【連続講座】運動史から振り返る原発と原爆
<運動史から振り返る原発と原爆
――被爆国日本はなぜ原発大国になったのか>
【発言録】
第5回 原発・水俣病・科学技術
発言者 最首悟(雑事家<ぞうずか>)
2012年9月29日
平井さんとは久しぶりですね。朝日ジャーナルで対談をしたのは、一九八四年でしたか。ええ、今日はA1という地下鉄の出口を出てそのまま歩いたら、直角に歩いていたらしくて、だいぶ遠くまで行ってしまって。すみません、遅れました。五時半に着いたんですけどね。江戸川橋には。
それで平井さんの問題提起を受けてという感じなのですが、話は第5回目ともなりますと、相当、少しずつ根っこを掘っていった先という感じになってまいりますね。菅孝行さんとか、いろんな方が出られてしゃべっているわけですけれども。だんだんと、やっぱり根っこに行かざるを得ない。その根っこのところが、私のレジュメの最初の三つです。私にとっての今の根っこということになります。
これは一四〇字みたいな感じですね。ツイッターです。昨年の三・一一以後、そろそろ長いことないんだから、一日一回くらいは発信してみてくれませんかという若手からの要請があって、たぶん四月の半ば頃から、一日いっぺんツイッターを発信するということにしました。「ssaishu」という名前です。一日二回発信する時もありましたが、今は五三〇回くらいまで来ました。結構なりますねぇ。レジュメの二つ目、三つ目が、昨日今日あたりのツイッターです。
今日の話もあるので、平井さんと話ししながら、こういうことも言うかなと思って、明日あたりのツイッターのつもりが第一番目の、世界・宇宙は場である。場はいのちとルビをふろうと思います。場以前というのは問えないという、カントみたいな感じですよね。結局行き止まりになるということがあって、その行き止まりの所で何を設定するかで、ヨーロッパは苦労してきたわけです。
場というのは、物を生み出すわけです。物理学的に言いますと、ヒッグス場というのが、ちょうどそのようになっています。ヒッグス場というのは励起してヒッグス粒子みたいなものを生み出しているという仮定で、その一瞬の、一瞬も一瞬垣間見たとのことです。相当根本的な場であることは確か。
ところが、物というものがまた場を生み出してしまうという、相互作用がある。しかいどういうものを生み出すのか、よくわからない。後付けしかできない。ヘーゲル的な弁証法というのがありまして、対立するものが死闘を繰り返す。そうすると両方とも死んじゃう。死んだところに新しいものが生まれるんですけれども、お互い対立して死ぬ戦いをして死んじゃったものにとっては、新しいものは何なのかなんて全然分からない、相当荒々しい話しです。
場というのも、そういう意味で何を生み出すかわからない。生み出したものを人間は説明して来た、ということになりますけれども想定はできない。ですから想定内とか想定外とかいうのは、そもそもそういう話しをしていること自体がおかしいわけですよね。
この場をいのちと言い、いのちから励起して来る活動というのがありまして、――こういう話しを最初からして申し訳ないのですが――ポテンシャルみたいな力、潜在的力があって、それが見えて来るわけです。ヒッグス粒子というのも力そのものみたいな、質点に重さにかかわる量にを与えるとかね。
そういう物もいのちとする。場もいのちで、出て来たいのちも物で。ただちょっと、今日も平井さんがドゥルーズ・ガタリをひいて、円と丸というのを書かれて、潜在被爆フリーターでしたっけ、ポテンシャル的な被爆フリーターという文章を平井さんがお書きになって、そのなかでドゥルーズ、ガタリのマルという事と円。円というと定義はできるがマルは定義できない、ということを言っていますけれど。マルというのは一応閉じたものという意味で、形を成す。
そのなかの特殊形が、正円です。中心があって半径等しくぐるぐると回すという円というのは、特殊な形としてあるわけですけれども、普通は位相的に一つの閉じた形。一応トゲトゲまで、つまり尖った事まで含めて、全部閉じた形をマルと言ってもいい。そのマルがいつも流動するわけですね。つまり不定なマル。絶えず流動するマルだけれども閉じている。場とという考えは流動そのもので閉じていない。ですから場が閉じるという事が、一つの物なんですね。閉じるには力がいる。場が局所的に閉じるというのがマルという形を、マルと言わずに形を生み出すという。そういうのを具象と言います。もちろん場はそういう意味では抽象です。根を掘っていくとなると何だか哲学っぽいような話しにどうしてもなる。
その根源的な所の一つの行き止まりを、世界とか宇宙とか言いって、それは場であり、その場をいのちというのだというのが私の今の立場です。今言いましたように、抽象のいのち、開いたいのちというのが、いろんな閉じた具象のいのちになる。そういうのを何と呼ぶかというのが、また問題になりますけれども。私の立場というのは、何でも漢字が出てくれば全部いのちとふっちゃうみたいな、すべていのち。それは考えてみると、西欧というのは非常に厳密さを追っかけてきたわけですけれども、その厳密さの根っこというのは、あんまり確かではないんですね。
例えば一九三〇年代、フッサールという人が、超越的現象論などと厳しいことを言って、自分はそれにいのちを捧げて来たみたいな感じで、『諸学の危機』という書物を最後に書いた。非常に厳密さを追求して、そこから一九三〇年代ヨーロッパはまたふたたびというか、思考について、フッサールを元にして展開して行く。そのなかにマルクスがどう位置づくのかということになるのですが。フッサールの厳密さの元というのは、なんとエンテレキーなんですね。エンテレキーというと「息のみち」みたい、「いぶき」とかいのちに係わる。
その辺のことをまたほじくり出してくるのが、マイケル・ポラニー、物理とか化学の専門家なのですが、だんだんと世界観みたいなことにいたる。大もとが「X」みたいなことになる。「X」と言ったのは栗本慎一郎でしょうか。「隠された実在」、「隠れている実在」というと、何かすでにありそうな感じになってしまい、言い過ぎのようですから、なんだかかわからない「場」といったほうがいい。「場」の実在と言ったところで雲をつかむような話ですから。
そこが私の今の一つの立場みたいになっています。何もないわけではないが実体とか実在と言われると困る、それ以前の事態を問題にしたい、有と無は相互関係にならない、有は無を生み出すかというと自信がない、せいぜい人間が無を際限なくまき散らすというくらいでしょう。場と物はニワトリと卵の関係になっていて、切り離せない。そしてすべての名辞に「いのち」とルビをふろうというわけです。振ってなくてもいのちという隠れルビがある。「いのちはいのち」。これを真言と称して、これを毎日唱えようと。ナミアミダブツとか南無妙法蓮華経というのはどうもちょっともの欲しそうなんですね、救うとか救われたいとか、それに自分が正しいとセクト争いをするし。いのちはいのちから、いのちはいのちによって維持されている。いのちはいのちを喰ってしか保たれない、そしていのちはいのちに還る。
いのちの属性というのは、本質の表れとしていっぱいあるんでしょうけれども、その一つとして、万人が合意できそうなのは、「つづく」ではないか。いのちの本質そのものはわからない。かくいう私は具象的な、閉じたというか、形あるという意味で閉じたいのちである。閉じた形と言えば素粒子もいのちなんですね。ありとあらゆる形ということで人間が一瞬にしても形として見て取ったものは、いのちの具体形であるということにします。
こんな考えになったのは、七〇年から考えとしては万策尽きたというか、そういうところで一九七六年、四番目の子どもで三女の星子が生まれて来てからです。それから思ってもみなかったことが三つ展開しました。予備校で教え始めたこと、児童文学の書評を始めたこと、一番大きかったのが、水俣へ行くということです。
水俣については、ありていに言えば、学問ということをどうしようかということになりますが、三里塚と水俣というのが具体的な運動としてあって、それに出かけるのを良しとしないということもあった。当然、学術調査団などというのはとんでもない話しであって、お断りしたんですが、なんと石牟礼道子さんが上京して来てうんぬんがあって、行くということにことになっても、行ってどうしていいか分からない。原田正純さんが「日記をつけている漁師がいるよ」という話しをしてくださって、その当時はまた辺ぴな女島という島ではないところの井川太二さんに通うことになった。それからもう一つ、こんども原田さんが「森千代喜さんという御所浦の漁師が日記をつけているよ」というので、御所浦の森さんのところへ通うことになる。これは海を渡らなければならないので、大変でした。
星子が生まれたのは私が四〇歳の時でしたが、それから三六年、いろいろと他己規定があっておっしゃる通りですよと受け取っていわば楽に生きられるのには、「思想も実践もわかっちゃいない」、「筋金入りの反科学者」、「職業的恥しらず」などです。今年の春は、『情況』とか『現代思想』とか『現代詩手帖』とか、吉本隆明についてか書くというので、そのなかで吉本の「思想も実践もわかっちゃない、このチャラチャラした助手」に触れましたが、そのなかで自己規定としては星子御用達の三助だということを書きました。これも楽するための規定かもしれません。存在感、実感が一番あるというか。待ったなしで星子を風呂に入れなくてはいけない、私の実のある仕事です。ほかはインチキとか虚業とかの匂いが消せない。食事作りなどもしますが、星子の母親からはままごと遊びの域としか評価されない。三助だけはちゃんと評価される。
それに関係してくるのが、吉本の「大衆の原像」で、『現代思想』に「大衆の玄像」を書きました。玄は玄関の玄。黒いの玄にしました。玄像というのは「知られない」という意味です。谷川雁の「原点がある」があるにしても、吉本隆明の「大衆の原像」にしても、実在するはずだ、原基、基(もと)があるはずだという枠組みのなかです。「大衆は知られない」という思いがない。やっぱりヨーロッパに絡め取られている。吉本隆明もね。そこらへんのことを少し、何となくチクチクやったような感じの文章ですが、あるにしてもかすむ、本質としてのあいまい、少なくとも日本列島の大勢の人、大衆はそう考えていて、そして当然ながら大衆の規定もクリアカットにならないということです。
もう一つは、星子御用達の三助は逃げ込む「逃げ場」でもあるけれど、そこから先逃げ場がないということです。星子のそばに居るというのは押し掛けて的かもしれないけれど、そこから離れてどこかには行けない。すこし広げて状況的な逃げ場となると、水俣に行って東京に逃げ帰ってくることができるかということです。もしそうできるとして東京が逃げ場であるとはどういうことか。もはや逃げ場ない、祈るしかない、その「祈るべき天」が病んでしまった。「祈るべき天と思えど天の病む」(石牟礼道子)。すべては病んでいる、健康なものは一人もいない。その世界での「直る」、直すとはなにか。関西と言うか、水俣に行きますと、「しまう」という意味が今でもあります。仕舞う、終うとはなにか。
治すというのは幻想であるとは、「治療という幻想―傷害の医療からみえること―」(現代書館、一九八八)の石川憲彦です。治すでなくて直るとはいのちから立ち上がっていのちであるもののありようです。
そこに医者がどう係わるかという話しなんです。原田さんはそういうふうにして水俣病に係わったと思う。水俣病では「治る」ことがありませんので、「直る」しかないんですね。水俣病にかかわる医者の医者らしいところと言えば、「直る」にかかわっていくしかない。病は気からと言ってそれが受け入れられる資格が問題ですが、それをふくめて心が体のメカニズムに影響を及ぼしていくというプラシーボ反応というのがあります。アメリカがいちばん関心を持っている。プラシーボとはもともとニセの薬で、標準的には乳糖を使います。「これは治るんだよ」「これは特効薬だよ」と言うと、大体効く、目覚ましい効き方をするときもある。
ところが逆偽薬というか、たとえば喘息ですと、私は三歳からの喘息ですが、気管支の痙攣を抑えるのと拡張するのとが薬で、その逆の喘息を起こしてしまうほかの用途の薬があります。それをイソプロテレノールという喘息を鎮める気管支拡張剤だと言って与えると、喘息が静まる。日本での例では、漆にかぶれた高校生数十名に対する研究があります。目隠しして両腕に漆の葉と楓の葉を貼りつける。楓の葉の方の腕にふれて、「こっちが漆です」と言うと、赤く腫れて来る。これは物質的な問題にかかわる。気は心、心は身体。万葉のころは気はいのちです。物に係わってくるのがプラシーボ効果、物が関わらない、そばに居るだけでいいというのがプラシーボ反応です。身は市川浩から立川昭二、鷲田清一など。身のほど知らずというと広がった概念で、心身二元はあまりにせまい、それが西欧米批判になってゆく。マイケル・ポランニーもそこからの出発です。
すべてが病んだなかでの「直る」というのは何かという問題が、水俣病では非常に大きい。杉本栄子さんは、もともとすごい女性であったのでしょうけれど、「水俣病になってよかった」という。おそらく「直る」に関係しているけれど、尋常のことでは、この言葉を分かったとは言えない。
治らない病気ということで言えば、放射線の照射病というのは、蓄積するばっかりで治らない。水俣病の場合は、その全容のはるか手前のところでまだわからない。私はわからないという立場です。つまり有機水銀を原因として、有機水銀が環境に放出されて、それを生態系、食物連鎖によって人間が食べたことによって起こる病気を水俣病というのは、これは原田さんはじめ、大方の定義です。それは狭すぎると私は思っている。有機水銀単体だけでなく、特に胎児に影響を及ぼす、そのほかの物質との超微量重畳相乗効果とをを認めないとかね。
今はまだ逆、患者側に立つ人も狭く定義しなければ敵に責任回避の道を与えてしまうとする。もちろん最初の段階の極端に狭い定義は症状に関してで、それが国家のためにもチッソのためにも日本のためにも、そして患者のためにもなるというのが大義名分。症状をしぼることで、自分は水俣病じゃない、大丈夫だよという安心感、嫁に行ける(家族、親類が水俣病だとわかると嫁に行けない)とかね。猫が病む、積み、呪いにかかわるような凄まじい症状、あんたは水俣病じゃないんだという必要があると思った医者がいたことは事実です、それが自分は水俣病と言い張るのは根性曲りの拝金亡者という見方につながってゆく。それが東大医学の国主ともなれば、人そのものが目に入らなくなる。国の手、国手は国を第一に考える、国を治す医者です。
原爆病と同じように治らない、そして同じようにブラブラ病と呼ばれた水俣病を踏まえて、福島が出て来た。福島は、津波によって死者は凄かったけれども、少なくとも原発被害では、直接、そのまま急激に熱傷で火傷でただれて死んだという人はいないわけです。あるいは厚く隠されている。その意味ではちょっと温和なかたちになって、温和なだけにもっと長引く病気として出てくるだろうし、全国に五十数基もあってはいよいよ逃げ場はなくなったという感じです。
私たちの世代は結核を体験している。私も父親からの結核を患いました。一番こたえるのは午後微熱が出て何をやろうとしてもできない状態です。そのつらさの何層倍かがブラブラ病です。働くにも働けない、周りからは怠け者だと指弾される。熊本県庁内で言っていたブラブラ病とは、働きたくない、働かないで生活保護と同じような金が欲しい。税金から生活費をかすめ取ろうとしている。あまつさえ補償金も取ろうとしている。そういう根性の悪いやつの詐病です。いのちをないがしろにしている限りは、福島も多かれ少なかれそういう差別的な見方がされるようになるだろう。
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