オルタ提言の会(仮称)
第2回
2009年7月20日
問題提起? 雇用をめぐるいくつかの論点
◎発言者:白川真澄
◆非正規雇用をどうするか
非正規雇用がどんどん増えているというのは共通の認識ですが、どれくらいの人びとが本当に非正規雇用、つまり有期雇用を望んでいるのか。このことが議論の出発点になるべきではないか。非正規雇用は、労働時間とか勤務形態を自由に選べるから労働者にとっても良いんだ、という言われ方をしてきましたが、現実はひどい状況です。雇用をめぐる政策議論は、当事者の声と離れたところで行われているという印象があります。
その上で、これだけ非正規雇用が拡大しているなかで、どうするか。大きくは2つの考え方があって、ひとつは有期雇用については原則禁止し、すべての労働者が正規雇用で働く。そうなると雇用の柔軟性がなくなるのではないか。それに対しては、労働時間の伸縮で調整する。パートの人も正規雇用で、労働時間を労働者が自分で選択する。フルタイムアかパートかは身分の違いではなくて、たんなる労働時間の違いにする。そういう提案も出ています。
もうひとつは、非正規雇用自体は認めるが、その特定のあり方を禁止をする。労働者派遣法の抜本的改正がそうだと思います。登録型派遣を禁止する、99年法改正以前に戻して派遣労働を特定の業種に限定する。前提になるのは、同一労働・同一賃金原則に立つ均等待遇と最低賃金の引き上げで、生活できるだけの賃金を保障する。
それでも、非正規雇用の本質的な問題として、雇い止めによっていつ仕事がなくなるかわかならないという雇用の不安定さの問題があります。仮に細切れの、3ヶ月くらいで契約が更新されることをなくして何年間かの雇用を保証したとしても、その先どうなるかわからない。したがって、仕事がなくなって次に就労するまでの間、生活が保障される仕組を作らなければならない。すべての非正規社員を雇用保険に加入させて、失業手当てを充実させる。職業訓練を受けている間は所得を保障する。そういう政策の導入で問題に対応する。それからもっと進んで、ベーシックインカムを導入する。こういう対応策が考えられると思います。
◆「フレクシキュリティ」政策をどう考えるか
次に、「フレクシキュリティ」政策をどう考えるか。これはデンマーク・モデルと言われていますが、企業には解雇の自由を与えるけれども、同時に雇用保険、職業訓練を強化する。つまり雇用は柔軟化するが、生活は保障する。それから「ワークフェア」で、スキルアップをして再就職を促進する。そういう組み合わせの政策です。
日本では、雇用と生活の安定は、企業が保障してきました。具体的にいえば、終身雇用・年功序列のもとで男性が正社員として働く。ただし、大多数の女性はそこから排除されていました。正社員の解雇についての制限は、日本では非常に厳しいと言われます。実際には希望退職の強制が横行していますが、法的には整理解雇の4要件という形で厳しく制限されている。また正社員をリストラするときには退職金を上積みするということで企業にとってはコストがかかる。そういう点では、たしかに正社員の雇用は保護されている。
そこから出てきたのが、非正規がこれだけ拡大してきた理由は正社員の特権的な雇用保障にある、だから正社員の雇用を柔軟化し、解雇が自由にできるようにするべきだ、という主張です。経済合理性の観点に立つ人たちの主張ですが、そういう主張がかなり台頭しています。たとえば正社員も任期制にして解雇しやすくする、同時に失業保険の充実や職業訓練を拡充することとセットにする。しかし、労働組合の規制力のない日本で、この政策を導入すると、竹信さんも書かれているように、正社員をみんな非正規化することだけで終わってしまう危険がある。
とはいえ、解雇されて失業しても生活がきちんと保障される社会的な仕組を作ることを私たちはめざす必要がある。そういう仕組みを作った上で、正社員の解雇について制限をゆるめることを認めるのかどうか。私はありうるんじゃないかと考えます。
◆雇用の創出・維持の責任は誰が負うか
日本はこれまで、雇用の創出・維持の責任は企業が引き受けてきました。所得を稼ぐ労働の機会を企業が保障して、人びとの生活を保障する。しかし、現実にはその仕組みが壊れてきた。非正規雇用が増えてきたことで、安定した雇用は保障されない。雇用されても生活が保障されない。雇用と生活保障のつながりを企業の側が壊してきたわけです。では雇用と生活保障の関係をどう考えるかがあらためて問われていると思います。
雇用の創出は企業の社会的責任である、と私たちは主張してきたわけですが、今後もこの立て方でいいのかどうか。このスローガンが正当性をもつのは、企業、とくにグローバル企業が巨額の内部留保をかかえながら「派遣切り」をしている場面です。こういう身勝手な企業のやり方に対して、雇用の継続を求める、企業の社会的責任を問うことは重要です。
企業が労働者を雇ったり使っているかぎり、人間らしい生活ができるだけの賃金を労働者に払えと要求するわけですが、これは正当なことです。しかし、企業が今後もどんどん雇用を増やしていくという前提が成り立たなくなる時代に入りつつある。そういう時代に、雇用の創出・維持の責任をもっぱら企業に負わせるという立て方ではいかなくなると思います。そうすると、労働と生活の間の一体性をいったん切断した上で、問題立てざるをえないと思います。
そこで、政府、とくに地方自治体に雇用の創出・維持の大きな責任を負わせる。少子高齢化社会ではケアなど公共サービスの拡充が急務ですから、公務労働者を増やすべきです。自治体の雇用創出政策はこの間行われてきたが、非常勤の低賃金労働者ばかり増やしている。非常勤の職員に生活できるだけの賃金を保障するためには、正規職員の「割高」な賃金は下げざるをえないのではないか、というのが私の見解です。
より根本的には、雇用(賃労働)と生活保障の間の一体性をいったん切断した上で、新しい所得保障の仕組みを作ることだと思います。生活保障の主要な責任はベーシック・インカムのような形で政府に負わせる。これからの時代には、こっちの方向で考えないといけないのではないか。
◆「より少なく働く」社会へ
私たちがめざすオルタナティブな社会は、働く意欲を持っている人がすべて仕事について、しかも生計費に足るだけの賃金を稼ぐという社会、すなわち「完全雇用」の社会なのか。1人当たりの労働時間を短くして、雇用(賃労働の)機会を分かち合うワークシェアリングによって、「完全雇用」をめざすというのが一つの方向として考えられます。しかし、経済成長の持続という前提が失われる、高齢化が進む時代に、「完全雇用」の復活という目標ではダメだと思います。また、働きたいすべての人に雇用機会を分かち合うあうために労働時間を短くしますから、収入は減ってくる。
そこで、もう一つの社会像として、「より少なく働く」社会をめざす必要が出てくると思います。お金を稼ぐ労働に優先価値を与えない、むしろ労働中心主義の社会から脱却する。賃労働の時間を思い切って短くするのでワークシェアリングと道筋は似ていますが、お金を稼ぐことに大きな価値を置くことからの脱却することになり、労働の意味づけが転換されます。働くことで自分で稼ぎ生活を保障するという仕組みとは別の仕組みを考える。ベーシックインカムがそういう考えです。働いていない期間の所得は社会的に保障するということです。高齢化のなかで、働く人は社会のなかで相対的に少なくなる方向へ行くだろう。そのときに私たちはどうやって生きていくか。労働をどう位置づけるか、そういう方向で考える必要があるのではないでしょうか。