冊子「ロルカの生きた時代」
冊子「悼 大道寺将司君」
太田昌国著
冊子「ロルカの生きた時代」
2017年6月 4日 頒価:200円
冊子「悼 大道寺将司君」
2018年6月30日 頒価:400円
申し込み: メールでご連絡ください。
masa@jca.apc.org(太田昌国)
PP研 newsletter No.61(2018.8.29発行)
会員のひろば(自著紹介)
「出版の原点に立ち戻って「紐の文学」を刊行」
太田昌国
30年来関わってきた出版の原点に立ち戻るつもりで、自分の発言を小さな冊子にまとめて私家版として刊行した。一つには、ここ6年来、広島のカフェ・アビエルトで開かれている「ガルシア・ロルカ生誕祭」で、私は彼の詩を朗読しているのだが、2017年は「ガルシア・ロルカの生きた時代」と題して、30分間で彼の短い生涯を語った。彼の生涯は、ちょうど「米西戦争からスペイン内戦まで」、すなわち、1898年から1936年までだ。世界とスペインの激動の時代を背景に、個人史をいかに語るかに、自分なりに腐心した。それを、文庫版・36頁の冊子にした。(頒価=200円)
次は、「悼 大道寺将司君」と題した冊子。大道寺君は、2017年5月24日、確定死刑囚として幽閉されていた東京拘置所で獄死した。2010年来、多発性骨髄腫を病んでいた。1970年代初頭、東アジア反日武装戦線“狼”を名乗ったメンバーの一人で、連続的な企業ビル爆破を行なった。戦前・戦後を通じての、反省なき侵略企業との位置づけからであった。東京丸の内の三菱重工ビル前に置いた爆弾は、ビル群の中で思いがけない「威力」を示し、死者8人、多数の重軽傷者を生んだ。実行者にも思いがけない、痛恨の結果だった。以後43年間、彼は自らの行為が生み出した死者・負傷者との「関係の絶対性」の中で生きた。「加害せる我花冷えのなかにあり」「死者たちに如何にして詫ぶ赤とんぼ」などは、彼の作句である。その彼への思いを、晩年の彼が作った俳句に拠りながら、さまざまな形で語り、綴った。9篇を収めて、A5判・64頁の冊子になった。(頒価=400円)
作ってから、思った。この冊子シリーズに「紐の文学」と名づければよかった、と。ブラジルの吟遊詩人たちは、自らが吟じる場所のそこいらで、質素な詩集を紐に吊るして、売っていた。それは「紐の文学」と呼ばれていた。出版の原点とは、そんなところにあったのだろうと思ったのだ。
他方で、商業出版としての単行本でも、最近、自分としては忘れ難い仕事をした。カネック・サンチェス・ゲバラの『チェ・ゲバラの影の下で――孫・カネックのキューバ革命論』(現代企画室、2018年7月)に150枚の解説を書いた。カネック(1974?2015)は、ゲバラの最初の妻、イルダ・ガデアとの間に生まれたイルディータの子だ。イルディータは、航空機をハイジャックしてキューバに亡命したメキシコ人革命家と結婚し、カネックを生んだ。だが、夫婦はキューバ指導部との折り合いが悪く、幼いカネックを伴い、欧州各国に暮らした。やがてキューバに戻るが、突き刺さる「チェ・ゲバラの孫」という視線に、カネックは苦しむ。母、イルディータが癌で死亡した翌年の1996年、カネックはキューバを去り、メキシコに暮らした。出版、音楽、写真、文化プロモーターなど広く「表現」に関わる仕事をした。ヨーロッパとラテンアメリカの各地を放浪した。祖父の有名な日記のタイトルが影を落とす『モーターサイクルのない日記』という記録も遺した。21世紀に入ってからか、インターネット上で彼の発言がちらほらと流れ始め、私は注目していた。フィデル・カストロの、使命感に溢れたメシアニスモ(救世主主義)を「独裁」と批判し、キューバに実現されたのは共産主義ではなく「国家資本主義」だと喝破していた。
彼の訃報が届いたのは2015年1月だった。メキシコで、心臓病で亡くなった。享年40歳。祖父よりわずか一年だけ「長生き」した。キューバ革命の渦中を生きる人間を、文学的な心象風景として描いた『33レヴォリューションズ』がすぐ刊行された。すぐれた表現だ。インターネット上で読んできた彼のいくつもの発言を基に、その政治・社会思想を浮き彫りにする長文の解説を書いた。国家悪・権力悪を憎み、アナキズムに傾斜するカネックの姿が浮かび上がってきた。
1959年1月、キューバ革命の第一報に、なぜか胸がときめいたとき、私は中学生だった。爾来60年、そこは、私にとって新しい歴史像と世界像を創出するうえでの、刺激的な場所であり続けた。そのキューバを、ヨリいっそう客観的に見つめる視点をカネックと共有した、と私は思った。
付記:冊子の入手をご希望の方は masa@jca.apc.org へご連絡を。
(2018年8月3日記)
冊子「悼 大道寺将司君」
太田昌国著
冊子「ロルカの生きた時代」
2017年6月 4日 頒価:200円
冊子「悼 大道寺将司君」
2018年6月30日 頒価:400円
申し込み: メールでご連絡ください。
masa@jca.apc.org(太田昌国)
PP研 newsletter No.61(2018.8.29発行)
会員のひろば(自著紹介)
「出版の原点に立ち戻って「紐の文学」を刊行」
太田昌国
30年来関わってきた出版の原点に立ち戻るつもりで、自分の発言を小さな冊子にまとめて私家版として刊行した。一つには、ここ6年来、広島のカフェ・アビエルトで開かれている「ガルシア・ロルカ生誕祭」で、私は彼の詩を朗読しているのだが、2017年は「ガルシア・ロルカの生きた時代」と題して、30分間で彼の短い生涯を語った。彼の生涯は、ちょうど「米西戦争からスペイン内戦まで」、すなわち、1898年から1936年までだ。世界とスペインの激動の時代を背景に、個人史をいかに語るかに、自分なりに腐心した。それを、文庫版・36頁の冊子にした。(頒価=200円)
次は、「悼 大道寺将司君」と題した冊子。大道寺君は、2017年5月24日、確定死刑囚として幽閉されていた東京拘置所で獄死した。2010年来、多発性骨髄腫を病んでいた。1970年代初頭、東アジア反日武装戦線“狼”を名乗ったメンバーの一人で、連続的な企業ビル爆破を行なった。戦前・戦後を通じての、反省なき侵略企業との位置づけからであった。東京丸の内の三菱重工ビル前に置いた爆弾は、ビル群の中で思いがけない「威力」を示し、死者8人、多数の重軽傷者を生んだ。実行者にも思いがけない、痛恨の結果だった。以後43年間、彼は自らの行為が生み出した死者・負傷者との「関係の絶対性」の中で生きた。「加害せる我花冷えのなかにあり」「死者たちに如何にして詫ぶ赤とんぼ」などは、彼の作句である。その彼への思いを、晩年の彼が作った俳句に拠りながら、さまざまな形で語り、綴った。9篇を収めて、A5判・64頁の冊子になった。(頒価=400円)
作ってから、思った。この冊子シリーズに「紐の文学」と名づければよかった、と。ブラジルの吟遊詩人たちは、自らが吟じる場所のそこいらで、質素な詩集を紐に吊るして、売っていた。それは「紐の文学」と呼ばれていた。出版の原点とは、そんなところにあったのだろうと思ったのだ。
他方で、商業出版としての単行本でも、最近、自分としては忘れ難い仕事をした。カネック・サンチェス・ゲバラの『チェ・ゲバラの影の下で――孫・カネックのキューバ革命論』(現代企画室、2018年7月)に150枚の解説を書いた。カネック(1974?2015)は、ゲバラの最初の妻、イルダ・ガデアとの間に生まれたイルディータの子だ。イルディータは、航空機をハイジャックしてキューバに亡命したメキシコ人革命家と結婚し、カネックを生んだ。だが、夫婦はキューバ指導部との折り合いが悪く、幼いカネックを伴い、欧州各国に暮らした。やがてキューバに戻るが、突き刺さる「チェ・ゲバラの孫」という視線に、カネックは苦しむ。母、イルディータが癌で死亡した翌年の1996年、カネックはキューバを去り、メキシコに暮らした。出版、音楽、写真、文化プロモーターなど広く「表現」に関わる仕事をした。ヨーロッパとラテンアメリカの各地を放浪した。祖父の有名な日記のタイトルが影を落とす『モーターサイクルのない日記』という記録も遺した。21世紀に入ってからか、インターネット上で彼の発言がちらほらと流れ始め、私は注目していた。フィデル・カストロの、使命感に溢れたメシアニスモ(救世主主義)を「独裁」と批判し、キューバに実現されたのは共産主義ではなく「国家資本主義」だと喝破していた。
彼の訃報が届いたのは2015年1月だった。メキシコで、心臓病で亡くなった。享年40歳。祖父よりわずか一年だけ「長生き」した。キューバ革命の渦中を生きる人間を、文学的な心象風景として描いた『33レヴォリューションズ』がすぐ刊行された。すぐれた表現だ。インターネット上で読んできた彼のいくつもの発言を基に、その政治・社会思想を浮き彫りにする長文の解説を書いた。国家悪・権力悪を憎み、アナキズムに傾斜するカネックの姿が浮かび上がってきた。
1959年1月、キューバ革命の第一報に、なぜか胸がときめいたとき、私は中学生だった。爾来60年、そこは、私にとって新しい歴史像と世界像を創出するうえでの、刺激的な場所であり続けた。そのキューバを、ヨリいっそう客観的に見つめる視点をカネックと共有した、と私は思った。
付記:冊子の入手をご希望の方は masa@jca.apc.org へご連絡を。
(2018年8月3日記)