ベーシック・インカムのすすめ
白川真澄
2010年7月
ベーシック・インカムとは何か
いま、ベーシック・インカムがちょっとした話題になっている。ベーシック・インカムとは、すべての個人に対して最低限の生活ができるだけの所得(「基本所得」)を無条件に、税金から給付するという仕組みである。
重要なのは、無条件にという点である。これは、働いているかいないか、働く意欲があるかないか、資産があるかないかに関係なく、赤ちゃんから高齢者まですべての人に給付するということである。だから、多くの手当のように所得制限もなければ、生活保護給付の際に行われ屈辱感を与えるミーンズテスト(資力調査)も必要がない。もちろん、日本に暮らす外国人にも平等に支給される。また、従来の社会保障のように世帯単位ではなく、あくまでも個人単位で給付される。
具体的な仕組みとしては、児童手当(子ども手当)、失業手当、基礎年金、一連の所得控除(課税前の所得分から控除する基礎控除、配偶者控除、扶養控除)といったこれまでの所得保障や生活保護給付をなくして、すべて一律の最低所得保障に置き換えることになる。
ベーシック・インカムの最大の特徴は、働くことから切り離して所得を一律に保障することにある。これがベーシック・インカムの重要な意味であり、同時に強い反対や批判を受ける理由ともなる。近代社会の大原則は、「働かざる者、食うべからず」であった。働いているかどうか、少なくとも働く意欲があるかないかという基準で、人間が評価されてきた。だから、幼児や子ども、障がい者や高齢者、あるいは失業者は、労働していないという理由で、一人前の人間として扱われてきた。ベーシック・インカムは、こうした労働中心主義の考え方を覆し、労働と所得の不可分一体性を切断する。働いているかどうか、働く意欲や能力があるかないかに関わりなく、「生きている」という一点、すなわち生存権に直接に根拠づけられた所得保障を実現しようとする。生存権は、人間であれば誰でも「生きる」権利を平等に持っているという点で普遍性がある。
ベーシック・インカムの魅力は、それが自由で多様な生き方を保障できることにある。私たちは、お金を稼ぐためにどんな劣悪な労働でもやらざるをえないという束縛から自由になる。生活できる最低所得が社会的に保障されれば、就労・家事・子育て・学習・職業訓練・ケア・ボランティアなどさまざまの活動を、ライフサイクルのなかに自由に組み込むことができる。ある時期は働いてお金を稼ぎ、別の時期は家事や趣味やボランティア活動に打ち込み、また別の時期は大学に戻って勉強するといった多様な選択肢が可能になる。
なぜ、導入が必要になっているのか
ベーシック・インカムという考え方には長い歴史があるが[注1]、これが日本の現実に即していま提唱されはじめたのは、なぜか。それは、これまでの生活保障の仕組み、あるいは生存権を保障する社会的仕組みがまったく行き詰まり、破綻しつつあるからである。
日本では、成人男性が企業に雇われて働き所得を得る、それによって妻と子どもを養うことが生活保障の基本的な仕組みとなってきた。失業や病気によって働くことができなくなれば、失業手当などを受けるが、就労の中断はあくまでも一時的で例外的なこととされた。高齢化して働けなくなれば年金という所得保障を受けられるが、高齢者はまだ少数にとどまっていた。企業中心で「男性稼ぎ主」モデルの生活保障の仕組みがそれなりに機能したのは、経済成長が持続するなかで、企業がたえず雇用を拡大し、終身雇用と年功序列の慣行を維持したからである。企業に依存したこの仕組みのおかげで、政府による公的な社会保障は、厚生年金と医療を別にすれば、ひじょうに安上がりなもので済んだ。
しかし、90年代以降、日本はゼロ成長の時代に入り、企業は正規労働者を削り、非正規労働者を急増させてきた。失業率は98年以降4%以上に上昇し、また企業に雇われて働いても生活できるだけの所得を稼げない労働者(ワーキングプア)が急増した。年収200万円以下の労働者は、1000万人を突破している。企業が働く人びとの雇用と生活をもはや保障しなくなったのだが、公的な社会保障制度は貧弱なままだった。失業手当の給付期間が短い上に、非正規労働者の大多数が除外され、失業手当を受ける人は失業者の22%にすぎなかった。生活保護の受給はきびしく制限され、生活保護の「最低生活費」を下回る705万世帯のうち、実際に受給しているのは108万世帯と15.4%にすぎない。高齢化が急速に進んでいるが、国民年金だけではその支給額は満額でも6.6万円、平均では4.5万円であり、とても生活できるような水準ではない。
高齢化の進行、ワーキングプアや失業者の増大のなかで、働くことを大前提にした生活保障の仕組みが行き詰まり、それに代わる別の仕組みの構築が迫られている。こうして、ベーシック・インカムが注目されるようになったのである。
人は働かなくなり、怠惰になるか
ベーシック・インカムはひじょうに魅力的な制度であるが、多くの批判にさらされている。最大の批判は、人びとの働く意欲を失わせて怠惰な人間を大量に生みだし、社会の活力や生産性を低下させる、という批判である。
これに対して、新自由主義の立場に立つ人びとは、ベーシック・インカムが労働へのインセンティブ(動機付け)を欠落させないために、その支給額を月額5万円といった低い水準に設定することを提案している(たとえばホリエモンこと堀江貴文)。5万円だけではとても生活できないから、人は自ずと就労せざるをえなくなり、働く意欲は失われないというわけである。
しかし、生存権の保障という観点からは、シングルでも最低限の人間らしい生活のできる水準の支給額が必要である。生活保護の生活扶助の支給額(東京都区部の単身者の20?40歳の単身者のケースで83,700円)を参考にすると、たとえば一人当たり月10万円が望ましい。そうすると、働く意欲は弱まるのではないか。
しかし、第一に、10万円では最低限の生活ができるとしても、もっと良い生活を楽しむために高い収入を得たいと思う人は多いはずだから、就労への意欲は必ずしも失われないだろう。より重要なことだが、第二に、たしかにお金を稼ぐ労働への意欲は弱まるだろう。たとえば、これまで月30万円稼ぐために週40時間働いていた人が、月10万円のベーシック・インカムを受け取れるようになるから月20万円だけ稼ぐために週27時間しか働かなくなる。しかし、このことは、労働時間を大幅に短縮するから、より望ましい社会に近づくことになる。私たちは、より多くの時間を家事や育児やケア、地域での助け合いやボランティア、あるいは趣味の活動に費やすことができる。
社会生活が成り立つためには、報酬が支払われる労働だけではなく、支払われない無償の労働や活動が欠かせない。家事や子育てやケア、コミュニティ内での助け合い、ボランティア活動など。こうした無償の労働や活動は、社会的な有用性を持っているにもかかわらず、市場がすべてという資本主義の世の中では金銭的報酬を得られる労働よりも価値が低い、あるいは無価値なものとされてきた。労働と所得を分離するベーシック・インカムは、お金を稼ぐ労働の特権性をなくし、無償の労働や活動に積極的な意味と高い価値を与える。だから、稼ぎ主の男が妻に対して「誰が食わせてやっているんだ!」といった暴言を吐くこともできなくなるはずだ。
労働には(1)生活のための所得を得る、(2)自己実現をする、(3)他人と交わりつながる、といった面があるが、現在では労働はもっぱら(1)のお金を稼ぐための手段になっている。ベーシック・インカムは、お金を稼ぐ労働を強いられることから私たちを解放し、(2)や(3)を実現できる労働を可能にする。稼ぎにならないが自分が打ちこめる仕事をしてもよいし、無償の活動をしてもよい。労働の意味が大きく変わるのである。
ベーシック・インカムは、所得を得る労働を縮小し(人は少ししか働かなくなる)、その代わりに無償の労働や非市場的な活動を活発にする(人はより多く働く)。そうした労働や活動は、GDPを増やすことに貢献しないから、経済成長を促進しない。ベーシック・インカムの導入は、経済成長至上主義からの脱却、脱成長経済への転換と結びついてくる。
財源はどうするのか
ベーシック・インカムに対するもう一つの大きな批判は、生活できるだけの最低所得をすべての人に給付すれば、財源が確保できず、持続可能な制度にはならないというものである。
これについては、小沢修司が、財源の面から見てベーシック・インカムは実現可能であるという説得力ある主張を展開している[注2]。小沢によれば、一人当たり月額8万円のベーシック・インカムをすべての個人に給付すると仮定すると、総額は115兆円(年96万円×1億2000万人)になる。そこで、給与所得(212兆円)と自営業者による申告所得(46兆円)を合わせた個人所得総額(258兆円、2008年度)に対する所得税について、現行の所得控除(給与所得控除や基礎控除・配偶者控除・扶養控除・特定扶養控除など125.8兆円)をすべて廃止して、44・7%の比例課税をすると、115兆円の財源調達が可能である。
現行の所得税率(最低5%から6段階の累進税率で最高税率は40%)からすると、これを一律に45%に引き上げるという構想は、おそろしく乱暴に見える。しかし、所得控除をなくして一律にベーシック・インカムを支給し、代わりに収入のうちから社会保険料控除だけを差し引いた所得額に課税すると、税負担はいちじるしく増えるが、実際に手にすることのできる可処分所得はあまり変わらない。
支給額を月10万円にすると、必要な財源は144兆円になるから、45%の比例所得税では不足する。富裕層への課税の強化(所得税は累進性を強化して最高税率を再び引き上げる、相続税や資産課税を強化する)、法人税の据え置きと租税優遇措置の全廃、企業の社会保険料負担を引き上げて社会保障税に置き換える、といった措置が必要になる。
また、支給額を10万円にしても、子育て費用、とくに教育費や住まいの費用は支払えないということになる。そこで支給額をさらに高くするというのではなく、保育・教育や住まいについての現物サービスを税によって無料で供給することが必要である。ベーシック・インカムは現金給付による所得保障の仕組みだが、現物サービスの十分な提供によって補完されなければ、人びとの生活を安定させることはできない。その意味で、ベーシック・インカムは万能の鍵ではありえない。
ベーシック・インカムの導入と現物サービスの拡充を両輪にしたこれからの生活保障を構想すると、税負担の増大は避けられない。重要なことは、「公正な高負担・高福祉」社会への転換について、人びとのなかで討議が積み重ねられ、政治的合意が作られることである。
注1)山森 亮『ベーシック・インカム入門』(光文社新書、2009年)
注2)小沢修司「日本におけるベーシック・インカムに至る道」、武川正吾編『シティズン・シップとベーシック・インカムの可能性』法律文化社、2008年)
(『市民の意見』?121、2010年8月1日に掲載)