ドイツはどこへ行くのか?

ドイツはどこへ行くのか?

木戸衛一(大阪大学招へい教授)

はじめに

 カール・ヤスパース晩年の著作に、『連邦共和国はどこへ行くのか?―事実・危険・好機』(1966年)がある[1]。かつて反全体主義・反共主義の闘士だった彼はこの書で、西ドイツにおいて、民主主義から政党寡頭制への構造変化、さらには政党資金への国家補助や大連合政権の成立を通じて独裁への危機が迫りつつあること、そして、西独国家成立以来最も強力な根拠づけである「安全保障」について、たいてい安全保障への訴えかけには特定の利害が潜んでいて、政党寡頭制の安全が連邦共和国の安全と同一視されかねないことに警鐘を鳴らしている。

 ヤスパースの問題提起は、現在でも意義を失っていない。2022年2月24日、ロシアによるウクライナ侵略が始まって以降、西側では「民主主義対専制主義」の構図が喧伝されているが、その「民主主義」の実態は、内実が形骸化した「ポスト・デモクラシー」(コリン・クラウチ)だと指摘されて久しく、今やIT技術を駆使し、大衆の中の嫉妬や差別感情に訴えかける「道化師政治家」(クリスチャン・サルモン)が闊歩している有様である。そうした西側諸国が「人道」や「正義」をふりかざした一連の武力行使で露呈した二重基準は、彼らの言う「安全保障」が誰のためのものか疑わせるのに十分である。

 往年の大哲学者と比較するべくもないが、パレスチナ・ガザ地区を実効支配するハマスがイスラエルに奇襲攻撃を仕掛けた2023年10月7日以降のドイツの状況を見るにつけ、筆者は大きな落胆とともに「連邦共和国はどこへ行くのか?」という思いを禁じ得ない。「過去の克服」に熱心に取り組み、リベラルで寛容な政治文化を培ってきたことから、この国が「戦後デモクラシーの模範生」と目されたのには十分な根拠がある。しかし、かつてジェノサイドを引き起こしたドイツが、現在ガザにおけるジェノサイド的状況を事実上黙認している現実は、「人間の尊厳は不可侵である」を憲法規範のいの一番に掲げるこの国のあり方そのものに見直しを迫る契機になるかもしれない。

1.イスラエルへの「無制限の連帯」

 「10・7」以降、ドイツはイスラエルへの「無制限の連帯」の声で覆われた。オラーフ・ショルツ首相(社会民主党:SPD)は早速X(旧ツイッター)で、「ドイツはハマスのこの攻撃を断罪し、イスラエルの側に立つ」と書き、ベルリンのブランデンブルク門は、イスラエル国旗のライトアップがされた。

 ショルツは10月12日の所信表明演説で、「イスラエルは、この野蛮な攻撃に対して自らとその市民を守る、国際法上保証された権利を持つ。イスラエルにおける、そしてイスラエルのための安全が回復されねばならず、だからイスラエルは自衛可能でなければならない。この時ドイツには一つの場所しかない。イスラエル側の場所だ。イスラエルの安全はドイツの国是だ」と明言し、17日、事件後外国首脳として最初にイスラエルを訪問した。

 「無制限の連帯」とは、2001年の「9・11」事件を受けて、ゲアハルト・シュレーダー首相(SPD)が米国に向け発した言葉である。その後ドイツは、アフガン攻撃に加わらず、イラク戦争には表向きは反対したが、実は自国領内から米軍機がイラク攻撃に向かうことを容認しただけでなく、バグダードに残った連邦情報局職員を通じて、米国に空爆目標の情報を提供していた[2]

 また、イスラエルの安全をドイツの「国是」と呼ぶのは、2008年3月18日、アンゲラ・メルケル首相(キリスト教民主同盟:CDU)がイスラエル国会で、「私以前のどの連邦政府、どの連邦首相もイスラエルの安全への特別な歴史的責任を負ってきました。このドイツの歴史的責任は私の国の国是です。言い換えると、イスラエルの安全はドイツ首相である私にとって決して交渉の余地のない事項だということです。そしてそうであれば、もしイスラエルが危機に立たされたとき、それがただの口約束だけになってはいけません」と述べたことに由来する[3]。ちなみに彼女は2006年1月30日、パレスチナ立法評議会選挙の5日後に中東を訪れたが、選挙で単独過半数を占めたハマスの指導者とは、公式にも非公式にも会おうとしなかった。

 ドイツを含むG7加盟国は、声高にイスラエルの「自衛権」を唱える。なるほどイスラエル軍はガザ地区から2005年9月に撤退したが、国連などは依然ガザがイスラエルの占領支配下にあると見なしている。となれば、イスラエルは外部の国から攻撃を受けたわけではないので、「自衛権」の行使はできないはずである。しかも、ガラント防衛相が「”human animal”(人間の顔をした獣)との戦争」と呼び、ネタニヤフ首相がハマスを壊滅するまで続けると公言した武力攻撃で、イスラエルは、①軍事目標しか標的にしてはいけない(「区別の原則」)、②攻撃により過度な被害を生んではいけない(「均衡性の原則」)、③事前の警告など被害を未然に防ぐ(「予防の原則」)という武力行使に際し考慮すべき国際人道法上の原則も明らかに踏みにじっている。

 ところがショルツは、EU首脳会談が開かれた10月26日、「イスラエルは民主主義国家で、非常に人道的な原則に導かれている。したがって、イスラエル軍が行動において、国際法からもたらされるさまざまな規則を尊重するだろうと確信できる。そこに私は疑いを持っていない」と発言した[4]。一連の発言から、彼の中では文明と野蛮、民主主義とテロリズムという二項対立が出来上がっていることが明瞭に窺える。

 翌10月27日、国連総会の緊急特別会合では、「人道的休戦」を求める決議が、賛成121カ国、反対14カ国、棄権44カ国と、棄権・無投票を除く3分の2以上の賛成で採択された。この決議には、ハマスによる攻撃を非難する内容が含まれていなかったことから、ドイツは日本同様棄権に回った。この投票行動への批判は、日本では「米国の顔色を窺ってばかり」というものであったのに対し、ドイツでは「なぜ決然と反対しなかったのか」であった。

 12月12日、ガザでの「即時の人道的停戦」を求める国連総会決議は、賛成国が153カ国と32カ国増えた。日本はカナダ、デンマーク、韓国などと同様、前回の棄権から賛成に転じた26カ国の一つであったが、ドイツは棄権を貫いた。

 「10・7」直後からドイツでは、一部の政治家や「安全保障」専門家がイスラエルへの軍事支援を口にした。事実、10月20日から1000人以上の連邦軍兵士・特殊部隊隊員を乗せたフリゲート艦「バーデン=ヴュルテンベルク」が、リビア沖からキプロスに移動した。

 イスラエルへの武器輸出も急増している。2023年、ドイツの対イスラエル武器輸出は、11月2日までに(同日を含む)3億300万ユーロに達し、前年3200万ユーロの10倍に及んだ[5]。「10・7」直後の数週間に、連邦政府はイスラエルからの申請185件を承認した。その大半は、装甲車や安全ガラス、軍用トラックである。ドイツでのパレスチナ連帯デモのスローガンに、「ドイツが金を出し、イスラエルが爆撃する」(”Deutschland finanziert, Israel bombadiert”)があるが、それもむべなるかなと思われる。

 12月1日、休戦延長から停戦へという国際社会の声を無視し、イスラエル軍がガザへの攻撃を再開したことを受けて、アナレーナ・ベアボック外相(90年連合/緑の党)は、「テロが撲滅されなければ、イスラエルは安全に暮らすことができない」と、イスラエルの立場をまたしても支持した。同日、国連のグテレス事務総長がX(旧ツイッター)で、戦闘に逆戻りしても「人道目的の休戦がいかに重要か明らかになるだけだ」、国連児童基金(ユニセフ)の報道官が「永続的な停戦を実現しなければならない。行動しないことは、子どもを殺害する行為の是認と同じだ」とそれぞれ訴えたのとはあまりにも対照的である。

2.「反ユダヤ主義」という「道徳的棍棒」

 かつて「9・11」後の「無制限の連帯」に対する異論・疑念が「反米主義」の怒号に晒されたとすれば、今般「10・7」後の「無制限の連帯」に対する異論・疑念は「反ユダヤ主義」の非難を浴びせられている。しかも今回は「国是」も絡むので、対抗言論への抑圧は看過できないものがある。

 「10・7」以来政界や主流メディアからイスラエルへの「無制限の連帯」が繰り返し叫ばれる一方、10月17・18日には連日ベルリンで、パレスチナ支持のデモに警察が介入し、一部デモ参加者が暴徒化した。20日には、ベルリン・ノイケルン区のゾンネンアレー通り沿いの商店が、パレスチナ連帯のストライキを決行した。

 象徴的なのは10月22日の出来事で、ベルリンのブランデンブルク門前では1万人のイスラエル支持集会が開かれ、そこから1キロと離れていないポツダム広場でのパレスチナ連帯・中東和平デモは禁止された。

 「イスラエルの安全」という「国是」から、連邦内務省は11月2日、ハマスと親パレスチナ団体「サミドウン」の活動を禁止し、ミュンスター高等行政裁判所は12月2日、「ジェノサイドをやめろ」(”Stoppt den Genozid”/”Stoppt den Völkermord”)デモの禁止を追認した。ほかにも、「子どもを殺すイスラエル」(”Kindermörder Israel”)と唱和したりスローガンを掲げることや、生徒がパレスチナの伝統的なスカーフ「クーフィーヤ」を巻いて登校することも禁止されたりしている。「川から海までパレスチナは自由になる」とのスローガンも、ヨルダン川から地中海までの地域を指し、イスラエルの生存権を否定するものだとして禁止され、違法行為の対象にすらされようとしている(”From the xxx to the xxx”という書き方にすら容疑がかけられるという)。

 アパルトヘイト期の南アフリカに対し国際社会が取った措置と同じく、イスラエルの人種差別体制(アパルトヘイト)に抗議して行う「ボイコット・資本引揚げ・制裁」(BDS)運動にも、ドイツでは容易に「反ユダヤ主義」のレッテルが貼られる。ドイツ連邦議会は2019年5月17日、キリスト教民主/社会同盟(CDU/CSU)、SPD、自由民主党(FDP)、90年連合/緑の党が共同で提出した動議「BDSに断固立ち向かう―反ユダヤ主義と闘う」を圧倒的多数で採択した[6]。この時の対抗動議のタイトルが、左翼党は「BDS運動を拒否する―中東における平和的解決を促す」、極右「ドイツのための選択肢」(AfD)は「BDS運動を断罪する―イスラエル国家の存立を守る」だったことから明らかなように、ドイツにおいてBDSキャンペーンは、その非暴力的形態にもかかわらず全面否定されている。

 この連邦議会決議を錦の御旗に、エッセンのフォルクヴァンク美術館は、米国在住の作家で客員キュレーターのアナイス・ドゥプランとの協力関係を一方的に打ち切った。彼は、2023年11月24日開幕予定の「我々が未来だ。新しい共同体のビジョン」展で、「アフロ未来主義」のキューレーションをするはずであった。その8日前に美術館が発表したところでは、打ち切りの理由は、ドゥプランが11月10日にインスタグラムでBDSへの支援を呼びかけたことにあった。美術館側は「エッセン市とフォルクヴァンク美術館は、平和と諸文化の対話を擁護する」としているが[7]、むしろ反ユダヤ主義に関する真の対話を避けているようにしか見えない。

 フリードリヒ・メルツCDU党首は10月22日、外国系市民がドイツ国籍を取得する条件として「イスラエル支持」を盛り込むことを要求した。12月11日に公表されたCDU基本綱領草案は、「ドイツの主要文化」として、あらゆる人間の尊厳、基本権・人権、法治国家、敬意と寛容の尊重と並んで、「イスラエルの生存権の承認」を盛り込んでいる。今後場合によっては、外国系市民の帰化や滞在権をめぐりイスラエルに対する態度が問われるかもしれない。

 11月13日ベルリン芸術大学でのパフォーマンスや、12月14日ベルリン自由大学での講義室占拠など、大学での出来事は「親パレスチナ連帯を装った反ユダヤ主義活動家」の仕業と見なされ、シオニズムの弾劾も「イスラエル憎悪」と位置づけられる。ベッティナ・シュタルク=ヴァッツィンガー連邦教育研究相(FDP)は、ユダヤ系学生の聴講を阻止するような学生の退学処分をも視野に入れている[8]

 1998年10月11日、ドイツ書籍協会の平和賞を受賞した作家マルティン・ヴァルザーは、ドイツにおけるナチの過去との向き合い方について、ホロコーストへの追悼が儀式化し、アウシュヴィッツが特定の目的を貫徹するための「道徳的棍棒」(Moralkeule)に成り下がったと述べ、ベルリンのホロコースト警鐘碑を「恥のモニュメント化」と批判した。

 在独ユダヤ人評議会のイグナツ・ブービス会長から「精神的放火」を非難されたように、ヴァルザー演説は今日のAfDの言説を先取りするような危うさを秘めている。だが、パレスチナの人々に日々制度的な人権侵害を行い、国連決議も国際司法裁判所も無視して、占領と分離壁の建設を続けてきたイスラエル国家(政府[9])に対する批判を「反ユダヤ主義」の名で封殺するありようは、今日のドイツで「反ユダヤ主義」が、思考停止を促すまさに「道徳的棍棒」として機能している証左と言わざるを得ない。

 「国是」に固執する支配層の姿勢は、判で押したように「テロ組織ハマス」と伝える一面的なメディア報道に反映している。パレスチナ連帯デモでは、「ドイツのメディアは嘘をつく、騙されるな」(”Deutsche Medien lügen, lasst euch nicht betrügen”)という絶望的なスローガンすら叫ばれている。

3.「ホロコーストの比較不可能性」?

 ナチ・ドイツと今日のイスラエル・パレスチナ問題を結びつけるのは、ホロコーストに限らない。ヒトラー政権発足から約7カ月後の1933年8月25日、帝国経済省と「イスラエルのためのユダヤ機関」、ドイツ・シオニスト協会の間でハーヴァラ協定が結ばれた。これによりドイツは、自国のユダヤ系市民のパレスチナ送出とドイツ製品の輸出という一石二鳥を狙った。というのもそのメカニズムは、①ドイツから移住するユダヤ人が、その資産をドイツの移転銀行に預け入れる、②この資金からパレスチナの輸入業者がドイツ製品を購入し、パレスチナで売却する、③その収益は移住者がパレスチナで、費用差し引き後に受領する、というものだったからである。こうして、第2次大戦が始まる1939年までに、5~6万人のユダヤ系市民がドイツから英国委任統治領パレスチナに移住した。

 他方でナチスは、ハマスとの間接的な繋がりもある。1928年、西洋支配からの独立とイスラム文化の復興を掲げて、エジプトでムスリム同胞団が設立され、1930年代にはエルサレム大ムフティー(イスラム教の最高宗教指導者)、アミーン・アル=フサイニーとともに、反シオニスト闘争を展開した。1941年11月28日アル=フサイニーは、シオニストをパレスチナから放逐する支援を期待して、ヒトラーと面会した。この時期、短波放送を通じてアラビア語でナチ・イデオロギーがパレスチナにも普及、一部はムスリム同胞団にも受け継がれ、そのイデオローグ、サイイド・クトゥブの「ユダヤ人との我々の戦い」(1950年)にはナチの反ユダヤ主義が反映しているという。そしてムスリム同胞団がパレスチナに派生し、1987年末の第1次インティファーダでハマスが誕生したのである。

 このような歴史的背景を知っているドイツ人は、ごく少数であろう。それでも、彼らがホロコーストの歴史的責任に自覚的であることは、正当にも世界で高く評価されている。「ベルリンの壁」崩壊、「ドイツ統一」の実現には、「過去の克服」と呼ばれる地道な取り組みが一助となったことも確かであろう。

 日本でも知られている、1980年代後半西ドイツでの「歴史家論争」は、一言で言えば「ホロコーストの比較可能性」をめぐって展開した[10]。歴史家エルンスト・ノルテが、1986年6月6日付『フランクフルター・アルゲマイネ』紙への寄稿「過ぎ去ろうとしない過去」で、「ナチズムを扱ってきた文献の顕著な欠陥は、ナチスが後に犯すことになるすべてのことがら……が、ガス室での抹殺という技術的なプロセスを唯一の例外として、すでに20年代初頭の多くの文献に相当量書き残されているという事実を、知らないか、あるいは認めようとしない点にある」と、ホロコーストと他の大量虐殺との比較可能性・類似性を指摘した。これに対し哲学者ユルゲン・ハーバーマスは同年7月11日の週刊紙『ツァイト』で、「一種の損害補償」と題し、「伝統的なアイデンティティーを国民の歴史を軸にして修復するという目的に、修正主義的な歴史記述を奉仕させようとする」「弁護論的傾向」を批判して、論争の火蓋が切って落とされたのである。

 ユダヤ人根絶の唯一無比性の当否をめぐる議論は、もとより外部の要請に応えたものではなく―「ドイツ・ナショナリズムの色を染めこまれたNATO哲学」(ハーバーマス)といった問題はあるにせよ―、あくまで西独内在的な歴史認識論争である。

 ところが「10・7」を経て、それまで600万人ものユダヤ人が殺されたホロコーストをいわば究極の絶対悪として、古今東西の大量虐殺と比較すること自体を否定してきた当のイスラエルで、ハマスによる襲撃が「ホロコースト」と呼ばれるようになる。ネタニヤフ首相は10月17日、ショルツとの共同記者会見で、「ナチスのホロコースト犯罪からしか思い出せない残虐性だ。ハマスこそ新しいナチスだ」と強調した[11]。隣のショルツは、内心どう思ったであろうか。

 その種の発言が「10・7」の衝撃による一過性のものでないことは、北部レバノン国境沿いにある小都市メトゥラの市長が、12月17日のラジオ番組で、「ガザ地区全体を空にし平坦にして、アウシュヴィッツ強制収容所のような博物館にすべきだ」とうそぶいたことからも看取できる[12]

 欧米のホロコースト研究者16名は11月20日、政治家や著名人が、ガザとイスラエルにおける現下の危機を説明するためにホロコーストの記憶を引き合いに出すことを戒める公開書簡を発表した[13]。そこでは、「イスラエルの指導者たちは、ホロコーストの枠組みを利用して、ガザに対するイスラエルの集団的懲罰を野蛮に直面した文明のための戦いとして描き、それによってパレスチナ人に関する人種差別的なナラティヴを促進している」と厳しく批判している。

 ところがドイツでも、『南ドイツ新聞』の文芸欄編集者が、パウル・ツェランの有名な詩「死のフーガ」を文字って「死はガザからのマイスター」と投稿するなど(その後消去)、「ホロコースト」の道具化が見受けられる。さしずめ、「我々ドイツ人は、首都の真ん中に恥辱の記念碑を植え付けた世界で唯一の国民だ」(2017年1月17日、ビョルン・ヘッケ・テューリンゲン州議会党議員団長)、「ヒトラーとナチスは、1000年余の成功に満ちたドイツ史における鳥の糞に過ぎない」(2018年6月2日、アレクサンダー・ガウラント代表)などと、一連の歴史歪曲を図っているAfDは、ホロコーストの相対化を狙って今後さまざまな「比較」を仕掛けてくるのではないだろうか。

4.市民社会の再構築に向けて

 既に「10・7」以前、ドイツ社会はとげとげしい空気に覆われていた。気候変動、コロナ・パンデミック、ウクライナ戦争、インフレ、エネルギー高騰が人々を圧倒する中、コロナ否定論者や陰謀論者など、社会的配慮や連帯、まして社会的強制から徹底的に自由でありたいとする「リバタリアン権威主義」が声高になった[14]。剥き出しのエゴイストである彼らは、科学的知見の否定、他者の無視、対話の拒否、制限や禁止への感情的反発といった態度を取り、「コロナ狂」、「ジェンダー・テロル」、「ヴォーク狂」、「気候テロル」といった粗雑な言葉遣いをしている。それに一部政治家が便乗している点も見逃せない。

 そのような政治的雰囲気を反映して、2023年5月9日に発表された犯罪統計年次報告によれば、前年政治的動機による犯罪は5万8916件と、最悪の数値を記録した。2021年に比べると7%増、2013年(3万1645件)に比べるとほぼ倍増である。極右犯罪は2021年より7%増の2万3493件で、極右が依然自由で民主的な基本秩序にとって最大の危険であることを示している[15]。そして政治家や政党事務所への攻撃は、2022年後半の392件から翌年前半の739件に激増している[16]

 「10・7」以降、ドイツの政治社会はさらに殺伐とした雰囲気になった。ユダヤ教施設に火炎瓶が投げられ、ユダヤ系市民の住宅にダビデの星やハーケンクロイツの落書きがされる一方、パレスチナ連帯デモでISかタリバンかと思わせる旗が降られたこともあり(11月3日、エッセン)、ムスリム全体が「反ユダヤ主義者」の偏見に晒されている。

 そうした中で、政治の論理から距離を置き、ユダヤ人の安全とパレスチナ人の自由が決して利益相反ではないという真っ当な見地に立って、市民社会の再構築を図る懸命な努力も営まれている。2007年発足の「中東における公正な平和のためのユダヤの声」は「10・7」の3日後、イスラエル・パレスチナにおける死傷者を悼み関係者に寄り添うとともに、ドイツ政府に基本法(憲法)を尊重し、イスラエルの人権侵害・戦争犯罪をこれ以上支持せず、言論・集会の自由を保障することを求める声明を発表した[17]。反ユダヤ主義・中東紛争、政治的過激化防止、民主主義促進を課題とする「トランスエイデンシー[18]」や、差別や人種差別主義に抗し社会的参加や多様性を目指す「ドイツ統合移住研究センター[19]」(DeZIM)といったNGOは、当局のパレスチナ支援デモ禁止を厳しく批判した。

 ベルリンでは、キリスト教・ユダヤ教・イスラム教の融合・和解を目指す「ハウス・オヴ・ワン」が10月10日、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教・バハイ教代表の合同の祈りを捧げ、10月18日には「イスラエルとガザのための多宗教平和アピール」を発表した[20]。ノルトライン=ヴェストファーレン州では、10月23日、イスラム4団体代表がケルンのユダヤ教会を訪問し、4日後にはボーフムのモスクで2回目のユダヤ・ムスリム対話が行われた。さらにケルンでは11月19日、「平和のためのパレスチナ人とユダヤ人」が、「中東の戦争の影響を受けたすべての人との連帯」を掲げた平和デモを挙行、主催者発表で3000人、警察発表でも2000人の参加を得た[21]

 学校現場でも、たとえば「ジャーマン・ドリーム」という団体は、一人一人が自分のアイデンティティーや痛みが見過ごされることの辛さに寄り添いながら、党派に偏らない対等な価値対話を進めている[22]。他方、多極化する世界にあって、グローバル・サウスに対する西側の無知と傲慢を自己批判する出版物も注目を浴びている[23]

おわりに

 今や「残り90秒」の「世界終末時計」が象徴するように(おそらく2024年に示される残り時間はさらに短くなるであろう)、今日の世界は文字どおり破局一歩手前の様相を呈している。覇権国家は、「属国に対しては他の属国と衝突する事態を防ぎ、安全保障面で帝国に依存する状態を維持すること、進貢国に対しては従順で帝国の保護を受ける状態を維持すること、蛮族に対しては統一と団結を防ぐこと」という地政戦略で世界をもてあそんでいる[24]。ドイツは「集団的三極帝国主義」(サミール・アミン)の忠実な一翼として、むざむざ破局への歩みを自ら進めるのであろうか。

 この間日独の間では、軍事提携が進んでいる。2022年4月28日のショルツ訪日、2023年3月18日、ショルツ首相と6閣僚の訪日、経済安全保障分野での連携を主要テーマとする「日独政府間協議」の開催は象徴的である。既に2021年4月13日には、日独で初の外務・防衛閣僚会合(2プラス2)が開催され、同年11月2日には独フリゲート艦「バイエルン」と海上自衛隊による共同訓練、翌年9月28日には戦闘機ユーロファイターが初めて日本に派遣され、航空自衛隊と共同訓練が行われた。また、2021年3月22日には、安全保障上の秘密情報を交換することを可能にする情報保護協定が締結され、2023年12月2日には、自衛隊とドイツ軍が物資を融通し合う物品役務相互提供協定(ACSA)を締結することで実質合意した。

 「過去の克服」を行い、曲がりなりにも民主主義・人権・法治国家といった価値を掲げるドイツと、過去を否認・美化し、立憲主義・市民的権利・平和主義を放擲しようとする日本との軍事提携とは、洒落にもならない。だが、連邦軍が「戦争遂行能力をもたねばならない」(”kriegstüchtig”)というボリス・ピストリウス独防衛相(SPD)の発言(11月10日、連邦軍会議)は、日本のミリタリストたちをさぞ鼓舞したことであろう。

 ドイツではことあるごとに「二度と〔ファシズムを〕起こさない」と言われる。だが、権力が一つの方向を指し示し、多くの人間が同調し、しかも武器や爆弾で後押しされれば、それは再び起こりうるのではないか。私たちは、「どちらの側につくのか?」という近視眼的な戦時思考にも、「どっちもどっち」というシニカルな傍観主義にも陥ってはならない。そして地球市民として、「人間の尊厳」に二重基準を設けるような欺瞞を許してはならない。


[1] 邦訳は、カール・ヤスパース(松浪信三郎訳)『ドイツの将来』タイム ライフ インターナショナル、1969年。邦訳は、『連邦共和国はどこへ行くのか?』と続編の『批判への応答』の一部とを合わせた英語版に基づいているが、ハンナ・アーレントの序文は省略されている。また「訳者あとがき」には、「翻訳にあたっては、独文原版を底本とし、重訳の弊は避けてある」と記されているが、基本的な単語レベルからの誤訳が目立つ。

[2] 木戸衛一「「ヒトラーの影なき戦争」への積極貢献?―「九.一一」後におけるヨーロッパ=ドイツの軍事化」木戸衛一編『「対テロ戦争」と現代世界』御茶の水書房、2006年、39~42頁。

[3] 『アンゲラ・メルケル演説選集―私の国とはつまり何なのか』藤田香織訳、木戸衛一 解説、創元社、2022年、52頁。

[4] https://www.bundesregierung.de/breg-de/aktuelles/pressestatement-von-bundeskanzler-scholz-beim-europaeischen-rat-am-26-oktober-2023-in-bruessel-2233186

[5] https://www.rnd.de/politik/israel-bundesregierung-genehmigt-erheblich-mehr-ruestungsexporte-XGTTNJXWJBJLFK357KDO6K4WLM.html#:~:text=Die%20Bundesregierung%20hat%20ihre%20Genehmigungen,mit%20rund%2032%20Millionen%20Euro.

[6] https://www.bundestag.de/dokumente/textarchiv/2019/kw20-de-bds-642892

[7] https://www.museum-folkwang.de/de/ausstellung/wir-ist-zukunft

[8] https://www.welt.de/politik/deutschland/article249084296/Judenhass-an-Hochschulen-Exmatrikulation-darf-nicht-ausgeschlossen-sein.html

[9] ちなみに、ネタニヤフは「10・7」直前の9月22日国連総会で、パレスチナ自治区もガザ、東エルサレム、シリアのゴラン高原までもすべて自国領として併合する「新しい中東」地図を堂々と示している。

[10] J・ハーバーマス/E・ノルテ他(徳永恂他訳、三島憲一解説)『過ぎ去ろうとしない過去―ナチズムとドイツ歴史家論争』人文書院、1995年参照。

[11] さらにネタニヤフは10月21日、前述のアル=フサイニー・ヒトラー会談をもって、アル=フサイニーがヒトラーにホロコーストを進言したというあからさまな歴史歪曲発言を行っている。

[12] https://www.jpost.com/israel-hamas-war/article-778367

[13] ドイツからはベルリン工科大学反ユダヤ主義研究センターのシュテファニー・シューラー=シュプリンゴールム・センター長が署名している。https://www.nybooks.com/online/2023/11/20/an-open-letter-on-the-misuse-of-holocaust-memory/

[14] Carolin Amlinger/Oliver Nachtwey, Gekränkte Freiheit. Aspekte des libertären Autoritarismus, Berlin: Suhrkamp Verlag, 2022.

[15] そこでは、政治的動機に基づく反ユダヤ主義的犯行(2641件)の84%が、極右によることも確認されている。https://www.bmi.bund.de/SharedDocs/pressemitteilungen/DE/2023/05/pmk2022.html

[16] https://www.rnd.de/politik/739-angriffe-auf-politiker-und-parteien-zahl-nimmt-deutlich-zu-XGQOPYPK2RI4DD4ETT6FSELWM4.html

[17] https://www.juedische-stimme.de/stellungnahme-zum-aktuellen-gaza-krieg-und-der-gewalteskalation-in-israel

[18] https://transaidency.org/

[19] https://www.dezim-institut.de/

[20] https://house-of-one.org/news

[21] https://www1.wdr.de/nachrichten/rheinland/demonstration-palestinians-and-jews-for-peace-100.html

[22] https://www.germandream.de/

[23] Vgl. Johannes Plagemann/Henrik Maihack, Wir sind nicht alle: Der globale Süden und die Ignoranz des Westens, München: C.H.Beck, 2023.

[24] ズビグニュー・ブレジンスキー(山岡洋一訳)『ブレジンスキーの世界はこう動く―21世紀の地政戦略ゲーム』日本経済新聞社、1998年、60頁。

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