【普天間問題再・再説】
最悪の中でも最悪の選択――
日米共同声明で辺野古に舞い戻るという愚行
武藤一羊
2010年5月24日
鳩山由紀夫氏は、普天間問題についての「迷走」を辺野古への舞い戻りという最悪の選択によって終わらせることにしたようである。これは最悪の選択であるが、最初から私たちが危惧していたものでもある。「移設」の論理のなかには、アメリカが気に入る「代替基地」の引き受け先を日本政府が確保できないかぎり、辺野古に舞い戻るという見通しが含まれていたからである。だから昨年12月8日に、私たち560名の人びとが署名した
鳩山首相への緊急提案では、破綻した移設の論理を放棄し、普天間基地無条件閉鎖を米国と交渉するよう提案したのである。その中で私たちは、代替地を「“検討してみたが県外は不可能”として、沖縄に舞い戻るなどという不誠実は、鳩山政権に許されるはずはない」と釘をさした。「不誠実」と控えめな表現をとっているが、むしろそれは裏切りというのが適切だろうと私は感じていた。事態は私たちが危惧したとおりに最悪のシナリオで進行したのである。
だが見逃してならないことがある。それは実際に鳩山氏が行いつつあるのはただの最悪の選択ではなくて、複数の最悪シナリオのなかでも、最悪中の最悪の選択だということである。すなわち、日米共同声明の発表から手をつけるという選択、閣議了解も取ることなく新しい日米共同声明(2プラス2)で国家間合意として謳いあげ、それに基づいてあらためて辺野古新基地計画を沖縄に押し付けるという選択である。
「移設」については、地元の理解、アメリカの理解、連立パートナーの支持という3条件が鳩山氏によっても、閣僚によっても、しばしば口にされ、そのすべてを満たすことの困難が「迷走」の理由であるとされてきた。鳩山氏は、この三すくみをアメリカの意向を既定値と設定することで解消する、すなわち他の二つを無視することで突破する道を選ぼうとしているのである。このような愚行が、まともな神経をもつ政治家や外務、防衛官僚によって犯されるとは、私は信じることができない。繰り返そう。これは沖縄舞い戻り一般ではなく、最悪の舞い戻り方式なのである。
新しい共同声明に基づいて辺野古基地を押し付けるということは、三つの重大な結果を呼ぶ。(1)日本政府はアメリカの代理人として、沖縄に向かいあい、沖縄が強力に抗議し反対する軍事プロジェクトを力で押し付けることになる;(2)鳩山連立政権は、そのような共同声明によって、自民党政権の負の遺産の処理ではなくて、みずから選択した政策として辺野古基地建設を行うことになる;しかも「2プラス2」という「米軍再編」などで自民党政権が多用した合法性の怪しい取り決め方式で重大な合意を行うことで、過去の合意を見直す根拠の一つを失うことになる;(3)「抑止力」の一人歩きの危険に道を開く。「最低でも県外」の約束を破る理由として、鳩山氏は米国の「抑止力」の必要への目覚めという子どもじみた説明を持ち出したが、これによって米国の軍事力・「日米同盟」・沖縄-ヤマトでの米軍存在などを、中身の検討されぬ「抑止力」なるマジックワードですべて再検討の対象から外しうるという先例をつくることになりかねない。少なくとも日米同盟の信者たちはチャンスとばかり死語となりかかっている「抑止力」の復権をはかるだろう。
第一点については、歴代自民党政権が安保の問題、とくに沖縄基地問題についてアメリカの代理人として行動してきたことはよく知られている。経済摩擦問題とは違って、安保問題では日米交渉が成立したことがなく、「日米協議」しか行われなかったことを私は「再説」で指摘しておいた。協議では米国の意向が伝達され、日本側はそれを咀嚼したうえで受け入れる。そして合意されたことは、日本政府によって、日本国・日本列島住民にたいして執行される。それが自民党国家システムのカナメであった。このような関係が戦後日本国家の根本的な問題――アメリカ覇権の内部化・内面化という問題――にかかわるものであることを私はことあるごとに指摘してきた。安保問題に関しては、自民党政権は沖縄「県民」をふくむ「日本国民」の民益を代表するのではなく、「日本国民」にたいして米国を代理して臨んできたのである。
民主党は少なくともこの対米安保関係をそのまま引き継ぐことはしない、したくないという意向をマニフェストの「対等な日米関係」への努力として表明したはずであるし、社民党との連立合意文書のなかでも沖縄にふれつつそれを確認した。そしてその上に、普天間の「県外、国外移設」という鳩山氏の公約も発せられたのであろう。
だが日米合意優先による辺野古舞い戻りは、(2)として指摘したように、この民主党の基本的スタンスを取り崩し、かつての自民党のスタンスに舞い戻ることを意味する。すなわち、国内合意を優先して、それに基づいて米国と交渉するという立ち位置をとらず、その反対にアメリカの力を背にして「日本国民」と交渉する――交渉が成立しなければ対決・強制する――という立ち位置にうつることを意味する。これは重大な立場変更である。
民主党は今回、自覚的に、かつての自民党政権のスタンスに移ると決めたのであろうか。それとも軽率に、苦しまぎれに、このような重大な決定をしたのだろうか。私には判断がつかない。5月24日の『朝日新聞』は、政権の姿勢を最終的に決めたとされる鳩山総理、岡田外相、北沢防衛相らによる首相官邸での5月20日夜の会合の様子について、次のように伝えている。
出席者によると、厳しい対米交渉の経緯が報告されたが、首相はなかなか方向性を示さなかった。しびれを切らした北沢氏が机をたたき、「沖縄、徳之島、与党は合意していない。日米で合意しないで、どの面下げて6月を迎えるんだ」。5月末に日米共同声明を発表して「5月末決着」と位置づける、という政権の意思が固まった。
「どの面下げて那覇へいけるんだ」というなら話は分かる。だが5月末などは政権側がほとんど理由なく自分で決めた期限ではないか(どだい成算もなく自分から期限を切るなど素人でもやらない愚行なのだ)。それまでに何も決められなければ、期限を延ばすか、それまでのやり方を再点検したらいいではないか。話がすべて変であり、さかさまである。この程度の議論で、主権者を裏切ってアメリカの代理人の立場にうつるという重大な決定がなされたとすれば、何をかいわんや! おそらくこの政治家たちは自分のしていることの意味を自覚していないと見た方がいいのであろう。
だが意図はどうであれ、日米共同声明方式が強行されて、上記(1)と(2)の結果が生みだされた場合、
前稿で私が隠れゴーストライターを気取って提案した鳩山演説概要は使えなくなる。鳩山政権は、自民党政権の膨大な負の遺産の相続をみずから買って出ることになるからだ。鳩山政権が続くなら、それはやがて自身の行った取り決めの再交渉をアメリカに申し入れなければならなくなるだろう。それは前政権の取り決めを再交渉するよりはるかにやりにくい、不利な交渉であることは明らかだ。新日米共同宣言で政権交代の利点をドブに捨てたことになることに、国のトップに座るこれらの人たちはいつ気付くだろうか。
5月末は決着などもたらさない。自民党政治が命尽きたときに、自民党手法に戻ろうとするのは、喜劇にもならない茶番である。「決着」なるものは、逆に、沖縄の非軍事化、脱植民地化、日米安保条約の破棄と平和友好条約によるその置き換えのための列島規模の運動の出発をしるすものとなるだろう。広まり深まる抵抗によって、辺野古基地建設は絵空事に帰するであろう。普天間基地は維持不可能になるだろう。開けかけた安保の箱は閉じることはできないのだ。もしこれがパンドラの箱ならば、すべての災厄が放たれたあと、箱の底には希望が残っているはずである。