[状況批評]
衆議院本会議での「新天皇即位の賀詞」と憲法をめぐって
天野恵一(反天皇制運動連絡会)
5月21日、私は新天皇の第1回の「植樹祭」儀礼に抗議する集会で発言。その久々の名古屋で、5月9日の衆議院本会議が、全会一致で採択した「新天皇即位の賀詞」を改めてキチンと読んだ(それは集会主催者の資料に入っていた)。
「天皇陛下におかせられましては、この度、風薫るよき日に、ご即位になりましたことは、まことに慶賀に堪えないところであります。/天皇皇后両陛下のいよいよのご清祥と、令和の御代(みよ)の末永き弥栄(いやさか)をお祈り申し上げます。/ここに衆議院は、国民を代表して、謹んで慶祝の意を表します」。
討論の時間、〈この「賀詞」は、主権在民を謳う現憲法下ではありえない。天皇主権の国の言葉、全政党と国会議員の天皇制への降伏文章ではないか〉という怒りの発言もあった。この天皇翼賛国会の決議には、日本共産党も加わっている。
「日本を守る国民会議」と「日本を守る会」を統一するかたちで、1997年に結成された日本会議。この会の「国会議員懇談会」メンバーは290人ともいわれている。日本最大の神権天皇主義右翼団体による、東京都の地方議会での「賀詞」採択の動きも伝えられている。
衆議院のこの「賀詞」採択も、そうした政治グループが中心に推進した結果であろう。そこに示されている思想も「令和の御代の末永き弥栄を」といった神権天皇主義イデオロギーそのものである。しかし、それは全会一致の採択なのだ。
「主権在民」憲法下の「国権の最高機関」(41条)であるはずの国会が、これを全会一致で採択。本当にとんでもない事態が、マスコミで大きく批判的に取りざたされることもなく、あたりまえのごとくにつくりだされている。
明文改憲を目指す安倍政権の全面バックアップの下すすめられている明仁天皇「生前退位」・新天皇即位の「代替わり」の政治過程。それは、戦後憲法を内側から全面的に破壊してしまう、国の宗教活動の禁止(20条)原則を破壊し尽くす、皇室神道儀礼のオンパレードである。それは〈象徴天皇教〉国家という、裏側に隠されていたグロテスクな実態を、戦後国家が改めて露出させる局面である。この「賀詞」全会一致採択も、そういうプロセスの必然的産物といえよう。
しかし、である。
この間、安倍改憲に反対している護憲運動の中心政党である日本共産党までが議会で、安倍政権の支持母体である「日本会議」の天皇主義イデオロギーに全面屈服してしまうという状況が示す問題は、私たちにとっても重大だ。
安倍政権は、この象徴天皇とくんだ、民主主義・人権・平和憲法破壊のプロセスを経て、新しい「安倍憲法」をつくりだそうとしているのだから。
共産党は、30年前の「平成」の即位の時の「賀詞」には公然と反対した(あたりまえのことだろうが)。今回はそうしなかった理由などを、志位委員長は記者会見で次のように語っている。
「天皇の制度というのは憲法上の制度です。この制度に基づいて新しい方が天皇に即位したのですから、祝意を示すことは当然だと考えています。私も談話で祝意を述べました。国会としても祝意を示すことは当然だと考えます。/ただ、(賀詞の)文言のなかで、「令和の御代」という言葉が使われています。「御代」には「天皇の治世」という意味もありますから、日本国憲法の国民主権の原則になじまないという態度を、(賀詞)起草委員会でわが党として表明しました」(下線引用者、「しんぶん『赤旗』」日曜版、5月19日、以下も同じ)。
2004年の党の綱領改定で、「君主制の廃止」を削除し、「天皇条項を含めて現行憲法のすべての条項を遵守する立場を綱領に明記」した。ゆえに天皇制の「存廃」は国民任せ、「わが党として、この問題で、たとえば運動を起こしたりするというものではない」。なんと「民主共和制」の「立場」は表明するが、天皇制批判の「運動」はしない、こう明言している。そして結論的には、こう語っている。
「国民主権の尊重の立場から、過度に天皇を礼賛・賛美することには私たちは賛成できないし、祝意を押し付けることもよくない。こういう立場を、わが党は一貫してとってきています」。
「今回の賀詞の決議そのものについては、賛成しうるが、さきほど言った点が問題として残ったということで、その点は意見表明をしたということです」。
「世襲」の超特権的宗教的身分制度である天皇制の治世が「末永」く栄えることを「お祈り」しますってのは、わかりやすく言い換えれば、〈天皇陛下万歳!〉ということだろう。これがとんでもない「天皇礼賛・賛美」でなくてなんだというのだ。部分的な言葉に異論をたてたというアリバイをつくったところで、結果的に賛成してしまっているのだから、そんなことが言い分けになるわけはあるまい。国会の政治なんだぜ。30年前の時は、国会の中で、天皇の戦争責任を明言して、何人もの議員の被処分者を出して闘ったではないか。象徴天皇制の責任に何の変化があるというのか。
共産党も加担して「祝意を押しつける」運動をしながら、「祝意を押しつけることもよくない」もないもんだ。私たちが日常的にあびせられる「天皇制に反対する人々は非国民だ」という、天皇主義右翼の言動に、共産党も翼賛(加担)しているだけではないか。こうして天皇制タブー化は加速されている。これが、かつての天皇制ファシズム下での共産党の総転向の、象徴天皇制下での再来でないことを切に「祈る」。
「反改憲」運動通信(第15期・第1号、2019年6月30日)
※天野さんの元原稿では、引用部分の一部に「・(傍点)」が付加されていましたが、web掲載にあたり下線に変更させていただきました。(web担当者)