TPP参加推進論の3つの大ウソ(上)
白川真澄(『季刊ピープルズ・プラン』編集長)
2011年11月14日記
◆“改革VS守旧”の亡霊
TPP参加の是非をめぐる論争が、新聞やテレビで報じられない日はないほど熱を帯びて展開されている。野田首相は11月11日、APECで顔を合わせるオバマ大統領への手土産としてTPP交渉への参加(「関係国との協議の開始」)を強引に表明した。だが、TPP参加をめぐる論争と攻防は、むしろこれからいっそう激しさを増すだろう。
TPP論争のなかで我慢ならないのは、推進派が“改革(自由化)VS守旧(既得権擁護)”の図式を持ち出していることである。推進派は、日本の危機的現状を乗り越えるために、TPP参加をきっかけにして既存の構造や制度を大胆に「改革」することをめざしている。これに対して、反対派は、農業や医療など業界の既得権益を守ろうとする守旧的な抵抗勢力として登場している、という図式である。
「TPPを考えるキーワードは改革と変化だ。右肩上がりで経済成長し、常に成長分野があったことを前提にした日本の既存制度は曲がり角に来ている。市場を開く、という視点が必要だ。来年、再来年、誰が得をするか損をするかではなく、将来の日本を考えるうえで重要な問題だ。TPPは日本にとって歴史的な大きなチャンスだ」(伊藤元重「創論 TPP交渉参加、是か非か」での発言、『日本経済新聞』2011年10月30日)。「賛成派は、自由貿易で競争力低下を防ぎ、成長するアジアを日本経済に取り込もうと経済の論理で主張する。対する反対派にあるのは、農業、医療などの個別利益と、日本の伝統や制度を守ろうという保守の思想だ」(芹川陽一「国を開かないでどうする」、『日本経済新聞』11月8日)。
“改革(自由化)VS守旧(既得権擁護)”。どこかで聞いたことのある図式である。そう、小泉政権が10年前に切り札として持ち出した例の図式だ。小泉「構造改革」は、日本社会を米国流のグローバル・スタンダードに沿って競争社会につくり変えようとした。そして、労働市場、郵政・金融、公共サービスの分野で規制緩和を推進した。しかし、「改革」は貧困の急増と格差の拡大という悲惨な結末をもたらし、2008年にはリーマン・ショックが起こった。新自由主義改革に対する批判と不満が噴出し、その破綻が明らかになった。農業や食、医療といった分野(人びとの生命や健康に直結する分野)は、競争原理が入り込めない分野として残された。
性懲りもなく“改革VS守旧”の図式を再び持ち出したTPP推進派の狙いは、明らかだ。TPP参加をテコにして農業や食、医療などの分野に競争原理(市場原理)を持ち込む。人びとの生命や生活を守るために市場の暴走を規制し、安全性や公共性を確保する一連の制度やルールを壊し、すべてを市場競争に委ねるという一元的なルールや制度に置き換える。この「改革」によって経済成長を実現しよう、というわけである。
「国を開くことは、国内の改革と表裏の関係にある。……国内農業の再生を急がなくてはならない。金融や通信、医療などのサービス分野は、生産性を高めて成長産業として育てる必要がある。いずれも規制改革を進め、非効率な制度や慣習を変えていくべき分野だ。……。それは痛みを伴う道でもある。だが、日本が経済成長を目指す以上、避けられない一時的な痛みである」(『日本経済新聞』11月3日社説)。
◆“TPP参加で農業の再生を”というウソ
TPPは、日本が参加すればGDPの90.4%(2009年)を日米両国が占めることから事実上の日米FTA(自由貿易協定)になる。TPPは、「例外なき関税撤廃」(10年以内に全品目の関税をなくす)を原則とする。関税がなくなれば、日本の自動車や電機製品の対米輸出が増えるが、引き換えに米国やオーストラリアの安価な農産物が大量に輸入され、米作や畜産・酪農を中心にした農業が壊滅的な打撃を受けることは確実だ。推進派は、コメの生産額が内外価格差から9割減って国内農産物の生産額が4兆1000億円減少するという農水省の試算には過大評価がある、と批判している(「TPP亡国論のウソ」、『日経ビジネス』2011年11月7日号)。だが、たとえ数値に過大評価があったとしても、農業が大きな打撃を受けることは、推進派といえども否定できない。
そこで推進派が口をそろえて強調するのが、TPP参加を、経営規模の拡大によって農業の生産性を高め、輸出産業に成長させる「農業改革」のきっかけにしようという主張である。いわく、日本の農業は、就業者の高齢化と後継者不足、零細な経営から来る低い生産性と国際競争力のなさの下で衰退の一途を辿っている。関税による保護主義によって農業を守ることはできない。したがって、「野田政権は、国際競争に耐えられる『強い農業』を築き、農業を成長産業に生まれ変わらせる筋道を描くべきだ」(『日本経済新聞』2011年9月15日、社説)。「経済発展の著しいアジア市場に対して、質の高い農産物輸出を増やさなければ、日本の農業は衰退する一方となる」(八代尚宏『新自由主義の復権』)。
推進派は、農業改革の鍵は農地の集約化による経営規模の拡大によって生産性を高めることにある、と提唱する。大規模化すればコスト削減が可能になるから(1?2ヘクタール規模だとコメ60kgを作るコストが1万3000円だが、10?15ヘクタール規模だと9000円)、コメの価格を下げて国際競争力をつけ、アジアの富裕層向けに輸出できるというわけである。政府の「食と農林漁業の再生実現会議」も、TPP参加を見越して、農業経営の規模を5年間で現在(平均2ヘクタール)の10?15倍(20?30ヘクタール、中山間地では10?20ヘクタール)にまで拡大するという方針を打ち出している。当然、株式会社による農地取得のいっそうの自由化も想定されているのだろう。そして、推進派は、そのためには零細な農家を温存する現行の戸別所得補償制度をやめ、規模拡大を図る農家だけに直接払いを行なう「選択と集中」を進めるべきだ、と主張している。
これは、少数の大規模農家だけを生き延びさせ、大多数の零細な農家を切り捨てる「改革」である。ここには、生産性だけを尺度として農業を単なるひとつの産業と見なす発想が露骨に示されている。生産性が低いとされる中山間地の農家(全体の4割を占める)は、自然環境を保全する上で不可欠の役割を果たしている。農業は生命に直結する食を提供し、地域経済を支え、自然環境を保全する多面的な機能をもつことが強調されねばならない。
農業の再生には大規模化しかないというのは、使い古された守旧的発想だ。米国の経営規模平均180ヘクタール、オーストラリア3400ヘクタールに対して、20?30ヘクタールへの規模拡大によって太刀打ちできるはずがない。農業の再生の可能性は、安全性や味の良さなど高い品質によって割高であっても消費者との信頼関係を維持する、“地産・地消”を拡大し、再生エネルギーの自給と合わせて地域内循環型経済を発展させる、女性たちのイニシアティブで6次産業化を進める、地方自治体と集落が若い農業就業者を迎え入れる工夫を重ねる、といった方向にあるはずである。
(下)へ続く……
“公的医療保険制度を守る”というウソ
“アジアの成長を取り込む”というウソ