[31]

 ユージンもグネズジーロフもプーチンの戦争に対して批判的である。だが、ユージンは左派の立場から、新自由主義批判とプーチン批判を一緒にやろうとした。つまり、ユージンは「現代新自由主義の急進的バリアント」としてプーチン体制を論じた。これに対してグネズジーロフは、プーチンのロシアには新自由主義を特徴付ける「小さな政府」がないと反論する。プーチンが行なったのは再国有化、つまり、かつてのオリガルヒ(1990年代の略奪的私有化の恩恵を受けた資本家)の企業を、国家の側が半ば暴力的に国有企業に合併するプロセスであった。形式的には私営の企業もたくさん残っているが、その取引先の大半はやはり国家である。たしかにプーチンのもとで「新自由主義的な」福祉・教育予算の切り詰めが進められてきたが、その分の予算は軍事費の拡張などに回された。つまり、自由市場が拡大したわけではない。

 グネズジーロフによれば、そもそもプーチンはレーガンやサッチャーのように政治と経済(自由市場)を切り分けておらず、経済的成長を独立した目標ともしていない。あくまで国家権力の拡大が彼の一番の目的であって、経済はそれに従属している。新自由主義的経済学者がその目的のために役立つならば登用もするが、あくまで経済は国家権力という機関車が爆走するための燃料に過ぎず、軌道を変えるような力はもっていない。

 私なりにグネズジーロフの考えを敷衍すると、国家が社会主義的な計画経済体制をとらず、市場経済を維持していても、市場メカニズムを国家の利益のために半強制的に利用することで(法制などを通じて)、国家機関の強化を推進できるということだろう。これはプーチン体制における国家と経済(あるいは社会)の関係を考える上で大事な点である。ここまで便宜上「国家」と書いてきたが、グネズジーロフは「自らを国家と称する官僚たち」と書いている。つまり、指導者とその仲間たちを頂点とする官僚・企業人による属人的支配の体系が現在のロシア(国家)なのであって、市場経済もこの支配のネットワークに取り込まれてしまっているのである。グネズジーロフのこうした論説は、ヤブロコの党員たちが、ロシアの現状を深く掘り下げるだけの、優れた資質をもっていることを証明している。

おわりに

 ロシアの独立系世論調査機関レヴァダ・センターが、2023年10月19日から25日にかけて18歳以上の1607人を対象にして実施した調査によれば、「あなたはウクライナにおけるロシア軍の行動を個人的に支持していますか」という問いに対して、「明確に支持している」45%、「どちらかといえば支持している」31%、「どちらかといえば支持していない」9%、「明確に支持していない」7%、「答えるのが難しい」8%という答えであった[32]。支持派76%に対して、不支持派が16%である。ヤブロコの主張はこの2割に満たない人たちの立場とおおむね重なっているといえるだろう。

 この2割弱が、ロシア社会の趨勢に影響を与えることはかなり困難であろう。プーチン政権とその戦争に対する支持は、諸々の抑圧措置の作用によって高められているとはいっても、ある程度まではロシア市民の多くにとっての本音といえるだろう。プーチンが積極的に推し進めてきた愛国主義の涵養は、超大国であったソ連時代の(美化された)記憶とあいまって、今日のロシア社会においてプーチン路線への高い支持を生み出している。

 だが、抑圧的な政権と、それを支持する多数派市民とを前にして、なお2割弱の人々が戦争を支持しないといっていること、そのような姿勢を公然と表明する政党があること、これは決して軽視することのできない事実である。この8割と2割のバランスがいつか崩れることがあるのかどうか、それは分からない。しかし、ヤブロコのような政党が在るということ自体が、ロシアの政治と社会を考える上での重要な要素として残り続けるのである。私は、彼らの存在を忘れず、その行動を追い続けてゆきたい。 


[1] https://mosyabloko.ru/events/20210614

[2] ナヴァリヌイはヤブロコの党員であったが、2007年に「ナショナリスト的活動」を理由にして除名されている。具体的には、極右とともに街頭行進を行なったこと、非ロシア人に対する攻撃的ともとれる発言を行なったことが問題となった。本稿はヤブロコの活動に光を当てるものであるが、ナヴァリヌイとその支援者たちがロシア社会をより開放的なものとするために、厳しい抑圧に耐え続けているという事実も決して忘れてはならないと私は考えている。https://jp.reuters.com/article/us-russia-politics-navalny-opposition/infighting-erupts-in-russias-anti-kremlin-opposition-over-alexei-navalny-idUSKBN2AA2EK

[3] https://www.bbc.com/russian/russia/2014/10/141016_tr_navalny_crimea

[4] Редченко Д. В. Присоединение Крыма к России в 2014 г.: Позиция российской объединенной демократической партии «Яблоко» // Изв. Сарат. ун-та. Нов. сер. Сер. История. Международные отношения. 2017. Т. 17, вып. 2. С. 217.

[5] https://www.yabloko.ru/news/2014/12/13. ドンバスに関しては、2017年秋にヤヴリンスキー案が発表されている。ロシア軍・武装勢力をドンバスから撤退する、特別な地方自治を伴う地位を一時的にドンバスに与える、住民の正常な生活が保障されたことについてロシアと関係各国が合意した後に、ウクライナ施政下にドンバスを返還する、がその主な内容である。https://www.yabloko.ru/publikatsii/2022/10/14; https://2018.yavlinsky.ru/donbass/. 2021年ドゥーマ選挙に臨んでも、上述のプログラム第5部の第3項でクリミア・ドンバスに関する以上の政策が踏襲された(注1参照)。

[6] https://www.svoboda.org/a/30850268.html. 政権側の嫌がらせ・抑圧の結果、ナヴァリヌイの党は「人民連合」、「進歩党」、「未来の党」と何度も改称を強いられてきた。

[7] https://bigenc.ru/c/iabloko-1879e7

[8] https://www.yabloko.ru/content/kratkaya_spravka_o_partii

[9] https://www.yabloko.ru/content/rybakov_nikolai_igorevich

[10] https://www.yabloko.ru/Persons/index.html

[11] https://www.yabloko.ru/taxonomy/term/2942/2022/01/24

[12] https://www.yabloko.ru/themes/special-operation; https://www.yabloko.ru/stop-war

[13] https://www.ng.ru/politics/2022-03-24/3_8400_apple.html

[14] https://www.vedomosti.ru/politics/articles/2022/04/15/918212-yabloko-obsudit-ritoriku; https://www.yabloko.ru/cat-news/2022/04/16-1

[15] https://www.yabloko.ru/postanovleniya_syezda/2022/04/21-1

[16] https://www.kommersant.ru/doc/5558913. 「私の地区」については共産党による批判を参照。https://msk.kprf.ru/2022/06/22/219562/?ysclid=lp3exzj9ly148059207

[17] https://www.yabloko.ru/taxonomy/term/2974/2022/09/12; https://www.yabloko.ru/cat-news/2022/09/14

[18] https://www.yabloko.ru/war-against-yabloko

[19] https://www.rbc.ru/technology_and_media/06/07/2022/62c5b6679a7947fdf60e19f2; https://www.rbc.ru/politics/07/02/2023/63e24abe9a794732e2f81f04. 『ノーヴァヤ・ガゼータ』は「新しい新聞」という意味で、「ラスカース」は「物語」である。タイトルを部分的に変えて刊行継続を図ろうとするジャーナリストたちの試みは、十月革命直後において、エスエル、メンシェヴィキ、カデットといった諸政党が、機関紙の名前を部分的に変えることを繰り返して、ボリシェヴィキによる停刊措置に対抗しようとしたことを彷彿させる。

[20] https://www.yabloko.ru/publikatsii/2023/02/05

[21] https://www.svoboda.org/a/prizyv-k-ukraintsam-sdatjsya-blogery-ne-otsenili-statjyu-yavlinskogo/32256521.html. 私見では、言論の自由が厳しく規制されているロシア国内で、ロシア・ウクライナの両国に戦闘を停止せよと呼びかけることと、西欧やアメリカ合衆国や日本において同様の呼びかけを発することとは、同列におけないだろうと考える。

[22] https://www.yabloko.ru/reshenija_politicheskogo_komiteta/2023/04/10. その後、2023年10月26日にプーチン大統領とヤヴリンスキーの会談が実現した。ヤヴリンスキーは停戦交渉を即時開始する必要性についてプーチンに説き、停戦交渉に自身が参加してもよいとも申し出た。https://www.yabloko.ru/cat-news/2023/10/26

[23] https://novayagazeta.eu/articles/2023/09/12/iablochnyi-spas?fbclid=IwAR19LCsoli7epwBdJxEd5enyJffpStnu_szadQmll_ZjJLTRA-b4SYKRJ2E

[24] https://www.jetro.go.jp/biznews/2023/09/fc984a5dea629b0f.html

[25] https://www.yabloko.ru/blog/2023/11/16;  https://www.yabloko.ru/cat-news/2023/11/14

[26] https://www.yabloko.ru/content/faces

[27] 池田嘉郎『ロシア革命 破局の8か月』(岩波新書、2017年)、参照。

[28] https://www.yabloko.ru/content/gnezdilov_aleksandr_valentinovich. 彼のFacebookも参照。

[29] 日本史関連ではたとえば「幕府から議会へ――日本自由主義前史」(2021年12月29日付)という論説を書いている。https://smartpowerjournal.ru/160719/

[30] https://smartpowerjournal.ru/210722/?fbclid=IwAR24ycSQEExfXzCyJBAdj3Xq4oZCGvRM3PTPnDMGDR1CIa5f0VnRo6cbSwA

[31] https://meduza.io/feature/2022/07/01/uvy-delo-ne-v-russkih でロシア語版を読める。

[32] https://www.levada.ru/2023/10/31/konflikt-s-ukrainoj-otsenki-oktyabrya2023-goda/

(東京大学)

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