アメリカ大統領選民主党指名候補バーニー・サンサース
 その善戦の意味するもの


夏原想


2016年3月22日記

ブログ「夏原想の少数異見 ―すべてを疑え―」より転載


1.バーニー・サンサースとは?

 アメリカ大統領予備選挙では、マスメディアの注目は、そのあまりにも傍若無人な発言で共和党のドナルド・トランプに向けられているが、今までにいなかった候補という意味では、バーニー・サンサースも同じだろう。当初の予想に反し、トランプは共和党の候補としてトップを走り、サンダースは恐らくはヒラリー・クリントンに最終的には勝てないにしても、3月前半で獲得代議員数でクリントンの半分にせまり、盤石な勢いがあったクリントンとの闘いなのだから、充分善戦していると言える。トランプとサンダースの違いは、多分にメディアに対する作為的受け狙いの有無と、多くの国では当たり前の対立軸である政治的左右である。そして、トランプの方はアメリカ国外でも有名人であるが、サンダースはアメリカ以外ではまったく無名であることだ。では、バーニー・サンダースとは何者なのか?

 ルモンド・ディプロマーティークの記事「サンダース ホワイトハウスを襲撃する社会主義者」によれば、サンダースは以下のとおりの人物である。学生時代にアメリカ社会党Socialist Party of Americaの下部組織である青年社会主義者同盟Young People’s Socialist Leagueに加盟し、アメリカ社会党が分裂すると、公民権闘争やベトナム反戦闘争に参加する。その過程で注目すべきは、1979年社会党大統領候補だったユージーン・V・デブスの演説の朗読をする機会に際し、「私は資本主義の兵士ではない。私はプロレタリアートの革命家だ」「私はたったひとつの戦い(階級闘争を示唆している)を除き、すべての戦争に反対する」と述べている。これはまさに、筋金入りの社会主義者socialistであることを宣言したものだ。

 その後、ヴァーモント州バーリントンの市長になり、1990年無所属の連邦下院議員、2006年上院議員となる。勿論この間に、前述した筋金入りの社会主義者からは、いくらかは穏健になったと考えられる。現在民主党の候補者として予備選を戦っているのだから、それは当然のことだろう。では、サンダースは何を掲げて戦っているのかと言えば、公式サイトから抜粋すると以下のようなものである。

 全国民の医療保障制度の確立と社会保障制度の拡大

 公立大学の授業料無償化

 最低賃金を15ドルに引き上げる

 人種間の平等と公民権の擁護

 富裕層への課税強化と企業助成政策の廃止

 TPP反対

 男女の賃金の平等化

 政治家への企業による大口献金の禁止

徹底した温暖化対策

等々である。英国BBCがそれらを「富裕層への課税強化」「巨大金融機関の解体」「大学の無償化」であると要約している。これは、特に目新しいものではなく、極左を除く、社会民主党、労働党、共産党などの多くの左派政党が過去から現在にわたって掲げている政策と共通しているものだ。(アメリカ共産党Communist Party , USAは公式サイトでサンダース支持を明らかにしている。)要するに、最も優先する課題は、社会的不平等、社会的不公正を是正することだと主張しているのだ。そしてそれは、実現可能だと訴えているのだ。例えば、大学の無償化など、北欧では当然のこととして行われている、と。

2.なぜ、社会主義者が善戦しているのか?

 Newsweek日本版(2015.9.9)で冷泉彰彦が、サンダースは「占拠デモOcuppy Wall Streetの流れを継承している。」「オバマ政権に対する左派の不満」を表していると言っているが、他のメディアでも概ねこういう指摘がなされており、ほぼ納得できるものだ。さらに言えば、「左派の不満」を極めて分かりやすく具体的に主張していることが、支持の拡大、特に若者の熱狂的な支持の要因だと考えられる。「オバマ政権に対する不満」とは、サンダースが掲げた要求が、現在の民主党政権、そしてほぼオバマ路線を引き継ぐクリントンでは達成不可能であるという意味だ。トマ・ピケティは著書の中で、先進国中で富の不平等の最も著しい国とアメリカを指摘している。サンダースが掲げたのは、その著しい富の不平等に対する改善要求である。

 しかし、「左派の不満」とメディアは言うが、これだけ多くの左派が一体アメリカのどこにいたのだろうか? サンダースの運動資金はすべて少額の寄付であり、2015年では7000万ドル、2016年1月だけで130万人2000万ドルに達した(ハフィントンポストUSA2016.1.31)というのだ。つまり、数百万人の厚い支持者がいるということになる。2011年の「占拠デモ」は、数千人規模であり、全米でも多くとも数万人程度だから、それと比べてサンダースの支持者は桁違いに多い。

 フランスの社会学者アレクシ・ド・トクヴィルは「アメリカの民主政治」の中で、アメリカにおける多くのアソシエーションに感嘆している。アソシエーションassociationとは、一つの目的のために自発的に結集した集団のことであり、結社と訳されることもある。つまり、アメリカには、政治的であるかないかを問わず、意思表示を自発的に行う草の根的運動の下地が十分にあるということだ。勿論それが右派になれば共和党支持者の「ティーパーティ」であるが、公民権運動、ベトナム反戦運動、労働運動、そして「占拠デモ」と左派の運動は、アソシエーションを下地に脈々と続いてきたのだ。他の国と異なるのは、左派政党がそれらの運動と連動することができず、先進国の中では珍しく、左派政党が国政議会で議席を有しないほど小さなものに過ぎないということだ。その左派政党の代わりの役を担っているのが、一部の民主党員なのである。だからこそ、サンダースが民主党から出てきたのは驚くにあたらないことなのだ。

3.左派とリベラル

 Newsweekをはじめ、多くのメディアはサンダースを左派leftと言っているが、その支持者については左派という言葉よりも、リベラルliberalsと表現している方が多い。 実はこのリベラルとは、極めてアメリカ的な言葉である。自由(これは翻訳語だが)を意味する言葉には、英語でliberalとfreeの2語があり、政治的には自由社会free societyや自由貿易free tradeのようににはfreeを使い、liberalはジョン・ロールズなどの現代的な自由主義観を表す時に使われることがしばしばである。つまり、旧ソ連などの「社会主義」に対抗する意味合いにおいては、特にfreeが使われ、自由liberalとは、ロールズの「正義論」でも見られるように、正義の概念が組み込まれ、社会的公正や富の再分配まで重視する意味が付随していると考えられる。だから、中道左派的なものまでリベラルと表現されるのである。サンダースの支持者がリベラルだというのは、その意味である。では、左派とリベラル派はどう違うのか?

 「サンダースが、今までで最も左寄りの民主党の候補」(The Wall Street Journal2016.1.16)だと表現されるが、サンダースが最もリベラルだという表現は見当たらない。分かりやすい例を挙げれば、マルクス主義者は左派に属するが、リベラル派ではない。それは、左派とリベラル派では、第一義的な価値観が異なるからだ。左派を定義すれば、より平等な社会を志向するもの(ノルベルト・ボッビオ)であるが、リベラル派は資本主義システムを肯定的に前提にしており、そこから生み出される不平等、不公正を是正するのは第二義的なものだからだ。したがって、資本主義システムに少々の改良を加えることは否定しないが、資本主義システムを変革する、あるいは廃絶するのは、もはやリベラルではないのだ。具体的な例を挙げれば、アメリカにおいて、北欧のような高度福祉社会を目指す者は、リベラルではなく、社会主義者なのである。北欧のような高度福祉社会は、単なる富の再分配では済んでいない。そこには、再分配前の所得そのものの格差の縮小と資本の自由に対する大幅な規制があるからだ。例えばスウェーデン、ノルウェーでは、公的経済の比重が高く、公務員は労働人口の28%を超え、OECD平均の2倍に達している(OECD2009年発表)。政治的自由は保証されるが、これほど資本活動の自由を制約した社会を、リベラルと呼ぶ訳にはいかないだろう。そして、この福祉社会を築き上げたのは、スウェーデン社会民主労働党をはじめ、社会民主主義政党である。サンダースのように民主社会主義者democtatic socislistと名乗っても、社会民主主義者social democratsであっても、社会主義者には違いがないのだ。自由と平等は近代が確立した価値であるが、どちらかを優先すれば、どちらかが後退するというように、両者は度々ぶつかり合う。その時に平等を優先する者、それが左派なのである。このような理由から、サンダースは左派であって、リベラル派ではないのだ。

4.社会主義者が善戦していることの意味するもの

 ヨーロッパなら普通のことであるが、アメリカにおいて社会主義者を自認する者が、これほど多くの支持者を集めたことはないだろう。社会主義といえば、旧ソ連のことであり、ロナルド・レーガンが言ったように「悪の帝国evil empire」であるからだ。また、中国も北朝鮮も社会主義なのである。そのような中で、社会主義者が特に若者に支持を得るということは、次のように考えられる。もはや社会主義のソ連は若者たちには記憶に薄いということかもしれない。あるいは、社会主義には、ソ連、中国、北朝鮮のような「社会主義」とは別の社会主義があるのかもしれない(これほど重要なことはない)、と気づき始めたのではないか。いずれにしても、社会主義者を名乗っても、それだけで排斥されることは、アメリカではもうなくなったということだ。そして、社会主義者という「最も左寄りの」候補の、左派としては当然でオーソドックスな要求が、極めて分かりやすく具体的ならば、多くの支持を得ることができるということだ。このことは、アメリカ以外の国にも教訓として影響を与えるだろう。特に、あたかも「右」と「左」の対立は終わったかのようにマスメディアが喧伝し、本質的に左派にもかかわらず自らをリベラルなどとする非論理的な市民運動家や知識人が多い、日本という国において。