『季刊ピープルズ・プラン』49号掲載
ジェンダー視点からオルタナティブ社会を考える
世界社会フォーラム・首都圏(WSF2010 in TOKYO)
分科会報告 2010年1月24日
新自由主義とフェミニズム―差別と分断をどう乗り越えるか
鈴木ふみ(すぺーすアライズ)
こんにちは。すぺーすアライズの鈴木と申します。私自身は、十数年弁護士の仕事をしており、その中ではドメスティック・バイオレンスの被害にあった女性の弁護をおもな仕事にしてきました。そういう経験から見ると、「家族」というのが世の中で語られているような幸せなものではなくて、むしろ矛盾がすごく多い。暴力、力の格差、精神的な虐待が当然のようにあるものだという視点から「家族」というものをずっと考えているというのが、私のバックグラウンドです。
今日は、新自由主義とフェミニズムの関係についてちょっとお話してみようと思います。
新自由主義というのは、結局、「家族」というものの価値を持ち上げたりとか、ケアを担当する役割を女性に押し付けて無償労働を奨励したりとか、家族の価値を社会の中でうまくつくりだしていくような方法や戦略を展開しました。そうした中で、宗教原理主義の問題がでてきます。新自由主義の話をするときに宗教のことまで話す人ってそんなには多くないかもしれないですが、やはりレーガン、サッチャー、中曾根などの新自由主義の勢力が出てきた背景に、「家族」の価値をどのように位置づけるかがすごく大きかったように思えて、そこを塞いでいたのが宗教原理主義の力だったと思います。日本でも、当時の優生保護法を改悪して女性が中絶できる範囲を削ろうという運動がありました。新自由主義は、「家族」の価値を重視する点で宗教原理主義を利用しましたし、宗教原理主義も自分たちの理想・理念をかなえるために新自由主義の側に立つ政治家に「これを呑めないなら支持できない」というような形で迫っていって、両者には相互依存関係ができていったのです。
新自由主義は、社会に有用な一部の女性については社会進出の機会を与える一方、それ以外の人たちについては家族の一員としての負担を重くしたということで、日本では一九八五年ぐらいが起点になると思います。ここで女性がいろいろな階層に分かれていきました。また、労働政策からはじかれた部分、たとえば家父長制の外にいるような、シングルや性的マイノリティの女性たちが、貧弱な労働政策や差別的な福祉政策の影響を被っています。いまもなお、女性たちが分断されている状態を考えるときに、「家族」をどう考えるかがひとつの大きな課題ですし、それを考えないと新自由主義を乗り超えていくことは難しいかなと思います。
それは、一国内だけの問題ではなくて、「新国際分業」の問題でもあります。九〇年代になると、グローバリゼーションや自由貿易が加速する中で、再生産労働がサービス産業化し、それに必要な女性が国境を超えて移住をしていくということがありました。
新自由主義というのは何をしたかったか。家事労働の一般化、権利がなく不自由な労働であるということこそが資本家の夢であります。いま起きていることは、男性も普通の自由な労働者の立場から没落して、かつて賃労働が導入されていったときに、男性が女性を主婦という立場に押し込めて犠牲にし自分の損失を補填したように、男性が自らを堕落させている危険があるということです。もともと不可視の経済の中で起きていたことの中に、いまは男性たちがどんどんと引きずり込まれている、とクラウディア・ヴェールホフは分析しています。
いままでは、女性たちとか途上国の人たち、自然環境を踏み台にしてきたしっぺ返しが、いまいろんなところで起きています。とくに貧困が高所得国の女性たちのもとに再び現れています。はたして今のような経済モデルでいいのか、成長重視のモデルでいいのかということを、今日はひとつ提起しておきたいと思います。「生存権」ということを前提にした場合に、いまのような経済成長のモデルでいいのかどうかを、ジェンダーの視点からきちんと見直す必要があるのではないでしょうか。福祉政策を含めて全体の底上げをしていく作業が必要ですし、ベーシック・インカムの議論についても、日本の中でも最近、議論の紹介がジェンダーの観点からされるようになってきたと思います。また、一国内だけではなくて、国境を超えた「社会保険のポータブル化」の話も含めて、世界全体の公正の問題についても考えていく必要があります。
私が属しているリプロダクティブ・ヘルス/ライツの世界的なネットワークの中でも、中絶をすることをもともとは「チョイス(選択)」という言い方をしていましたが、いまは「権利」という言葉を使う人のほうが多くなりました。また、そこに存在する格差の問題をきちんと取り上げようということで、「リプロダクティブ・ジャスティス(正義)」という言い方をする人も多くいます。オルタナティブを考えるにあたって、このような発想も参考になるかなと思っています。
とりあえず私からの問題提起はこれぐらいにしておきます。
(すずき ふみ)
ジェンダー視点からオルタナティブ社会を考える
世界社会フォーラム・首都圏(WSF2010 in TOKYO)
分科会報告 2010年1月24日
新自由主義とフェミニズム―差別と分断をどう乗り越えるか
鈴木ふみ(すぺーすアライズ)
こんにちは。すぺーすアライズの鈴木と申します。私自身は、十数年弁護士の仕事をしており、その中ではドメスティック・バイオレンスの被害にあった女性の弁護をおもな仕事にしてきました。そういう経験から見ると、「家族」というのが世の中で語られているような幸せなものではなくて、むしろ矛盾がすごく多い。暴力、力の格差、精神的な虐待が当然のようにあるものだという視点から「家族」というものをずっと考えているというのが、私のバックグラウンドです。
今日は、新自由主義とフェミニズムの関係についてちょっとお話してみようと思います。
新自由主義というのは、結局、「家族」というものの価値を持ち上げたりとか、ケアを担当する役割を女性に押し付けて無償労働を奨励したりとか、家族の価値を社会の中でうまくつくりだしていくような方法や戦略を展開しました。そうした中で、宗教原理主義の問題がでてきます。新自由主義の話をするときに宗教のことまで話す人ってそんなには多くないかもしれないですが、やはりレーガン、サッチャー、中曾根などの新自由主義の勢力が出てきた背景に、「家族」の価値をどのように位置づけるかがすごく大きかったように思えて、そこを塞いでいたのが宗教原理主義の力だったと思います。日本でも、当時の優生保護法を改悪して女性が中絶できる範囲を削ろうという運動がありました。新自由主義は、「家族」の価値を重視する点で宗教原理主義を利用しましたし、宗教原理主義も自分たちの理想・理念をかなえるために新自由主義の側に立つ政治家に「これを呑めないなら支持できない」というような形で迫っていって、両者には相互依存関係ができていったのです。
新自由主義は、社会に有用な一部の女性については社会進出の機会を与える一方、それ以外の人たちについては家族の一員としての負担を重くしたということで、日本では一九八五年ぐらいが起点になると思います。ここで女性がいろいろな階層に分かれていきました。また、労働政策からはじかれた部分、たとえば家父長制の外にいるような、シングルや性的マイノリティの女性たちが、貧弱な労働政策や差別的な福祉政策の影響を被っています。いまもなお、女性たちが分断されている状態を考えるときに、「家族」をどう考えるかがひとつの大きな課題ですし、それを考えないと新自由主義を乗り超えていくことは難しいかなと思います。
それは、一国内だけの問題ではなくて、「新国際分業」の問題でもあります。九〇年代になると、グローバリゼーションや自由貿易が加速する中で、再生産労働がサービス産業化し、それに必要な女性が国境を超えて移住をしていくということがありました。
新自由主義というのは何をしたかったか。家事労働の一般化、権利がなく不自由な労働であるということこそが資本家の夢であります。いま起きていることは、男性も普通の自由な労働者の立場から没落して、かつて賃労働が導入されていったときに、男性が女性を主婦という立場に押し込めて犠牲にし自分の損失を補填したように、男性が自らを堕落させている危険があるということです。もともと不可視の経済の中で起きていたことの中に、いまは男性たちがどんどんと引きずり込まれている、とクラウディア・ヴェールホフは分析しています。
いままでは、女性たちとか途上国の人たち、自然環境を踏み台にしてきたしっぺ返しが、いまいろんなところで起きています。とくに貧困が高所得国の女性たちのもとに再び現れています。はたして今のような経済モデルでいいのか、成長重視のモデルでいいのかということを、今日はひとつ提起しておきたいと思います。「生存権」ということを前提にした場合に、いまのような経済成長のモデルでいいのかどうかを、ジェンダーの視点からきちんと見直す必要があるのではないでしょうか。福祉政策を含めて全体の底上げをしていく作業が必要ですし、ベーシック・インカムの議論についても、日本の中でも最近、議論の紹介がジェンダーの観点からされるようになってきたと思います。また、一国内だけではなくて、国境を超えた「社会保険のポータブル化」の話も含めて、世界全体の公正の問題についても考えていく必要があります。
私が属しているリプロダクティブ・ヘルス/ライツの世界的なネットワークの中でも、中絶をすることをもともとは「チョイス(選択)」という言い方をしていましたが、いまは「権利」という言葉を使う人のほうが多くなりました。また、そこに存在する格差の問題をきちんと取り上げようということで、「リプロダクティブ・ジャスティス(正義)」という言い方をする人も多くいます。オルタナティブを考えるにあたって、このような発想も参考になるかなと思っています。
とりあえず私からの問題提起はこれぐらいにしておきます。
(すずき ふみ)
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議事録 |
[WSF2010]不可視化する女性移住労働者たち/青山薫(2010年1月) |