〈「平成」代替りを問う〉連続講座 第2期 第3回
投稿日時 2019/6/29 22:48:49 | トピック: 研究会
| 〈「平成」代替りを問う〉連続講座 第2期 第3回 《安倍政権による、マスコミを意識的に利用した〈天皇教〉の布教活動を許すな!》 ――『ピープルズ・プラン』84号合評会 2019年8月11日(日)14時30分?(開場14時) ■問題提起:天野恵一 (司会・PP研編集委員)井上森(立川自衛隊基地監視テント村) 松井隆志(PP研編集委員)白川真澄(PP研編集長) 米沢薫 (PP研事務局) ■場所:PP研会議室 http://www.peoples-plan.org/jp/modules/tinyd1/index.php?id=5 ■参加費:800円 ■主催・連絡先:PP研 【連絡先】 一般社団法人ピープルズ・プラン研究所 東京都文京区関口1-44-3 信生堂ビル2F 電話: 03-6424-5748 Fax : 03-6426-5749 E-mail: ppsg@jca.apc.org 1995年3月に、かつての「平成天皇」への代替りの一連の儀式について、三権分立(民主主義原則)の理念を大きく裏切り、政府の意向にそった判決は出し続けてきた裁判所ですら、以下のごとき判決を出している。大阪地裁である。 「天皇が神になる儀式であると理解されていた」「宗教的象徴行為」である大嘗祭を中心とする「宗教的観念、神話的イデオロギーを流布する」一連の即位の諸儀式は、「マスコミを意識的に利用した布教活動」であり、違憲の「疑いを一概に否定できない」。「政府の唱える天皇教ともいうべき観念で」人々に同調を強いるのは許されない。 それにもかかわらず安倍政権は、前回同様の〈天皇教の布教活動〉の〈宗教的象徴行為〉を、またくりかえしだしている。この状況へ抗議の大きな声を出すべく『ピープルズ・プラン』(84号)は「〈天皇教〉国家が露出してきた――象徴〈人間〉天皇が、なぜ〈神〉にならなければならないのか?」を特集した。責任編集者(天野)の「特集にあたって」は以下の通り。 2018年11月30日の秋篠宮誕生日(53歳)にこぞって報道された22日に行われていた記者会見で、次の次の天皇になる予定(「皇嗣」になるとは、そういうことだ)のこの男の発言に、「大嘗祭自体は私は絶対にすべきものだと思います」というくだりがあった。ところが、マスコミの多くはそこにあった「内廷費でムダの少ない大嘗祭を」の言葉の方に飛びつき、憲法20条(政教分離原則)をふまえた国の儀礼をという主張であると、天皇家の意思(天皇と相談なしの、発言であるわけはあるまい)をひたすら好意的に論評する言論を生産している。「護憲天皇」一族のムード的政治演出が、さらにくりひろげられているわけだ。そこに浮上している異論は神権天皇主義者の「違憲論」、すなわち即位関連の儀式をまるごと「国事化」したいという御都合主義的論評のみである(憲法破壊のための違憲論!)。秋篠宮が「絶対すべき」ものという「大嘗祭」とはなにか。マスコミでは毎年行われている「新嘗祭」の一回きりの代替り版で「重要な宮中祭祀」という一般的な説明しかしていないが、それは「〈聖なるもの〉を天皇の人格に憑(は)りつける儀式」(戸村政博)であり、天皇が神と向かい合って共食し布団の中で、祖家天照大神と一体化する「万世一系」の神格を手にするための宗教儀式を核として成立している。このことで天霊が新天皇に充填されると信じられているのだ。これがなくしては天皇は一人前の天皇ではないとされる、彼ら(天皇一族と日本の政治支配者)にとっては重要な儀式である。これが宗教儀式以外のなにものでもないことは自明ではないか。そして新天皇が「践祚(せんそ)」(皇位を継承する)ために始まる大量な一連の儀式は、新天皇が「万世一系」の「現人神」になるための儀式であり、「現人神」の象徴天皇を中心においた、天皇の天皇のための儀式である。これらは、すべて高度に宗教的な儀式以外ではないことは、これまた自明である(その意味では大嘗祭だけを特別視する必要などまるでない)。 もし、「政教分離」原則が尊重されるべきなら、大嘗祭はもちろん一連の即位儀礼すべてが、その原則の破壊行為であることがふまえられなければなるまい。皇室の私的費用とされる「内廷費」であれば問題ないなどという言葉に、まどわされてはいけない。「宮廷費」はもちろん「内廷費」も、私たちの支払っている税金(公金)であることに、なにも変わりはないのだ。「私費」だ「私事」だと言ってみせても、国の象徴天皇一族は国家(公)まるがかえであり、その意味では、〈私〉は存在していないのである。このレベルで公私が区別できるとするのは政治的トリックであるにすぎまい。 天皇「代替り」状況とは、象徴(人間)天皇(制)の裏に〈私事〉としてベールがかけられていたもの(皇室祭祀に生きる一族)を全面的に表に露出せざるをえない状況である。象徴(人間)天皇が天皇になるには、神となる儀礼が不可欠なのだ。秋篠宮の「大嘗祭絶対必要」発言はそういう意味だ。戦後日本国家も裏に〈天皇教〉を隠した〈天皇教〉国家であるという真実が大きく露呈する状況、それが代替り(「生前退位」から新天皇「即位」へと向かう)状況の中の最大の問題だ。 私たちは、この問題を正面からみすえて、象徴天皇制批判の言葉を投げつけ続けなければなるまい。ここには、こういう言葉を集め特集とした。 (4月1日は〈象徴天皇教〉の時間支配のイデオロギー装置である一世一元の新元号が、マスコミ仕掛けの大フィーバーの下に発表され、安倍政権の支持率は大きくアップ。4月18日は天皇最後の伊勢参拝の大騒ぎ。「万世一系」の天皇の祖先神天照大神(アマテラスオオミカミ)への退位の報告なのだそうだ。そこには「三種の神器」の「八咫の鏡(やたのかがみ)があるとされている神社だ。それが退位の国家的セレモニーの一環として、公然と行われ、マスコミには政教分離原則からの批判や疑問の声はゼロ。〈象徴天皇教〉は非宗教という、インチキなベールをかぶせて、祭政一致国家(戦後版国家神道)が露出しだしているのだ。ベールをはいで、この事態への正面からの批判を!) 今回は、この「特集」の合評会を試みる。まず天野が責任編集号が提起したトータルな問題を確認し、そこから生まれた、積み残した課題について、松井・米沢は自分たちの論じた問題の延長線にある課題について論ずる。 白川は編集の内側の位置から井上は外部の位置から、特集全体について批評する。
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