【つるたまさひで読書メモ】
『社会を変えるには』小熊英二著
第5回
394pから始まる「原理主義」という節で面白いのは「相手はばかだ、というのも対話拒否の一種です」という話。また、例の言葉が出てくるのだが、「再帰性が増大すればするほど、「ばかが多くなった」という人が増えてきます」とのこと。
そして、396pから始まる次節の「対話と公開性」という話になるのだが、とりあえずの着地点はここにしかないのかなぁとも思う。
ギデンズはこれを対話民主制と呼ぶ。それは代議制民主主義をやめろということではなく、代議制民主主義にできるだけ公開と対話を導入し人びとに参加してもらうこと。これ、参加型民主主義とか直接民主主義の導入ともいえるかもしれない。オートノミーといような呼び方もあるだろう。教育も必要だろうし、参加のシステムを作ることも必要だろう。それが重要だということがいわれてはいるが、どれだけの行政や政治家が本当にそれを望んでいるかといえば、かなりあやしい感じもしないわけでもない。
小熊さんは、次の「エンパワメント」という節では、その対話民主制のシステムがうまくいかないことが多いという。399pそして、エンパワメントについて小熊さんは説明するのだが、このエンパワメントの説明は不十分だと思う。エンパワメントとは教育などで力をつけてあげることではない。本来、そのひとが持っている力に気づいてもらうことだ。
http://tu-ta.at.webry.info/200810/article_12.html 参照のこと
ともあれ、参加型・対話型の民主主義への転換が必要だということはその通りだと思う。
405-406pではフレキシキュリティという言葉が説明される。フレキシブルな産業構造に社会保障をつけること、という意味らしい。簡単にいえば、企業には産業を転換するために解雇しやすい形を提供するが、人々には解雇されても困らない社会保障を提供すること、といえるかもしれない。これも、なかなか微妙な問題でもある。日本でもこんな題目で解雇しやすい環境が作られようとしているようだが、セキュリティのほうは忘れ去られたままだ。
「やらないよりまし」という節では、ギデンズやベックのここまでに紹介された政策が各国で実施されているのは、「他にすぐれたコンセプトがないからです」423pといい、表題の「やらないよりまし」という話になる。ここで行き詰っていると言われているのが、社会主義革命、福祉国家、市場万能主義、伝統回帰。しかし、これって、マーガレット・サッチャーが言ってたTINAと似てないか。
また、昨今の社会保障政策における選挙を超えた「参加と包摂」をあらわすような政策、つまり、実質のある分権、タウンミーティング、職業訓練や相談所、社会運動やNPO,について、それはやらざるをえないものだと小熊さんは書く(426p)のだが、この間の自民党の政策は、現状維持というよりも逆行している感じさえあるんだが、どうなのだろう。
この6章の終わりで小熊さんはこの時代について、日本型工業化社会が限界にきて、「ふつうの先進国」になる時代がやってきた」という。そして、この章の結語では、この時代に「ポピュリズムに流れる人が多いか、それとも市民参加や社会運動に向き合う人が多いかは、これからの選択にかかっています」という風に問題を立てる。
現状では、主流は、ポピュリズムに人々が走るような教育がなされ、マスコミの報道もかなりそっちの方向に向かっているように思えるのだが、どうなのだろう。また、同時にポピュリズムと市民参加や社会運動を分けることができるのか、という思いもある。ポピュリズムが動員する参加や社会運動だってあるんじゃないだろうか。