オルタ提言の性格について
――政権交代のなかでのこの共同作業の意味
武藤一羊
オルタ提言の会(仮称)が発足した中で民主党への政権交代が起こりそうになり、提言の環境も新しくなりつつあると感じられます。最初の呼びかけの中で、提言の性格は提起されていますが、総選挙後の状況に提言の意味を今一度具体的に位置づけてみることも大事かと思い、メモをつくってみました。
I 政権交代後の展望と問題点―ビジョンと原則
◆政権交代、半世紀にわたる自民党支配を終わらせる局面の変化として歓迎、下からの介入の必要性と余地が拡大することは疑いないと思います。
◆自民、民主、傾向的ちがいはあるが、民主のマニフェストは原則によるものでなく、機会主義的に、また党内諸潮流の力関係によって選択された政策の羅列にすぎません。なにより憲法、対米関係、ネオリベなど原則的問題について立場が不確定です。他方、過半数が右翼である自民党は、選挙で敗北すれば政権党の責任がなくなるので、右翼的に純化する可能性が高いでしょう。すでに麻生氏は選挙演説など手放しの本音を言いまくっています。その状況で、草の根右翼運動の巻き返しが本格化する見通しが高いと思います。こうして自民、民主とも日本をどちらにもっていくかのビジョンは欠如しています。民主は候補者のアンケートでみるかぎり、憲法、軍事、沖縄、労働などで微弱にリベラル左派的傾向を示していることは確かですが、党の実態はもっと右です。社民などと連立して権力をとれば、社民路線はかすみ、社民は、村山社会党の轍を踏む可能性があると私は見ています。共産党は、大企業=ネオリベ批判と対米べったり批判(これもオバマ評価で薄まったようですが)はありますが、なぜか右翼を戦略的要素と数えていません。共産党には一国的展望しかないうえ、囲い込み的体質から脱皮していないので、大きく状況を主導することはむずかしいでしょう。
◆全体として、日本列島社会から政治的原則が消失し、したがってビジョンも失われている状況で政権交代だけが行われるということになります。(いわゆる「ぶれ」とは無原則の表現)そこから二つの可能性が生じるでしょう。(A)世論の流動性の危険な増加―政権の失政(これは必ず起こる)をついた急速な社会の右傾の可能性(製氷皿モデル)。それに乗って、原則なき政権の右へのシフトの危険;(B)他方、民主の分裂を含む「政界再編」による議会政治勢力の極右、右、中間、左(社会運動が相対的に支持しうるある程度有力な議会勢力)への再編・整理の可能性。(A)を食い止めつつ、(B)をうながすことが必要になります。
◆その中で社会運動と社会的世論による「原則にもとづく民衆のアジェンダの形成」が、決定的に重要な要素として表面に出てくるでしょう。それは、(1)政治への介入のテコとしてばかりでなく、(2)社会の中に自立した対抗的民衆力の形成の要素としての意味をも持ちえるでしょう。(2)の方が本来の長期的意味ですが(1)は政権交代という現在の状況下で特殊な役割をもちます。
◆原則的なオルタというのは、問題の設定にかかわります。マスコミの世論調査項目の作り方やテレビで評論家が開陳するあれかこれか式の問題設定が、それじしん真の問題を隠蔽する役割を果たしてきたことを私たちはいやというほど味わってきました。アジェンダ(そして争点)の形成権を、権力、マスコミ、右翼、財界などからどうやって取り戻すか、逆に民衆運動が形成した争点を、私たちの行動や情報チャンネルをつうじて、またマスコミをも媒介に、いかに社会に逆作用させていくかが決定的な意味をもちます。「集団自決」の教科書記述をめぐる沖縄の大闘争や派遣村(象徴的意味で)、また薬害肝炎訴訟の運動など、アジェンダの下からの形成は、個別運動の経験として蓄積されてきました。だが「政権交代」期には日本列島社会全体をめぐる原則にもとづくアジェンダがいやおうなく問われ、求められることになります。
? 提言のレベル
私たちの提言は、このような新しい流動状況のなかに私たちが投げ込まれる一石であると思います。
この状況のなかでいくつものレベルの提言がありうるし、行われるでしょう。個別政策の提言、新政権の総合政策への提言、政党政策への提言など。
私たちの提言は原則的なレベルでの提言を基礎にし、そこから当面の政策が引き出されるという性格のものであろうと私は考えています。一方では、政党レベルの政策とはちがって、われわれのオルタは、日本列島の変革で完結しない開かれたものです。それはグローバルな変革、アジアの変革に連動するような日本列島社会の変革ビジョンでしょう。(直接グローバルな変革を提唱するものではないという意味では日本についてのオルタビジョンですが、この変革は帝国と資本主義の頽勢のなかでそれ全体をくつがえし、「もう一つの世界」をつくりだす運動の中に位置づけられるという意味で一国的には未完結です)。同時にそれは夢のようなビジョンではなく、政権のプログラム、現実政治と切り結び、それへの評価や批判の基準となり、それに影響を与えるものになるでしょう。
? 原則にかんするいくつかの領域
私たちの提言は日本列島社会の在り方について原則を立てるものだと私は思います。原則的とは、日本社会の抱える重要なテーマについて、はっきりした立場を取るという意味です。以下にいくつかのテーマをあげてみましたが、これは、まったく未整理で、思いつくままの羅列にすぎません。項目の選択や記述自身がオルタについての価値観を反映するので、提言がどのようにテーマを選び、記述し、どのような領域をカバーするかの議論こそが大事だと思っています。以下は、例えばどのような種類の領域について、立場と提案を表明することが必要と考えられるかを仮に例示するだけのものです。
◆日本列島住民(日本国民ではない)主体の民衆自治・民主主義
◆列島社会の多元的構成。国内植民地としての沖縄、先住民、在日、移住労働者
◆グローバル資本主義+国内社会―労働、家族、ケア、女性、性的少数者、地域、教育
◆開発モデル、経済成長モデル、貿易構造、産業構造、都市と農村、エコロジー
◆生存権、平和的生存権―普遍的と「一国的」
◆非軍事化―日米安保同盟、東北アジア
◆歴史総括と脱植民地化
◆日本国憲法への態度、1条、9条、25条、国民国家の位置づけ
◆国際的な人権保障との接続
◆国境をこえた民衆のつながりへの展望と手だて;
◆列島住民の運動とたたかいによって獲得されたパワー
◆〈共〉(コモンズ)の形成と〈公〉(国家)の相互作用
? プロセス
提言をつくってどうするのか、だれに見せ、どのような効果を期待するのかという声は第1回の集まりからありました。この問題は、会自身でワイワイ議論するなかで面白いアイディアがでてくると思いますが、私は、提言つくり自身をどのようにしてさまざまな運動にたずさわっている人たちの協働のプロセスにしていけるか、が大事だと思っています。これについては別に議論したいものです。
(2009/8/24)
――政権交代のなかでのこの共同作業の意味
武藤一羊
オルタ提言の会(仮称)が発足した中で民主党への政権交代が起こりそうになり、提言の環境も新しくなりつつあると感じられます。最初の呼びかけの中で、提言の性格は提起されていますが、総選挙後の状況に提言の意味を今一度具体的に位置づけてみることも大事かと思い、メモをつくってみました。
I 政権交代後の展望と問題点―ビジョンと原則
◆政権交代、半世紀にわたる自民党支配を終わらせる局面の変化として歓迎、下からの介入の必要性と余地が拡大することは疑いないと思います。
◆自民、民主、傾向的ちがいはあるが、民主のマニフェストは原則によるものでなく、機会主義的に、また党内諸潮流の力関係によって選択された政策の羅列にすぎません。なにより憲法、対米関係、ネオリベなど原則的問題について立場が不確定です。他方、過半数が右翼である自民党は、選挙で敗北すれば政権党の責任がなくなるので、右翼的に純化する可能性が高いでしょう。すでに麻生氏は選挙演説など手放しの本音を言いまくっています。その状況で、草の根右翼運動の巻き返しが本格化する見通しが高いと思います。こうして自民、民主とも日本をどちらにもっていくかのビジョンは欠如しています。民主は候補者のアンケートでみるかぎり、憲法、軍事、沖縄、労働などで微弱にリベラル左派的傾向を示していることは確かですが、党の実態はもっと右です。社民などと連立して権力をとれば、社民路線はかすみ、社民は、村山社会党の轍を踏む可能性があると私は見ています。共産党は、大企業=ネオリベ批判と対米べったり批判(これもオバマ評価で薄まったようですが)はありますが、なぜか右翼を戦略的要素と数えていません。共産党には一国的展望しかないうえ、囲い込み的体質から脱皮していないので、大きく状況を主導することはむずかしいでしょう。
◆全体として、日本列島社会から政治的原則が消失し、したがってビジョンも失われている状況で政権交代だけが行われるということになります。(いわゆる「ぶれ」とは無原則の表現)そこから二つの可能性が生じるでしょう。(A)世論の流動性の危険な増加―政権の失政(これは必ず起こる)をついた急速な社会の右傾の可能性(製氷皿モデル)。それに乗って、原則なき政権の右へのシフトの危険;(B)他方、民主の分裂を含む「政界再編」による議会政治勢力の極右、右、中間、左(社会運動が相対的に支持しうるある程度有力な議会勢力)への再編・整理の可能性。(A)を食い止めつつ、(B)をうながすことが必要になります。
◆その中で社会運動と社会的世論による「原則にもとづく民衆のアジェンダの形成」が、決定的に重要な要素として表面に出てくるでしょう。それは、(1)政治への介入のテコとしてばかりでなく、(2)社会の中に自立した対抗的民衆力の形成の要素としての意味をも持ちえるでしょう。(2)の方が本来の長期的意味ですが(1)は政権交代という現在の状況下で特殊な役割をもちます。
◆原則的なオルタというのは、問題の設定にかかわります。マスコミの世論調査項目の作り方やテレビで評論家が開陳するあれかこれか式の問題設定が、それじしん真の問題を隠蔽する役割を果たしてきたことを私たちはいやというほど味わってきました。アジェンダ(そして争点)の形成権を、権力、マスコミ、右翼、財界などからどうやって取り戻すか、逆に民衆運動が形成した争点を、私たちの行動や情報チャンネルをつうじて、またマスコミをも媒介に、いかに社会に逆作用させていくかが決定的な意味をもちます。「集団自決」の教科書記述をめぐる沖縄の大闘争や派遣村(象徴的意味で)、また薬害肝炎訴訟の運動など、アジェンダの下からの形成は、個別運動の経験として蓄積されてきました。だが「政権交代」期には日本列島社会全体をめぐる原則にもとづくアジェンダがいやおうなく問われ、求められることになります。
? 提言のレベル
私たちの提言は、このような新しい流動状況のなかに私たちが投げ込まれる一石であると思います。
この状況のなかでいくつものレベルの提言がありうるし、行われるでしょう。個別政策の提言、新政権の総合政策への提言、政党政策への提言など。
私たちの提言は原則的なレベルでの提言を基礎にし、そこから当面の政策が引き出されるという性格のものであろうと私は考えています。一方では、政党レベルの政策とはちがって、われわれのオルタは、日本列島の変革で完結しない開かれたものです。それはグローバルな変革、アジアの変革に連動するような日本列島社会の変革ビジョンでしょう。(直接グローバルな変革を提唱するものではないという意味では日本についてのオルタビジョンですが、この変革は帝国と資本主義の頽勢のなかでそれ全体をくつがえし、「もう一つの世界」をつくりだす運動の中に位置づけられるという意味で一国的には未完結です)。同時にそれは夢のようなビジョンではなく、政権のプログラム、現実政治と切り結び、それへの評価や批判の基準となり、それに影響を与えるものになるでしょう。
? 原則にかんするいくつかの領域
私たちの提言は日本列島社会の在り方について原則を立てるものだと私は思います。原則的とは、日本社会の抱える重要なテーマについて、はっきりした立場を取るという意味です。以下にいくつかのテーマをあげてみましたが、これは、まったく未整理で、思いつくままの羅列にすぎません。項目の選択や記述自身がオルタについての価値観を反映するので、提言がどのようにテーマを選び、記述し、どのような領域をカバーするかの議論こそが大事だと思っています。以下は、例えばどのような種類の領域について、立場と提案を表明することが必要と考えられるかを仮に例示するだけのものです。
◆日本列島住民(日本国民ではない)主体の民衆自治・民主主義
◆列島社会の多元的構成。国内植民地としての沖縄、先住民、在日、移住労働者
◆グローバル資本主義+国内社会―労働、家族、ケア、女性、性的少数者、地域、教育
◆開発モデル、経済成長モデル、貿易構造、産業構造、都市と農村、エコロジー
◆生存権、平和的生存権―普遍的と「一国的」
◆非軍事化―日米安保同盟、東北アジア
◆歴史総括と脱植民地化
◆日本国憲法への態度、1条、9条、25条、国民国家の位置づけ
◆国際的な人権保障との接続
◆国境をこえた民衆のつながりへの展望と手だて;
◆列島住民の運動とたたかいによって獲得されたパワー
◆〈共〉(コモンズ)の形成と〈公〉(国家)の相互作用
? プロセス
提言をつくってどうするのか、だれに見せ、どのような効果を期待するのかという声は第1回の集まりからありました。この問題は、会自身でワイワイ議論するなかで面白いアイディアがでてくると思いますが、私は、提言つくり自身をどのようにしてさまざまな運動にたずさわっている人たちの協働のプロセスにしていけるか、が大事だと思っています。これについては別に議論したいものです。
(2009/8/24)
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第3回 レジュメ「労働と雇用の問題をめぐって」/白川真澄 |
資料 |
オルタ提言の会の討論の進め方/白川真澄(第3回) |