〈象徴の務め〉最後の沖縄訪問の政治的意味
――マスコミの中の「生前退位」論議(7)
天野恵一(PP研運営委員・反天皇制運動連絡会)
来年の「生前退位」のスケジュールがほぼ確定したアキヒト天皇夫妻の、最後の11回目の沖縄訪問が3月27 日〜29日に行われた。マスメディアは、「退位」へ向かう天皇夫妻の「平和」への祈りを、こぞって、ひたすらクローズアップしてみせている。新聞社説を素材に、このキャンペーンの政治的意味について、みておきたい。
「両陛下には『忘れてはならない4つの目』がある。終戦の日、広島と長崎の原爆被災日、そして6月23日の沖縄慰霊日である。その日は沖縄戦で組織的戦闘が集結したとされ、陛下は毎年欠かさずに、黙祷しているという。/それほど沖縄には格別な思いがある」(『東京新聞』3⁄27) 「天皇沖縄訪問」)。
戦死者への強い思い、特に地上戦で大量の死者のでた沖縄(戦)への持続的な思いなるものの、クローズアップ。それが全マス・メディアを支配する「物語(イデオロギー)」である。
もう一つの物語は、「来年4月末の譲位を控え、再訪を強く希望された」(『産経新聞』3⁄26)「沖縄御訪問」)。天皇自身の意思であることのクローズアップである。
さらに、天皇の「生前退位」メッセージの実行という物語である。
「 思い出すのはおととしの夏のメッセージだ。即位以来、「国民統合」の象徴としてのあり方を模索してきたと明かし、その役割を果たすために遠隔地や島々への旅を大切にしてきたと語った。沖縄への思いへのもとにあるのは、戦争だけではないことをうかがわせるものだった」(『朝日新聞』3/30 「天皇と沖縄」)。
島への旅も〈象徴的行為〉としての大切というこうした天皇の意思の物語も、もう一つの大きな流れである。
沖縄のメディアにも、こうした物語はすべて共通して流されている。もちろんそこでは、沖縄戦の地という固有の血まみれの体験の具体的裏付けを使った、支配者の物語(イデオロギー)の肉づけという性格がつよくつけくわえられているが。
「沖縄戦の目的は沖縄の住民を守ることではなく、国体護持、本土防衛のための捨て石作戦だった。多数の住民を根こそぎ動員で国策に協力させた末に、軍民混在となった戦場で死に追いやった。沖縄戦の教訓は「軍隊は住民を守らない」である。沖縄戦の教訓と、両陛下が平和を願う姿勢を時代の皇室に継承してほしい」(『琉球新報』3/28「両陛下来県」〈傍線引用者〉)。
天皇の軍隊は、住民を守らないばかりか、国体(天皇制)護持のため、住民の命を、時間かせぎのための大量に使い捨てた。この歴史的事実から引き出せるのは、この戦争の責任者たち(「天皇制」)の責任を問い続ける事抜きには、沖縄に、まともな〈平和〉はおとずれないということではないか。天皇の来県にハシャいでどうする。
「‥‥陛下の沖縄訪問が実現したのは、皇太子時代の1972年のことだ。だが、慰霊碑の『ひめゆりの塔』の前で、活動家に火炎瓶を投げつけられた」(『東京』3/27)
この〈火炎瓶〉は命を使い捨てられた死者の怒りをも含めた沖縄人のまっとうな大衆的怒りの象徴であった。これ以後、10回のアキヒトの沖縄訪問は、責任を曖昧にはぐらかしたまま、その怒りを、やわらげ、沖縄住民を「本土」(ヤマト)の日本人という枠の中に、ゆっくりと、くくりなおすための政治として実行され続けてたのだ。
「以前は強い反発を示していた「天皇」という存在は、沖縄は自然に迎え入れるようになった」(『朝日新聞』3/30)。〈沖縄戦の痛みに、ありがたくも寄り添ってくれた天皇夫妻〉という、物語が、被害者の天皇への感謝の言葉をそえて、沖縄メディアでは、これでもかというくらい流され続けた。それが〈うまくいった〉という確認の言葉である。
「72年、沖縄は平和憲法の下に復帰した。しかし、米軍による相次ぐ事件事故、新基地建設強行にみられるように、沖縄では今でも憲法の基本理念がないがしろにされている。「象徴天皇」として憲法を順守する天皇に、この事実を受け止めてもらいたい」(『琉球新報』3/28〈傍線引用者〉)。
こうしたすこぶる政治的な沖縄訪問に、憲法上の根拠などない。ゆえにアキヒト天皇は憲法を「順守」などしていない。この点は、「もちろん、憲法が定める国事行為以外に、天皇の活動が広がることには十分注意を払わねばならない。だが陛下の『慰霊の旅』は、憲法がうたう平和主義の理念に重なる」(『朝日新聞』3/30)。
まったくの屁理屈。憲法上禁止されている行為でも、平和を口にすれば、許されるなんてことが、あるわけがない。「平和」の言葉を吐けば天皇はどんな政治行為をしていいとでもいうのか。
今、安倍政権は米軍とともに戦争する国家日本に向かって沖縄での米軍基地増強、自衛隊沖縄派遣の拡大という動きを強めている。
これをスムーズに実現するためには、沖縄戦の歴史体験をベースにした、沖縄住民の非戦への抵抗力を切り崩してしまわなければならないのだ。そうした政治任務を担って、アキヒト天皇(夫妻)の最後の沖縄訪問があった。天皇の「平和」と安倍首相の「戦争」は表裏の関係で支えあっているのだ。