(2024.7.14)平 忠人
一週間前に行われた「東京都知事選挙」では「少子化対策」が大きく扱われた。
日本をはじめ韓国・中国等では少子高齢化が急速に進むなかで、特に日本ではケア(医療・介護・子育て)への関心が高まっているものの、ケアの仕事に対する社会的評価はけっして高くなく、いぜんとして不当に低い評価が続いている。ケアを女性の家事労働の延長線上にある“誰でもできる仕事”と見なして低い報酬しか支払わない現在の社会は、若い人たちがケアの仕事に就くことを躊躇させ、ケアの担い手が大幅に不足する危機を招いている。
当研究会でも、岡野八代「ケアの倫理——フェミニズムの政治思考」(2024年 岩波新書)を取り上げ、報告会といつもにも増した積極的な議論が交わされたのでここに報告する。
尚、当日の報告者は柴垣顕郎氏、司会長澤淑夫氏 参加者23名(オンライン)であった。
——―報告者レジュメ(抜粋)——―
【本書概観】
第一章
合衆国の第二波フェミニズム運動。
マルクス主義フェミニストたちが発見した再生産労働をめぐって・・
第二章
家父長制を掘り下げた上で批判する。
ケアの関係性を私的領域に閉じ込めることへの批判。
第三章
「ケアの倫理」と「正義の倫理」との関係。
包摂でも統合でもない。
「公私二元論」への批判=本書中心テーマの一つ。
第四章
主流の「正義」を「ケアの倫理」から捉え返す。
「母性主義からケアを解放する試み」
第五章
「ケアの倫理」から民主主義を鍛え直す。
「ケアの倫理」を組み入れた「平和論」と「環境正義論」。
——―報告者解説(抜粋)——―
【フェミニズムの主張】
・初期のフェミニズムの主張は、女性に男性と同等の権利を求めようとするものだった。
・リベラル:既存の社会の中での地位向上。
・ラディカル:階級、人種、家族制度を批判する。
👉本書では資本主義こそが、賃金労働者を確保するために女性にケアの領域を押し付けた面も強いと指摘している。
・社会変革を目指すマルクス主義フェミニズムでも賃労働・商品生産・商品消費が経済の中心。
・女性解放とは家事や育児などの分野を男が分担し、女性の社会進出を応援し促進すること・・
【「ケアの倫理」とは】
・キャロル・ギリガン著「もう一つの声で一心理学の理論とケアの倫理」→今の社会を根本から問い直す思想。
・賃金で商品、生活品を購入したとしても、それを家族に提供するのは一般的に女性の仕事。
・子育て、病人、老人の介護等、人が生きていくためには様々なケアが必要。
👉「ケアの倫理」は、それらの領域に光をあて、そこを基盤にして人間観・社会観を作り直していく。
👉さらに「ケアの倫理」は「母性主義」を普遍的な世界に解き放つ思想。
【ケアの倫理】の捉え方
・「ケア」という言葉も幅広く受け止める必要がある。
・介護や子育て、家事だけではない・・身近な人たちとの親密圏の中で、相互に行われる営み全般を指す。
👉普遍的価値↔人間関係の中での他者への責任。
【「正義の倫理」と「ケアの倫理」】
・ケアを巡る膨大な論争史。
「ケアの倫理」・・身近な関係性の中での責任の倫理。
「正義の倫理」・・客観的で普遍的な公正の倫理。
・現実の社会では人々は様々な関係性の中でしか生きていけない・・それを基点に据えた、新しい社会観が打ち立てられなければいけない。
👉ケアの領域も含み込み、さらに公私二元論を超えた新しい正義の倫理が必要。
👉「依存」という関係をどう捉えるか・・
【ケアの倫理と平和・安全保障】
・「女性たちが主に担ってきたケアの領域は決して部分的で補助的な価値の低いものではない」として、ケアの領域を救い出す。
👉「ケアの倫理」は、あるべき民主主義や平和や安全保障、気候正義の問題に繋がっていく。
【ケアの倫理と気候正義】
・「生産力至上主義」こそが地球環境危機を招いている。
👉「成長」「発展」「豊富」等概念自体の検討→「脱成長」という概念をもっと豊かに広げる。
【脱成長・分散型社会の可能性】
・「経済成長」というのは、あくまで商品生産・商品消費の分野の話である。
・ケアや手作りの領域を増やす→商品生産や商品消費は減少→経済の縮小=生活の内実が貧しくなるのではない→むしろ豊かになる。
・ケアは経済の一部であるどころか、狭い市場経済を支える広範囲の経済活動(市場外の人間活動の重視)。
・残る懸念:資本主義は貨幣を媒介することによって、世界規模での商品生産と商品消費を繰り広げている。
・壮大なムダを出しながらも、世界大の豊かさを実現している。
👉ケアや手作りの世界は身近な範囲に限られてしまうのか・・地域通貨のような中巻的・過渡的な手法・装置を組み入れながら(世界的な連携を持ちながら)地域分散的なシステムは考えられないか?
【終わりに】
・地球環境はもともと分散的・・年間に地球に降り注ぐ太陽エネルギーは、世界の化石燃料の消費量の一万倍!
——参加者の主な意見・交わされた議論内容—―
<読後感>
●具体策(案)新しい考えが充分とはいえない・・
●マルクス主義でケアは充分満たされるのだろうか?
●ケア論理と女性の社会進出の関係。
●「ケア」と言う言葉で全体をまとめられないのでは・・
●「ケア」で社会を包括していいのだろうか?
●経済理論・経済分析がなく、分業論が欠落=何故、ケア労働の評価が低いのか・・
●「ケアの倫理」の中の「正義」とは?
<介護>
●「介護」はケアなのか?「ケア」と「介護」を一緒くたにしていないだろうか?
●「自助」と「共助」の分岐点。
●「介護」と「依存」との(一方的ではない)相関関係。
●誰もが「ケア」責任を負う。
<資本主義と家父長制>
●性別役割分業体制の始まり=女性は子どもを産む機能をもつために労働力商品として家に囲い込まれた。
●身近な関係性だけで世界観が描けるのか?
●主婦から働く女性・・・女性が担ってきた歴史的役割。
●夫=稼ぎ主であり妻を扶養者とする性別分業体制。
●根強い性別役割意識の下で、妻は家事・育児・介護をタダ働きで担ってきた(エッセンシャルワークであるケアはだれにでもできる=主婦の労働として低く見なされてきた)
●資本主義の価値観を変えていく・・社会を変えること前提=商品化したケア。
●男性が考えた「競争化社会」=男性中心主義。
<新自由主義への対策>
●ケアの領域を広げる=差別がなくなる。
●男女差別だけではない。
●新自由主義とジェンダー平等は両立しない。
●商品経済以外の構想。
<ケア現場でかかえる矛盾>
●資本の論理と人間の論理。
●生産性労働と非生産性労働。
●女性の就業率の高い部門で非正規雇用が多く、しかも低賃金なのか?
<ジェンダーの視点でみる>
●女性は世界中で低賃金・不安定な有償労働と無償労働の家事・育児・介護と二重、三重の負担を強いられてきた・・
●ジェンダー平等とは、性別役割分業を不問にしたままの「男女平等」とは異なる。
●看護師・介護士は命をつなぐエッセンシャルワーカーとしてコロナ禍で注目されたが、最近の統計では辞める女性が増えている。
<どのような社会像=平等化組立=システム構造>
●ケア・福祉国家論=北欧的な理想像
👉ケアは新自由主義の競争原理や市場原理ではできない・・ケアは一人一人の違いが認められ、人間としての尊厳が侵されることなく守り育む営みである。
―——活動報告者の所感——―
今回の参加者による意見交換会は、二時間半にわたり積極的かつ多方面から行われた。特に女性参加者からのフェミニズム、ジェンダー平等をモチーフとする議論の展開には私自身の従来からの発想の転換に大いに刺激となった次第である。
最後に「『世界』(岩波書店)22年1月号<ケア/ジェンダー/民主主義:岡野八代>」からの引用文にて結びの言葉といたしたい。
「ケアは自分に関係がないと思える人がいるならば、それはその人が自立した存在であるからではない。誰かがケアを担ってくれているおかげで、そうした存在でありうることを支えてもらっているからだ。民主主義がもし<あらゆる者に関わることは、それに関わるすべてのひとが、その決定に等しく関わる>ことであるとするならば、ケアを政治の中枢へと移動させ、なによりも「開放的な」ケア関係を、社会全体で支えるしくみを考えなければならない。ケアが実践を示す、多様な個人とその個人がおかれた様々な文脈への注目と配慮は、政治にとって今むしろ必要な実践ではないだろうか・・