東電前抗議への参加や責任追及を迷う/見送るすべてのひとへ呼びかけます、「今こそ抗議が必要な理由」/園良太
「園良太の日記」より。
http://d.hatena.ne.jp/Ryota1981/20110321/1300649351
20日?22日の東電前抗議は終わっていますが、長文の呼びかけには重要な指摘が含まれています。(PP研)
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3月20日の東電前抗議、ユーストリーム中継映像です。その1:http://www.ustream.tv/recorded/13441127
その2:http://www.ustream.tv/recorded/13444455
そして21日、22日も13時からやります、告知文は以下に!
どうして東京電力と日本政府の責任を追及するのか。原発はおかしい、政府と東電は良くないと思う人でも、「今はまだやめた方が良い」と思う人も多いでしょう。しかしそれは絶対に間違っているし、この閉じた島国でしか通用しないことだと思います。
自分が行動を呼びかけた動機を書きました。この東電前抗議は色んな動機や考えの人が参加できる場ですから、どんどん来て下さい。その中で、ぼく自身はこう考えています。
それは、端的に言って【今の日本は政府も東電もメディアも人々も、アジア太平洋戦争に突入した時と同じことをしている】からです。あの最悪の戦争を起こした体質がこの国は66年経っても全く変わっていないことが実証され、最悪の事態が進んでいると思うからです。今それを変えなければ二度と変わらないし、被災者と被爆者に顔向けができないと思うからです。
1:事故や戦争の責任者が反省・謝罪をする前に「国民一丸となること」を呼びかける。
原発事故の最大の責任者は、原発を推進し、反対の声も全く聞き入れなかった東電と日本政府。彼らが自分の責任をあいまいにしたまま「危機に対してみんなで立ち向かおう」とマスコミを利用して呼びかける。これは自らの失敗と責任を隠すためのとんでもない悪宣伝です。かつての戦争で戦犯の政治家などが人々に「一億総ざんげ」を呼びかけたことと同じです。そして責任追及をされたくない、原発利権を手放したくないからこそ、「作業は成功しました」「もう大丈夫です」「放射能は微量です、落ち着いて下さい」と今さら誰も信じられない上から目線の宣伝をたれ流し、同僚が放射能を大量に浴びてしまい苦悶する消防員や作業員を会見席に引っ張り出して「頑張りました!」と言わせる。これもかつての戦争で最後近くまで「連戦連勝」とウソをつき、沖縄戦や原爆投下で数え切れない人が殺されるまで戦争を終わらせようとしなかった指導部と同じです。そして日本には「国民」以外の外国人もたくさんいて、彼らを排除や差別することにもなりかねない(これも関東大震災や大戦時に起きたことでした)。だまされちゃいけない。
2:震災や戦争を利用して「節約」と「軍事化」を呼びかける。
これも大事故の責任者が自らの責任を放棄したまま一方的に呼びかけています。根拠があいまいな「輪番停電」や「節電」の呼びかけは、かつての戦争で「ぜいたくは敵だ」「欲しがりません勝つまでは」というスローガンを普及させ、国家が私たちの生活や意識を統制したことと同じです。電力は家庭や一人ひとりの生活よりも、大企業の経済活動や繁華街のイルミネーションの方が大きく消費しています。日本政府も東電もそれを止めたくないからこそ、私たちの「心がけの問題」にすり替えています。日本の人々は権力者や大ききな構造を問題視するよりも「自分の心がけの問題」や「精神論」の方を受け入れやすい。そしていま震災を機に自衛隊や米軍の存在がどんどん社会とメディアの中に進出していますが、それも軍隊が社会の主導権を握るというかつての戦争と同じ動きです。そうではなく、権力者は私たちを抑圧するし、それを乗り越えようとする私たちの行動こそがこの社会をつくります。
3:原発作業員を英雄視する/特攻隊員を英雄視する
政府や東電は、福島原発の放射能拡散を止める作業員を「誇りに思う」「職務を全うした」と言います。私たちの中にもそうした見方が広がっています。何度でも言いますが、確実に命を縮める作業をさせたのは彼ら政府や東電のトップであり、その人間が責任を取る前にそうした発言をするのは倫理が腐敗しています。その上で、人は誰でも幸せに自由に生きることを望んでおり、命令された死を望む人はいません。福島原発内の作業員は9割が東京電力の社員ですらなく、下請けの労働者です。参考:「命の値段」に「祈る」前に行動しよう。http://list.jca.apc.org/public/cml/2011-March/008086.html
「誇り」でも「全うすべき職務」でもなく、生活のために命令を拒否できない立場にされているから一番危険な作業をしているのです。政府と東電と無関心な人たちに「させられている」のです。これはかつての戦争で特攻隊員を死に向かわせたシステムと同じであり、現代人が彼らを英雄視することも共通しています。「死を美化すること」は現実直視を避けることです。そして彼らに死を押し付けている私たちの「後ろめたさ」を自分でごまかすためのものです。自分がやりたくないことを他人に押し付けるのはやめよう、死の労働と死の被爆を生み出す原発システムを変えよう。
4:問題の根本を指摘する人に自粛を求める/「非国民」扱いする
「あまりの被災の大きさを考えると、今は政府批判より支援や協力をしよう」という意見があります。気持ちはわかります。しかし原発事故は戦争と同じ「人災」です。それを引き起こした責任者=加害者と、その被害者がいます。その追及をやめるのは、「いざ戦争になってしまったら、政府批判より国民が一つになろう」というかつての戦争で異論を全て封じ込めた「挙国一致体制」と同じです。「事態が落ち着いてきたら責任を追及し、政策を変えさせよう」という声もあります。しかしそれまで政府への怒りと関心が持続しているなら、この国は今までの事故や社会問題でとっくに変わっています。落ち着く頃には必ず政府と東電の「もう放射能は大丈夫、これからはもっと安全な原発を!」という大量のメッセージがマスコミからすでに垂れ流されているでしょう。日常の忙しさに追われる私たちは、それに抗うエネルギーが今より少なくなっているでしょう。
こうして日本社会は異論を排除し「非国民」扱いするし、現状を変えたいと思う人も行動を自粛してしまいます。しかしかつての戦争後は、異論を唱えなかったことを後悔する人もたくさんいました。1980年代、何万人もの人が日本の反原発デモに出ても原発は減らなかった。でも今かつてないど私たちは被爆の恐怖にさらされ、関心が高まっています。だからこそ「挙国一致」を繰り返すさず、今からたくさんの異論を出していこう!
5:他者への暴力。地方とアジアに原発を押し付ける/アジアを侵略する。
原発は常に東北や日本海側といった地方都市に作られています。その電力を一番使っているのは原発のない東京です。つまり東京がその豊かな生活と企業活動を維持するために地方に原発を押し付けています。そして日本政府や原発関連企業は原発での金もうけを続けるために、「日本の原発は世界一安全、地震にも耐えられる」と大ウソをつきながら、ベトナムやインドなどアジア各国に売りつけようとしています。きっとそれらの国でも反対する地元住民を無視して工事を強行するでしょう。つまり全て東京に本部を持つ人々が「日本政府→東電や大企業→マスメディア→東京人」というゆるい上下関係と共犯関係の中で、見えにくい場所に原発を押し付けている(これは米軍基地や産業廃棄物の処理施設も全く同じ)。これはかつての戦争で中国、朝鮮、アジア各国を侵略・植民地支配し、今もなおその責任をきちんと取っていないことと同じです。地方や他国に暴力を押しつけるな、原発はどこにもいらない。
6:現代特有の問題――「情報被爆」
日本政府と東電の責任を追及せず、自分たちの責任を見つめず、「作業員頑張れ」とエールを送ってしまう。こんなに残酷で無責任なことは無いのに、どうしてそうなってしまうのか。それはテレビやインターネットが間接的なものであり、それのみから現実や他者を知ろうとするとどうしても底の浅い理解になってしまうからです。
現代のテレビやtwitterは情報のスピードが速く、次々と緊急速報や不安情報が飛び込みます。私たちはそれを追うだけで精一杯になり、いつからか見たくない情報を見なくなります。だからこそ作業員や被爆者の痛みに対して「書き込み」をするだけで、それ以上の「行動」をすることができなくなってしまい、最終的にひたすら無関心になる。そして自分自身の不安・不満や現実を変えられる力が自分にあるということも抑え込んでしまう。
だからこそ、フリーター全般労組は声明でこう書きました。ぼくはこれに触発されました。
http://d.hatena.ne.jp/spiders_nest/20110317
>直接の被害を受けずにいるすべての人々に私たちは呼びかける。圧倒的な津波や火災のスペクタクル、圧力容器内の水位を伝える字幕の数々、御用学者の言う「直ちに健康被害はないレベルです」というコメント、これらの無限ループ映像に曝される日々から抜け出そう。この「情報被曝」は私たちに「祈るしかない」という無力感を作り出し、今回の事態に責任を負うべき者や制度をあいまいにする政府・電力会社の言いわけへの同意を作り出している。いっときも早く、この「情報被曝」による被災から回復し、責任者を名指し追求することが必要であると私たちは考える。
さあ、また今日から一緒に動いていきたいです。
「園良太の日記」より。
http://d.hatena.ne.jp/Ryota1981/20110321/1300649351
20日?22日の東電前抗議は終わっていますが、長文の呼びかけには重要な指摘が含まれています。(PP研)
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3月20日の東電前抗議、ユーストリーム中継映像です。その1:http://www.ustream.tv/recorded/13441127
その2:http://www.ustream.tv/recorded/13444455
そして21日、22日も13時からやります、告知文は以下に!
どうして東京電力と日本政府の責任を追及するのか。原発はおかしい、政府と東電は良くないと思う人でも、「今はまだやめた方が良い」と思う人も多いでしょう。しかしそれは絶対に間違っているし、この閉じた島国でしか通用しないことだと思います。
自分が行動を呼びかけた動機を書きました。この東電前抗議は色んな動機や考えの人が参加できる場ですから、どんどん来て下さい。その中で、ぼく自身はこう考えています。
それは、端的に言って【今の日本は政府も東電もメディアも人々も、アジア太平洋戦争に突入した時と同じことをしている】からです。あの最悪の戦争を起こした体質がこの国は66年経っても全く変わっていないことが実証され、最悪の事態が進んでいると思うからです。今それを変えなければ二度と変わらないし、被災者と被爆者に顔向けができないと思うからです。
1:事故や戦争の責任者が反省・謝罪をする前に「国民一丸となること」を呼びかける。
原発事故の最大の責任者は、原発を推進し、反対の声も全く聞き入れなかった東電と日本政府。彼らが自分の責任をあいまいにしたまま「危機に対してみんなで立ち向かおう」とマスコミを利用して呼びかける。これは自らの失敗と責任を隠すためのとんでもない悪宣伝です。かつての戦争で戦犯の政治家などが人々に「一億総ざんげ」を呼びかけたことと同じです。そして責任追及をされたくない、原発利権を手放したくないからこそ、「作業は成功しました」「もう大丈夫です」「放射能は微量です、落ち着いて下さい」と今さら誰も信じられない上から目線の宣伝をたれ流し、同僚が放射能を大量に浴びてしまい苦悶する消防員や作業員を会見席に引っ張り出して「頑張りました!」と言わせる。これもかつての戦争で最後近くまで「連戦連勝」とウソをつき、沖縄戦や原爆投下で数え切れない人が殺されるまで戦争を終わらせようとしなかった指導部と同じです。そして日本には「国民」以外の外国人もたくさんいて、彼らを排除や差別することにもなりかねない(これも関東大震災や大戦時に起きたことでした)。だまされちゃいけない。
2:震災や戦争を利用して「節約」と「軍事化」を呼びかける。
これも大事故の責任者が自らの責任を放棄したまま一方的に呼びかけています。根拠があいまいな「輪番停電」や「節電」の呼びかけは、かつての戦争で「ぜいたくは敵だ」「欲しがりません勝つまでは」というスローガンを普及させ、国家が私たちの生活や意識を統制したことと同じです。電力は家庭や一人ひとりの生活よりも、大企業の経済活動や繁華街のイルミネーションの方が大きく消費しています。日本政府も東電もそれを止めたくないからこそ、私たちの「心がけの問題」にすり替えています。日本の人々は権力者や大ききな構造を問題視するよりも「自分の心がけの問題」や「精神論」の方を受け入れやすい。そしていま震災を機に自衛隊や米軍の存在がどんどん社会とメディアの中に進出していますが、それも軍隊が社会の主導権を握るというかつての戦争と同じ動きです。そうではなく、権力者は私たちを抑圧するし、それを乗り越えようとする私たちの行動こそがこの社会をつくります。
3:原発作業員を英雄視する/特攻隊員を英雄視する
政府や東電は、福島原発の放射能拡散を止める作業員を「誇りに思う」「職務を全うした」と言います。私たちの中にもそうした見方が広がっています。何度でも言いますが、確実に命を縮める作業をさせたのは彼ら政府や東電のトップであり、その人間が責任を取る前にそうした発言をするのは倫理が腐敗しています。その上で、人は誰でも幸せに自由に生きることを望んでおり、命令された死を望む人はいません。福島原発内の作業員は9割が東京電力の社員ですらなく、下請けの労働者です。参考:「命の値段」に「祈る」前に行動しよう。http://list.jca.apc.org/public/cml/2011-March/008086.html
「誇り」でも「全うすべき職務」でもなく、生活のために命令を拒否できない立場にされているから一番危険な作業をしているのです。政府と東電と無関心な人たちに「させられている」のです。これはかつての戦争で特攻隊員を死に向かわせたシステムと同じであり、現代人が彼らを英雄視することも共通しています。「死を美化すること」は現実直視を避けることです。そして彼らに死を押し付けている私たちの「後ろめたさ」を自分でごまかすためのものです。自分がやりたくないことを他人に押し付けるのはやめよう、死の労働と死の被爆を生み出す原発システムを変えよう。
4:問題の根本を指摘する人に自粛を求める/「非国民」扱いする
「あまりの被災の大きさを考えると、今は政府批判より支援や協力をしよう」という意見があります。気持ちはわかります。しかし原発事故は戦争と同じ「人災」です。それを引き起こした責任者=加害者と、その被害者がいます。その追及をやめるのは、「いざ戦争になってしまったら、政府批判より国民が一つになろう」というかつての戦争で異論を全て封じ込めた「挙国一致体制」と同じです。「事態が落ち着いてきたら責任を追及し、政策を変えさせよう」という声もあります。しかしそれまで政府への怒りと関心が持続しているなら、この国は今までの事故や社会問題でとっくに変わっています。落ち着く頃には必ず政府と東電の「もう放射能は大丈夫、これからはもっと安全な原発を!」という大量のメッセージがマスコミからすでに垂れ流されているでしょう。日常の忙しさに追われる私たちは、それに抗うエネルギーが今より少なくなっているでしょう。
こうして日本社会は異論を排除し「非国民」扱いするし、現状を変えたいと思う人も行動を自粛してしまいます。しかしかつての戦争後は、異論を唱えなかったことを後悔する人もたくさんいました。1980年代、何万人もの人が日本の反原発デモに出ても原発は減らなかった。でも今かつてないど私たちは被爆の恐怖にさらされ、関心が高まっています。だからこそ「挙国一致」を繰り返すさず、今からたくさんの異論を出していこう!
5:他者への暴力。地方とアジアに原発を押し付ける/アジアを侵略する。
原発は常に東北や日本海側といった地方都市に作られています。その電力を一番使っているのは原発のない東京です。つまり東京がその豊かな生活と企業活動を維持するために地方に原発を押し付けています。そして日本政府や原発関連企業は原発での金もうけを続けるために、「日本の原発は世界一安全、地震にも耐えられる」と大ウソをつきながら、ベトナムやインドなどアジア各国に売りつけようとしています。きっとそれらの国でも反対する地元住民を無視して工事を強行するでしょう。つまり全て東京に本部を持つ人々が「日本政府→東電や大企業→マスメディア→東京人」というゆるい上下関係と共犯関係の中で、見えにくい場所に原発を押し付けている(これは米軍基地や産業廃棄物の処理施設も全く同じ)。これはかつての戦争で中国、朝鮮、アジア各国を侵略・植民地支配し、今もなおその責任をきちんと取っていないことと同じです。地方や他国に暴力を押しつけるな、原発はどこにもいらない。
6:現代特有の問題――「情報被爆」
日本政府と東電の責任を追及せず、自分たちの責任を見つめず、「作業員頑張れ」とエールを送ってしまう。こんなに残酷で無責任なことは無いのに、どうしてそうなってしまうのか。それはテレビやインターネットが間接的なものであり、それのみから現実や他者を知ろうとするとどうしても底の浅い理解になってしまうからです。
現代のテレビやtwitterは情報のスピードが速く、次々と緊急速報や不安情報が飛び込みます。私たちはそれを追うだけで精一杯になり、いつからか見たくない情報を見なくなります。だからこそ作業員や被爆者の痛みに対して「書き込み」をするだけで、それ以上の「行動」をすることができなくなってしまい、最終的にひたすら無関心になる。そして自分自身の不安・不満や現実を変えられる力が自分にあるということも抑え込んでしまう。
だからこそ、フリーター全般労組は声明でこう書きました。ぼくはこれに触発されました。
http://d.hatena.ne.jp/spiders_nest/20110317
>直接の被害を受けずにいるすべての人々に私たちは呼びかける。圧倒的な津波や火災のスペクタクル、圧力容器内の水位を伝える字幕の数々、御用学者の言う「直ちに健康被害はないレベルです」というコメント、これらの無限ループ映像に曝される日々から抜け出そう。この「情報被曝」は私たちに「祈るしかない」という無力感を作り出し、今回の事態に責任を負うべき者や制度をあいまいにする政府・電力会社の言いわけへの同意を作り出している。いっときも早く、この「情報被曝」による被災から回復し、責任者を名指し追求することが必要であると私たちは考える。
さあ、また今日から一緒に動いていきたいです。