2015.9.30掲載の
「2015年安保闘争について――その意味と課題(覚書)」(白川真澄)に対して以下の感想を投稿いただきました。
Re:「2015年安保闘争について
――その意味と課題(覚書)」
五十嵐 守
2015年9月30日
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1、これは「安保闘争」なのか?
白川さんは2015年夏に高揚した安保関連法案反対運動を「安保闘争」と呼んでいますが、この運動を「安保闘争」と括っていいかどうか、ちょっと疑問です。理由は以下の2点です。
(1)60年安保闘争や70年安保闘争は、世界の中での日本の立ち位置(日米安保条約)への批判が明確に示されていたと思います。60年安保では片面講和の延長上に西側の軍事ブロックに組み込まれることへの批判、70年安保では米帝のベトナム侵略戦争に「加担」する「平和国家」の加害性への批判が核心でした。
この二大闘争と比べると、今回の安保法案反対運動はこうした角度からの批判は存在してはいましたが、主旋律にはならなかったように思います。
安保関連法案は、グローバルな支配秩序(自由、民主主義、市場経済の理念に支えられた)を維持/防衛するために、米国主導の戦争に日本が他の国と共に武力行使で協力するものです。それは、中東、イスラムの民衆などと全面的に敵対していくもので、同時に、第二第三の湯川さん、後藤さんを生み出す危険な道です。
60年安保や70年安保では日米安保条約へのストレートな批判が展開されましたが、今回は、その声は小さかったと思います。私は「安保闘争」とは、現実に存在する日米安保条約への批判、つまり日米関係のあり方を民衆の側から争点にしたものだと思います。その立場からすると、今回の運動を「安保闘争」と定義するのは実態(特に主体の意識)とズレているのではないかと思います。
(2)とは言え、日米安保条約を直接批判していなくても「安保関連法に反対する運動だから安保闘争だ」と言うことは出来ます。しかしこの夏の民衆運動の高揚は「安保関連法案」への批判をきっかけにしてはいても、それだけには集約できない面が多くあったと思います。この点に関して木下ちがや氏が二つのことを言っています。(『現代思想』10月臨時増刊号)。
一つは、この夏の「反対運動のうねりは、すでに生じていた政治と社会の変化を受けたものである」ということです。「すでに生じていた変化」とは、沖縄での知事選と衆院選の全勝と大阪の住民投票で反対派が勝利したことです。沖縄と大阪では安倍の強権政治(大阪では安倍の盟友=橋下の強権政治)の結果、「地域の保守政治が決壊し」保守vs革新にかわる「新たな政治ブロック」が形成され勝利した、と言います。新たな政治ブロックとは「自民党中央・官邸」に対抗する地方での保守と革新(と中道)のブロックのことです。
二つには、その「地域の保守政治の決壊」は決して「安保法制への不信一点からのみ生じているわけではない」ということです。「TPP、原発再稼働、農業政策、大学・教育政策等々への様々な不満の蓄積が安保法制の問題をきっかけに噴出しているのである」。
私も同じ様なことをデモの中で感じていました。ちょっと表現は不謹慎ですが「これは祭りじゃないか」と。ハレとケでいうと民衆の「ハレ」。ひょっとしたら「安保関連法」は一つの御輿に過ぎなかったのかも知れません。(やっぱり不謹慎ですね)
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2、参加者の特徴は何か?
この夏の民衆闘争の高揚は、若者の参加に特徴があったことは誰もが指摘することです。だとすれば、参加者の特徴を探る時、特に若者について考える時、それが全ての若者を象徴しているわけではないことを前提にしつつも、SEALDsって何だ、と考えることが一つの回路だろうと思います。そしてもう一つ、OLDsについても考えることは欠かせません。若者が増えたと言っても全体から見ればまだ少数派で、圧倒的多数はオール・ドサヨク、オールド・リベラルだと思うからです。
<SEALDsって何だ?>
SEALDsという団体の存在を初めて知った時の私の印象は、「スタイルの新しさのわりには、言ってることは新味に欠ける」というものでした。この印象は今も変わりません。
「スタイルの新しさ」とは、ラップ調のコール、私を主語にしたスピーチ、日常言葉でのスローガン、ビジュアル性・デザイン性を重視したフライヤー、パネルなどです。これは既成の運動と一線を画し、デモ参加のハードルを下げるための卓越した演出だったと思います。まさに秋元康も真っ青でしょう。
コールやスローガンの内容をボジテブなものにしたのもこの演出方針です。社会運動として「見た目」にこれほどこだわった運動体は、これまで無かったと思います。スピーチのクオリティーを維持するために、デモの前に原稿を読み合わせをする団体って今まであったでしょうか。私は当初「SEALDsは裏に宣伝のプロがいて、そいつが演出している」と疑っていましたが、『高橋源一郎×SEALDs 民主主義ってなんだ』を読んで、プロデューサーは奥田愛基君自身だと納得しました。
「スタイルの新しさ」を追求した裏には、若者をデモに誘うのにこれまでの社会運動との違いを目と耳と皮膚に訴えることが有効、と考えたからでしょう。そしてこの目論みは見事に成功しました。若者をオーガナイズできるのは若者だけ、これはいつの時代も真理です。
しかし「言ってることは新味に欠ける」。「言ってること」とはウエブサイトに載っているステイトメントのことです。冒頭の書き出し「私たちは、戦後70年でつくりあげられてきた、この国の自由と民主主義の伝統を尊重します」。これには正直ビックリしました。とっさに丸山眞男の「軍国主義の実在よりも戦後民主主義の虚妄に賭けたい」ということばを思い出しました。おいおい、今さら丸山眞男かよw
しかし、その後、彼ら彼女らの書いたものに目を通して、彼ら彼女らにとって「民主主義」は切実なもので、自分の力で発見した言葉であり、理念であることが分かりました。それは丸山眞男が軍隊経験(被爆体験も)を通じて「民主主義」を再把握していった過程と同じなのでしょう。
そのことはよく理解できるのですが、それでもなお、私は「民主主義」が時代を切り開くキーワードだとは思いません。また「独裁か民主か」という60年安保の竹内好の言葉がいまの情況を適切に示す言葉だも思えません。
1970年代前半に高校時代を送った私にとって、「戦後民主主義」とはベトナム戦争に加担する「平和国家」の欺瞞性を隠蔽する「イチジクの葉」以外の何ものでも有りませんでした。これは共産党系の教師と論争したテーマだったので鮮明に覚えています。だから私は戦後の「平和国家」を批判するのに「民主主義」以外の言葉に「賭けた」のでした。それは今も続いています。
しかも今日は、20世紀の終盤から、アメリカを中心とする集団的帝国主義の側が、「自由、民主主義、市場経済」をワンセットとして、旧東側や中東やアフリカなど全世界にに押し付ける「改革」を強引に進め、これに対抗する形でイスラム復興運動が強力に展開されている時代です。
こうした情況の中で、保守の立場から新自由主義・グローバリズムを批判してきた佐伯啓思氏は、「自由と民主主義をもうやめる」と挑発的な宣言をしています(同名書/幻冬舎新書)。私もまた「民主主義」の枠内でバージョンアップして行く方向より、「やめる」「こえる」方向で模索するほうが未来に繋がると思っています。
先に紹介した『高橋源一郎×SEALDs 民主主義ってなんだ』の第2部では、高橋先生がアテナイの直接民主主義と現代の代議制民主主義を比較して、前者のモチーフを現代にどう生かせるかを熱く語り、SEALDsのメンバーも深く広い知見で対応しており、読み応えがあります。しかし、高橋先生が日本のデモクラシーの歴史についてまったく触れていないのは残念でした。そこには国家に収斂されない民主主義の萌芽、つまり福沢諭吉や丸山眞男とは違うカタチの民主主義が、連綿として存在してきたと思うからです。中江兆民や田中正造がそうです。谷中村の闘いを引き継ぐ三里塚はその継承者です。
とは言え、この本には、未来を見つめる若者の意見として「さすが」と思う部分もありました。第2部の最後の方と「おわりに」で、SEALDsの2人のメンバーがイラクへの「民主化」の押しつけが失敗したことに関連して次ぎにように語っているくだりです。
「僕らはたとえば民主主義を信仰しているわけですよ。その理性や言葉を信仰している。むこうも言葉を信仰しているんだけど、言葉以外のものをまた信仰している。そうすると絶対に譲れない信仰同士の闘いになってしまう。それを言ったのがカールシュミットなんです。そこを考えるのが今後のいちばんの課題だと僕は思う。ある種相対化する目も必要だなって」(牛田悦正さん)
「デモクラシーという価値を世界中に押し付けることを当たり前な国際社会において、もはやデモクラシーは悪である、と考える人がいることを私は忘れてはいけないと思う」(芝田万奈さん)
2015年夏「安保関連法反対運動」に参加してきた若者たちの多くは、例えばSEALDsに見られるように、今は秩序の内側を選択して活動をしているように見えます。しかし、彼ら彼女らの秘めたポテンシャルは、知においても実践においても、いつまでもその場にとどまらせるとは限らないでしょう。私はそこに希望を見ます。
<OLDs―「平和運動」は高齢者の「生きがい」>
若者の参加がこの夏の安保関連法案反対運動の特徴ですが、OLDs=高齢者の参加はそれ以上に多いと思います。その中には、法案の中身や強引な手法に危機感をもって参加した人はもちろん多いと思いますが、同時に、「平和運動が生きがい」になっている人々も多いのではと思います。
この言葉は私の言葉ではありません。本年5月3日、京都・円山野音の集会で柳澤協二さんが述べた言葉です。「安倍首相はおじいちゃんの岸信介を超えることが、今の生きがいになっている。個人の生きがいに国民を巻き込むのはどうかやめてもらいたい。でもやめない。そうだとすれば、それを許さないこと、それをやめさせることを、私たちの生きがいにしようではありませんか。私は平和運動を老後の生きがいにしようと決意しています」。高齢者で埋まった会場がどっと湧いたことはいうまでもありません。
活動家の高齢化が社会運動を弱体化する、と言われてきましたが、はたしてそうでしょうか。確かに運動の後継者を作れない場合は、長期的にみれば弱体化するのですが、職場を退職して年金で生計を立てるという生活は、金銭的には苦しくなっても自由時間が増えることです。当然デモなどにも参加しやすくなるはずです。京都のデモも、団塊の世代を中心にしたリタイヤ組が中心であるのは、どの政治勢力も同じです。
2015年の夏の乱の要因、国会前に30万人もあつまった一要素に、退職、年金受給の高齢者が増えたこと、その高齢者が「若者の決起」に触発され、沈黙していた自分を恥じて、国会前に、各地のデモに、SEALDsのギャラリーに、で出かけていった、ということがあるのではないでしょうか。
ここでも言いたいのは高齢者のもつポテンシャルです。デモに行かない人な何をしているか。色々とありすぎますが、最近はゲームセンター、パチンコが高齢者のたまり場、社交場になっているそうです。イオン内のゲームセンターでは、朝、集まってきた高齢者にラジオ体操を指導しているそうです。ゲームセンターがガキのたまり場であるのは夜のことで、昼間は高齢者のたまり場なのです。でもこれは時間つぶしではありません。これも「生きがい」なのです。
小子・高齢化社会は、高齢者にとって「下流老人化」は誰でもその可能性はあります。その一方で、残りの数十年を「生きがい」に賭けられる人々も多いはずです。社会運動の側がこの「生きがい」の受け皿になれないでしょうか。
考えてみれば町内会(自治会)などはこうした高齢者の「生きがい」によって支えられてきました。もっと言えば、自民党こそこうした高齢者の「生きがい」の受け皿だったのでしょう。それが崩れはじめています(党員数:1991年540万、2012年78万、今80万くらい―小熊英二、NHK日曜討論、2015/09/27)。自民党の基盤が縮小している今はチャンスなのかもしれません。
※2015年夏の参加者の特徴を明らかにするためには「ママの会」や「学者の会」「○○有志」などのことも取り上げなければならないのですが、資料不足のため言及できません。
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3、新左翼潮流は何をしていたのか(未完)
SEALDsのファンのカミさんから「あなた達は若い人を組織もせず、何をしていたのか」といわれました。これは私への突きつけですが、2015年夏の乱で、はたして新左翼潮流はどんな役割を担ったのでしょう。あるいは担うことが出来なかったのでしょうか。
SEALDsの出現や国会前30万人デモの実現で、新左翼の役目は終わったのでしょうか。
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4、今後の方向(未完)
今後の方向として「落選運動」や「安保法廃止の一点で合意する国民連合政府」などが提起されているますが、多くは2016年参院選がらみです。つまり制度圏内での闘争方針です。これに対して「次の目標は参院選、はしょぼすぎる」という意見も出ています。
「議会制民主主義は民主主義の1つの種類、しかも限界のある不十分なものにすぎない。民主主義には直接民主主義や熟議民主主義、ラディカルデモクラシーなど他にもいろいろな種類がある。国会の外の民主主義をどう拡げていくかのほうが大事」(上野千鶴子)。
この二つを結合して、野党は野党で選挙協力をして勝てる態勢を整える。院外は「安保法の是非を問う国民/住民投票」として2016年参院選を闘う。前哨戦としての11月大阪市長、府知事のダブル選で勝利する。
(終わり)