白川真澄
《自民党総裁選/石破の勝利は何を意味するか》
石破茂が9月27日の自民党総裁選に勝利して、新首相の座を射止めた。彼は、世論調査での人気は高かったが、安倍一強体制の下で冷や飯を喰わされてきた一匹狼の「嫌われ者」だった。その石破が勝ったことは、9人もの候補者が乱立したこともそうだが、派閥の連合と均衡の上に成り立ってきた自民党の伝統的な権力構造に重大な異変が起こっていることを表している。
昨年末、権勢を誇ってきた安倍派が、裏金問題の露見によってガタガタになり、またたく間に権力の頂点から転げ落ちた。これによって、安倍派が没落しただけでなく派閥のコントロールと派閥間の力学そのものが効かなくなった。このことが、従来の常識ではありえない石破の勝利を可能にした。
このサプライズは、しかし、本の表紙だけを取り換える「擬似政権交代」で支持を取り戻す自民党の得意技の極致でもあった。半世紀前にも、田中角栄が金脈問題で退陣に追い込まれ自民党への逆風が吹き荒れた。この時、自民党は弱小派閥の領袖で「クリーン」な三木武夫を担ぎ出して政権を維持した(三木政権自身は短命に終わった)。
同時に、右翼の高市早苗が勢いを増し、高い支持を獲得したことも注目される。安倍路線の継承、選択的夫婦別姓の否定、靖国神社参拝を声高に叫んだ高市は、1回目の投票でトップに立ち権力にあと一歩まで迫った。決選投票での石破との差は、わずか21票だった。自民党とその支持層のなかに強固な右翼保守主義のイデオロギーが根を張ってきたことを見せつけたのだ。同時に、露骨に右傾化して対米・対韓関係がこじれるリスクを回避しようとするバランス感覚が自民党内に働いたことも間違いない。
また、決選投票では、岸田派・麻生派・安倍派など派閥やボスの支持が勝敗を左右する重要な要因となったことも見すごせない。
石破政権は、自民党への不信感がかつてなく大きくなったことを背景にした党の権力構造の異変と流動化によって誕生した。だが、党内の支持基盤の弱さ、派閥の影響力の一定の残存、安倍路線支持者の強固さによって強く縛られざるをえない。
《安倍路線とは何であったか》
石破を政権の座に押し上げたのは、自民党政治が変わること、具体的には安倍路線からの転換への〈期待〉である。この期待は、自民党支持者も含む多くの人びとに共有されていた。安倍路線は、安倍長期政権が推進し、岸田政権が引き継ぎ、ある部分では強化・加速した政治である。それは、3つの要素から成り立っていた。
第1は、国家権力の私物化である。森友学園・加計学園への便宜供与、「桜を見る会」のスキャンダル、旧統一教会との癒着、そして巨額の裏金づくり。一強となった権力の中枢で悪臭ふんぷんの腐敗がとめどもなく進行してきた。
とくに、裏金問題は安倍政治の腐敗の凝集点である。政治資金パーティ収入のキックバック分を収支報告書に記載しなかった裏金議員は実に85人、総額17億6千万円に上る。だが、ほとんどの議員は起訴されず、自民党内の39人の形ばかりの処分で済まされた。検察は、袴田事件が象徴するように証拠をでっち上げて罪のない人間を犯人に仕立てあげても、政権党の議員の違法行為には忖度し目をつむる。国家権力をチェックし浄化する装置は、惨めなまで機能を失ってしまった(政治腐敗の実態については、金子勝『裏金国家』朝日新書が詳しい分析をしている)。
第2は、米国にベッタリ寄り添った日米軍事同盟のバージョンアップである。安倍は明文改憲こそ実行できなかったが、集団的自衛権の行使容認に踏み切った。続いて、岸田は閣議決定だけで「安保3文書」を改定し、「反撃能力」の保有(南西諸島への長射程ミサイルの配備)と防衛費GDP2%への急増を決めた。対中包囲網の構築のお先棒を担ぎ、東アジアの軍事的緊張を激化させたのである。
米中対立が激化するなかで、それでも米国の政権幹部やドイツ・フランスの首脳は訪中して対話と交渉を試みている。日本の首相や外相だけが6年間に一度もお隣の大国を訪問しないという異常な状況が続いている。
第3は、アベノミクスである。安倍政権は経済成長を最優先し、「異次元の金融緩和」によってデフレからの脱却を試みた。さらに、法人税を次々に引き下げ、株の値上がりで大儲けする富裕層を優遇する金融所得課税(一律20%)を続けた。その結果、企業の利益は増大し株価も上昇したが、トリクルダウンは生じなかった。安倍は雇用が増えたと自賛したが、その主力は非正規雇用であり格差が拡大した。また、大規模な金融緩和は超低金利を保つことによって国債の利払いを低く抑えて、そに大増発を支えた。補正予算や予備費を膨らませ、国債残高は1000兆円を超えるまでに増大した。
しかし、デフレからの脱却、すなわち2%の物価上昇は9年かけても達成できず、岸田政権の下でようやく実現された。だが、それは「物価と賃金の好循環」(岸田)によるものではなく、輸入インフレ(エネルギーや食料の輸入価格高騰と円安による物価上昇)によって引き起こされたものだ。
金融緩和は、コロナ禍後も日本だけが継続したために急激な円安を招いた。円安は輸出大企業の利益を急増させた一方で、物価上昇を引き起こした。賃金上昇を上回る物価上昇(実質賃金は26カ月連続で低下)は、人びとの生活を直撃し個人消費を委縮させている。実体経済は停滞していても、株価だけはバブル期を超える水準にまで急騰し、個人金融資産を2199兆円(24年3月末)に膨らませた。だが、そのことは裏返せば、持てる者と持たざる者の間の資産格差がいちじるしく拡大したことにほかならない。
安倍路線は、安保・外交面では高い支持を得ている。だが、アベノミクスについては、いまなお賛美・支持する人間も少なくないが、多くの人びとが「暮らし向きが悪くなった」とその失敗に気づいて転換の必要性を痛感している。何よりも、国家権力の私物化に切り込まず裏金議員を庇う自民党に対する不信と怒りは強く、まったく収まっていない。
《石破は安倍路線と訣別できるのか》
それでは、石破新首相は、安倍路線にどう向き合おうとしているのか。
第1に、国家権力の私物化による政治腐敗に大ナタを振るうという当面の最重要な作業は、早くも姿勢を後退させている。例えば、総選挙を前にして裏金議員の公認を認める方針を打ち出した。前言を翻して早期解散に転じたから、告示までの短期間に衆院だけで50名もいる裏金議員をチェックすることなどできるはずがない。
ところが、裏金議員の公認の方針に呆れ果てた世論の批判が高まったために、石破は慌てて安倍派の幹部など一部の裏金議員を非公認にすることに転じた。だが、この方針転換は自民党内の亀裂と不満を激しくしている。
また、石破は、旧統一教会との癒着の再調査にも消極的である。ましてや、企業団体献金の禁止、「連座制」の導入、政策活動費の廃止、資金パーティの禁止など、政治とカネをめぐる抜本的な改革の方針を出そうとしていない。
第2の安保・外交面では、石破は、憲法9条2項の削除、集団的自衛権の全面行使が持論である。安倍・岸田の進めてきた日米軍事同盟のグローバルな展開という路線を引き継ぐことを明言している。「日米同盟の抑止力・対処力をいっそう強化し」、「国家安全保障戦略等に基づき、我が国自身の防衛力を抜本的に強化する」(「所信表明演説」10月4日)。
石破は日米同盟を対等な関係に変えたいという願望から、「アジア版NATO」創設や日米地位協定の改定という独自の構想を力説してきた。だが、その構想は、安倍・岸田の手で緊密な一体化を遂げた日米同盟に火種を持ち込むリスクがある。また、米中対立に距離を置く立場をとるASEAN諸国の参加が望めない。米国政府は「時期尚早」(クリテンブリン国務次官補)と突き放し、政権内部からも「時間をかけて中長期的に検討すべきだ」(岩屋外相)という声が上がった。そのため、所信表明演説では早々と棚上げされてしまった。
軍事力・抑止力に頼るのではなく対話と交渉による外交に転じ、「反撃能力」の保有と防衛費の増大を止め、ASEAN諸国と連携して米中対立を超えていく。こうした真っ当な安保・外交政策への転換など望むべくもない。
《アベノミクスの呪縛から逃れられない》
第3の経済政策については、岸田政権のそれを踏襲し、「賃上げと投資が牽引する成長型経済」、「物価上昇を上回って賃金が上昇し、設備投資が積極的に行なわれる成長と分配の好循環」を実現する(所信表明演説)としている。これらは岸田が唱えていたものであり、新味に欠ける。経済成長の促進のためのイノベーションとスタートアップへの支援、原発の利活用を推進するGX、貯蓄から投資への流れを後押しする「投資運用立国」といった政策もそうだ。
石破の独自のメニューは、「地方こそ成長の主役」を謳って地方創生交付金を倍増する、最低賃金を2020年代に前倒して平均1500円に引き上げることぐらいである。これらは、自民党総裁選では「公平・公正な税制」の主張とともに、アベノミクスが拡大した格差を是正する施策として打ち出されていた。石破はその切り札として、「金融所得課税の強化」まで明言していた。ところが、その政策は「貯蓄から投資へ」の流れに逆行し経済成長を妨げるという批判が噴き出すと、途端にトーンダウンさせた。所信表明演説では、金融所得課税の強化はおろか「公正・公平な税制」さえも姿を消した。
また、総裁選ではアベノミクスの中心柱の大規模な金融緩和をめぐって、高市はその継続を訴えて金利引き上げに反対した。対して、石破は金融の正常化=「金利のある世界」の到来を肯定していた。だが、首相就任直後に植田日銀総裁と会談し、「追加の利上げをするような環境にはない」と発言。露骨な政治介入を行なって、日銀による金利引き上げ=金融の正常化にブレーキをかけた。
その背景には、外国為替市場と株式市場の動きがある。総裁選で高市が第1回投票でトップに立つと市場は円安ドル高、株価が900円高に振れた。だが、「利上げ容認」と見られる石破が新総裁に選ばれると、円が急騰して(輸出企業に不利に作用)、日経平均株価は1910円も下落した。この「石破ショック」が石破の変節を招く一因となった。
こうした石破の豹変は、岸田政権のスタート時の変節をそっくり再現している。岸田は成長優先のアベノミクスに対して、「分配なくして成長なし」(2021年10月4日の首相就任直後の記者会見)とその軌道修正を図ろうとした。岸田が掲げた「新しい資本主義」には、その意図が込められていた。その目玉政策として金融所得課税の強化を持ち出したが、株価が下落しつづける事態に見舞われた。そのため、岸田はすぐにこの目玉政策をお蔵入りさせ、「成長も分配も」という路線に舞い戻ったのである。
人口減少・労働力不足の社会に入った現在、ケア中心の社会への移行とそれを支える税負担のあり方が明確に提示されなければ、人びとの「安全と安心」(所信表明演説)など保障されない。だが、石破はそうした長期的課題については語らず、「多様な人生の選択肢を実現できる[社会保障の]制度設計を行う」と言うにとどまっている。
また、石破は、日本が「世界有数の災害発生大国」だと指摘して「防災庁」の設置を提唱している(所信表明演説)。しかし、異常気象をもたらす地球温暖化の危機を真正面から取り上げず、1.5℃目標に向けてCO2排出削減を加速する(2030年までに46%ではなく70%以上削減する)課題にまったく言及していない。
岸田と同様に石破も、アベノミクスからの転換を掲げながら政権発足と同時にこれを封印してしまった。誰が首相になっても、自民党が経済成長主義にしがみつき大企業と富裕層の権益を守る政党であるかぎり、アベノミクスと訣別できないことが如実に立証されたのである。
《新政権の行方》
石破新首相は、総裁選のなかで表明した主張について次々に手のひら返しをしている。安倍路線からの脱却への人びとの期待は早くも崩れ、不信と失望が急速に広がっている。
政権発足直後の内閣支持率は、異例の低さになっている。支持率と不支持率は、朝日新聞が46%:30%、読売新聞が51%:32%、日経新聞が51%:37%、共同通信が51%:29%などとなっている。なかでも、石破政権が裏金問題の実態解明や裏金議員の非公認といった課題を解決できないという評価は、いずれも7割を超えている。経済政策についても、「期待できる」が35%にとどまり、「期待できない」47%のほうが上回っている(朝日)。
石破政権は党内基盤が弱く、旧安倍派など保守派からの圧力・抵抗と内紛の激化に揺さぶられ続ける。頼れるのは安倍路線との訣別への人びとの期待であり、内閣支持率の高さだけである。しかし、相つぐ「変節」や「ブレブレ」によってその期待が崩れて内閣支持率が低迷するとすれば、この政権は短命に終わる可能性が大きい。
問題は、立憲民主党をはじめとする野党勢力、とくにリベラル・左派の勢力が市民と組んで石破政権と真っ向から対峙できるのかどうかである。求められているのは、人口減少・労働力不足の時代にふさわしいケア中心(そして再エネ、食と農の地域自給)の社会構想、経済成長と軍事力に頼らない魅力的な社会像を対置して、安倍路線との抜本的な訣別を訴えることである。だが、野田を党首に選んだ立憲は、「中道保守」のスタンスをとり、こうした対抗軸を鮮明にしようとしていない。
そのため、自民党不信が続いているにもかかわらず、2008年と違って政権交代への期待が高まらず萎みはじめている。朝日新聞の世論調査では、むしろ「自民党を中心にした政権が続くのがよい」と思う人が再び増えて48%(7月には38%)、「立憲民主党を中心にした政権に代わるのが良い」と思う人が減って23%(7月には48%)と逆転している。
10月27日の総選挙で自民党が大きく議席を減らすことは間違いないだろう。自公が過半数を割れば、自公と維新の取引による新しい保守連立政権(維新による閣外協力も含む)が出現する可能性が高まる。しかし、野党の候補者の一本化が難航してチャンスを活かせず、自公を過半数割れにまで追い込めないかもしれない。その結果、石破政権が生き延びるとしても、来年夏には参院選挙が控えていて参院で過半数を失う惧れがある。11月の米国大統領選挙の結果もさまざまな影響を及ぼしてくるだろう。
日本の政治が、対抗軸が不在・不透明なまま流動化することだけは確かだろう。
(2024年10月8日記)