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オルタナティブ提言の会

第4回 農業と地域社会 
2009年10月11日

コメント1 佐久間智子

私も最近土地のことがとても気になってきますので、大野さんの話に土地のこともからめて感想を申し上げたいと思います。

◎自然への接点を失った日本

 最近入ってきた情報ですが、水源地を中国が買いにきているという話があります。産経新聞が騒いで国会質問に取り上げられる事態にまで発展しまし、それを受けて林野庁が動いているようです。具体的な内容はわからないのですが、担当者の話によれば庁内もそういった方向で林野行政をすすめたいということらしい。いま、国有林以外の森林は野放し状態で、大野さんの話された農村の状態と同じように、あるいはもっとひどく衰退し荒れた状態です。天然林であれば放置しておいてもいいかもしれませんが、日本の場合は二次林がとても多い。そこが手入れされずにもやしのように細い木が密集して、真っ暗な地帯になっている。それが台風になると土砂崩れを起こす、土石流を引き起こすなど、災害を大きくしてしまう要因にもなっています。

 もう一つの問題は、私たち市民が、生活林として森林の産物、きのことか小動物とかたきぎといった物へ「ロストタッチ」というか、接点がなくなってしまっている。森に限らず海でもそうです。非常に制約されたなかで、限られた形でしか接することができません。海岸のたまたま手にとれるところにウニがあっても持って帰っちゃいけない。もちろんあまり乱れた使い方はいけませんが、とにかく自然はさわってはいけないものになってしまっています。

 農業に関しても農地法が確立しているなかで、周りに放置されている農地があって関わろうとしても貸してもらえない。関わりたくてもうまく関われない。私も茅ヶ崎の、もともと兼業農家の方のたんぼに参加させてもらって、自然農のコメづくりに参加しているのですが、そこに隣接した、すずめの溜まり場になっている休耕田を所有者に貸してくれといっているのですが、絶対にノーなんです。
林野庁の方にも提言したのですが、ひょっとするとまずい方向にいってしまうかもしれませんが、そういった土地を、所有権までは踏み込まないにしても、立ち木とか中に入る権利というレベルでなかば国有化する。今までもレクリエーションの形ではやっていましたが、そこを制度を変えてやっていこうじゃないかという話が徐々に出てきているようです。

 大野さんの話とからみますが、田舎のにっちもさっちもいかなくなった土地をどういうふうに使い続けていくかという問題が、限界集落といわれるように人がいなくなっていくなかで、新しい次元に入ったなと感じています。土地の問題はタブーだった部分があると思うのですが、大野さんが今日まさにそういった踏み込んだ発言をされて、私は本当にびっくりしました(笑)。

◎海外の事例:キューバ、北欧

 海外を見まわしてみると、たとえばロシアなどでは土地制度は崩壊してしまったかもしれませんが、有機農業で再生したと言われて有名なキューバでは、いまだに土地の79%が国有地です。その形態は変えていないんだけれども、使用に関してはかなり自由に認めるようになってきています。一代限りに限っては所有に近い形になっています。耕作している限りはその土地を次の世代に譲り渡すこともできる。逆に耕作をやめる場合には、たとえ無償でも第三者に譲り渡すことは認められていない。その時は国に返すしかないんです。そのような形で8割近くが厳格に管理されています。国有であるとはいっても、所有権に近い形で認められているので、使っている限りはかなり自由に、好きなように利用できます。

 一方まったく別の仕組みですが、北欧などの福祉国家でありながら個人主義が徹底したところでの有名な例では、大量にとってはいけないけれども自分がその日に消費する程度、食べられる程度の量であれば誰の土地のものであっても、りんごでもみかんでもとって食べていいことになっているそうです。そのように誰の所有地だということを気にせずにみな、山林を楽しんでいるわけです。もちろんいろいろな議論はあると思いますが。たとえば急に人口が増えて人が押し寄せた場合どう管理されているかなどは、詳しくはわかりません。

 北欧だとかオランダなどは、日本と違ってパッチワーク状の農地がなくて、郊外に農地がまとまって広がっていて、完璧な土地計画がなされています。他方で、都市からバスで15分とか30分のところに、週末に通える農地を市民が順番にひじょうに安く分割してもらえる仕組みがあります。申し込んだ市民は、小さな道具小屋がついた300平方メートルくらいの小さい土地を、借りたり、30万円くらいで買ったりできる。そして使わなくなったら次の人に売るというように、公的に管理された土地を使うことができる。農的な生活を都市の人が楽しめる。都市近郊の小さめな畑というのは、どちらかというと低所得者層が自給することを当初の目的にしていたそうです。それに対してもう少し遠い、車で1時間かけて通うくらいのところには、もっと大きな1反単位の規模の市民農園があって、そこには何日か泊れる小さなカントリーハウスが公的に設備されていて、もう少し富裕な層がバカンスの間などに農を楽しめる。このようにいろいろな形で市民のための農地が整備されていて、都市のなかに農業がないという、今私たちから見れば弱みである部分を公的なもので補っている。どちらがいいかはわかりませんけれども、いずれにしても日本はキューバ型にも北欧型にもなっていない、中途半端なところでちょっとつまずいているという感じがしています。

◎人びとが自然と関われる仕組みづくり
 
 日本でもやり方としてはいくつも方法はあると思います。たとえばいま篤農家があちこちで市民農園を開いたりしています。また、若い人も、農業に関心がないわけではない。これは小学5年生の授業で稲作を教えることが義務化されたからというわけではなくて、みなどこか本能的に求めているところがあると思うんです。それをもう少し後押ししてやるような、たとえば山林に入っていってただ単に触れるだけではなくて、もっと生産的な活動に携わるような経験が、子どものうちからできるような仕組み。あるいは農地にふだんから触れられる仕組み。そういった仕組みが周りに増えていけば、これは、限界集落の問題解決までは無理にしても、都市近郊のなかでかなりのニーズに応えることができるのではないか。ただ、それをコーディネートする人たちが決定的にいま足りていませし、またそれをバックアップする制度も必要だと思います。たとえば農地法の「耕作者主義」もちょっと障害になっている面があります。農地を周りの人に「貸さない権利」がひじょうに強いわけです。所有権をどうこうするのではありません。ただ、貸すことを義務化するとまではいかないにしても、公共のニーズにある程度応じなければいけないといったようなものに変えていく。漁業に関しても、今は漁業権が確立しているので、海や港湾施設は漁業者の所有物であるかのように扱われる傾向があります。たとえば海釣りは、1万円とか2万円とかのかなり高い遊漁料を払える人の特権になっています。それも仕方ない面もあるとはいえ、何らかの形で自然のなかで生産や採集という行為を本能的に楽しむことを後押しするような制度、コーディネーターを作っていけたらいいと思っています。制度論の提案ではないんですけれど、最近はそういうイメージを膨らませていたので、大野さんの話には大変勇気付けられました。

◎自由貿易:消費サイドから構造を変える

 次に、自由貿易について話します。
 自由化交渉の現状についてではなく、貿易ルールのせいでいま何が失われているかについて話したいと思います。大野さんは農業生産がこれだけ減っているという恐ろしい数字を示してくれましたが、消費サイドを見ると食費は全然減っていないんです。過去5年くらい調べたところ、私たちの所得に占める食費支出の割合はずっと23%前後で推移しているんですね。大野さんの話にあったように直近の3年間くらいでも農業生産がこれだけ減っているのに、私たちは食品にたいして常に100兆円くらい支出しているんです。ということは、日本国内で農業や食品産業に100兆円支払っているということですが、そのうちの農業への分け前がもともと少ない。10%ありません。私たちが払っている100円のうち10円も農家に入っていない。生産者以外への分け前がどんどん膨らんでいるなかで国内の農業が圧迫されていっている。自由貿易を許しておきながらお金の使い方を変えろというのはひじょうに難しいのですけれども、消費の面に関してはある程度の自由度があるはずなので、なにか工夫ができないかと思うんです。たとえば、加工食品工業と流通業に全体の7割くらいいってしまっているのをなんとか圧縮する方法を見つけられないでしょうか。少なくとも若い新規就農した人たちは、そういう形で何とか生き残ろうとしています。今までの農家は農協経由で生産品を販売することにリアリティがあったわけですし、高齢化が進む中でそこから急に変われというのは無理な話だと思いますが、これから先は中間の加工食品工業、生きている食べ物を死んだものに変えて私たちに届けているだけのところをスキップして、生きたものを生きたまま食べるということが重要だと思います。

 長いスパンでの私たちの健康を考えたときにも、それはまったく矛盾しません。たとえばそのためにかかっている医療費、まずい上に身体に悪い食品を食べてきたために医療費が増えてきたかもしれないことを考えれば、もっともっと農業にお金を振り向けてもいいと思うんですね。そうすると私たちの食料消費プラス医療費を考えたときに、かなりたくさんの資源が農業に振り向けられる。そういう発想でできないか。

◎就農を後押しする制度づくりを

 そのときにいちばん障害になるのは私たちの働き方です。1950年代だったら労働者の7割が自営だった。自営だと多くの場合は自宅付近で働いていますね。農家がしかり工場経営者がしかり、個人商店がしかり。そうすると家で食べることが圧倒的に多かった。しかしいまは私たちの85%がサラリーマンですから、家から離れたところ就労していることが多い。そうすると外食が大半になってしまう。自炊するより多額を支払って、健康にも地域の農業にも良いとは言えない食生活に縛り付けられているということです。本来なら、外食を減らし、自炊することで浮いた分の食費は、より健康にも環境にもよくて地域の農業を支えるような食材を購入するために振り向けたら良いのです。たとえば、健康な家畜からつくられる食品添加物を使わない食肉加工品を買おうと思ったら、100グラム1000円以上というような多額の支出を覚悟しなければならないでしょう。浮いたお金は、よりよいレストランをつくっていくための原資にする、ということでも良いかも知れません。

 いずれにしても、そのためには、働き方が変らなければいけない。農業サイドの努力だけではどうしようもないところもあります。そうすると、自営業をどうやって増やしていくのか。今まではサラリーマン化することで生活の安全を得るというかたちでしたが、いまサラリーマンも非正規になってしまって安泰でないとすれば、自営業のような生き方をどうやって増やせるかというのが一つの課題です。もちろん、「良い食材」を買えるだけの収入を確保するということも大事な課題です。こういったことは、まだ考え始めたばかりですが、就農は究極の自営業なので、その就農を後押しするという意味で、大野さんの話にあった所得保障なのか価格支持なのか、何らかの制度的なバックアップをまったく新しい形で有機農業基本法みたいなものとセットで作ることが考えられないでしょうか。今までの慣行農業にたいして批判的な人は増えています。新しく半自給的にやっていく人が増えていけば、農業のクオリティにたいする関心と理解も広まっていくはずで、それに応える、そういう供給を増やすための価格支持なり所得保障をより具体的に提示していくことが必要なのではないかと思いました。
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