OPEN第5回「生存権の保障――ベーシック・インカムの可能性」に参加して
一参加者
2010年5月27日
数ヶ月前山森亮氏の『ベーシックインカム入門』に触れて、ぜひ機会があればお会いしたいと思い、今回のイベントに参加した。以下、山森氏の主張と特徴を述べ、次に私見と、参加しての感想を書きたい。何らかの力が生まれることを期待し、本音を述べておきたい。
山森氏の仕事は、現在の日本における社会福祉の脆弱性が新自由主義の圧力のもとその無力さを白日の下にさらしている状況も相まって、日本におけるBIの導入に追い風となっている。
目下話題となっているBIは、基本的人権により全ての人を対象とし、基本的な必要から要請される生活自立所得を、他の給付を排除しない形で無条件給付する制度である。いま、人生を綱渡りだと想定してみると、完全雇用は綱から落ちないようにする手すりであり、社会保険は綱から落ちた時のための命綱であり、公的扶助(生活保護)は実際に落ちた時のためのセーフティネットである。BIは、上記の想定に立てば、人生を綱ではなく道にすることである。だが当然、道にも細い道太い道、険しい道なだらかな道があるのであって、一言でBIと言っても、多様性を有した言葉なのである。
争点は、財源と給付形態である。
財源に関しては、不正確になるため詳しくは述べられないが、現在の財政のままであっても月5万円の不可能ではない、とだけ述べておこう。というのも、財源に関しては拠出の形態や方法が問題の本質ではないからだ。すなわち、商品社会である資本主義において人間の生存にとって貨幣は不可欠なのだから、人間が生存するという視点からすれば当然貨幣は必要だ、という思考からすれば、必要に基づいて議論や政策論が展開されるべきであり、現状の財政状況を思考の出発点として定めるではないという考えに立つ。
また、給付形態も、実現可能性を考慮すれば、部分的BIや対象別BIなどから実施し、徐々に拡大していくということになろう。その際よくなされる批判が、「現金給付よりもサービスの給付、現物給付が先ではないか」という批判である。これもまた問いの本質を不当に矮小化している。繰り返しになるが、人間の生存という観点に立てば、より多くの貨幣が必要であろうし、それと同じくサービス、保育所や介護施設や学校、も充実しているに越したことはないのである。つまり、貨幣かサービスかという二項対立図式こそ批判されねばならないのであって、両者は同時に獲得されるべきものなのである。
以下少々の私見を述べておきたい。
BIの政策としての現実性は、単に政策論に縮減すべきではない。白川真澄氏がBIの実践的課題として批判していたように、生活保護の受給率に着目してこの捕捉率を高めるべく生保の財源を増やすのと、同じ額が拠出されると仮定したBIとでは、やはり前者のほうが社会的合意が得られるのではないかという主張は一般的になされる。だが、この「どちらが社会的合意を得られるか」という二項対立図式をこそ私は批判しておきたい。BIは、先ほども述べたように多義的な制度であり、けして政策の一つというにとどまらない可能性を秘めていると思われるからである。
すなわち、BIは記号の機能を有している。シャンタル・ムフが言うような、「汚染された普遍性」を有する「空虚なシニフィアン」になりうるということだ。かつて、「9条護憲」という名のもとに、反基地闘争や自衛隊違憲訴訟などの幅広いテーマが、労働組合から市民団体から学生までの広範な社会層が、運動体として集合することで、様々な問題を包含しながらも、護憲は貫徹されてきた。それと同様に、「BI」という記号の下、生存権の確保や労働概念の見直し、資本主義のオルタナティブの可能性など様々なテーマが、BIの定義通り社会の構成員すべてが、(運動として集合することはなくとも、)実現されるべき価値、継承されていく規範として認識する。政策論にとどまらない、記号としてのBIに私は期待する。
最後に、率直な感想を述べておく。私があの会場で発言した、「若者がこの場にいないことが、一体どういう意味であるのか、しっかり考えておきたい」という言葉の意味を説明しておく。
極端に単純化して表現しよう。現代の日本において、ここまで人間の生存における社会的規範が欠如しているのは、既存の社会運動の無力さの一つの証左であり、いまだ社会運動が単に資本主義や新自由主義の道徳的な批判にとどまっているために社会的な合意を得られていないことを示しているように思われてならない。
具体的に、気になったことを二つ述べておく。質疑応答に明らかなように、参加者は明らかに山森氏の議論に応答できていなかった。「正しいBIと間違ったBIの境界はどこにあるのか」「貨幣給付のみならず、やはりサービスの給付という観点が欠落してはいけない」というような、(聞いていて頭痛が生じてくるような言葉の連鎖であったため、覚えているものを列挙するにとどめる)問いの形式からして不毛なもの、すでに山森氏が一般的な批判に対する応答として説明したもの、そういった質疑応答が繰り返し反復されていた。この第一の現象に加え、第二に参加者が同世代でかつ年配の方々であるのを見るにつけ、私はある思いに駆られる。
ある時期の社会運動を牽引したと思われるこの人々は、理論的支柱をもたず、また運動における戦略論も欠如していたため、実効的な成果を残せなかったのではないか。そして、それが現在に至るまで継続しているがゆえに、運動としての世代再生産は行われず、いわんや社会変革の現実性などいかにせんという状況が生じているのではないか。
では、それはなぜなのか?
結論からいえば、戦後日本の社会運動は、あたかも資本主義から分離されたものとして社会問題を認識していたのではないか、ということだ。
戦後民主主義は、沖縄や戦後賠償や天皇制といった存在を不問に付したまま、「平和」憲法を称揚してきた。それは、国内生産―海外輸出体制を基盤とする企業主義がもたらした高度経済成長において、企業主義の恩恵や開発主義の恩恵に被った人が掲げる、「天皇は平和憲法の制定者」であり、「ODAは戦後賠償の代わりだ」というような主張を正当化した。これは、前述の問題群を、戦前日本の権威主義型帝国主義や戦後日本の開発主義とは分離された問題として処理することによる、きわめて観念的で理想主義的で、なにより空虚な、規範であり価値であった。(「護憲」を先ほど例に挙げたのは私なりの最大の皮肉である。護憲は言うまでもなく重要である。ではそれはなぜ可能であったのか?という問いは、戦後民主主義から提出されたのであろうか?)
新自由主義がさらに世界を包摂する今、理論なき人道主義者の掲げる道徳的な批判や物質性なき理想主義など、ネオリベラリズムに簒奪される格好の対象である。資本主義は必然的に物象化をもたらすのであるから、善悪の二項対立図式や、批判さえしていればよいという再帰性の欠如した議論それ自体を総括する必要がある。現状を批判しつつも単にそれにとどまらない、自律したオルタナティブを提唱できるよう、自身も勉学に励まねばならないとせつに感じた。