【連続講座】連続講座〈運動と思想〉
花崎皋平が花崎皋平を語る
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第二回目:『力と理性』の時代
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★講師:花崎皋平さん
★日時:2014年9月7日(日)18時?
*花崎さんのお話ののち、ゲストとの討論、さらにフロアを交えた討論と進めていきます。
★場所:ピープルズ・プラン研究所会議室 アクセスはコチラ→ http://p.tl/7RSJ
★参加費:1,000円(PP研会員:700円)
※事前申し込みがなくても参加できます♪
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連続講座「〈運動と思想〉花崎皋平が花崎皋平を語る」の第2回をご案内します。
北大本館封鎖解除に対決し、本館内で実力抵抗を試み、「現住建造物放火」・「非現住建造物放火」・「公務執行妨害」・「兇器準備集合」・「建造物侵入」の5つの罪名で起訴された「北大全共闘」の四人の学生の裁判(1970年2月?71年9月まで)の特別弁護人としての活動をふりかえって書かれた「幻の大学の立ち拠――北大本館封鎖解除事件裁判の特別弁護人の座をおりて――」(『日本読書新聞』71年12月6日号。『力と理性―実践的潜勢力の地平から』〈現代評論社・1972年〉所収)、で花崎さんは自分の「最終弁論」を引いています。
「…。この事件で、私をしてこの席に座ることに、むなしさと矛盾をおぼえさせてきたのは私もまた文部教官・北海道大学助教授・文学部というレッテルを身につけた教授会メンバーとして、被告諸君を今日この席につけたことに責任があるということである。その私がこの被告諸君を弁護することのむなしさと矛盾がある。この被告諸君は、われわれによって弁護されるべきではなくわれわれも本来、弁護などすべきではない。ここでの弁護人としての位置づけは、真の関係をおおいかくす。私は教師らしくふるまい、学生諸君は学生らしくふるまうという関係、私が特別弁護人であるらしくふるまい、裁判所へ大学で生じた事実経過を立証しようと努める…それらはすべて演じられる一種の演技であった。大学の中で、われわれはギリギリのところで、対立しあわざるをえなくなる。学生諸君は、われわれにむかって、あなたは文部教官であることによって無罪ではないとせまる。われわれは、君達も受験競争によって他の人を蹴落とし、きまった大きさのパイの分は前にあずかっていることにおいて無実ではない、と言い返す。そうしたところではじめてなにか共同の場がひらけてくる。そこには、教師らしさと学生らしさでよそおわれない関係がひらけてくる。いまのわれわれの関係は、被告と特別弁護人との関係である。この関係は今終わろうとしている。この席に座わるのもあと一回だけである。この席をおりることは、私にとってはひとつの解放である。被告諸君にとっては、あるいはその逆のことがおこるかもしれない。私が、そこで、やれやれ苦しかった裁判は終わった。あれだけやれば、まあよかろうと自分に言いわけして、研究室へ戻り、69年に読みさしておいた本をひらいて読み出すとしたら、私と被告諸君のつながりは又切れてつながらぬものになってしまうであろう。そうならないために、この際この席をおりるとともに、もうひとつもっている席の方もおりることにしようと思う。この一年余、この席に座っただけで、なんにもできなかったこと、まったく無力であったことを被告諸君にも、その他の支援された方々にも申し訳なく思うと告げて終りとする」。
この引用の後、花崎さんは、こう書いています。
「先生ごっこはやめるべきときだと思った」。
この、あの〈学生反乱の時代〉の精神を象徴する言葉(態度)を、ある種の強い共感をもって受けとめた人間は、当時少なくはなかったはずです。それから四十年以上が流れた今、その〈共感〉の思想的な意味をめぐって、花崎さん本人をふくめて論議する、そんなことが可能になればいいなと考え、私たちは今回の講座を準備しています。対象とするテキストは、この『力と理性』と、そこの「あとがき」で、「マルクスにそくして」、自分の哲学の課題である実践的潜勢力を引きだす試みをしたと述べている『マルクスにおける科学と哲学』(1969年盛田書店)の二冊です。運動的には全共闘と札幌ベ平連スタートの時代です。
前回同様、質問と討論の時間も長くとるつもりです。積極的に参加してください。
OPEN「〈運動と思想〉――花崎皋平が花崎皋平を語る」(2014年?) |
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OPEN「〈運動と思想〉――花崎皋平が花崎皋平を語る」第3回「1970年代 『生きる場の哲学』まで」 |