『季刊ピープルズ・プラン』57号(2012年3月31日号)
【リレー連載】『根本(もと)から変えよう!』を読む 2
さっぽろ自由学校「遊」での読書会報告
細谷洋子
読書会をしよう
さっぽろ自由学校「遊」は、ここ数年、一年を前期と後期の二期に分けて講座を開講している。前期講座では間にあわなかったが、一〇月開講の後期講座には、東北大震災であらわになった問題に向き合わなくてはならないと考えていた。
東北大震災、とりわけ福島第一原発事故による災害は、単なるエネルギーの問題ではない、これまでの日本社会のあり方そのものが問われている、という認識は企画メンバーの中で共有されていたものの、どんな切り口から取り組めばいいのか、文明論的総括なんていったいどうしたらいいのというのが実感だった。長期的な取り組みが必要な課題であり、今年度はまず「変わる! 変える! 暮らしとエネルギー」「奪われた郷土・フクシマ・からのメッセージ」の二講座を開講することになった。
しかし、これだけでは象の鼻先をなでているようなものだと内心忸怩たる思いでいた時に、『根本から変えよう!』が出版され、後期講座企画の一つとして読書会をすることになった。
時宜を得た出版だと思う。日本という国の今を全体として捉え、向かうべき方向を提示する。まさに今求められていることなのだが、読書会の集まりはかんばしくなかった。装丁が地味過ぎてあまり魅かれない、読みにくい、硬いなどの印象のせいもあるだろうか。ともあれ、今この問題提起を受け止めて考えようという八人でスタートした。
6つの柱と12の提言
「遊」では一昨年から二年間「北海道の未来構想」プロジェクトにとりくみ、教育や環境、アイヌ民族など九つのジャンルに分けて、不十分ながら北海道の未来に向けての提言をまとめたが、これは北海道版の「根本から変えよう!」だったのだと今にして思ったりした。その意味でテキストがあるというのはとてもありがたいが、構成順に前から読んでいくのが分かりやすいつくりの本ではない。
「何を根本的に変えるのか」の6つの柱を、各回一つずつ議論していくこととし、「12の提言」や「さまざまな分野からの提言」は、各柱に関連する部分を読んで参加するというスタイルで進めている。が、分担するにあたって、6つの柱と「12の提言」が必ずしも連動しているわけではないことや、参加者が強い関心を持っている教育、障がい者差別、生存権などの問題領域がどの柱に含まれるのかがはっきりしないという難しさがあった。「あとがき」によれば、A 日本社会の現状と問題点、B オルタナティブについての基本的な考え方・原則、C 分野別の提言という構成になっているということだが、現状とそれを踏まえたオルタナティブがストレートにつながる構成になっていれば、もっと読みやすかったのではないかという気がする。
こうした点は各回のレポーターが柔軟に解釈してやることになった。「12の提言」の「4 奪いあう成長型経済から、分かちあう脱成長型経済へ」では生存権を中心に、「6 ジェンダー差別から、公平で多様な生き方へ」では、ジェンダーに限定せずあらゆる差別を取り上げる、など、それぞれの関心や関わっている運動に引きつけて議論している。
議論の中から
初回の進め方についての話し合いも含めて、まだ四回を終えたところだが、いくつか印象的だった論点について記したい。
「補足─オルタナティブについての基本的な考え方」で記述されている「統治機構」という言葉をめぐって激しい議論になった。「統治」という言葉には辞書表現的にも歴史的にも少なからぬ抵抗感があることに加えて、統治機構としての中央政府という表現にも違和感が残る。「遊」では二〇〇七年度に「もしも北海道が独立したら」という講座を持ったこともあり、北海道はつねに日本という国家の周辺に位置づけられてきたという認識がある。このあたりについては、回を重ねる中で、オルタナティブな社会システムを具体的にイメージしつつ、それにふさわしい表現を考えたいと思う。
また、「血統主義の国民主権から居住地主義の日本列島住民主権へ」では、その具体的な仕組みについて議論をした。「重国籍は認められ」という記述もあり、国内で生まれた子どもは母国籍とカナダ国籍の両方が認められているカナダのような仕組みを考えているのか、しかし在日の人たちの多くは日本国籍なんか欲しくないのではないか、国籍取得によらない主権行使の仕組みとしてどんな制度が考えられるか、社会保障番号のような制度はシンプルで必要な要件を満たすが国民総背番号制と同種の危惧がつきまとう等々、議論はつきなかった。
「植民地支配と侵略戦争の忘却・隠ぺいから、未来をひらく真実究明・謝罪・補償へ」では、内国植民地問題と言えるアイヌ民族問題を中心に話し合った。北海道に暮らす私たちにとって避けて通れない問題でありながら、具体的な謝罪・補償については逆に外国に対するそれより難しい。当事者が納得できて、和人の開拓民の子孫である現北海道民が受け入れ可能なラインというのはどこなのだろう。まずは対等な交渉相手として認め、交渉のテーブルにつくことだという指摘に、長年のモヤモヤが少し晴れた思いだった。
段階的な道筋
本書の提言には、行程表というか、まず何が急を要する課題なのか(どれもそうだと言えなくもないが)、段階的に取り組んでいく道筋が示されていない。オルタナティブな社会像についての議論を深めてからその後で実現に向けての民衆運動の展開をということなのか、あるいは順番などつけられない、無意味だということなのかはわからないが、意識は現実の変化と連動する。意識的な取り組みによってささやかでも社会が変われば、その社会の変化が意識を変える。何より、具体的なとっかかりが見えれば、変革の可能性へのリアリティが生まれる。
読書会は、次回から生存権やエネルギー、環境問題、日常の中の差別など、日々の暮らしに直結している課題に入る。大胆に、まずこれが最優先課題だ、ここを変えられれば状況が動く、というとっかかりを見つけ出す議論をしたいと思っている。
(ほそや ようこ/さっぽろ自由学校「遊」理事)
【リレー連載】『根本(もと)から変えよう!』を読む 2
さっぽろ自由学校「遊」での読書会報告
細谷洋子
読書会をしよう
さっぽろ自由学校「遊」は、ここ数年、一年を前期と後期の二期に分けて講座を開講している。前期講座では間にあわなかったが、一〇月開講の後期講座には、東北大震災であらわになった問題に向き合わなくてはならないと考えていた。
東北大震災、とりわけ福島第一原発事故による災害は、単なるエネルギーの問題ではない、これまでの日本社会のあり方そのものが問われている、という認識は企画メンバーの中で共有されていたものの、どんな切り口から取り組めばいいのか、文明論的総括なんていったいどうしたらいいのというのが実感だった。長期的な取り組みが必要な課題であり、今年度はまず「変わる! 変える! 暮らしとエネルギー」「奪われた郷土・フクシマ・からのメッセージ」の二講座を開講することになった。
しかし、これだけでは象の鼻先をなでているようなものだと内心忸怩たる思いでいた時に、『根本から変えよう!』が出版され、後期講座企画の一つとして読書会をすることになった。
時宜を得た出版だと思う。日本という国の今を全体として捉え、向かうべき方向を提示する。まさに今求められていることなのだが、読書会の集まりはかんばしくなかった。装丁が地味過ぎてあまり魅かれない、読みにくい、硬いなどの印象のせいもあるだろうか。ともあれ、今この問題提起を受け止めて考えようという八人でスタートした。
6つの柱と12の提言
「遊」では一昨年から二年間「北海道の未来構想」プロジェクトにとりくみ、教育や環境、アイヌ民族など九つのジャンルに分けて、不十分ながら北海道の未来に向けての提言をまとめたが、これは北海道版の「根本から変えよう!」だったのだと今にして思ったりした。その意味でテキストがあるというのはとてもありがたいが、構成順に前から読んでいくのが分かりやすいつくりの本ではない。
「何を根本的に変えるのか」の6つの柱を、各回一つずつ議論していくこととし、「12の提言」や「さまざまな分野からの提言」は、各柱に関連する部分を読んで参加するというスタイルで進めている。が、分担するにあたって、6つの柱と「12の提言」が必ずしも連動しているわけではないことや、参加者が強い関心を持っている教育、障がい者差別、生存権などの問題領域がどの柱に含まれるのかがはっきりしないという難しさがあった。「あとがき」によれば、A 日本社会の現状と問題点、B オルタナティブについての基本的な考え方・原則、C 分野別の提言という構成になっているということだが、現状とそれを踏まえたオルタナティブがストレートにつながる構成になっていれば、もっと読みやすかったのではないかという気がする。
こうした点は各回のレポーターが柔軟に解釈してやることになった。「12の提言」の「4 奪いあう成長型経済から、分かちあう脱成長型経済へ」では生存権を中心に、「6 ジェンダー差別から、公平で多様な生き方へ」では、ジェンダーに限定せずあらゆる差別を取り上げる、など、それぞれの関心や関わっている運動に引きつけて議論している。
議論の中から
初回の進め方についての話し合いも含めて、まだ四回を終えたところだが、いくつか印象的だった論点について記したい。
「補足─オルタナティブについての基本的な考え方」で記述されている「統治機構」という言葉をめぐって激しい議論になった。「統治」という言葉には辞書表現的にも歴史的にも少なからぬ抵抗感があることに加えて、統治機構としての中央政府という表現にも違和感が残る。「遊」では二〇〇七年度に「もしも北海道が独立したら」という講座を持ったこともあり、北海道はつねに日本という国家の周辺に位置づけられてきたという認識がある。このあたりについては、回を重ねる中で、オルタナティブな社会システムを具体的にイメージしつつ、それにふさわしい表現を考えたいと思う。
また、「血統主義の国民主権から居住地主義の日本列島住民主権へ」では、その具体的な仕組みについて議論をした。「重国籍は認められ」という記述もあり、国内で生まれた子どもは母国籍とカナダ国籍の両方が認められているカナダのような仕組みを考えているのか、しかし在日の人たちの多くは日本国籍なんか欲しくないのではないか、国籍取得によらない主権行使の仕組みとしてどんな制度が考えられるか、社会保障番号のような制度はシンプルで必要な要件を満たすが国民総背番号制と同種の危惧がつきまとう等々、議論はつきなかった。
「植民地支配と侵略戦争の忘却・隠ぺいから、未来をひらく真実究明・謝罪・補償へ」では、内国植民地問題と言えるアイヌ民族問題を中心に話し合った。北海道に暮らす私たちにとって避けて通れない問題でありながら、具体的な謝罪・補償については逆に外国に対するそれより難しい。当事者が納得できて、和人の開拓民の子孫である現北海道民が受け入れ可能なラインというのはどこなのだろう。まずは対等な交渉相手として認め、交渉のテーブルにつくことだという指摘に、長年のモヤモヤが少し晴れた思いだった。
段階的な道筋
本書の提言には、行程表というか、まず何が急を要する課題なのか(どれもそうだと言えなくもないが)、段階的に取り組んでいく道筋が示されていない。オルタナティブな社会像についての議論を深めてからその後で実現に向けての民衆運動の展開をということなのか、あるいは順番などつけられない、無意味だということなのかはわからないが、意識は現実の変化と連動する。意識的な取り組みによってささやかでも社会が変われば、その社会の変化が意識を変える。何より、具体的なとっかかりが見えれば、変革の可能性へのリアリティが生まれる。
読書会は、次回から生存権やエネルギー、環境問題、日常の中の差別など、日々の暮らしに直結している課題に入る。大胆に、まずこれが最優先課題だ、ここを変えられれば状況が動く、というとっかかりを見つけ出す議論をしたいと思っている。
(ほそや ようこ/さっぽろ自由学校「遊」理事)
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根本から変える/野澤信一 |
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