[『季刊ピープルズ・プラン』53号・研究会/プロジェクト報告]
戦後研究会
これまで近代化論をテーマとして文献をとりあげてきた。前回最後に扱ったのは、山之内靖ほか編『総力戦と現代化』(柏書房・一九九五年)の第一部(その中の二論文)。せっかくなので続きも読んでしまおうということになり、同書の第二部・第三部からもいくつか論文を選ぶこととなった。
一二月に、第二部から、ヴィクター・コシュマン「規律的規範としての資本主義の精神」、杉山光信「『市民社会』論と戦時動員」、成田龍一「母の国の女たち」を読んだ。そして年明け一月に、第三部から雨宮昭一「既成勢力の自己革新とグライヒシャルトゥング」、岡崎哲二「日本の戦時経済と政府-企業間関係の発展」、佐口和郎「産業報国会の歴史的位置」を取り上げた。
それなりに面白いという感想が出た論文もあれば、図式的すぎるとか内容的にいまひとつというものもあった。ここで各論文に対するすべての議論を紹介する余裕はないが、繰り返し議論になったのは、一五年前に本書が出されたことの文脈についてであった。
一冊の本にもかかわらず論文によっては枠組みが共有されていないものもあるとの感想も出たが、大きく言えば、戦後日本社会を戦時体制との連続性で捉えそれを批判するという方向性になっているだろう。そのこと自体は理解できるものの、そうした問題設定自体が、全共闘以来の戦後民主主義批判・近代主義批判の中で八〇年代までにすでに論じられており、それらが踏まえられていないのではないかという批判が出た。また戦時体制と九〇年ごろまでを一続きに直結させがちで、戦後の展開(とくに「社会」の側面)のいくつかの重要な要素を見落とさせる結果になってしまっているのではないか。そうした議論が出されたように思う。
さて近代化論のシリーズはこれで一段落して、予告どおり二月から、構造改革派/論をめぐるシリーズに着手した。これは、近代化論を踏まえ、高度成長を迎えた資本主義社会を「左翼」の側がどう捉えたのかという問題意識が一つ。もう一つの関心としては、共産党中央かブントかという二者択一的に整理されがちな戦後左翼運動史を再構成しようというものだ。両者の関心は絡み合っているように私には思われる。
文献としては、手始めに佐藤昇『現代帝国主義と構造改革』(青木書店・一九六一年)を読んだ。高度成長を甘くみていたという指摘も出たが、当時としてはそれなりに「資本主義の高度化」を直視しようとした著作であっただろう。また日本帝国主義の自立・従属論争に対しても、政治的従属と経済的従属を分け、経済的従属はしていないとするなど現在でも参考になる適切な指摘をしている。
しかし、肝心の構造改革(構造改良)を可能にする前提条件として、世界的な社会主義化の必然論とソ連の平和共存路線が想定されており、経済成長を無批判に是とする生産力主義とあいまって、その後の六〇年代の展開に耐えられない理論構造であったと指摘された。
今後もしばらく構造改革論/派の文献を扱っていく予定である。次回は三月三〇日に、前記佐藤に加え梅本克己・丸山真男で行われた『現代日本の革新思想』(河出書房、後に『戦後日本の革新思想』として現代の理論社より増補)を読む。本シリーズへの興味を持たれた方など、ぜひ事務局に問い合わせていただきたい。
(松井隆志)