統一地方選挙と脱原発/白川真澄
2011年4月15日
脱原発を訴えた選挙戦
福島原発の事故はいぜんとして危機的な状況にあり、安定収拾の見通しが立っていない。より広域の周辺の人びとの避難が強いられ、魚や野菜や飲み水の放射能汚染が広がる危険性も高い。原発事故に対する緊急の対策の強化と同時に、いまこそ脱原発社会への転換を急がねばならない。
私は、この状況下で行なわれた統一地方選挙前半戦(4月10日投票)の川崎市議選(高津区)に関わったが、この選挙を脱原発の大きな社会的・政治的うねりを作りだす足がかりの一つにしたいという意気込みをもって臨んだ。6期目の挑戦となる無所属・市民派の猪股美恵(みどりの未来)を擁した選対は、用意していた選挙公報を急きょ作り直し、「子どもたちの未来のために原発に頼らない社会へ」を打ち出した。候補者も、街頭でのスポット演説では原発事故の問題から入り、脱原発と自然エネルギーへの転換を強く訴えた。「安全神話」を捨て、モニタリングポストの増設など緊急の対策をとるように阿倍市長に要求した要望書をパネルにして展示した。
こうして脱原発に力点を置いた選挙戦を展開した私たちだったが、そこで直面した現実はどのようなものだったのか。1つの地域から見えてきたことを報告したい。
すべての政党候補者が原発問題を語らなかった
選挙期間中に配布された選挙公報を見て、私たちはひじょうに驚いた。共産党を含むすべての政党候補者の誰もが、原発にまったく触れていなかったのである。県議選の候補者の選挙公報も、そうであった。お隣の宮前区の市議選や県議選の選挙公報にも、原発のゲの字もなかった。知事選の選挙公報でも、3人の候補者は原発には一言も触れていなかった。代わりに、「防災対策の強化」とか「災害に強いまちづくり」の文句があるだけである。
選挙期間中、共産党の市議候補は、原発の総点検と自然エネルギーの転換を街宣車では流すようになり、また知事選で当選した黒岩候補は、脱原発と太陽光発電の普及を訴えていた。しかし、人びとが投票の有力な判断材料とする選挙公報では、すべての政党(支持)候補が原発問題を語らなかったのである。
福島原発事故がニュースのトップで報じ続けられるなかで、原発問題を黙殺したことは、政治的・知的退廃としか言いようがない。原発安全神話をふりまいてきた政党の候補者が、いま語るべき言葉を持たないのは当然かもしれない。それにしても、原発事故への不安が広がっているときに、原発問題を争点から外すのは、市民を愚弄した行為である。
原発不安から脱原発への間に横たわる距離
では、ただ1人脱原発を鮮明にした猪股の訴えに対する人びとの反応は、どうであったのか。
すでに6回も選挙を経験してきた猪股が最初に感じたのは、政治に対するシラケムードが広がっていることだったと言う。原発安全神話をふりまいてきた人たちへの痛烈な批判にも、脱原発社会への転換の訴えにも、街頭での人びとの反応はイマイチの状態が続いたようだ。私たちは、電話かけでも原発の危険性と脱原発の必要性をアピールした。だが、原発事故への不安は口にするが、さりとて脱原発への積極的な共鳴を感じとるまでにはとても至らなかった。家にいる人のなかで、退職した男性、買い物や健康に不安を覚えている高齢者が多くなっていることも、あるいは関係しているのかもしれない。よく出た疑問は、「原発は危険でも、なくしてしまうと電気が確保できなくなるのでは?」ということだった。もちろん、私たちは、限られた時間のなかで自然エネルギーへの転換や電気をムダ使いする生活の見直しを語ったが。
東京都民を対象にした東京新聞の3月19日付の世論調査では、原発事故に対して「不安」を感じる人が88.1%にのぼるが、「国内の原発をどうすべきか」の問いに対しては「運転しながら安全対策を強化していく」が56.2%と多数を占め、「いったん運転を止め、対応を検討」が25.2%、「やめて、別の発電方法をとる」が14.1%にとどまっていた。そこでは、過疎の町や村の住民がリスクを背負いながら供給する電力をふんだんに使って快適な生活を享受している巨大都市の市民の意識が、端的に示されている。川崎市民の多数派も、やはり同じような意識を持っているのではないか、と感じさせられた。
つまり、原発の危険性をまざまざ見せつけられて、原発事故への関心も不安もひじょうに大きい。しかし、いまは事故が収拾に向かうことを祈る、嵐が頭の上を通り過ぎるのを黙って待つような気分で、次をどうするかを考えたり論じるだけの余裕はない、ということではないか。この立ち止ったままの市民の意識(思考停止中の不安意識)に、どのように働きかけ、揺り動かし、次(どのようなエネルギー、どのような暮らし方や働き方)を共に考えたり論じたりする場を創るのか。脱原発社会の具体的な構想の提示を含めて、課題が見つかったのもたしかである。
「みんなの党」旋風の意味
猪股は、前回より752票減らしたとはいえ6173票を獲得し、6位で当選した(定員9名、最下位当選者は4761票)。知名度の高さ、議会レポートの年4回発行など議員活動への高い評価に加えて、区外の市民運動の活動家の応援も得ての9万5000枚のチラシ入れ、自粛ムードを破っての積極的な街宣活動、1万を越える電話かけの実行など選挙戦をきちんとやり切った成果である。
しかし、脱原発の訴えが大きな共感を呼んで票を増やすということにはならなかった。サプライズは「みんなの党」の27歳の新人候補が、初挑戦で8597票を獲得し、2位で当選したことであった。「みんなの党」は、市議選では川崎市の6区で全員当選(全員新人、うち2つの区でトップ当選)、横浜市で13人当選(新人11人、うち5つの区でトップ当選)、相模原市で4人当選(全員新人)、県議選でも15人当選(うち新人13人、3つの区でトップ当選)と、旋風を起こした。民主党に失望した票が流れ込んだのである。
3月11日の大震災と原発事故以前であれば、河村ブームが波及し、税金のムダ使い批判(議員定数と議員報酬の削減)への共感から「みんなの党」の躍進は十分にありうると、私は予想していた。だが、「みんなの党」は、大震災や原発事故についてはまったく無策で沈黙していた。その党が「まるで大震災も原発事故もなかったかのように」上位当選したことは、選対関係者にはショックであった。原発問題が争点から隠されるなか、若い新人候補の擁立が新鮮に映り、「変化」への期待を取り込んだと思われる。
「みんなの党」の躍進は、民主党だけではなく、市民派をはじき飛ばす結果となった。神奈川ネットは川崎市の4つの区で全員落選し、28年ぶりに議席を失った。横浜市では2つの区で落選、辛うじて1つの区で市議と県議の議席を確保した。前回4議席の横浜ネットは、6人全員(現職3人を含む)が落選した。脱原発の立場に立つ市民派は、大きく後退するひじょうに厳しい結果となり、その存立根拠と基盤、人的な力が根本から問い直されることになった。
これからのこと
今回の地方選挙を、脱原発の大きな社会的うねりを創りだす足がかりにしたいという意図は、必ずしも期待どおりにはいかなかった。しかし、希望も見えた。少なくない若者と子ども連れの女性が、原発事故のパネルの前に立ち止まって見入っていた。若い世代のなかには、脱原発への関心や志向が潜んでいるのではないか。選挙戦終盤では街頭の訴えに共鳴して拍手する人も現われた。選挙戦が終わってすぐに準備されている地域の脱原発の集まりに、どのような人たちが、どれくらい集まってくるのか、楽しみにしている。
脱原発への声や動きが、運動のなかからだけではなく社会の広い場面から出はじめているのも、現在の特徴である。自公民相乗りの上で知事に当選した黒岩は、「脱原発」を訴えたことが勝因とまで語り、太陽光発電の普及を最優先政策にすると述べている。たとえ眉つばであっても、こうした発言は、脱原発の社会的な機運をつくりだす要因の1つになるだろう。
全国あちこちで大小無数の集会やデモが起こって数十万人の大行動が登場すること、福島をはじめ原発を抱える県での住民投票が原発にノーを突きつけ、国民投票での脱原発の意思表示へ向かうこと。こうした目標を達成するために、脱原発社会の構想を具体的に語り論じあう地域の活動とネットワークを創りだすことが重要になると思う。
[なお、脱原発を訴えて新潟市議選(西区)で3位当選し、カムバックを果たした中山均さんの報告もぜひ聞かせてほしい]。