自民党惨敗の重要な意味/白川真澄(2007年8月)
▼自民党は二重の敗北を喫した
安倍政権は、参院選で歴史的な惨敗を喫した。自民党の獲得議席はわずかに37(改選議席64)、公明党の9(同12)と合わせて与党は48で、非改選も含めた議席は過半数(122)をはるかに下回る105に転落した。獲得議席37は、橋本が退陣した98年の44議席を下回り、土井社会党が躍進した89年参院選の36に次ぐ惨敗である。自民党は1955年の結党以来初めて第1党の座から転がり落ちた。比例代表の得票数は1654万票と前回(04年)よりも24万票減らしただけだが、投票率が2.09%アップした(投票数では300万人増)めに得票率は28.08%と1.95%下がった。
対して、民主党は60議席(改選議席33)を獲得し、野党全体で137議席と過半数を制し、参院では与野党逆転となった。民主党の比例代表での得票数は2326万票で前回を212万上回り、自民党の1.4倍に達した。得票率も39.48%と1.69%アップした。自民党批判票が民主党に流れたため、共産党は獲得議席3(改選議席5)、比例代表での得票数441万(前回から5万票増)、得票率7.48%(同0.32%減)に、社民党は獲得議席2(改選議席3)、比例代表での得票数264万票(前回から35万票減)、得票率4.5%(同0.87%減)にとどまった。
安倍自民党の敗因は、2つある。
1つは、05年の郵政総選挙で小泉を圧倒的に支持した都市の無党派層が大量に自民党を離れ、民主党支持に回ったことである。安倍が年金記録消失問題や相次ぐ閣僚のスキャンダルと失言に対して取った無責任な振る舞いは、小泉のポピュリズムに引き付けられてきた無党派層を大いに失望させた。政権発足時に63%(不支持18%)であった内閣支持率は急降下し、参院選直前には31%、不支持51%になっていた(
朝日新聞)。もう1つの要因は、1人区での大敗(6勝23敗)が示すように、都市との格差拡大に対する地方の怒りが噴き出したことである。格差と貧困は小泉「改革」が生みだした負の遺産であるが、安倍は「成長で格差を解消する」と放置してきた。
小泉「改革」は、利益誘導政治を市場万能の政治に変えることで、自民党の支持基盤を補助金で固めた地方の支持層から都市の無党派層に移してきた。安倍自民党は、都市無党派層の支持を失ったばかりか、これを補完するべき地方の支持基盤も崩壊したという二重の敗北を味わったのである。片山善博前鳥取県知事は、「小泉前首相は『自民党をぶっ壊す』と公約した。たしかに『構造改革』は地方にルサンチマンを生み、保守系地方議員を一掃した。今回の1人区の選挙結果は、皮肉なことに前首相の公約が着実に実行されたことを示している」と、事柄を的確に言い当てている(読売新聞7月31日)。
▼政治はどう変わるか
こうして安倍政権は、疑問の余地なく不信任された。にもかかわらず、安倍は政権の座にしがみついた。「これまで進めてきた美しい国づくりは、基本的に国民の理解を得ている」、「私の国づくりはスタートしたばかり」だからだ、と。しかし、
自民党の選挙マニフェストのトップには、「新憲法制定を推進」が掲げられていた。選挙の結果からすれば、改憲を頂点とする「美しい国づくり」が「国民の理解を得ている」というのは、詭弁以外の何物でもない。当然にも、不信任された安倍が続投したことに対して「辞めるべきだ」という意見が47%と「続けてほしい」の40%を上回った。「基本路線は国民の支持を得ている」という安倍の発言について「納得しない」は62%に達し(「納得する」26%)、内閣支持率は26%、不支持は60%にまでなった(
朝日新聞)。
自民党惨敗が安倍政権、ひいては自民党政治に与えた打撃は、ひじょうに大きい。何よりも、安倍政権がめざした2010年の改憲発議の企てを失速させた。安倍はあくまでも「戦後レジームからの脱却」と改憲にこだわるかもしれないが、安倍政権そのものの命脈が尽きつつある。公明党は、選挙結果を受けて「憲法議論よりも国民生活に直結する課題を」と、ブレーキをかけている。民主党は基本的には改憲論に立ってきたが、
選挙マニフェストでは「『憲法提言』をもとに国民の皆さんと自由闊達な憲法論議を各地で行い、国民の皆さんが改正を求め、しかも国会内の広範かつ円満な合意形成ができる事項があるかどうか、慎重かつ積極的に検討していきます」(
マニフェスト)という立場をとった。改憲論が権力者の手で盛り上がることには水をかけるという態度である。民主党内には改憲論者が多いが、小沢一郎は政権交代を最優先する戦略をとっているから、少なくとも次の総選挙までは改憲問題をめぐっては対決姿勢を強めるに違いない。
とはいえ、改憲をめぐる政治過程には、一国内の政治的力関係だけではなく日米関係の力学が強く働く。自民党惨敗による日米同盟の揺らぎに危機感を募らせたアメリカ政府は、テロ特措法延長に反対の態度をとる民主党に猛烈な働きかけと圧力をかけはじた。
テロ特措法の延長をめぐって民主党が反対の態度を貫けるのかどうかは、日本の政治の将来にとって重大な分岐点となるだろう。
もう1つは、安倍政権がとってきた「経済成長による格差解消」の路線が見直しを迫られ、格差と貧困の問題に対する政策的対応をとらざるをえなくなっている。その場合に、「地方の反乱」に対して、自民党が従来型の公共事業投資による都市から地方への所得再分配という路線を復活するのかどうかが1つの焦点になる(政府はとりあえず、公共事業関係費の3%削減の継続を決めたが)。しかし、こうした政策によって自民党の支持基盤が回復できるかといえば疑わしいし、
日本経団連など経済界の市場主義的改革の路線との間に大きな軋轢が生じる。
また、ワーキングプアの急増に対して、政府が最低賃金の大幅な引き上げに踏みきるのかどうかも焦点だ。厚労省は最低賃金の平均時給673円を13?34円(例年は5円程度)引き上げる案を
中央最賃審議会に出し、経営側が猛反発している。時給1000円への引き上げを掲げた民主党が勝った政治状況のなかで、経営側がどこまで巻き返すのか。政府も、「生活保護との整合性も考慮する」という条項を明記した
最低賃金法改正案をすみやかに成立させようとするのか。生活できるだけの最低賃金の保障、非正規雇用労働者の均等待遇(同一労働同一賃金)、生活保護の拡充と「基礎所得」制度の導入、そして税方式による基礎年金の保障と水準引き上げといった社会運動の年来の要求が、政治争点に浮上するチャンスが芽生えていることは間違いない。
▼若者たちの選挙
最後に、激戦の東京選挙区で無所属の
川田龍平が、683629票を獲得し、自民党の保坂三蔵を競り落として見事に当選した快挙について語っておきたい。誰もが言うように、民主党の勝利は民主党への積極的な期待や信頼の表れというよりも、安倍政権への不満や不信から自民党をとにかく負かせたいという人びとの意思の表れである。多くの人にとっては、自民党候補を負かすためには、勝ち目がほとんどない共産党や社民党の候補ではなく民主党候補に投票するしかなかったわけである。全国的にはそうした選択肢しかない状況下で、東京選挙区では安倍政権にノーを表示する「もう一つの」政治的選択肢が登場したことの意味は大きい。
川田の勝因は3つあると、私は思う。1つは、薬害エイズの被害者として国とたたかった抜群の知名度である。2つは、当事者性である。川田は「いのちの政治」を打ち出し当事者主権の考え方に立つ政策を掲げたが、「いのち」・生存に関わる年金や医療や格差・貧困が政治争点となった今回の選挙で、彼の生きざまと彼の語りは当事者性を体現するものであった。3つは、自民党批判の風が吹きまくったことである。この3つの要因がうまく結びついて、何の組織的基盤もない市民派の候補が国政選挙で勝つことができた。
そして、川田選挙では、川田と同世代の多くの若者たちがボランティアとして選挙戦をたたかった。市民派の選挙をたたかってきたベテランの活動家や全国から駆けつけた地方議員も重要な接着剤の役割を果たしたが、何よりも初めて選挙に関わる若者たちが自らアイデアを出し延々と議論し動き回ったことがエネルギーの源泉となった。これが何ものにも代えがたい貴重な政治的経験であり、川田を応援した人の枠組みを越える成果でもあったと、私は評価する。
(本稿の前半部は、
反改憲運動通信に載せた原稿と重なっていることをお断りしたい)。