【今月のお薦め/つるたまさひで】
『夜明けのオバマ』に触発されて
テッサさんが岩波の『図書(2009・7)』に『夜明けのオバマ』という短いエッセイを書いている。このエッセイに触発されてオルタナティブについて考えた。このエッセイで彼女がオルタナティブについて書いているわけではない。でも、ぼくはこのエッセイに触発された。そういう力を持つエッセイがぼくは好きだな。
(『図書』は書店で無料配布のPR誌と思ったら、定価100円らしい、ぼくはタダでもらいましたが。毎月1日に発行とのこと。7月26日現在、岩波のサイトでは7月号が最新。この雑誌、本屋でもらったのは数年ぶり。某所のブログで以下の文章と似たようなものを読んだと思われる方もいるかもしれませんが、大幅に書き直してます。)
以下、このエッセーのいいかげんな要約+オマケ。
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オバマの就任式が行われた1月20日、テッサさんはオバマの故郷、ホノルルでテレビ中継を見たという。ワシントンの正午はホノルルでは夜明け前。ホワイトハウスは遠い。ケニア出身の父とアメリカ人の母を持つオバマはハワイで生まれ育ち(うち4年はインドネシア)、社会的にも地理的にもアメリカの周縁に生を受けている。
就任式の3日前、ワイキキのメインストリートでは「ハワイはUSAではない!」という大規模なデモがあった。ハワイ独立についてオバマは沈黙を守っているが、独立運動を推進している人もオバマ大統領誕生に拍手したという。
ともあれ、”メイド・イン・ハワイ”のオバマはグローバリゼーションの産物でもある。オバマの両親のグローバルな背景を紹介した後に「オバマ本人もグローバリゼーションの両面性――世界に開かれ、違いを受容しながら、暗黙の権力ヒエラルキーと逃れようもないアメリカ中心主義をもつ両面性――をそのまま体現している」とテッサさんは書く。
オバマの就任式について、日米の友人(ほとんどがやや左寄り)とのやりとりの中で、日本の友人のほとんどがシニカルで、米国の友人はおしなべて熱狂的だったという。(蛇足だが、あんなにアメリカナイズされたグローバリゼーションを批判しているフィリピン人のウォルデン・ベロもオバマの当選演説にカタルシスを感じたという。彼もけっこうアメリカ的かも。
http://tu-ta.at.webry.info/200811/article_18.html
参照
テッサさんのコラムに戻ろう、こんな風に続いている。
日米の友人、両方がオバマが体現する二面的なグローバリゼーションの片面だけを見ているようだった。しかし、「幻滅のリスクはあるにしても、この変化の瞬間を把握し、大切のすることは重要だと、ハワイの夜明けに私は感じていた。壮大な変化でなければ拒絶するような完璧主義は、もっとも頑迷な保守主義者とあまりに容易に同盟を結んでしまうからだ」
また、「オバマ大統領は、たんに共和党から民主党への移行を標すだけではない。政治的コミュニケーションのまったく新しいスタイルの到来の標しでもある」と彼女は書き、オバマ選挙と当選後の政策運営でも使われている双方向のインタネットでの政治的コミュニケーションの方法を少し紹介している。そしてぼくはこの話の以下の締めくくりに、うならされた。このインタネットの使用法は「世界中のデモクラシーに影響を与え、日本政治の表面をも撫でていきそうな変化の一部である」という。日本政治ではやっぱり表面を撫でられて終わりか。
ともあれ、自身もテレビ中継で「偽りのない感動と、歴史を目撃している感覚をおぼえながら式典をみまもった」という。
このことを彼女は、11、2歳で初めて最後まで読んだ報道記事(4人の黒人少女が白人至上主義者に殺された教会爆破事件)とつなげて紹介している。米英の年長世代の白人に「人種差別のアクが潜在意識のどこか深いところに残滓となってこびりついていた。その思考パターンは今もって、はっきりとは意識されていない固定観念の枠に切りとられていた」、そして「オバマの大統領就任式はその固定観念を破壊はしなかったが、それでも根底から揺すぶった。揺すぶることで恐怖の縛りも緩めた。ワシントンの群集のなかの多くの白人の顔にうかんだ悦びは、彼ら自身の恐怖の重荷が軽くなり、偏見が溶解していく感覚を映していたのだと思う」と書く。
テッサさんは就任式をテレビで見た後にオバマの母親がその大学院に行っていたという研究機関に向かう。そのバスのなかで、おそらく就任を祝う祝典に参加するらしい70代のカップルを見る。そのエピソードでこのエッセイは以下のように閉じられている。
彼らや自分が、どれくらいの時間の後に幻滅を感じることになるかはわからない。「しかし、ホノルルの朝の光のなかで幸福に輝くこの老夫婦の顔が、決して忘れられない光景になることはよくわかっている」
==いいかげんな要約ここまで==
オバマがもたらす変化をどう見ればいいのかという戸惑いは消えない。そういう意味ではシニカルな日本人のひとりだ。そして、おそらくこれからあるだろう民主党への政権交代には、オバマがもたらしたほどの感動もないと思う。
ぼくは「壮大な変化でなければ拒絶するような完璧主義」ではないけれども、熱狂的なありかたには、どうしても眉につばをつけたくなる。しかし、テッサさんのエッセーを読んで、起きている変化をもっとポジティブに感じることも必要なのか、と思えてきた。
活動家を自称するなら、現れている「変えよう」という意志に無関心でいるわけにはいかない。その意志を自分の意志と重ねたい。書くまでもないが、ぼくが市井の一人(前衛なんかじゃないってことが言いたいだけなんだけど)として考えたいのは以下のようなこと。
民主党政権への変化を求めている人が本当に求めているのは何なのか、どんな種類の変化が求められているのか。おそらくは早晩、幻滅にかわるその変化を期待する意識をつなぎとめ、本当の変革へのスタートとつなげる可能性はあるのか。だとすれば、いま、何が準備されなければならないか。そんな問題意識。
現在は、ただ耳障りがいいだけのスローガンや公約を並べてなんとかなるような状況ではないはずだ。大きなパラダイムを変化させていくことが問われている。しかし、与党からも野党からも聞こえてくるのはあいかわらず経済成長を志向する掛け声ばかり。
少なくとも日本では「もう経済成長はいらない」ということをもっと明確にしていいのではないか。例えば、(株)リナックスカフェの経営者、平川克美のような人でさえ(活動家ではなく経営者という意味)「経済成長という病」(講談社現代新書2009年)という著書で世紀末から2008年までの10年を以下のように表現している。
「この10年間とは、戦後から継続してきた経済発展至上主義が行き詰まりを起こして、新たな価値観による世界の設計(それが何かはまだ明確ではない)へ至るまでの移行期的な混乱であり、後の時代にターニングポイントとして記憶されることになるであろう出来事がちりばめられている。私たちはまさに、時代のパラダイムの転換に立ち会っている」
経済が縮退しても人々が食べるのに困らないという社会を構想する必要がある。
民主党が提示しつつある、あまり魅力的とは思えないオルタナティブ(マニュフェストとして公表される)にかわる、ホリスティック(全体を包含するけれども一体的)でラディカル(根源的)なオルタナティブが求められている。そのようなオルタナティブに、それを実現するプロセスも加えたいと思う。
また、現状でそのようなオルタナティブが提示できたとしても、いくつかの選択肢は複数のまま提示されることになるだろう。意見の違いを違いとして認めながら、オルタナティブをまとめていくという作業はそんなに容易ではない。しかし、決定されない選択肢が多すぎても、それを提示される側は困惑する。だから同時に、そのバランスは考慮される必要がある。
そんな風に多くの人と議論して、オルタナティブを提示できたらいいと思う。現状では、どんなものができるか、皆目見当がつかないが。また、それを提示することができても、そこからの道のりがまた問われることになる。
テッサさんはハワイの老夫婦の幸福に輝く顔を忘れないという。その70代のカップルが、なぜそのようにオバマ大統領の誕生を祝福できたのか、その背景に何があったのか、ぼくには詳しく知る術はないし、その必要もない。
しかし、そこにテッサさんが見出したものがある。彼女は幻滅がいつかくることを自覚しながらも、変化に向かう希望を見た。
希望について、レベッカ・ソルニットは『暗闇のなかの希望』(七つ森書館2004年)でこんな風に書いている。
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・・・想像することや、希望を育むことで、変化ははじまる・・。
・・・希望は非常時にドアを破る斧。・・・。未来の向きを変え、果てしない戦争を終わらせ、・・・、貧しい人びとや底辺にいる人びとに対する虐待をやめさせるためには、すべてを賭けなければならない。希望は、単にもうひとつの世界が可能かもしれないということにすぎず、約束でもなければ、保証でもない。希望は行動を求め、希望がなければ、行動はできない。
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P.S.
本当は今月、加納実紀代さんの原爆とジェンダーについてのいくつかの文章のコメントを書くつもりだったのですが、書けませんでした。
以下に、ちょっとだけ紹介させてもらいます。
8月6日にぼくが運営に関わっている原爆の図・丸木美術館で加納さんに話をしてもらうからです(笑)。
加納さんは<私の「原爆の図」>という文章のなかでこんな風に書いています。
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シンボルとしての「ヒロシマ」。いうまでもなくそれは、戦争による悲惨の象徴である。そして、「ノーモア・ヒロシマ」、核廃絶と平和への悲願である。「ノーモア・ヒロシマ」については、もちろん異議はない。私の「広島」から引き出される結論も、それ以外にはあり得ない。にもかかわらず、私の「広島」と「ヒロシマ」のあいだには距離がある。そして、その二つをつなぐ糸はねじれ、もつれている。
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この文章、初出は『女たちの〈銃後〉』(筑摩書房 1987年)、これが『ひろしま女性平和学試論』(家族社 2002年)という本にも収録されています。この本では被爆者としての加納さんのフェミニストの視点を明確に読み取ることができます。そして、その視点から銃後史を研究してきた彼女が「ヒロシマ」に関しても、被害と加害の交錯をセンシティブに書いています。
というわけで、8・6の加納さんのお話はとても興味深いものになると思います。案内は
http://www.aya.or.jp/~marukimsn/event/090806/090806.htm
ぜひ、参加してください。
この本にもっと興味がある人には、以下の匿名ブログのメモもあります。(どこが匿名だと思われるかもしれませんが)
<私の「原爆の図」(加納実紀代)メモ>
http://tu-ta.at.webry.info/200906/article_10.html