[『季刊ピープルズ・プラン』48号・研究会/プロジェクト報告]
戦後研究会
7月までの研究会の流れで、8月以降も「小田実シリーズ」となった。8月は前回予告のとおり、小田実を語るのに欠かせない「難死の思想」を取り上げた。「難死」と「散華」の対比もされているが、論文の中心的な軸となっているのは「公状況」と「私状況」の関係である。「私状況」のみに沈潜することを小田は肯定しなかったものの、1965年当時にふたたび大手を振って登場するようになった「ナショナリズム」に対して、「『公状況』的なものを『私状況』にたえずくり返してくぐらせることが必要」だと述べる彼のスタンスは、その後のべ平連にはもちろん、現在の状況にも有益な主張であろう。
「難死の思想」はさまざまな本に収録されているが、この時代の小田の思想を論ずるには同時期(1965年)に刊行された『戦後を拓く思想』(講談社)を読むのが良いだろうということで、9月はこれを読んだ。狭義の政治的主張だけではなく、映画や文学なども幅広く論じていて面白いという感想だった。べ平連結成直前の論文集であり、「べ平連以前の小田実」とその後につながる彼の前提が確認できる本だと言えよう。前月同様、現在読んでも有益な指摘がある一方で、アメリカの沖縄統治に対する「日本人」としての怒りなど、ナショナリズムに対してはやや素朴な認識も見られる。
10月は『戦後を拓く思想』以前の著作であり、小田のナショナリズム認識を示すものということで、『日本の知識人』(筑摩書房・一九六四年)を取り上げた。「西洋」とインドと日本を対比しながら、近代化と大衆化のタイミングおよび植民地化の有無という条件の違いから、「知識人」あるいは「思想」といったものの社会的位置や機能について論じている。近代化の図式はやや素朴ではあるが、面白い議論だった。
そして11月はさらに遡り、小田の実質的デビュー作である『何でも見てやろう』(1961年)を読んだ。あまりに有名な世界貧乏旅行エッセイであるが、随所に『日本の知識人』を経て『戦後を拓く思想』からべ平連の活動にまでつながる認識が見て取れる。軟派文化にして内側あるいは下から現実を体験するというあり方は、小田実を理解するのに忘れてはならないだろうという話が出た。
次回は1ヶ月飛んで年明け1月13日に、上山春平の『大東亜戦争の意味』または『大東亜戦争の遺産』(中央公論社)を読む。先に書いた、1960年代前半のナショナリズム論および近代化論の確認という問題意識からだ。小田実についても初期の小説などを今後も取り上げる予定だ。興味ある方の参加をお待ちしています。
(松井隆志)