[『季刊ピープルズ・プラン』58号・研究会/プロジェクト報告]
戦後研究会
シリーズ「構造改革派/論」を続けている。
四月は前回三月の準備を踏まえて、安藤紀典さんにお越しいただき、「全自連系」と呼ばれる六〇年安保闘争後の構造改革派系学生運動の流れについて話をうかがった。
全自連(全国学生自治会連絡会議)は、安保闘争で全学連の行動が二つに割れた際、ブント系の全学連主流派に対し、反主流派と呼ばれた潮流で、安保闘争後の七月に結成された。ここには、共産党中央に比較的従順な自治会と早稲田・東大・東京教育大といった構造改革派系の自治会とが同居していた。したがって党中央での構改派離脱の動きに翻弄され、学生運動自体も全学連を「再建」(=分裂の固定化)すべきかどうかで判断が割れる。安藤さんが事務局長を務めた「全学連再建協」もその点が曖昧で、結局六一年段階で「まとまり」としては解消し、全自連「系」と呼ばれる存在になっていった等の説明があった。大変勉強になるお話だった。
こうした全学連反主流派・全自連系となる学生運動を論じたり回想した本はあまり多くない。比較的まとまった形で出版されたほぼ唯一の書物として、早稲田の杜の会編『‘60年安保と早大学生運動』(ベストブック・〇三年)がある。五月は同書を取り上げた。特に全学連反主流派から全自連への流れをテーマとした座談会を素材として議論した。
座談会では、主流派と反主流派には「層としての学生運動」の発展をどれだけ真剣な課題とするかに違いがあった一方で、共産党中央に対しては、結局独自の「機関」を確保しておらず、党と伍して活動を続けるような準備ができていなかったということが語られていた。研究会でも、つまり「執念」がなかったのだと指摘がされた。もちろんそこには「党づくり」ではない運動の良さも存在したと思われる。
六月は、民青系全学連の動向も押さえようと、川上徹・大窪一志『素描・一九六〇年代』(同時代社・〇七年)を読んだ。同書からは、真面目に「層としての学生運動」を受け止め発展させようとした活動が読みとれ、その努力もあり民青もかれらの全学連も六〇年代に量的な膨張を遂げる。しかし、「革命」の中に学生運動を位置づけようとする「層としての学生運動」自体に果たしてどこまで可能性があったのか、疑問が残る。
また、著者らはともに東大の学生運動を担ったエリート活動家で、「ゴリゴリ」の民青・共産党員の「サンプル」とは言えないだろうと指摘された。官庁への「潜入」が割り振られるような国家と党の「近さ」も、東大特有のものだったと感じられる。さらに、あくまで反省的な回想であるため、当時のかれら自身の言動や思考はもう少し割り引いて考える必要があるというコメントも出された。
さて次回七月は、全自連問題同様、七〇年代以降の画然とした党派関係と比べると混沌として見える、安保闘争直後の状況を確認するため、吉本隆明・斉藤一郎・対馬忠行・関根弘・黒田寛一らの座談会(『呪縛からの解放』こぶし書房・七六年より「1」)を取り上げる。「構造改革派/論」を続けるかはともかく、六〇年代の問題にもうしばらくこだわりたいと個人的には思っている。関心のかぶる方がいたらぜひご参加いただきたい。
松井隆志
戦後研究会
シリーズ「構造改革派/論」を続けている。
四月は前回三月の準備を踏まえて、安藤紀典さんにお越しいただき、「全自連系」と呼ばれる六〇年安保闘争後の構造改革派系学生運動の流れについて話をうかがった。
全自連(全国学生自治会連絡会議)は、安保闘争で全学連の行動が二つに割れた際、ブント系の全学連主流派に対し、反主流派と呼ばれた潮流で、安保闘争後の七月に結成された。ここには、共産党中央に比較的従順な自治会と早稲田・東大・東京教育大といった構造改革派系の自治会とが同居していた。したがって党中央での構改派離脱の動きに翻弄され、学生運動自体も全学連を「再建」(=分裂の固定化)すべきかどうかで判断が割れる。安藤さんが事務局長を務めた「全学連再建協」もその点が曖昧で、結局六一年段階で「まとまり」としては解消し、全自連「系」と呼ばれる存在になっていった等の説明があった。大変勉強になるお話だった。
こうした全学連反主流派・全自連系となる学生運動を論じたり回想した本はあまり多くない。比較的まとまった形で出版されたほぼ唯一の書物として、早稲田の杜の会編『‘60年安保と早大学生運動』(ベストブック・〇三年)がある。五月は同書を取り上げた。特に全学連反主流派から全自連への流れをテーマとした座談会を素材として議論した。
座談会では、主流派と反主流派には「層としての学生運動」の発展をどれだけ真剣な課題とするかに違いがあった一方で、共産党中央に対しては、結局独自の「機関」を確保しておらず、党と伍して活動を続けるような準備ができていなかったということが語られていた。研究会でも、つまり「執念」がなかったのだと指摘がされた。もちろんそこには「党づくり」ではない運動の良さも存在したと思われる。
六月は、民青系全学連の動向も押さえようと、川上徹・大窪一志『素描・一九六〇年代』(同時代社・〇七年)を読んだ。同書からは、真面目に「層としての学生運動」を受け止め発展させようとした活動が読みとれ、その努力もあり民青もかれらの全学連も六〇年代に量的な膨張を遂げる。しかし、「革命」の中に学生運動を位置づけようとする「層としての学生運動」自体に果たしてどこまで可能性があったのか、疑問が残る。
また、著者らはともに東大の学生運動を担ったエリート活動家で、「ゴリゴリ」の民青・共産党員の「サンプル」とは言えないだろうと指摘された。官庁への「潜入」が割り振られるような国家と党の「近さ」も、東大特有のものだったと感じられる。さらに、あくまで反省的な回想であるため、当時のかれら自身の言動や思考はもう少し割り引いて考える必要があるというコメントも出された。
さて次回七月は、全自連問題同様、七〇年代以降の画然とした党派関係と比べると混沌として見える、安保闘争直後の状況を確認するため、吉本隆明・斉藤一郎・対馬忠行・関根弘・黒田寛一らの座談会(『呪縛からの解放』こぶし書房・七六年より「1」)を取り上げる。「構造改革派/論」を続けるかはともかく、六〇年代の問題にもうしばらくこだわりたいと個人的には思っている。関心のかぶる方がいたらぜひご参加いただきたい。
松井隆志
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