オルタナティブ提言の会
第4回 農業と地域社会
2009年10月11日
討論(大野和興さん、佐久間智子さん、山浦康明さんの発言を受けて)
1.中国の土地所有制をどうみるか
◆ 基本的には国有だが、農家請負のときに緩和して一人何ムーという形で配分した。人民公社が解体して、国家が個人に利用権を分配していった。死んだら一度村へ返して、もう一度配分しなおすという仕組み。
◆ 84年頃に人民公社は解体して個人の土地使用権を分配していった。今は相続できる。利用権を売買もできる。国家所有というのは名目だけで国家と人民公社と農民とが分け合っている(三級所有制度)。
→ 国有に問題があるのは、何かあれば、これは国家のものだといって取り上げられるということ。
→ 売買できるということは土地ナシ農民が出てくるということ。
→ 三里塚など日本の住民運動は、土地の私的所有権があったからこそ国家に抵抗できた。
→ 北京オリンピックのときにはかなり大勢の人びとが立ち退かされた。
→ 今は長期の期限付き使用権というのが出てきているようだから、事実上所有の概念に近い仕組みに変わってきているのではないか。
2.「半農半X」と「兼業」――事業をどう作るか
◆ 普通の人が兼業農家で食べていける基盤をどう作るのか。もう一度土建国家に戻れという話しにはならないだろう。X部分で誰もがカタカナ商売や陶芸などの職業ができるわけではないが、ではどういう展望が兼業農家にはありうるのか。
→ おもしろい例としては群馬県の上野村の試みがある。新規で入ってきた人に5万円の給料を払える職場を見つけます、家を貸します、畑も貸しますから、それで良かったら来なさいと。農産物加工業とか、民宿、みそ工場、そば工場とか、ケーキ屋さん、木工などありとあらゆることをやりながら仕事を作り出して斡旋している。人口1千数百人の村に100人くらい入ってきている。人口と雇用を増やしている。事業は全部村が中心になって作り出している仕事だが、いまのところみな一生懸命働いていて黒字らしい。
→ 地方自治体が雇用創出という点でお金も知恵も出す必要があるだろう。
→ 秩父ではセメント工場や養蚕業が抱えていた労働力人口は相当のものだった。それらの産業が全部だめになっている。しかし産業構造のあり方を変えていけば、けっこう新しい形の地域経済はつくれるのではないか。
◆ 教育費、交通費が高いことも大きな問題ではないか。いま都市では独居高齢者が増えていて、大きな家に一人で住んでいて周りとのつきあいもない。だから30年以上たつ分譲地などはコミュニティが崩壊している。大学生を下宿させてあげて、そのかわり働いてもらうというのはどうか。信頼関係もできる。
→ そういう仕組みはできるだろう。北欧だったか、家族にも介護手当が出るところもある。これまでただ働きだった仕事を有償化することで仕事もかなり出てくるのでは。
→ 日本は外国に比べて無償労働の評価が非上に低い。保育士などの女性中心の仕事の評価が低いことが原因。
3.主体になりうるのはだれか、どう保障するか
◆ ひとつの問題は中国的にいえば農業・農村・農民という三農問題。これは多様なモデルがありうる。農民的農業、農村の再建とそれにともなう農業のあり方が中心のイメージで、ジェンダー問題がそこに入ってこなければならない。
もう一つの問題として自由貿易とか所得保障などの大きな制度的問題がある。それがどうつながるか。都会の方から農業に入っていくというのが一つのタイプ。彼・彼女らにたいする制度的支援は所得保障などとは少し違って、もう少し細かい制度設計が必要になるだろう。
◆ 新しいコミュニティの再生の問題として農業・農村の再生を考える必要があるが、そのときに農業の担い手として急速に増えている企業の農業への参入をどう考えるか。カゴメとかワタミなどの企業は、雇用の創出・確保という点では重要な役割をしている。しかし、農民と一緒になってコミュニティを永続的に担っていくのだろうか。それから都市農業という形で、市民が農業に関わるケースも増えている。
→ 外国人もいる。
→ 全部つながっているから、ひとつだけでは完結しない。基本は日本の農業の平均規模である1.5haで食える仕組みをどう作るかだと思う。その場合、農業だけではたしてどうかということを考える必要がある。これだけ多くの消費人口がいて、車で3時間も走れば都市にもいけることを考えれば、加工や販売まで総合して組み立て方によっては食える仕組みはできると思う。それを最終的に破綻しないようにどう支えるかが重要。価格保障か所得保障が必要だろう。具体的に考えると、3反(900坪、3000?)プラスXくらいで持続可能にならないか。
※1反=10a=300坪=1000?、1町歩=1ha=3000坪=10000?
◆ 長野県はいろいろな面で男女共同参画が進んでいる。農業分野ではかなり女性ががんばっていて、味噌づくりや道の駅など事例はたくさんある。地域によって大きな格差がある問題をどう普遍的なものとしてつくりあげていくかが問われている。
◆ 基本的には生活している基礎的なところをどう支えるかということと、土地と水を地域資源としてどう外部の侵入から守っていくかということが重要。それはそこに生きている人の生存権をどう保障するかということ。制度の役割はそこで終わりだと思う。
いま、ぼくが住む秩父では山の底地が数百ha単位で猛烈に動いている。誰が買っているかはよくわからないが(一つは東京電力)CO2の排出権がからんでいる。山を見て排出権の格付会社をつくろうという動きもある。これまで買い手が着かなかった山に値がつくなど、新しい事態がひそかにしかし猛烈に起きている。秩父だけでなく全国的な動きだと思う。これまで只でも売れなかったのだから、山を持っている農家は値がつけばすぐ売ってしまう。
4.限界集落
◆ 一番の問題は、人がいなくなってしまうこと。誰が担うかという問題が大きい。うまくやっているところはたいてい力のある人物が中心にいる。制度を使いこなす力がどこから出てくるか。再生力がないところはどのくらいあるのか。
→ 国交省の2006年調査では、全国の農業集落は13万くらい、うち過疎地域は6万、限界集落が7000。たしかに地域の担う主体をどこにどう作るかは問題。でもこれはおのずから出てくるだろうと考えるしかない。主体として可能性が大きいのはばあちゃん。いま30代から40代はほとんど個人で動いていて、仲間を作ってなんとかしようというのは50代から上。
◆ 林野庁では一部の限界集落は消えていっても仕方がないだろうという意見が多いように感じる。ヨーロッパだと僻地では防人としての意味合いがある。日本の限界集落はどうしたらいいのか。
◆ 自然消滅もある程度やむをえないところはあると思う。限界集落はだいたいは300年、500年の歴史があるところがほとんどで、非常におもしろいしきたりなどがある。それを繋いできたのが農業集落。その文化を私たちがどう考えるかという問題でもある。
◆ 京都府綾部市の四方八洲男市長が全国の150くらいの町と村を集めて「全国水源の里協議会」を作った。限界集落を「水源の里」として再生するために、特産品の加工や都市の住民との交流に取り組んでいる。
5.農村の魅力
◆ 農村再生を考えたとき、魅力ある農産物があれば人びとは飛びつく。一般的に制度をつくって補助金をだしてというやり方ではダメで、何を作るかというヴィジョンと気力があって、消費者とつながらなければだめだと思う。たとえば国のコメの企画に1等米、2等米、品質基準があって、ちょっと黒い部分があると2等米に分類され、キロあたり1000円安くなる。機械で簡単に取り除けるもので品質にはまったく関係ないのにおかしな制度だ。
おもしろそうだなと思えば若者がやってきて家庭をもつ場合もある。リーダー的な存在と、みんなが元気があるということが大切。
→ どこに住むかは個人の自由だけれども、ここに住めるよとか、世の中のためになるよとか、自然もあるよとか、そういうことをそろえていけば人も集まってくるんじゃないか。そのときに、生存できる所得の下支えがあるということと、教育費の問題、この2つさえクリアすれば主体は形成できると思う。
◆ 特産物的な魅力も悪くはないけれどもちょっと違和感がある。新しいものを消費者に提供しなければ生きていけないという発想自体が非常に近代化されたもの。普通に生きて普通に暮らし続けるとい設定が必要で、70,80歳になった人たちに企業家になれと言わなければいけないような状況はちょっとおかしい。
→ 村づくりとか農業再生とか言う人がみんな最初に言うのは「マーケティング」。それは市場原理の言葉だろうと僕は言いたくなる。何か逆転している。
6.生産者と消費者
◆ 「お客様は神様です」みたいな発想もおかしいと思う。グリーンツーリズムなども、自然というものが何だかわからなくなってしまっているような消費者が土足で入ってくることに疲弊してやめた、という話も聞く。消費者は、農村にがんばれというのではなくて、これまで農村がどうだったのかという視点から自分たちの異常さを考えるという方向に転換していかなくてはいけないと思う。
→ 品質について言えば、生産者も農薬や除草剤の使用にたいする問題意識を持たない消費者とつながっていかないのではないか。
→ コメの等級のことなど、消費者が知らないことによる問題もある。生産者と消費者との往復運動のなかで農側の努力だけではなくて、消費者ももっと勉強すべき。
→ そういう意味で私たちはいま消費者として、国に規格制度を変えろと言っている。
→ 有機のカメムシ米を友人から買っているが、生産過程を知っていれば、別に黒くてもきにならない。コミュニケーションは大事。
7.都市の貧困、貧困の連鎖
◆ いま労働者のなかで一番劣悪な状況で働いているのは食と介護の分野。「すきや」などがその典型。そうやって安いものを提供して外食産業がなりたっている。それしか食えない人が大勢いる。弁当産業などは不正規労働者のかたまりで、その弁当を食ってやっと生き延びている若者がいっぱいいる。食品産業は労働者を買い叩くだけではなくて今度は農産物を買い叩く。日本では限界になると中国へ行く。そういう連鎖が世界中へ広がっていく。食は貧困の連鎖のまっただなかにあるという現実。そのことと村の解体、農の解体をどう結びつけて議論するかが重要。
◆ 生産者が食べていけるだけの対価を支払わなければいけない。問題は支払う側の労働者のなかに格差が拡大して、低所得者は安い食べ物を買わざるをえない。その点を解決しないと、農業の問題は最終的に解決しない。かつては春闘で労賃が上がることが米価が上がることにつながったが、いまはそういう関係は成り立たない。
→ ドンキホーテでは5キロ1800円で売っている。5キロ980円というのもあるらしい。それを買わざるを得ないという現実がある。
→ 日本の農産物市場そのものは縮小してきている。買える人が少なくなってきている。
8.食糧主権
◆ 自由貿易に対する対抗原理として「食料主権」という考え方が出されている。中身は悪くないと思うが、言い方としてそれでいいのか。
→ 主権というのは国家の権利のようでイヤな感じはあるが、当事者主権という言い方もあるから主権の概念も変わってきているのかもしれない。
→ ビア・カンペシーナが96年に最初に言い出したときは、自分たちの食の多様性や食糧を自分でつくる権利、食の文化を守る権利を国家に代弁させることを目的とした概念だった。
→ 国家という枠をはずして普遍性をもたせようと。それから国家自身がWTO体制以降変質していって、国家にそんなこと託せるのかという話があって、国家主権の国家という部分をはずした議論としてビア・カンペシーナで深まっていったものだと思う。
9.自由貿易、FTA
◆ 自由化の問題に関連していうと、中国から入ってくる安いものがないとめしが食えない人は山ほどいる。そのときに「自給」といえるのか。自分の好きなものを食べるのは生存権。どんな低所得者の人でも国産のものを食べる選択ができる条件がなければ、自由貿易はダメとはいえない。貧困の問題と労働者、農民の問題を重ね合わせて検討しないと、この問題は解けない。
→ 民主党マニフェストでは農家の所得補償とFTA推進がセットになっている。こんな矛盾があるか。でも今の議論からいえばFTAがダメだとは容易には言えない。
→ 貧困は中国、アフリカへと連鎖している。アフリカでは難民になった人びとが都市に流れて飢餓につながっていっている。
→ 自由貿易主義に対して、生産者が食えないような安い価格でアグリビジネスが取引するのはダメということをきちんと言わなくてはいけない。
→ そもそも品目は変わってきている。すべての国で農家は世界の富裕層に向けて付加価値品、嗜好品を作り始めている。日本でも去年くらいから貿易統計の輸入と輸出がセットで表示されるようになったのだが、日本の農産物輸出は少しずつだが増えている。あらゆる国が高く売れるものに生産を特化し、そうやって農家が所得を確保しようとするが、そうすると、貧困層の主食は誰も作らないということになる。
→ 中国が安いものを大量に日本に輸出している。それによって中国の生産者が生活できるだけの報酬を得ているのかというと、そうではなくて安く買い叩かれている面があるのではないか。
→ 97年?99年の中国の輸出価格を調べてみると、にんにくやしょうが、ねぎなど猛烈に下がっている。それは日本が中国品を入れていったときと重なる。日本は買い叩く、中国は輸出したい、それで価格が下がる。その連鎖で、中国の輸出物が大暴落した時期がある。
→ 中国で日本に輸出しているのは限られた地域で日本の企業が入って作ったものだろう。
◆ 私たちの問題の立て方として、日本の農家を守れ、というだけでは不十分なのは間違いない。南の農民運動とどうつながれるのかという観点は必要で、その場合、食糧主権のような話とどうつなげていくか。
→ 食糧主権そのものは自分たちの食べ物を作りその余剰を売るという基本的な考え方だからそれ自体は矛盾はない。私たちが海外から輸入している生産者価格を保証する、というのはフェアトレードなど一部では可能ではあっても制度的に普及させるというのはあまり現実的でないのではないか。
10.賃金と社会的コスト
◆ 「限界集落」の再生に取り組んでいる人たちは、中山間地の住民は環境を守る仕事を無償でやっているのだから、都市の住民が社会的コストを負担しなければならないと主張している。具体的には水源税あるいは森林保全税を都市の人間が負担して、中山間地の人たちの所得保障をする。これは一つの試みだと思う。
◆ 新自由主義の基本的な原則はいかに生産コストを下げるか。そのためには国内の生産者なんて無視して海外からもってくればいい、国内の農業が生き残りたいなら高いものを外へ売ればいいじゃないかという考え方になる。いかに生産コストを下げて誰かが儲かるという仕組みに対して、そうではなくて、人々が生きていくための基本的ベースである社会を保障していくという考え方に転換していく必要がある。
→ 労賃が問題。たとえばフィリピントヨタと日本のトヨタの賃金を同一にするというのは正当な要求だと思うけれども、そこはどう整理できるか。
→ 同一労働同一賃金をいまいきなり言うのは無理だが、生活賃金というかたちで少しずつ上げていくのは大事だと思う。
→ 農産物価格もそういった共同闘争のようなことをやるしかないと思う。それぞれの地域の物価水準で、農民として尊厳をもって生きられる価格水準。基本的にはベースの所は一致させて共同闘争していく。
◆ 農村を維持していくための社会的コストというのが別の問題としてある。かつては農村に小学校があって、そこを中心にコミュニティ、集落が形成されていた。いまそういうところが全部廃校になっている。昔は社会全体がそういった社会的なコストを払っていたが、いまはそれがない。学校は都市のなかに統合されてしまって来たければ来いという。社会的コストをどう分担するかを考えないと、農村の問題を自由貿易の問題とあわせて解決する道はないと思う。
◆ そもそもいまのコメづくりは、食べたときのエネルギー量より、肥料だとか石油だとか作るときにインプットするエネルギー量のほうが大きいという生産の矛盾がある。山三つ分すべてキャベツ畑というような現状を肯定して、ただコスト計算でいまあるものを保障するのでは不十分だという気がする。
11.地産地消、流通
◆ 自給農業で余剰を出す「農家的農業」にすればいい。だが現実には、長井市も農産物は全部東京と関西へ行ってしまって地元では食べられない。地産地消で始めたはずだがいまは全然そうなっていない。そこをどう確立するかはひじょうに大変なこと。ひとつには人材の問題がある。もうひとつは目標にいたる通路を小さいレベルでどう作るか。
→ 「農政」といったときに国の農政でなく、自治体の農政があるはず。国がいまやっていることを地域に回した方がいいことはある。
→ 地域再生の一環として農業の再生を考える視点が必要がある。
◆ たとえば炭素税のような形で流通コストをかけていくというやり方はあるが、一方で、いま都市で売れることでかつかつで何とかやっている農家にとっては、それはどうなのか。
→ かつては生協は県を越えてはいけなかった。でもスーパーは全国に広げられた。あり方が全然違う。大店法が緩和されて、その後に再び街づくり三法でまた規制し始めたが、やはりチェーン店は安い。だから地元の産業がつぶれて分断され、地方から中央に富が流出している。
◆ 小中高校全部給食にして、それをすべて地産で賄う運動をやってはどうか。高校の学費も無料化するのだから、給食も公費負担でやる。
→ 学校給食と病院が地産地消の先頭を切るという提案は大事。
→ いま給食以外でまともなものは食えなくなっているようだから。公費負担でやればいい。
12.食の内容と暮らし
◆ 低所得層以外の人のなかにも低いレベルの食品を食べている人は増えている。食費を切り下げていることもあるし、ほとんどが輸入品である中食、外食が増えている。スーパーで有機野菜を買っている人も、外では意識せずに輸入品を食べている。表示を義務付けるだけでもずいぶん変るのではないか。
◆ 農業白書の統計によると、自給率が下がった品目は油脂と畜産物。堤未加著『貧困大国アメリカ』を読むと、これらは貧困食。消費構造は貧困化すればするほど安いエネルギーが必要になり、その結果医療費がかさむ。自給率は下がる。ここにも貧困の連鎖がある。
◆ 普通の野菜をそのまま食べるとビタミンが長く体内にとどまるが、野菜ジュースにするとすぐ身体から出てしまう。サプリメントだともっと早く出で行く。アメリカでも最近全粒粉などのホールフーズなどがよく、代用品で簡単に取るのではダメだということがアメリカの研究では言われ始めている。消費者運動としてはその違いをもっと押していくべき。
→ アメリカのランチボックスはカロリーばかり高い。日本もだんだんそうなっていくのか。
→ 日本人は痩せている。肥満度では比較にならない。アメリカは太りすぎ率7割。
→ 健康な食生活は大事。いま不健康な世の中だから健康食品が売れる。それには発がん性がある場合がある。とりすぎの問題もある。薬などとあわせると副作用の問題もある。
→ 健康な食生活をしようと思ったら、労働時間を短くしたり休み時間をたっぷり取ったりと働き方を変える必要がある。
第4回 農業と地域社会
2009年10月11日
討論(大野和興さん、佐久間智子さん、山浦康明さんの発言を受けて)
1.中国の土地所有制をどうみるか
◆ 基本的には国有だが、農家請負のときに緩和して一人何ムーという形で配分した。人民公社が解体して、国家が個人に利用権を分配していった。死んだら一度村へ返して、もう一度配分しなおすという仕組み。
◆ 84年頃に人民公社は解体して個人の土地使用権を分配していった。今は相続できる。利用権を売買もできる。国家所有というのは名目だけで国家と人民公社と農民とが分け合っている(三級所有制度)。
→ 国有に問題があるのは、何かあれば、これは国家のものだといって取り上げられるということ。
→ 売買できるということは土地ナシ農民が出てくるということ。
→ 三里塚など日本の住民運動は、土地の私的所有権があったからこそ国家に抵抗できた。
→ 北京オリンピックのときにはかなり大勢の人びとが立ち退かされた。
→ 今は長期の期限付き使用権というのが出てきているようだから、事実上所有の概念に近い仕組みに変わってきているのではないか。
2.「半農半X」と「兼業」――事業をどう作るか
◆ 普通の人が兼業農家で食べていける基盤をどう作るのか。もう一度土建国家に戻れという話しにはならないだろう。X部分で誰もがカタカナ商売や陶芸などの職業ができるわけではないが、ではどういう展望が兼業農家にはありうるのか。
→ おもしろい例としては群馬県の上野村の試みがある。新規で入ってきた人に5万円の給料を払える職場を見つけます、家を貸します、畑も貸しますから、それで良かったら来なさいと。農産物加工業とか、民宿、みそ工場、そば工場とか、ケーキ屋さん、木工などありとあらゆることをやりながら仕事を作り出して斡旋している。人口1千数百人の村に100人くらい入ってきている。人口と雇用を増やしている。事業は全部村が中心になって作り出している仕事だが、いまのところみな一生懸命働いていて黒字らしい。
→ 地方自治体が雇用創出という点でお金も知恵も出す必要があるだろう。
→ 秩父ではセメント工場や養蚕業が抱えていた労働力人口は相当のものだった。それらの産業が全部だめになっている。しかし産業構造のあり方を変えていけば、けっこう新しい形の地域経済はつくれるのではないか。
◆ 教育費、交通費が高いことも大きな問題ではないか。いま都市では独居高齢者が増えていて、大きな家に一人で住んでいて周りとのつきあいもない。だから30年以上たつ分譲地などはコミュニティが崩壊している。大学生を下宿させてあげて、そのかわり働いてもらうというのはどうか。信頼関係もできる。
→ そういう仕組みはできるだろう。北欧だったか、家族にも介護手当が出るところもある。これまでただ働きだった仕事を有償化することで仕事もかなり出てくるのでは。
→ 日本は外国に比べて無償労働の評価が非上に低い。保育士などの女性中心の仕事の評価が低いことが原因。
3.主体になりうるのはだれか、どう保障するか
◆ ひとつの問題は中国的にいえば農業・農村・農民という三農問題。これは多様なモデルがありうる。農民的農業、農村の再建とそれにともなう農業のあり方が中心のイメージで、ジェンダー問題がそこに入ってこなければならない。
もう一つの問題として自由貿易とか所得保障などの大きな制度的問題がある。それがどうつながるか。都会の方から農業に入っていくというのが一つのタイプ。彼・彼女らにたいする制度的支援は所得保障などとは少し違って、もう少し細かい制度設計が必要になるだろう。
◆ 新しいコミュニティの再生の問題として農業・農村の再生を考える必要があるが、そのときに農業の担い手として急速に増えている企業の農業への参入をどう考えるか。カゴメとかワタミなどの企業は、雇用の創出・確保という点では重要な役割をしている。しかし、農民と一緒になってコミュニティを永続的に担っていくのだろうか。それから都市農業という形で、市民が農業に関わるケースも増えている。
→ 外国人もいる。
→ 全部つながっているから、ひとつだけでは完結しない。基本は日本の農業の平均規模である1.5haで食える仕組みをどう作るかだと思う。その場合、農業だけではたしてどうかということを考える必要がある。これだけ多くの消費人口がいて、車で3時間も走れば都市にもいけることを考えれば、加工や販売まで総合して組み立て方によっては食える仕組みはできると思う。それを最終的に破綻しないようにどう支えるかが重要。価格保障か所得保障が必要だろう。具体的に考えると、3反(900坪、3000?)プラスXくらいで持続可能にならないか。
※1反=10a=300坪=1000?、1町歩=1ha=3000坪=10000?
◆ 長野県はいろいろな面で男女共同参画が進んでいる。農業分野ではかなり女性ががんばっていて、味噌づくりや道の駅など事例はたくさんある。地域によって大きな格差がある問題をどう普遍的なものとしてつくりあげていくかが問われている。
◆ 基本的には生活している基礎的なところをどう支えるかということと、土地と水を地域資源としてどう外部の侵入から守っていくかということが重要。それはそこに生きている人の生存権をどう保障するかということ。制度の役割はそこで終わりだと思う。
いま、ぼくが住む秩父では山の底地が数百ha単位で猛烈に動いている。誰が買っているかはよくわからないが(一つは東京電力)CO2の排出権がからんでいる。山を見て排出権の格付会社をつくろうという動きもある。これまで買い手が着かなかった山に値がつくなど、新しい事態がひそかにしかし猛烈に起きている。秩父だけでなく全国的な動きだと思う。これまで只でも売れなかったのだから、山を持っている農家は値がつけばすぐ売ってしまう。
4.限界集落
◆ 一番の問題は、人がいなくなってしまうこと。誰が担うかという問題が大きい。うまくやっているところはたいてい力のある人物が中心にいる。制度を使いこなす力がどこから出てくるか。再生力がないところはどのくらいあるのか。
→ 国交省の2006年調査では、全国の農業集落は13万くらい、うち過疎地域は6万、限界集落が7000。たしかに地域の担う主体をどこにどう作るかは問題。でもこれはおのずから出てくるだろうと考えるしかない。主体として可能性が大きいのはばあちゃん。いま30代から40代はほとんど個人で動いていて、仲間を作ってなんとかしようというのは50代から上。
◆ 林野庁では一部の限界集落は消えていっても仕方がないだろうという意見が多いように感じる。ヨーロッパだと僻地では防人としての意味合いがある。日本の限界集落はどうしたらいいのか。
◆ 自然消滅もある程度やむをえないところはあると思う。限界集落はだいたいは300年、500年の歴史があるところがほとんどで、非常におもしろいしきたりなどがある。それを繋いできたのが農業集落。その文化を私たちがどう考えるかという問題でもある。
◆ 京都府綾部市の四方八洲男市長が全国の150くらいの町と村を集めて「全国水源の里協議会」を作った。限界集落を「水源の里」として再生するために、特産品の加工や都市の住民との交流に取り組んでいる。
5.農村の魅力
◆ 農村再生を考えたとき、魅力ある農産物があれば人びとは飛びつく。一般的に制度をつくって補助金をだしてというやり方ではダメで、何を作るかというヴィジョンと気力があって、消費者とつながらなければだめだと思う。たとえば国のコメの企画に1等米、2等米、品質基準があって、ちょっと黒い部分があると2等米に分類され、キロあたり1000円安くなる。機械で簡単に取り除けるもので品質にはまったく関係ないのにおかしな制度だ。
おもしろそうだなと思えば若者がやってきて家庭をもつ場合もある。リーダー的な存在と、みんなが元気があるということが大切。
→ どこに住むかは個人の自由だけれども、ここに住めるよとか、世の中のためになるよとか、自然もあるよとか、そういうことをそろえていけば人も集まってくるんじゃないか。そのときに、生存できる所得の下支えがあるということと、教育費の問題、この2つさえクリアすれば主体は形成できると思う。
◆ 特産物的な魅力も悪くはないけれどもちょっと違和感がある。新しいものを消費者に提供しなければ生きていけないという発想自体が非常に近代化されたもの。普通に生きて普通に暮らし続けるとい設定が必要で、70,80歳になった人たちに企業家になれと言わなければいけないような状況はちょっとおかしい。
→ 村づくりとか農業再生とか言う人がみんな最初に言うのは「マーケティング」。それは市場原理の言葉だろうと僕は言いたくなる。何か逆転している。
6.生産者と消費者
◆ 「お客様は神様です」みたいな発想もおかしいと思う。グリーンツーリズムなども、自然というものが何だかわからなくなってしまっているような消費者が土足で入ってくることに疲弊してやめた、という話も聞く。消費者は、農村にがんばれというのではなくて、これまで農村がどうだったのかという視点から自分たちの異常さを考えるという方向に転換していかなくてはいけないと思う。
→ 品質について言えば、生産者も農薬や除草剤の使用にたいする問題意識を持たない消費者とつながっていかないのではないか。
→ コメの等級のことなど、消費者が知らないことによる問題もある。生産者と消費者との往復運動のなかで農側の努力だけではなくて、消費者ももっと勉強すべき。
→ そういう意味で私たちはいま消費者として、国に規格制度を変えろと言っている。
→ 有機のカメムシ米を友人から買っているが、生産過程を知っていれば、別に黒くてもきにならない。コミュニケーションは大事。
7.都市の貧困、貧困の連鎖
◆ いま労働者のなかで一番劣悪な状況で働いているのは食と介護の分野。「すきや」などがその典型。そうやって安いものを提供して外食産業がなりたっている。それしか食えない人が大勢いる。弁当産業などは不正規労働者のかたまりで、その弁当を食ってやっと生き延びている若者がいっぱいいる。食品産業は労働者を買い叩くだけではなくて今度は農産物を買い叩く。日本では限界になると中国へ行く。そういう連鎖が世界中へ広がっていく。食は貧困の連鎖のまっただなかにあるという現実。そのことと村の解体、農の解体をどう結びつけて議論するかが重要。
◆ 生産者が食べていけるだけの対価を支払わなければいけない。問題は支払う側の労働者のなかに格差が拡大して、低所得者は安い食べ物を買わざるをえない。その点を解決しないと、農業の問題は最終的に解決しない。かつては春闘で労賃が上がることが米価が上がることにつながったが、いまはそういう関係は成り立たない。
→ ドンキホーテでは5キロ1800円で売っている。5キロ980円というのもあるらしい。それを買わざるを得ないという現実がある。
→ 日本の農産物市場そのものは縮小してきている。買える人が少なくなってきている。
8.食糧主権
◆ 自由貿易に対する対抗原理として「食料主権」という考え方が出されている。中身は悪くないと思うが、言い方としてそれでいいのか。
→ 主権というのは国家の権利のようでイヤな感じはあるが、当事者主権という言い方もあるから主権の概念も変わってきているのかもしれない。
→ ビア・カンペシーナが96年に最初に言い出したときは、自分たちの食の多様性や食糧を自分でつくる権利、食の文化を守る権利を国家に代弁させることを目的とした概念だった。
→ 国家という枠をはずして普遍性をもたせようと。それから国家自身がWTO体制以降変質していって、国家にそんなこと託せるのかという話があって、国家主権の国家という部分をはずした議論としてビア・カンペシーナで深まっていったものだと思う。
9.自由貿易、FTA
◆ 自由化の問題に関連していうと、中国から入ってくる安いものがないとめしが食えない人は山ほどいる。そのときに「自給」といえるのか。自分の好きなものを食べるのは生存権。どんな低所得者の人でも国産のものを食べる選択ができる条件がなければ、自由貿易はダメとはいえない。貧困の問題と労働者、農民の問題を重ね合わせて検討しないと、この問題は解けない。
→ 民主党マニフェストでは農家の所得補償とFTA推進がセットになっている。こんな矛盾があるか。でも今の議論からいえばFTAがダメだとは容易には言えない。
→ 貧困は中国、アフリカへと連鎖している。アフリカでは難民になった人びとが都市に流れて飢餓につながっていっている。
→ 自由貿易主義に対して、生産者が食えないような安い価格でアグリビジネスが取引するのはダメということをきちんと言わなくてはいけない。
→ そもそも品目は変わってきている。すべての国で農家は世界の富裕層に向けて付加価値品、嗜好品を作り始めている。日本でも去年くらいから貿易統計の輸入と輸出がセットで表示されるようになったのだが、日本の農産物輸出は少しずつだが増えている。あらゆる国が高く売れるものに生産を特化し、そうやって農家が所得を確保しようとするが、そうすると、貧困層の主食は誰も作らないということになる。
→ 中国が安いものを大量に日本に輸出している。それによって中国の生産者が生活できるだけの報酬を得ているのかというと、そうではなくて安く買い叩かれている面があるのではないか。
→ 97年?99年の中国の輸出価格を調べてみると、にんにくやしょうが、ねぎなど猛烈に下がっている。それは日本が中国品を入れていったときと重なる。日本は買い叩く、中国は輸出したい、それで価格が下がる。その連鎖で、中国の輸出物が大暴落した時期がある。
→ 中国で日本に輸出しているのは限られた地域で日本の企業が入って作ったものだろう。
◆ 私たちの問題の立て方として、日本の農家を守れ、というだけでは不十分なのは間違いない。南の農民運動とどうつながれるのかという観点は必要で、その場合、食糧主権のような話とどうつなげていくか。
→ 食糧主権そのものは自分たちの食べ物を作りその余剰を売るという基本的な考え方だからそれ自体は矛盾はない。私たちが海外から輸入している生産者価格を保証する、というのはフェアトレードなど一部では可能ではあっても制度的に普及させるというのはあまり現実的でないのではないか。
10.賃金と社会的コスト
◆ 「限界集落」の再生に取り組んでいる人たちは、中山間地の住民は環境を守る仕事を無償でやっているのだから、都市の住民が社会的コストを負担しなければならないと主張している。具体的には水源税あるいは森林保全税を都市の人間が負担して、中山間地の人たちの所得保障をする。これは一つの試みだと思う。
◆ 新自由主義の基本的な原則はいかに生産コストを下げるか。そのためには国内の生産者なんて無視して海外からもってくればいい、国内の農業が生き残りたいなら高いものを外へ売ればいいじゃないかという考え方になる。いかに生産コストを下げて誰かが儲かるという仕組みに対して、そうではなくて、人々が生きていくための基本的ベースである社会を保障していくという考え方に転換していく必要がある。
→ 労賃が問題。たとえばフィリピントヨタと日本のトヨタの賃金を同一にするというのは正当な要求だと思うけれども、そこはどう整理できるか。
→ 同一労働同一賃金をいまいきなり言うのは無理だが、生活賃金というかたちで少しずつ上げていくのは大事だと思う。
→ 農産物価格もそういった共同闘争のようなことをやるしかないと思う。それぞれの地域の物価水準で、農民として尊厳をもって生きられる価格水準。基本的にはベースの所は一致させて共同闘争していく。
◆ 農村を維持していくための社会的コストというのが別の問題としてある。かつては農村に小学校があって、そこを中心にコミュニティ、集落が形成されていた。いまそういうところが全部廃校になっている。昔は社会全体がそういった社会的なコストを払っていたが、いまはそれがない。学校は都市のなかに統合されてしまって来たければ来いという。社会的コストをどう分担するかを考えないと、農村の問題を自由貿易の問題とあわせて解決する道はないと思う。
◆ そもそもいまのコメづくりは、食べたときのエネルギー量より、肥料だとか石油だとか作るときにインプットするエネルギー量のほうが大きいという生産の矛盾がある。山三つ分すべてキャベツ畑というような現状を肯定して、ただコスト計算でいまあるものを保障するのでは不十分だという気がする。
11.地産地消、流通
◆ 自給農業で余剰を出す「農家的農業」にすればいい。だが現実には、長井市も農産物は全部東京と関西へ行ってしまって地元では食べられない。地産地消で始めたはずだがいまは全然そうなっていない。そこをどう確立するかはひじょうに大変なこと。ひとつには人材の問題がある。もうひとつは目標にいたる通路を小さいレベルでどう作るか。
→ 「農政」といったときに国の農政でなく、自治体の農政があるはず。国がいまやっていることを地域に回した方がいいことはある。
→ 地域再生の一環として農業の再生を考える視点が必要がある。
◆ たとえば炭素税のような形で流通コストをかけていくというやり方はあるが、一方で、いま都市で売れることでかつかつで何とかやっている農家にとっては、それはどうなのか。
→ かつては生協は県を越えてはいけなかった。でもスーパーは全国に広げられた。あり方が全然違う。大店法が緩和されて、その後に再び街づくり三法でまた規制し始めたが、やはりチェーン店は安い。だから地元の産業がつぶれて分断され、地方から中央に富が流出している。
◆ 小中高校全部給食にして、それをすべて地産で賄う運動をやってはどうか。高校の学費も無料化するのだから、給食も公費負担でやる。
→ 学校給食と病院が地産地消の先頭を切るという提案は大事。
→ いま給食以外でまともなものは食えなくなっているようだから。公費負担でやればいい。
12.食の内容と暮らし
◆ 低所得層以外の人のなかにも低いレベルの食品を食べている人は増えている。食費を切り下げていることもあるし、ほとんどが輸入品である中食、外食が増えている。スーパーで有機野菜を買っている人も、外では意識せずに輸入品を食べている。表示を義務付けるだけでもずいぶん変るのではないか。
◆ 農業白書の統計によると、自給率が下がった品目は油脂と畜産物。堤未加著『貧困大国アメリカ』を読むと、これらは貧困食。消費構造は貧困化すればするほど安いエネルギーが必要になり、その結果医療費がかさむ。自給率は下がる。ここにも貧困の連鎖がある。
◆ 普通の野菜をそのまま食べるとビタミンが長く体内にとどまるが、野菜ジュースにするとすぐ身体から出てしまう。サプリメントだともっと早く出で行く。アメリカでも最近全粒粉などのホールフーズなどがよく、代用品で簡単に取るのではダメだということがアメリカの研究では言われ始めている。消費者運動としてはその違いをもっと押していくべき。
→ アメリカのランチボックスはカロリーばかり高い。日本もだんだんそうなっていくのか。
→ 日本人は痩せている。肥満度では比較にならない。アメリカは太りすぎ率7割。
→ 健康な食生活は大事。いま不健康な世の中だから健康食品が売れる。それには発がん性がある場合がある。とりすぎの問題もある。薬などとあわせると副作用の問題もある。
→ 健康な食生活をしようと思ったら、労働時間を短くしたり休み時間をたっぷり取ったりと働き方を変える必要がある。
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