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「もう一つの世界」への道を探る
――ハート、ネグリの批判的検討を手がかりに


講師:武藤 一羊




グローバル資本主義がほんとうに行き詰まり――終わりなき戦争、世界的貧富の格差拡大、食糧、エネルギー危機、環境破壊など――「もう一つの世界」への道を本気で探らなければならぬ時代になった。そのなかでわが国で影響力を広げるマイケル・ハート、アントニオ・ネグリの二つの本、「帝国」と「マルチチュード」を叩き台に、このテーマを正面に据えて論じたい。ハート、ネグリの関心対象と私のそれとは大きく重なるけれど、全体状況認識も出てくる実践の中身も私とは全く違う。二つの本を批判的に読みつつ、「もう一つの世界」はどのような世界か、だれがどのようにそれを準備するのかについて、これまでの実践をくぐった問題点を洗い出し、大胆に議論してみた。



(受講者は「帝国」(以文社)と「マルチチュード」上下(NHK Books)を読んで討論に参加することが望まれますが、「帝国」は高価なので、討論は「マルチチュード」中心にやりたいのでこれは入手して下さい。シラバスと他の資料・文献コピーは後に受講者に配布)



● 日にち:11月13日/12月11日/1月8日/2月12日/3月12日/4月9日 [全6回]

● 時間:19:00?21:00

● 参加費:
通し参加 :通し参加:会員/5,400円、非会員/6,600円
単発参加:会員/1,000円、非会員/1,200円
貧乏人<自己申告制>/800円



<講師プロフィール>

武藤一羊(むとう・いちよう):1931年生。東京大学文学部中退。初期の原水禁運動、ベ平連運動に参加、69年英文雑誌「AMPO」創刊、73年アジア太平洋資料センター(PARC)設立、共同代表などをつとめ、国際プログラム「ピープルズ・プラン21」を推進。98年、ピープルズ・プラン研究所を設立。著書に、「政治的創造力の復権」(1998)、「ヴィジョンと現実」(1998年)、「〔戦後日本国家〕という問題」(1999年)、「帝国の支配/民衆の連合」(2003年)「アメリカ帝国と戦後日本国家の解体」(2006)など


各回内容


第1回 2008年11月13日(木) 
◎グローバルシステムとしての資本主義そのものを問う時代
・第一波反資本主義運動と第二波(1968年)
・決め手―第一波 国家をとる;第二波は何か
・グローバルな領域の生成、国家の組み込み


第2回 2008年12月11日(木)
◎アメリカ合衆国と帝国
・第二次世界大戦後の世界
・グローバル帝国:冷戦と二つの帝国?グローバル帝国の完成と没落
・帝国主義論、従属理論、世界システム論、ネグリ、ハート帝国論との異同


第3回 2009年1月8日(木)
◎グローバル帝国の完成と没落プロセス
・冷戦期の二つの帝国から一つの帝国(グローバル帝国)へ 
・新自由主義的グローバル資本主義と非公式の複合的世界権力センター
・グローバル資本主義体制への国家の組み込み


第4回 2009年2月12日(木)
◎グローバル民主主義「だれが?」
・ピープルの状況
・「南北」の新しい定義の必要性?地理的・非地理的分極化、格差、分断、紛争?拡大された階級概念の必要
・ネグリ、ハート「マルチチュード」の批判的検討:「非物質的生産・労働」、特異性と「共」、グローバル・シティと近代文明パターンの肯定、エコロジー視点の欠如
・ユーロセントリックな前提


第5回 2009年3月12日(木)
◎「いかにして?」―民衆の連合と民衆憲章
・プロセスとしての民衆連合
・運動際政治→民衆際政治、民衆集団と重合するアイデンティティ、相互作用と内部変革、内外の媒介の働きと各種の働き手、働きの諸現場―共闘、紛争解決、共同プログラム、共闘、民衆憲章―グローバルな民衆自治、その基礎を言い表す交渉された多数の合意のネットワーク、複合的、多層的、しかし大きい区分
・利害の一致と不一致、過渡的妥協、矛盾の運動
・正義と正統性―歴史的に下から積み重ねられてきたさまざまな社会的達成の継承と相互確認―展開された人権、民主主義;制度化―更新プロセス
・ヴィジョン、運動際合意、民衆際合意―諸権力センターとの非対照的力関係(社会契約)
・民衆憲章と構成的力
・社会的強制力、暴力、各種原理主義


第6回 2009年4月9日(木)
◎討論「グローバル正義運動と日本社会」
グローバル資本主義の破綻と新しい抵抗・オルタ社会生成の運動のなかで日本の国家・社会・社会運動はどこにいるのか、アジアの運動はどうか、1?2人人のゲストスピーカー(未定)を交えて、参加者全体で議論する。解決を求めるというより問題を突き止めることを追求する。


第6回議論のための参考―「第5回 『いかにして?』?民衆の連合と民衆憲章」の議論より
1 問題設定:グローバルな自治の主体としてのピープルはいかにして自己を構成するのか、そしていかにして現存のグローバル資本主義・帝国秩序を民衆自治で置き換えるのか;HN?マルチチュードは予定調和的に〈共〉を構成、その〈共〉は大都市のマルチチュードを核として、現存する非物質的生産の体系を反転して個の特異性の上に立つ絶対民主主義;グローバル・ガバナンス論(e.g. David Held)―グローバル資本主義と帝国の欠落;一国的市民社会論、アソシエーション社会主義論―グローバル権力との対峙が欠落し、一国的には限界につきまとわれている。


2 決め手:国家権力を奪取することが、第一波の運動にとって決め手であったとすれば、第二波の決め手は民衆連合としてのグローバル民衆が民衆憲章という下から形成した自治秩序によって、帝国と資本の決定を無効化し、最終的には吸収する状況をつくりあげることにある。これはある日に起る一挙的出来事ではなく、徐々に力関係が逆転するプロセスとして見通される。


3 民衆連合:そのための要は、グローバルな自治主体としてのピープルにあるが、グローバルなピープルは成立していない。グローバルなピープルの成立は、意識的な実践によって媒介されるプロセスである。それは民衆連合として構成されるだろう。


4 社会集団際政治:ピープルの連合は等質的なグローバル市民個人による連合ではなく、社会集団際関係、集団際政治として展開される形成プロセスをもつ。社会集団とは何か―さまざまな社会関係の重合のなかで、どの表徴や属性によって構造的抑圧が支えられているかによって、所与の局面であるアイデンティティが前面化し、それが集団を定義する。(e.g. 家父長主義に対してシスターフッド:「戦略的本質主義」)したがって集団は相対的であり、その成員は別の集団にも帰属しうる。集団間関係は、自由に選ばれたものでなく、歴史的に形成、序列化され、グローバル権力によって上から組織されている。帝国の下で社会集団は敵対的関係の中に結び付けられ、多様性は多くの場合、構造的不平等・抑圧・搾取関係の要素として組み込まれているか、その関係の産物である。民衆連合の形成はこの構造を解体し平等・連帯関係を形成するプロセス;社会運動はそのプロセスを媒介し、運動させ、前進させる。それは多様性を抑圧の枠組みから解放するプロジェクトでもある。


5 新しいコンテキストでの相互作用:連合の形成は新しいコンテキストにおける連合を可能にする相互作用をつうじて可能となる。さまざまな運動、さまざまな関係群があるので、相互作用は多角的である。所与の相互作用は排他性、敵対性である場合が多い。だが別のコンテキストに置かれたとき、別の相互作用が生じる、目標の共有があれば時間的に展開する連合プロセスが起こりうる。そのためには内部における媒介者の存在、他者へ、全体へ開いていく働き; (例:アメリカ・黒人・女性―白人女性、黒人男性、白人男性、イラク人;沖縄普天間住民―グアム住民;70年代リブー障がい者運動);女性労働者―男性労働者;正社員労働者―非正規雇用労働者;日本国民―フィリピン国民;日本国民―元軍「慰安婦」(参照:斎藤A);「紛争解決」(conflict resolution)の実践も第三者の媒介者としての参加の形態。


6 運動と社会集団:民衆集団は組織や運動に解消できない社会的存在であるとともに、多くはなんらかの運動をつうじて集団に形成される。運動間連合は、しかしそのまま民衆集団間の連合ではない。さらに運動は分岐し、対立しあうこともある。したがって、民衆連合は運動間連合を手掛かりにすることが不可欠である。このような連合つくりは、(1)イニシャチブ、(2)社会運動の基盤とする社会集団における影響力、(3)連合しようとする意識と意思の存在が不可欠;イニシャチブは必ずしも内部からとは限らない。外部からの刺激は内部のイニシャチブを励起しうる。


7 内部関係の変化:相互作用による集団(とくにconstituitive community, Gorz)の均質性の分化、外部との結合の導入、だが成立の根拠が消滅しないかぎり、変容はするが解体はしない;関係変化がより大きい平等性へ向かうなら変容は個人にとって解放的(逆は、排外主義の支配が集団内部に抑圧を作り出す)


8 主要な隔壁:連合構成主体としての集団は無数といえるが、そのなかでグローバル資本主義が維持固定化してきた大きい区分は、連合のグローバルな形成プロセスにとって決定的な意味をもつ;ジェンダー、人種、階級、国家、宗教、歴史、これらのどれが前面化するかは状況にかかるが、すべては解決に長く複雑なプロセスを要する隔壁。


9 強制力:権力関係をーとくに所有関係―変えることが、国家の強制によることなくどこまで、どうして可能かという難問がある。社会運動の圧力、社会的正統性の変化と得失計算、抑圧構造の解体による被抑圧者と抑圧者の同時解放の契機(パウロ・フレーレ);強制によらない自発的な特権放棄の実例を研究する必要がある。また国家が個々にまた集団的に(国連など)下からの動きを法や条約によって強制力を裏付けに普遍化するプロセスは促進されなければならない。ただしそれが本当に規範となるのは社会(民衆)のレベルに定着するときである。


10 合意形成と社会契約:連合形成はプロセスであるが、相互作用が交渉によってある当面の合意に到達したときその合意は書きあらわされ確認されか、不文律として尊重される。ある条件の下では、合意は制度化されるだろう。社会集団全体が形式面でそのような合意を批准する手続きは通常存在しないが、社会運動はヘゲモニー的に(グラムシの意味で)有機的に社会集団とかかわり、合意を集団の有機的部分としてゆく。これはきわめて多様なレベルでの社会契約とみなしうる。このような社会契約は、まったく新たに提起されるものではない。それは慣習も含めて社会の中に現に存在し、機能している。運動はそれを目的意識的に拡大し、解放に向けて方向付ける。だが越境して異質の集団を結ぶのはすぐれて意識的な行為である。(MAFTAと米・メキシコ労働者憲章、インド・パキスタン民衆交流など);民衆の安全保障のアプローチは、国家間その他の暴力的衝突にさいして、双方から民衆が手を結び、衝突を不可能にするという意味で、民衆連合のモデル。合意は関係の進展とともに更新されるもので、プロセスとしての更新手続きもその一部である。


11 内部集団間合意:大きい社会集団は等質的でなく利害の分岐や内部的抑圧をはらんでいるので、外部にたいしてある共通の立場をとることができても、内部では対立をはらむのが普通である。そこでは異なった傾向の間の相互作用と当面の合意が追求される。同一主体における複数のアイデンティティの重なりに沿って合意の重層性と多角性が生じる。

12 民衆連合と経済:民衆連合の物質代謝(生産・消費)関係の組み換えの側面。第一波運動における労農同盟は、都市と農村の経済関係の基礎とされた;民衆連合はまた経済的連合たりうるかー連帯経済、自主生産、地域通貨など危機における相互扶助による生活維持;さらに民衆連合は多角的で複雑だが、経済関係の組み換え、変換を意味する(組み換えプロセスのなかで連合が成立する);この組み換えがそのままエコロジカルな循環的関係に向かうかどうか、例えば巨大都市の解体、大量生産・大量消費モデルの吸収に向かうかどうか、必ずしも保証はない;都市―農村の関係の農村の優位における平等性の回復という力学が強力に働くにはどういう条件が必要か;それは環境のもつ強制力がどのように受容され集団間関係の変革につながるかにかかる;決定的要素―グローバル資本主義のもたらした文明的危機―持続不可能性;組み換えなしでは生存できない;しかしそれに古い資本主義的パラダイムで小手先対処するのか、文明的組み換えに導くかが大きい岐路である。


13 ビジョンの先行的役割:ビジョンの提示、パラダイムチェンジへの呼びかけを直接に提起することの独自の重要性;預言者的(e.g. 水俣宣言、花崎:ピープルネスー「無主、無縁、無所有」;改革派教会―キム・ヨンボク:People’s Charter on Peace for Life)、行動綱領モデル(e.g.サミール・アミン:バマコ・アピール)など。サパティスタのラカンドン宣言は言葉の喚起力が現実を変える判例である。それは、チアパスの蜂起という実体と結びついているが、闘いの意味はアピールによって普遍化された。WSFには「もう一つの世界」へのアピールがない。


14 グローバル民衆憲章へのプロセス:グローバルな民衆憲章はこのような多角的で重層的な合意の網目状の合意構造の上に、それに有機的に結合して成立する。したがってそれは、「グローバル民衆憲章起草議会」の招集によって起案される文書というイメージで考えられるものではなく、ダイナミックなプロセスとして構想されるべきである。(グローバルな会議の招集は排除されないばかりか、限定された性格の場として必要でさえあろうが)。グローバルな民衆憲章は、(1)下からの多数の合意の積み上げ、(2)合意間のブリッジ合意の網状の成長の上に、(3)これまで国連など国家間政治に反映され、国際規範となってきた人権、環境、平和などにかんする積極的諸規定、総じて民衆の戦いの中で獲得された諸規範が統合されるだろう。


15 国家との共存と相互作用のプロセス:このプロセスは、国民国家や国家間機構などと共存しつつ進行するので、民衆連合が次第に力を強めていくなかで、国民国家の決定で民衆憲章に矛盾する規定は実行できないか廃止されるし、民衆憲章の内容はますます国家や国際機構の決定となっていくという状況を作りだすべきだろう。逆にいえば、民衆連合は国家に取り込まれることなく、非対称的に国家に介入し、民衆自治を促進する方向に国政を方向付け、政策を実施させることが必要だ。国家との非対称性(基盤が国境を超える)を基盤としつつ国政に介入することの現実性は、民衆レベルの連合形成がどこまで進むかに依存する。(ナショナリズムをどこまで超えられるか)。


16 自治の運営:だがこの見通しのもつ困難:(1)民衆憲章の承認のメカニズム、(2)多数の絶えず更新される社会契約を関連させ、同時にグローバル民衆憲章を更新していくメカニズム、(3)グローバル法の執行、紛争解決のメカニズムなど。これらはいずれもグローバルな代議制や警察権力を備えた世界行政府の必要を呼び起こすように見える。だがそれは下からの実際の民際自治の力が蓄積されるかにかかっている。民衆憲章は下からのグローバル法の形成であるが、それは下からの民衆連合=民衆自治の形成に裏打ちされるので、グローバル主権=世界国家に帰結しない。(民衆連合の活発な存在によって、ネグリの構成的権力が構成された権力・主権国家に刷り変えられる宿命を免れうる)


17 WSFと運動としての民衆憲章:世界社会フォーラムの「スペースか運動か」のジレンマを解く道は、民衆憲章形成のプロセスを運動としてとらえ、推進することである。グローバル、地域別その他の結集の場は、課題間、集団間、地域間などの連合と合意の形成と拡大の場となり、さらに連合と合意を網目状に拡大する設計と計画の場となることができる。これはWSFが一つのプログラムを共有する一つの政治運動になることではなく、ある協働の活動を推進する運動体となることを意味する。それはWSFの多様性と場としての性質を損なわない。WSFのグローバルな結集は、こうして獲得された諸合意が持ち寄られ、検討され、合意の合意へと、民衆憲章へと練り上げられていく場として機能するだろう。その背後には、民衆連合つくりのそれなりの進展があるはずなので、このような練り上げプロセスは単なる文章上の作業ではなくて、それに見合う実践と現実でうらうちされているだろう。WSFはこうして、一つの結集点、イベントの性格を脱して、現実のグローバルな変革プロセスの有機的部分となるだろう。

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