【特集】リベラルの言説――批判的検証【
白川真澄(本誌編集長)
特集にあたって
安倍政権は、集団的自衛権の行使容認という憲法解釈を閣議決定する暴挙に出た。その論理のでたらめさもさることながら、この行為は、政府の中枢を握る極右政治勢力が権力者を縛る憲法(憲法解釈)を無効にし、議会や民意による制約を踏みにじって、自らの野望を遂げようとする「解釈改憲クーデター」にほかならない。この政権は、外交・安全保障から統治機構やルール、税制、雇用・医療・農業の分野に至るまで原理的な転換と再編を強行し、行政権力による独裁に走っている。
怒りの声を上げ、安倍政権を包囲し、退陣に追い込む以外にない。そのためには、さまざまの分野・課題の社会運動が連携・協力すること、人びとの怒りや不安をピタリと表現する批判の言説が多彩に湧き出て社会の空気を変えること、対抗する政治勢力(リベラル・左翼)が再登場することが必要であろう。
日本では、民主党の惨状に見られるように政治勢力としてのリベラルは衰退あるいは不在といってよいが、リベラル的な言説はそれなりに活発で社会的な影響力をもっている。ここでいうリベラルとは、例えば、絶対平和主義ではなく“専守防衛”や自衛権の保持を認めるが、集団的自衛権行使には反対する。脱成長の立場には立たず経済成長をめざすが、劣悪な非正規雇用を増やすだけのネオリベ的な経済成長(アベノミクス)を批判する、といった考えを指す。それは、安倍的な言動(中国敵視、右翼ナショナリズム、ウルトラ保守主義、反立憲主義、ネオ・リベラリズムなど)には強く反対するが、“護憲派”あるいは“左翼”とは一線を画して批判的なスタンスをとる。
リベラル的な言説はいま、安倍政権とたたかう上で重要な役割を演じている。しかし、安倍的なものと原理的に対抗したり、まったく別のオルタナティブを構想する上では大きな限界や落とし穴があるのではないか。そうした問題意識から、本号ではリベラル的な(と考えられる)言説を批判的に検証する作業を試みた。もちろん、このことは、その言説の限界をあげつらって“左翼”的な言説の正しさを誇示したいといったケチな根性とは無縁である。安倍的な言動と根本的にたたかうことのできる思想や言説や運動を分厚く豊かに創りだしていく、そのための相互批判と対話を発展させたいという意図である。
そもそもリベラルとは何か。日本では、その規定そのものが人によって異なり、定まっていない。また、リベラル的な政治勢力が、なぜ、日本には定着しないのか。日本の政治的・社会的な構造や政党・政治勢力のあり方にメスを入れる必要がある。本号ではリベラルそのものを正面から論じる課題をとりあえずカッコに入れたが、しかし、特集がそこに切り込んでいく足がかりにとなることを願っている。
(白川真澄、本誌編集長)