『季刊ピープルズ・プラン』49号掲載
ジェンダー視点からオルタナティブ社会を考える
世界社会フォーラム・首都圏(WSF2010 in TOKYO)
分科会報告 2010年1月24日
日本の男女平等政策と女性運動―なぜ性差別解消が進まないのか
船橋邦子(和光大学教員)
私は52歳で大学の専任教員に就くまでずっと非常勤で仕事をしていました。大学闘争の延長線上で女性学と出あい、女性学は「行動する学」として1970年代から、「アジアの女たちの会」や「日本女性学会」で30年以上活動してきました。ですから研究者というより活動家です。今日は、なぜ日本では性差別解消が進まないのか、について制度面に焦点をあててお話したいと思います。もちろん、「制度化」によって進んだ点を評価しないわけではありません。が、今日は制度化の問題に焦点を当て、検証することで今後の課題を探っていきたいと思います。
配布しました資料にありますように性差別解消は日本では遅々として進んでいません。昨年七月、国連女性差別撤廃委員会は日本政府に対して性差別撤廃のためには目標値を決めて差別を是正するための暫定的措置を取ることなど、いくつかの勧告を出しました。世界経済フォーラムが発表した2008年のGGI(ジェンダーギャップ指数)は世界一30ヵ国中九八位です。いかに日本の男女間格差が大きいかを示しています。
この現状を踏まえて日本でのジェンダー平等政策を時系列的に見ていきますと、女性差別撤廃条約が国連で採択された1979年には「家庭基盤充実政策」のなかで「日本型福祉社会」が提唱され、1980年には「保育基本法」で「育児の家庭原則」が謳われました。また民法改正で配偶者相続権が強化され、1985年国民年金法改正で被扶養者の妻の保険料免除が決まっています。その意味では男女共同参画政策は「家族を解体する」という批判がありましたが、男女共同参画はつねに性別分業体制強化の家族政策とセットで進んできたと言えます。労働運動もまた、性別分業への視点はまったくなく、一九八一年の総評春闘では、「かあちゃん内職、それでも赤字、とうちゃん、がんばれ81春闘」なんて標語があったぐらいです。
次に男女雇用機会均等法(以下均等法)が制定された1985年に「労働者派遣法」が制定されたことは極めて重要です。均等法は「私たちの男女雇用平等法をつくる会」がつくった「結果の平等」を含めた「男女平等法」から後退し、「保護なき(名目上の)機会の平等」に限定されたものとなってしまいました。弁護士の中島通子さんは「人権が経済に押しつぶされた」と書いておられます。均等法の適用対象になる女性はきわめて限られ、女性たちは男性並みに働くことを強いられました。均等法の成立を境に、「一般職」とされた女性の非正規雇用化が進んだように思います。
1990年代は、女性運動の大きな前進によって、ジェンダー平等への動きがいっそう世界的に活発化した時期です。1991年には、元従軍「慰安婦」だった女性が名乗りを上げて、「慰安婦」問題が顕在化、一九九四年にはリプロダクティブ・ヘルス/ライツが「カイロ行動計画」によって導入されました。1995年の北京女性会議の『北京行動綱領』には「ジェンダー」「ジェンダーの主流化」がちりばめられ、日本でも政府や自治体の政策課題として位置づけられるようになりました。全国的に女性センターの設立が始まり、女性の活動拠点は、面的・量的に広がります。自治体には担当窓口が設けられ、行動計画を策定する自治体も急増します。しかし、ここでも固定的性別役割意識の是正が優先課題とされたものの、性別分業体制を変えていく制度の改革はまったく明記されませんでした。つまりシステムの改革、制度化より、心がけの問題としてジェンダー平等政策は展開してきたといえます。
また1999年「男女共同参画社会基本法」の問題です。その前文において「男女共同参画社会の実現」は「少子高齢化の進展、国内経済活動の成熟等我が国の社会経済情勢の急速な変化に対応していく上で」「緊要な課題」としています。つまり日本社会にとっていわば国益として必要だと明言し、「男女共同参画政策」は「少子化対策」と一体化してきたことです。また同法には差別の定義もありません。性差別禁止法ではないことが指摘できます。この法律は、小泉政権の新自由主義政策による労働の規制緩和とともに進んだために自己責任を強調して女性間の選別を進め、「女女格差」を広げてきました。その意味では基本法以降、女性の社会参加は、労働力の調節弁として差別的な低賃金で戦後の経済成長を支えてきた働き方での社会参加であり、基本法は性差別解消というより一層労働現場での性差別を深刻化してきた。と同時にリベラルフェミニズムとニューリベラリズムの親和性のもつ問題も論議が必要だと考えています。
最後に、性別役割意識の是正にとどまらず、性別分業体制を変えるための政策、たとえば労働の基準を変えること。労働者の権利保障、ワークシェアリング、ディーセントワーク(まともな人間らしい労働)のありかた、同一価値労働同一報酬(ペイ・エクイティ)の原則も重要です。社会保障制度を世帯単位から個人単位の社会システムへと移行すること、また無償労働の評価を検討し、「時は金なり」という価値観を変えていくことなどを指摘し、議論していただければと思います。
(ふなはし くにこ)
ジェンダー視点からオルタナティブ社会を考える
世界社会フォーラム・首都圏(WSF2010 in TOKYO)
分科会報告 2010年1月24日
日本の男女平等政策と女性運動―なぜ性差別解消が進まないのか
船橋邦子(和光大学教員)
私は52歳で大学の専任教員に就くまでずっと非常勤で仕事をしていました。大学闘争の延長線上で女性学と出あい、女性学は「行動する学」として1970年代から、「アジアの女たちの会」や「日本女性学会」で30年以上活動してきました。ですから研究者というより活動家です。今日は、なぜ日本では性差別解消が進まないのか、について制度面に焦点をあててお話したいと思います。もちろん、「制度化」によって進んだ点を評価しないわけではありません。が、今日は制度化の問題に焦点を当て、検証することで今後の課題を探っていきたいと思います。
配布しました資料にありますように性差別解消は日本では遅々として進んでいません。昨年七月、国連女性差別撤廃委員会は日本政府に対して性差別撤廃のためには目標値を決めて差別を是正するための暫定的措置を取ることなど、いくつかの勧告を出しました。世界経済フォーラムが発表した2008年のGGI(ジェンダーギャップ指数)は世界一30ヵ国中九八位です。いかに日本の男女間格差が大きいかを示しています。
この現状を踏まえて日本でのジェンダー平等政策を時系列的に見ていきますと、女性差別撤廃条約が国連で採択された1979年には「家庭基盤充実政策」のなかで「日本型福祉社会」が提唱され、1980年には「保育基本法」で「育児の家庭原則」が謳われました。また民法改正で配偶者相続権が強化され、1985年国民年金法改正で被扶養者の妻の保険料免除が決まっています。その意味では男女共同参画政策は「家族を解体する」という批判がありましたが、男女共同参画はつねに性別分業体制強化の家族政策とセットで進んできたと言えます。労働運動もまた、性別分業への視点はまったくなく、一九八一年の総評春闘では、「かあちゃん内職、それでも赤字、とうちゃん、がんばれ81春闘」なんて標語があったぐらいです。
次に男女雇用機会均等法(以下均等法)が制定された1985年に「労働者派遣法」が制定されたことは極めて重要です。均等法は「私たちの男女雇用平等法をつくる会」がつくった「結果の平等」を含めた「男女平等法」から後退し、「保護なき(名目上の)機会の平等」に限定されたものとなってしまいました。弁護士の中島通子さんは「人権が経済に押しつぶされた」と書いておられます。均等法の適用対象になる女性はきわめて限られ、女性たちは男性並みに働くことを強いられました。均等法の成立を境に、「一般職」とされた女性の非正規雇用化が進んだように思います。
1990年代は、女性運動の大きな前進によって、ジェンダー平等への動きがいっそう世界的に活発化した時期です。1991年には、元従軍「慰安婦」だった女性が名乗りを上げて、「慰安婦」問題が顕在化、一九九四年にはリプロダクティブ・ヘルス/ライツが「カイロ行動計画」によって導入されました。1995年の北京女性会議の『北京行動綱領』には「ジェンダー」「ジェンダーの主流化」がちりばめられ、日本でも政府や自治体の政策課題として位置づけられるようになりました。全国的に女性センターの設立が始まり、女性の活動拠点は、面的・量的に広がります。自治体には担当窓口が設けられ、行動計画を策定する自治体も急増します。しかし、ここでも固定的性別役割意識の是正が優先課題とされたものの、性別分業体制を変えていく制度の改革はまったく明記されませんでした。つまりシステムの改革、制度化より、心がけの問題としてジェンダー平等政策は展開してきたといえます。
また1999年「男女共同参画社会基本法」の問題です。その前文において「男女共同参画社会の実現」は「少子高齢化の進展、国内経済活動の成熟等我が国の社会経済情勢の急速な変化に対応していく上で」「緊要な課題」としています。つまり日本社会にとっていわば国益として必要だと明言し、「男女共同参画政策」は「少子化対策」と一体化してきたことです。また同法には差別の定義もありません。性差別禁止法ではないことが指摘できます。この法律は、小泉政権の新自由主義政策による労働の規制緩和とともに進んだために自己責任を強調して女性間の選別を進め、「女女格差」を広げてきました。その意味では基本法以降、女性の社会参加は、労働力の調節弁として差別的な低賃金で戦後の経済成長を支えてきた働き方での社会参加であり、基本法は性差別解消というより一層労働現場での性差別を深刻化してきた。と同時にリベラルフェミニズムとニューリベラリズムの親和性のもつ問題も論議が必要だと考えています。
最後に、性別役割意識の是正にとどまらず、性別分業体制を変えるための政策、たとえば労働の基準を変えること。労働者の権利保障、ワークシェアリング、ディーセントワーク(まともな人間らしい労働)のありかた、同一価値労働同一報酬(ペイ・エクイティ)の原則も重要です。社会保障制度を世帯単位から個人単位の社会システムへと移行すること、また無償労働の評価を検討し、「時は金なり」という価値観を変えていくことなどを指摘し、議論していただければと思います。
(ふなはし くにこ)
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