オルタ提言の会(仮称)
第2回
2009年7月20日
問題提起? 女性と労働
◎発言者:伊藤みどり
「働く女性全国センター」の伊藤です。私自身はいま50代半ばで、30年近く女性と労働の問題にかかわってきて、ここまで雇用破壊が進みぼろぼろの状況のなかで、もう同じこと繰り返していてもだめだなと、ちょっと立ち止まって、なるべく考えるようにしています。だからオルタナティブ提言ができるほどの結論があるわけではありません。
◆「働くのが怖い」という発言
2007年1月に働く女性の全国センターを結成しました。なぜ結成したかというと、1990年代に、女性ユニオンが東京を中心に北海道から仙台、東京、神奈川、新潟、大阪、名古屋と作られていき、同時にワーキングウィメンズネットワークとか働く女性の人権センター「いこーる」といった、女性の賃金差別や性差別を闘うNGOがいくつも生まれてきました。それらは一つ一つとても質の高いことに取り組みながら、社会的影響力がなかなか大きくならないということでずっと悩んでいた。そこをつなげていく必要があるのではないか、また労働組合に入ることすらできない、組合にまで辿り着けないほど雇用が破壊されてくるという状況のなかでますます孤立している女性労働者と労働組合のかけはしになるような、女性たちがエンパワーメントしてつながっていくようなセンターを作りたいと考えました。それだ、女性と労働にこだわってきた人たちをつないで、働く女性の全国センターを作りました。
その3回目の総会が今年開かれ、テーマは「女性の貧困を見えるものに」「ゆっくり生きて関係をゆたかに」。反貧困運動が、労働団体のさまざまな垣根を越えて、多重債務のグループとか、生活保護とか、ホームレス支援とか、シングルマザーのグループとか、今まで労働運動からはじきとばされてきた人たちと一緒に取り組まれてきたんですが、男性の貧困が社会問題になる状況のなかで、「いま、男も大変なんだから、性差別とかそんなこといつまでも言ってるのおかしいよ」というような言葉で、女性の貧困が消されていくという状況がありました。
この総会の様子はその後、あちこちで取り上げられました。というのは、20代、30代の女性たちが一様に、例外なく「働くのが怖い」という話をしたんです。また、ホームレス支援をしている女性が「賃労働は暴力である」と発言した。私たちがあらためて気づいたのは、今の若い世代にとっては、労働現場は最初から沸騰しているお湯のような現状だということです。フリーターズフリーの栗田隆子さんの言葉を引用すると、もともと学校でいじめにあって傷ついた心に、また職場で塩を塗られるような現状です。そういった現状を多くの若者がもっています。
それに対して50代、あるいはリタイアした人たちは非常に衝撃を受けました。自分たちのこれまでの人生を否定されたように感じたわけです。自分たちは、貧乏から抜け出すために働く権利を求めて必死になって働いてきた。ところがいまの20代、30代の人たちにとっては賃労働は暴力だという。発言を聞いて非常にギャップを感じたとか、非正規労働の問題や同一価値労働同一賃金の問題が議論されると思ってきたのに、と多種多様な意見が出た。そのくらい働く現場が様変わりしてきたと感じたわけです。
私自身は50代ですが、まったく違和感を感じませんでした。電話相談などで、本当に理屈ぬきに傷ついた人たちからの相談を受けてきた。そういう人たちがここ数年劇的に増えてきたと感じていました。むしろ、ずっと運動をやってきた人たちとの間にギャップが出てきたのだと実感したわけです。
◆労働の破壊状況――3つの敗北
日本の労働の破壊状況を見たときに、一番言えることは、日本の運動が非正規雇用の組織化と女性の組織化に完全に失敗してきたということです。それは誰も否定できないと思います。1960年代から80年代を振り返れば、アジア諸国が軍事政権だったときに、日本の労働運動は高度経済成長期に乗っかってグローバル視点をもたず、一人浮かれていたと思うんです。1985年が、新自由主義が日本に定着していく分岐点だったと思います。男女雇用機会均等法は女性差別撤廃条約を日本が批准するために作られたものですが、このときに女性たちは「ぶっつぶせ、均等法」と行動を起こしたけれども、労働運動全体としては取り組まれなかった。
同じ年に、労働者派遣法が作られました。それから年金制度での第3号被保険者制度という専業主婦優遇政策が導入されました。民主党はマニフェストで配偶者控除を撤廃するといっていて、専業主婦が増税になるのではないかとかいろいろ言われていますが、私自身はずっと配偶者控除撤廃と言ってきましたが。こういう標準家族モデルで男が働き女が家事労働を支えるという構造の中で、女性労働を安く買い叩きながら、新自由主義的なグローバル経済に対応する日本経済を作っていこうという戦略のなかで、均等法、派遣法、第3号年金被保険者制度、介護保険制度が作られてきたのが、この24年間です。
均等法に関して言えば、パートならパートというように、雇用管理区分ごとに平等であればいいという形で、女性たちが分断されて、競わされていく。1985年当時女性労働者の68.7%が正社員だったのが完全に逆転して、今は55.2%が非正社員になっています。これが現状が作られてきた第一の大きな敗北だと思います。
第二の敗北は労働時間の規制緩和の法改正(変形労働時間制、裁量労働時間性の導入など)です。1999年、女性の深夜勤務が解禁されました。法改正の時期に女もタクシードライバーをやりたいというデモが起きた。女性の職種が広がることによって女性の地位が向上するんじゃないか。これが誤りであることははっきりしてくるわけですけれども、当時の多数意見では女性の職域が深夜勤解禁によって男性並みになることによって、女性の地位も上がるのではないかと思われていた。ところが結果は、男性はますます長時間になり、女性も男性並みに評価されたいのであれば深夜勤務はいやだとか言ってはいられないぞと、労働時間総体が男も女も延びてきました。
第3の敗北ですが――これは少数意見だと思いますが――、2007年に労働契約法を成立させてしまったことが、集団的労使関係を作っていくという可能性をせばめてしまった。つまり集団的な労働条件決定システムではなくて個別的な労働条件決定システムに移った。合意形成ではなくて、多数決優先主義です。多数決は民主主義だと、私は思っていません。少数者を排除していくことの合法化が労働契約法で作られてしまった。労働弁護士のなかでも意見が割れて多数は賛成でしたし、労働組合は個別紛争がこれだけ増えてきたんだから、一人でも救われればいいんじゃないか、と。
その結果、今どうなっているかというと、職場の状況は変わらず、個人へは口止め料として金銭和解の方向に向かっています。今まで私が体験した労働審判のなかで、判決をもらったのは一例もなくて全部和解です。3回で終わる。経営者にとっては、団体交渉より安上がりだし、職場を改善しなくても済むわけです。たとえば派遣会社が違法派遣をやっていたとしても、労働審判は職場の改善は求めないで個別決裁で終っちゃう。だからますます個別救済の方向となり、同じような犠牲者がなくなりません。嫌だって言っても「判決もらってもあなたが損するだけですよ」と、とにかく和解へ持っていかれる。判決が出なければ判例としても残らないし、職場は改善されません。
この3つの歴史的大敗北で、労働の場が激変したと思います。労働者が団結することができなくなってきたと思います。
職場の人権破壊を示すために、脳・心臓疾患と精神障害の対比の表を作りました。労働相談は社会の縮図と言っていい。1999年、深夜勤解禁が施行された年から病気の相談が急増している。政府統計の精神疾患、労災認定件数とすごく連動しています。
それと、労働組合がいかにどうしようもなくなってきたかを表すものとして、労働相談件数が2007年に100万件を突破している。100万件の労働相談件数は、もう普通の人たちが相談に行かざるをえないという現実を示しているにもかかわらず、労働組合組織率は2006年全体で18.2%、パートが4.3%、派遣が5.9%。全体の18%のうち女性だけでは5%台です。いかにフリーター労組とか小さなインディーズ系労働組合が頑張っているといっても、影響力という点では、限られた人びとに知られているだけで、ほとんどの人たちが届いていないという状況です。
「労働争議調整事件における合同労組事件状況と女性ユニオン」の表があります。全国の1年間の労働争議調整事件で労働委員会への新規申し立て件数は、559件しか持ち込まれていない。地方によっては1件も持ち込まれていない労働委員会もある。そのなかで組合員200人前後という女性ユニオンが3%も占めている。これは何を意味するか。もし労働三権(団結権、団体交渉権、団体行動権)をすべての労働組合が行使したらもっといろいろなことができるのに、いかに労働委員会が形骸化して使われていないかということです。1995年に女性ユニオンを立ち上げたときには、セクハラ事件を持ち込んでも、労働委員はセクハラなんてまったく分からなかった。でも私たちにわーわー言われて鍛えられて、セクハラ事件もしぶしぶですけどれも取り組むようになった。私たちが持ち込むことによって、労働委員とケンカもしながら、でも現場でどんなことが起こっているかを知ってもらって、お互いに成長していく。労働三権を駆使すればできることはもっとあるんです。でもお金のある大きな組合が頑張らない。そういうことが今の労働組合の社会的影響力という意味で非常に厳しい現状になってきている原因だと思います。
◆提案――「女性と貧困ネットワーク」立ち上げ集会から
最後に、「女性と貧困ネットワーク」の立ち上げ集会の2008年9月28日付けの宣言文のなかで、3つの提言をしています。第一に、「男が妻子を養わなければならない」という性別役割分業の認識がいっそう男性を追い詰めていることに気づこう。第二に、女性の貧困を可視化し、女性が心身ともに自立できる労働とセーフティネットを充実させることが、男性の貧困問題の解決につながる。第三に、男並みになるのではない働き方を作り出していこう。男性中心の労働のイメージと現実を変えて、女性も男性も「賃労働者」としてだけではない「生活者」として生きる姿を示していこう、ということです。
第2回
2009年7月20日
問題提起? 女性と労働
◎発言者:伊藤みどり
「働く女性全国センター」の伊藤です。私自身はいま50代半ばで、30年近く女性と労働の問題にかかわってきて、ここまで雇用破壊が進みぼろぼろの状況のなかで、もう同じこと繰り返していてもだめだなと、ちょっと立ち止まって、なるべく考えるようにしています。だからオルタナティブ提言ができるほどの結論があるわけではありません。
◆「働くのが怖い」という発言
2007年1月に働く女性の全国センターを結成しました。なぜ結成したかというと、1990年代に、女性ユニオンが東京を中心に北海道から仙台、東京、神奈川、新潟、大阪、名古屋と作られていき、同時にワーキングウィメンズネットワークとか働く女性の人権センター「いこーる」といった、女性の賃金差別や性差別を闘うNGOがいくつも生まれてきました。それらは一つ一つとても質の高いことに取り組みながら、社会的影響力がなかなか大きくならないということでずっと悩んでいた。そこをつなげていく必要があるのではないか、また労働組合に入ることすらできない、組合にまで辿り着けないほど雇用が破壊されてくるという状況のなかでますます孤立している女性労働者と労働組合のかけはしになるような、女性たちがエンパワーメントしてつながっていくようなセンターを作りたいと考えました。それだ、女性と労働にこだわってきた人たちをつないで、働く女性の全国センターを作りました。
その3回目の総会が今年開かれ、テーマは「女性の貧困を見えるものに」「ゆっくり生きて関係をゆたかに」。反貧困運動が、労働団体のさまざまな垣根を越えて、多重債務のグループとか、生活保護とか、ホームレス支援とか、シングルマザーのグループとか、今まで労働運動からはじきとばされてきた人たちと一緒に取り組まれてきたんですが、男性の貧困が社会問題になる状況のなかで、「いま、男も大変なんだから、性差別とかそんなこといつまでも言ってるのおかしいよ」というような言葉で、女性の貧困が消されていくという状況がありました。
この総会の様子はその後、あちこちで取り上げられました。というのは、20代、30代の女性たちが一様に、例外なく「働くのが怖い」という話をしたんです。また、ホームレス支援をしている女性が「賃労働は暴力である」と発言した。私たちがあらためて気づいたのは、今の若い世代にとっては、労働現場は最初から沸騰しているお湯のような現状だということです。フリーターズフリーの栗田隆子さんの言葉を引用すると、もともと学校でいじめにあって傷ついた心に、また職場で塩を塗られるような現状です。そういった現状を多くの若者がもっています。
それに対して50代、あるいはリタイアした人たちは非常に衝撃を受けました。自分たちのこれまでの人生を否定されたように感じたわけです。自分たちは、貧乏から抜け出すために働く権利を求めて必死になって働いてきた。ところがいまの20代、30代の人たちにとっては賃労働は暴力だという。発言を聞いて非常にギャップを感じたとか、非正規労働の問題や同一価値労働同一賃金の問題が議論されると思ってきたのに、と多種多様な意見が出た。そのくらい働く現場が様変わりしてきたと感じたわけです。
私自身は50代ですが、まったく違和感を感じませんでした。電話相談などで、本当に理屈ぬきに傷ついた人たちからの相談を受けてきた。そういう人たちがここ数年劇的に増えてきたと感じていました。むしろ、ずっと運動をやってきた人たちとの間にギャップが出てきたのだと実感したわけです。
◆労働の破壊状況――3つの敗北
日本の労働の破壊状況を見たときに、一番言えることは、日本の運動が非正規雇用の組織化と女性の組織化に完全に失敗してきたということです。それは誰も否定できないと思います。1960年代から80年代を振り返れば、アジア諸国が軍事政権だったときに、日本の労働運動は高度経済成長期に乗っかってグローバル視点をもたず、一人浮かれていたと思うんです。1985年が、新自由主義が日本に定着していく分岐点だったと思います。男女雇用機会均等法は女性差別撤廃条約を日本が批准するために作られたものですが、このときに女性たちは「ぶっつぶせ、均等法」と行動を起こしたけれども、労働運動全体としては取り組まれなかった。
同じ年に、労働者派遣法が作られました。それから年金制度での第3号被保険者制度という専業主婦優遇政策が導入されました。民主党はマニフェストで配偶者控除を撤廃するといっていて、専業主婦が増税になるのではないかとかいろいろ言われていますが、私自身はずっと配偶者控除撤廃と言ってきましたが。こういう標準家族モデルで男が働き女が家事労働を支えるという構造の中で、女性労働を安く買い叩きながら、新自由主義的なグローバル経済に対応する日本経済を作っていこうという戦略のなかで、均等法、派遣法、第3号年金被保険者制度、介護保険制度が作られてきたのが、この24年間です。
均等法に関して言えば、パートならパートというように、雇用管理区分ごとに平等であればいいという形で、女性たちが分断されて、競わされていく。1985年当時女性労働者の68.7%が正社員だったのが完全に逆転して、今は55.2%が非正社員になっています。これが現状が作られてきた第一の大きな敗北だと思います。
第二の敗北は労働時間の規制緩和の法改正(変形労働時間制、裁量労働時間性の導入など)です。1999年、女性の深夜勤務が解禁されました。法改正の時期に女もタクシードライバーをやりたいというデモが起きた。女性の職種が広がることによって女性の地位が向上するんじゃないか。これが誤りであることははっきりしてくるわけですけれども、当時の多数意見では女性の職域が深夜勤解禁によって男性並みになることによって、女性の地位も上がるのではないかと思われていた。ところが結果は、男性はますます長時間になり、女性も男性並みに評価されたいのであれば深夜勤務はいやだとか言ってはいられないぞと、労働時間総体が男も女も延びてきました。
第3の敗北ですが――これは少数意見だと思いますが――、2007年に労働契約法を成立させてしまったことが、集団的労使関係を作っていくという可能性をせばめてしまった。つまり集団的な労働条件決定システムではなくて個別的な労働条件決定システムに移った。合意形成ではなくて、多数決優先主義です。多数決は民主主義だと、私は思っていません。少数者を排除していくことの合法化が労働契約法で作られてしまった。労働弁護士のなかでも意見が割れて多数は賛成でしたし、労働組合は個別紛争がこれだけ増えてきたんだから、一人でも救われればいいんじゃないか、と。
その結果、今どうなっているかというと、職場の状況は変わらず、個人へは口止め料として金銭和解の方向に向かっています。今まで私が体験した労働審判のなかで、判決をもらったのは一例もなくて全部和解です。3回で終わる。経営者にとっては、団体交渉より安上がりだし、職場を改善しなくても済むわけです。たとえば派遣会社が違法派遣をやっていたとしても、労働審判は職場の改善は求めないで個別決裁で終っちゃう。だからますます個別救済の方向となり、同じような犠牲者がなくなりません。嫌だって言っても「判決もらってもあなたが損するだけですよ」と、とにかく和解へ持っていかれる。判決が出なければ判例としても残らないし、職場は改善されません。
この3つの歴史的大敗北で、労働の場が激変したと思います。労働者が団結することができなくなってきたと思います。
職場の人権破壊を示すために、脳・心臓疾患と精神障害の対比の表を作りました。労働相談は社会の縮図と言っていい。1999年、深夜勤解禁が施行された年から病気の相談が急増している。政府統計の精神疾患、労災認定件数とすごく連動しています。
それと、労働組合がいかにどうしようもなくなってきたかを表すものとして、労働相談件数が2007年に100万件を突破している。100万件の労働相談件数は、もう普通の人たちが相談に行かざるをえないという現実を示しているにもかかわらず、労働組合組織率は2006年全体で18.2%、パートが4.3%、派遣が5.9%。全体の18%のうち女性だけでは5%台です。いかにフリーター労組とか小さなインディーズ系労働組合が頑張っているといっても、影響力という点では、限られた人びとに知られているだけで、ほとんどの人たちが届いていないという状況です。
「労働争議調整事件における合同労組事件状況と女性ユニオン」の表があります。全国の1年間の労働争議調整事件で労働委員会への新規申し立て件数は、559件しか持ち込まれていない。地方によっては1件も持ち込まれていない労働委員会もある。そのなかで組合員200人前後という女性ユニオンが3%も占めている。これは何を意味するか。もし労働三権(団結権、団体交渉権、団体行動権)をすべての労働組合が行使したらもっといろいろなことができるのに、いかに労働委員会が形骸化して使われていないかということです。1995年に女性ユニオンを立ち上げたときには、セクハラ事件を持ち込んでも、労働委員はセクハラなんてまったく分からなかった。でも私たちにわーわー言われて鍛えられて、セクハラ事件もしぶしぶですけどれも取り組むようになった。私たちが持ち込むことによって、労働委員とケンカもしながら、でも現場でどんなことが起こっているかを知ってもらって、お互いに成長していく。労働三権を駆使すればできることはもっとあるんです。でもお金のある大きな組合が頑張らない。そういうことが今の労働組合の社会的影響力という意味で非常に厳しい現状になってきている原因だと思います。
◆提案――「女性と貧困ネットワーク」立ち上げ集会から
最後に、「女性と貧困ネットワーク」の立ち上げ集会の2008年9月28日付けの宣言文のなかで、3つの提言をしています。第一に、「男が妻子を養わなければならない」という性別役割分業の認識がいっそう男性を追い詰めていることに気づこう。第二に、女性の貧困を可視化し、女性が心身ともに自立できる労働とセーフティネットを充実させることが、男性の貧困問題の解決につながる。第三に、男並みになるのではない働き方を作り出していこう。男性中心の労働のイメージと現実を変えて、女性も男性も「賃労働者」としてだけではない「生活者」として生きる姿を示していこう、ということです。
投票数:32
平均点:6.25
第1回 議論の報告(PP研7月25日開催総会資料より) |
議事録 |
第2回 問題提起?:雇用をめぐるいくつかの論点/白川真澄(2009年7月) |