メモ:8月3日のフェミニスト経済学会のシンポに参加して

メモ:8月3日のフェミニスト経済学会のシンポに参加して

白川真澄

日本フェミニスト経済学会の大会が8月3日に専修大学で開かれました。板井広明さんのお誘いもあり、午後の共通論題「フェミニスト経済学とエコロジー:人間と環境のウェルビーングを模索する」というシンポジウムに参加しました。

〈ケア〉をこれからの経済・社会や民主主義の中心に置くべきであるという議論が活発に行われるようになりました。古沢希喜代子ほか編『フェミニスト経済学』(23年、有斐閣)が出版され、今年に入って岡野八代『ケアの倫理』(24年、岩波新書)やJ.トロント『ケアリングデモクラシー』(岡野八代監修、24年3月、勁草書房)も刊行されました。古沢さんの「フェミニスト・エコロジカル経済学の視座」(『世界』24年3月)は短い論考ですが、フェミニズムとエコロジー経済学や脱成長論の関係について分かりやすく整理されています。

私自身は、‟脱成長の経済・社会は〈ケア〉を中心に据えるべきだ”という立場を主張し、脱成長論の豊富化をめざしてきました。幸いなことに、〈ケア〉をテーマにする学会や研究会が相次いで開かれました(6月15~16日の総合人間学会、7月6日のRC研=資本主義再考研究会、7月14日のPP研経済・財政・金融を読む会など)。

今回は、〈ケア〉を主題的に扱うフェミニズム(フェミニスト経済学)とエコロジーの関係を問うというテーマ設定に惹かれて、シンポに参加してきました。以下は、もっぱら私の関心事だけからつまみ食いしたメモです。

シンポジウムでの報告とコメント

 報告は、最初に佐藤千寿さん(オランダ、ワーヘニング大学)の「ケアリング・エコノミーズに向けて」。次に、湯浅規子さん(法政大学)の「女性の社会活動とヒューマン・エコロジー/19世紀~20世紀のアメリカ合衆国と日本を事例にして」、獄本新奈さんの「反公害/環境運動で見落とされてきたケア労働」、最後に福永真弓さん(東大)の「あわいもの」から見る世界:サーモンとエコフェミニズム」でした。報告に対して小林舞さん(京大)と伊田久美子さんからコメントがされ、その後に短い時間でした質疑応答が行われました。

 それぞれの報告は興味深いものでしたが、とくに福永さんの「サーモン」という「ほんものらしい」商品になった魚たちという報告には驚かされました。私は個人的にはサーモンやニジマスが好物なだけに、それらが自然生態系を「生きた工場」に変える商品資本主義・ネオエコロジーの典型的な産物であることを教えられ、考えさせられました。食の分野における生命とテクノロジーの関係の最新の局面は、気候危機の深刻化と関連してエコロジーの中心的なテーマの1つになっていると思われます。

なお、福永さんが最後に提起された「あわいの倫理」は、「共に(多くの依存先に)依存すること、共に脆弱であることに対する敏感な感受性を忘れないこと」、「線引きの背後の「『生命』と『自然』の複数性と多声性について語り、共通感覚を生み出す努力をし続けること」といった内容を含んでいます。まだ概念として熟していないと感じましたが、ケアの倫理を豊富化する試みになるだろうと思います。

また、伊田さんは、コメントの前提としてエコフェミニズムの議論を振り返り、次のような示唆に富む指摘をしていました。第2波フェミニズムは、資本主義に対する異議申し立てであった。資本主義批判とは資本主義の相対化であり、‟価値は市場によって決められるのではなく自ら決める”、私的所有から「共」の創造へということである。イタリアのアウトノミア運動の空き家占拠も、直接行動から自治体やコミュニティと協力する活動になってきている、と。

その上で、伊田さんは、日本ではエコフェミ論争が「女性原理」(青木やよい)への激しい批判として展開されたが、フェミニズムとエコロジーの関係を掘り下げて明らかにする作業は中途で失速した、と指摘。そして、エコロジーはフェミニズムでなくてはならない。近代批判が往々にして前近代へのノスタルジーに回帰する傾向があるが、共同体を礼賛する人びととフェミニストは共存できない、と主張しました。

「ケアリング・エコノミーズ」の提起

 私が最も刺激を受けた報告は、佐藤さんの「ケアリング・エコノミーズに向けて」でした。この報告はJ.トロントの「ケアの倫理」に依拠しながら、「ケアリング・エコノミーズ」を「多様な、資本主義以上(more-than-capitalist)の経済/人間以上(more-than-human)の経済」と規定し、「人間と人間以上の双方にとって生命世界を維持し、継続し、修復していく、そのような経済によって、人間と人間以上は可能な限りニーズを満たし、ウェルビーングを得ることができる、共生が可能になる」と述べています。

 その内容として「資本中心主義から多様な経済へ」と「人間中心主義からマルチスピーシーズ経済(multispecies economies)へ」の移行を提起しています。前者は、資本主義をあくまでも経済の1つとして捉えることによって、「アンペイドワークの家事労働やコミュニティ労働」を「交換価値を生み出し、それを特別視する『再生産』労働として(のみ)とらえるのではなく、剰余労働を生み出す使用価値があり、人間と人間以上の生命世界を維持し、継続させ、修復する私たちのウェルビーングに最も必要な生産労働としてとらえる」ことができるとしています。

後者は、「無数の自然の他者たち――地球的他者(アース・アザース)をとらえ、そうした者たちのニーズ、目標、目的を自分ごとのように認め、尊重する」ことによって「人間以上の種による貢献や労働、エージェンシー、ニーズをとらえることができる」とされています。すなわち、多様な種による貢献=経済活動を正当に評価し、人間の経済を含む地球大の経済活動に組み込まれていると捉えるというわけです。

佐藤さんの提起は、〈ケア〉を人間と人間の関係に狭く限定することなく、地球上の多くの生物(人間以上の種)に対する働きかけ(維持・継続・修復)や相互依存関係にまで拡張しようとするものだと言えます。

「資本中心主義から多様な経済へ」という提起にはもちろん賛成できます。とはいえ、「多様な経済」の内実はまだ、必ずしも明確ではありません。そこでは、コミュニティ労働、無償の家事労働、生命世界による貢献などが挙げられています。それだけではなく、当然にも社会的連帯経済(例えば協同組合)や公共的に規制された市場(=準市場、無償あるいは低価格での介護や医療サービスの提供)といった経済も入ってくるでしょう。また農家をはじめ自営業や地域の中小企業も重要な役割を演ずるはずです。これらの多様な経済を、〈ケア〉と関連づけながら位置づけなおす必要があると思います。

また、資本(中心)主義は、経済の全領域を支配するものから経済の特定の分野で機能するものに制限されるとイメージされています。しかし、資本主義はたえず多様な経済を侵食したり圧迫してきますから、利潤第一のグローバル企業と対抗し公的に規制する仕組みの構築を明確にする必要があるでしょう。

次に、「多様な経済」と「マルチスピーシーズ経済」(多様な種の経済、生命系の経済)との関係がきちんと規定・説明される必要があります。両者は重なり合うとしても、まったく同じものとは言えないでしょう。両者が交差する点を取り出し、深めていく必要があるのではないでしょうか。例えば「多様な経済」の担い手となるべき〈コモンズ〉は、回りの自然生態系に関わるルールや原則を備えています。必要以上のモノを獲らないといったルールは、マルチスピーシーズ経済の原則にもなるはずです。

フェミニズムとエコロジーの交差する関係について

 佐藤さんの「ケアリング・エコノミーズ」の提起に触発されて、フェミニズムとエコロジーとの関係、つまり両者がどこで交差しながら協働するのかについて、あらためて考えたいと思いました。とりあえず私が自らに課した論点を記しておきます。

1 フェミニズムとエコロジーは、資本主義を批判する足場を共有している。

資本主義のシステムは、その「外部」である女性の無償の家事労働と自然環境(および植民地)を収奪(=不等価交換)することによってはじめて成り立ち作動している。フェミニズムは女性の家事労働の収奪を、エコロジーは自然環境の収奪や破壊(資源の採取や廃棄物の投棄)を明るみに出し、資本主義が成り立つ秘密を暴き出した。両者は、資本主義をその「外部」に足場をおいて批判することを可能にするという共通性を有している。

2 フェミニズムは、エコロジーの思想にどのような独自の視点を持ち込んだのだろうか。いいかえると、エコロジー主義に対するフェミニズムの独自の貢献は、何だろうか。

  フェミニズムは〈ケア〉をその核心的な概念とするが、〈ケア〉を人間と人間の関係に狭く限定しないで、自然環境、さまざまな生物・生命に働きかけ相互依存する活動にまで拡張している。エコロジーは人間中心主義からの脱却であるが、フェミニズムは〈ケア〉という概念を用いることによって、自然生態系の均衡と循環を維持・促進するような人間のポジティブな活動を提示できるのではないか。

3 フェミニズムとエコロジーの間に対立・緊張の関係もあるのではないか。

  エコロジー(自然生態系の均衡と循環)の連鎖を担う人間主体は、個人というよりも〈共同体〉あるいは〈コモンズ〉である。それらは、回りの自然環境に対する働きかけのルールや原則を保持してきた。だが、伝統的な〈共同体〉は、しばしば女性に性別役割分業を押し付けて抑圧してきた。フェミニズムは、〈共同体〉からの個人としての女性の自立あるいは新しい〈共同性〉や連帯の創出をめざしてきたと言える。この〈共同体〉あるいは〈コモンズ〉に対して、フェミニズムはどのような態度を取ってきたのだろうか。

4 フェミニズムとエコロジーが交差するキイ概念の1つは、〈生命〉である。

  〈生命〉に対するアプローチにおいて、フェミニズムとエコロジーはどのように異なり、またどのような共通点を見出したのだろうか。例えば、フェミニズムは性や妊娠・出産や人工妊娠中絶とその自己決定権という問題から〈生命〉を取り上げたが、エコロジー経済学はエントロピー概念を用いて生命系の固有性を明らかにしてきた。エコフェミ論争をあらためて総括しながら、〈生命〉に関する認識の蓄積を明らかにする必要があるだろう。

(2024年8月13日)

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