みなさま
白川真澄さんが「トランプ流のグローバル化推進で何が変わるか」というトランプの経済政策について分析したレジュメを寄せてくださいました。ぜひご一読ください。
本文については以下のURLからアクセスしてください。
http://www.peoples-plan.org/jp/modules/article/index.php?content_id=191
政情不安定なトルコに配備された米国戦術核兵器が問いかける、核兵器の危険性、そして必要性の有無
大滝正明
(2017年1月5日)
トルコのクーデター未遂事件(2016年7月15日)が惹起した多くの問題の一つに世界の各国に対して安全保障上の問いかけをしたものがありました。トルコの空軍基地に貯蔵された米国の水素爆弾をどのようにして保全すべきか、という問いです。
トルコ南部のインジルリク空軍基地はNATO南東部における最も重要な基地です。この基地は第二次世界大戦が始まると米国陸軍の工兵部隊によって建設されました。トルコが1952年にNATOに加盟すると、冷戦時の重要な米軍基地になりました。空路一時間でソ連へ到達できるので、同基地には、米軍の戦闘機、爆撃機、空中給油機、U2スパイ機が配備されました。そして、多くのNATO基地と同様に、米国の核兵器も配備されていました。現在では、この空軍基地はテトリスト組織イスラム共和国と戦うための拠点ですが、いまだにNATOに配備された米国の核兵器も備蓄されています。シリア戦争の戦場から100キロメートル離れているだけです。インジルリクに配備された核兵器の数、種類、また兵器の使用のシナリオについてはNATOも米国も明らかにしていません。ベルリンの科学政治財団の核兵器専門家オリバー・マイヤー氏は次のように述べています。「専門家の研究によれば、同基地には50発のB61型核爆弾が貯蔵されていると推測することができます。これらは水爆であり、航空機から投下されるタイプで、地下の掩体壕に備蓄されています。」米国科学財団の核情報プロジェクトのディレクターであるハンス・クリステンセン氏によれば、インジクリクの地下貯蔵庫には50発のB61水素爆弾(NATOに配備されている核兵器の25%以上にあたる)が備蓄されています。B61の核出力は特定の任務に応じて変更することができます。広島を破壊した原爆はTNT火薬換算で15キロトンに等しい爆発力を有していました。それに対して、インジクリクのB61核爆弾の爆発力は0.3キロトンから170キロトンまで調整することができます。
2016年7月15日に、トルコ国軍の一部がクーデターを画策し失敗に終わりました。死者は、民間人を含め290人に及びました。その際にトルコ政府はインジクリク空軍基地の数名の高級将校を逮捕し、ほぼ1週間近く基地への電力供給を遮断しました。7月末には、基地の外部でトルコ市民が基地閉鎖を叫ぶ抗議を行いましたが、トルコ政府当局者は、米国がインジルリク基地およびトルコ国内の他の基地にも米国はアクセスを保持できることを米国当局者に保証しました。これらの事件がきっかけとなって、核兵器の保全、またインジルリクでの核兵器の貯蔵継続についてさまざまな議論が巻き起こりました。たとえば、核脅威イニシアティブのコンサルタントを務めるスティーブ・アンドレアセン氏は、「米国の核兵器を貯蔵する地下壕を警護しているとされる米国兵士に、基地の周囲を包囲している部隊が銃を向けるように、インジクリクのトルコ人基地司令官が命令を発していた」ならどうなっていたか、と問いました。
冷戦時には米国は欧州、日本、韓国の米軍、また世界中に展開した米国艦船に数千発の短射程核兵器を配備していました。これらの兵器は欧州およびアジアにおいて拡大抑止に貢献し、同盟国を防衛することを目的としていました。ジョージ・H・W・ブッシュ大統領の政権中の大規模な備蓄核兵器削減のおかげで、1990年代にほとんどの核兵器は撤去されましたが、米国は180発のB61核爆弾を欧州に保持しています。B61は戦場で使用される戦術核兵器です。1960年代末にいわゆるニュークリア・シェアリング(核兵器共有)の一環として欧州に配備されました。ニュークリア・シェアリングでは、NATO加盟国はNATOの核戦争計画に参与しており、自国領内に米国の核兵器を持ち込ませるだけでなく、有事には米国の核爆弾を搭載できる航空機を提供しました。ソビエトが攻撃を仕掛けてくると、米国とNATO加盟国の軍用機は核兵器を使用して、敵の後背地の重要な標的を攻撃するか、追加の大規模部隊が前線に展開するのを阻止します。当時は、戦術核兵器がワルシャワ条約機構の通常戦力に対して劣位にあったNATOの通常兵器を補完していました。この核爆弾は潜在的な攻撃者を抑止することに資していたのです。
2010年の戦略概念や2012年の抑止防衛態勢再検討を含む最近の文書では、NATOは同機構の抑止と防衛のために「核兵器、通常兵器、ミサイル防衛能力を適切に組み合わせた戦力」を維持することを再確認しました。NATO同盟は欧州から米国の核兵器を撤去するという提案を拒む一方で、ロシアとの協力を進めることで「さらなる削減への条件」を模索することを誓約しています。2016年のワルシャワ・サミットのコミュニケには「NATOが核兵器を使用しなければならない環境はきわめて想定困難である」と記されていますが、「NATO加盟国のいずれかの国の安全保障が根本的に危機にさらされる」場合に対応する「能力と決意」を保持するとも述べられています。現在、インジルリクに加えて、NATOの核兵器はドイツ、オランダ、ベルギー、イタリアの基地に貯蔵されています。
しかし、今日のような非対称的な対テロ戦争の時代では、インジルリクのB61核爆弾が重要性を有する軍事的なシナリオがどのようなものであるのかは不明です。この問題はますます重要になってきています。現在では核爆弾が使用される可能性が低いからです。ハンブルク平和安全保障政策研究所のウルリッヒ・キューン氏は次のように述べています。「米国自身が現在、有事にこの兵器を搭載できる戦闘機も爆撃機も同基地に配備していません。トルコも目下のところ核爆弾搭載任務を遂行できる空軍要員をインジルリクに配置していません。ということは、この兵器には実際には軍事的な意味や目的がないことになります。」
米国議会調査局の報告書によれば、米国はいかなる場合においてもインジルリクの核兵器のために米空軍の航空機部隊を配備するための包括的な許可をトルコから得ていません。米国がインジルリク基地に戦闘用航空機を常駐させたいのであれば、トルコの同意が必要になります。このために、核兵器の軍事的価値は制限されます。有事の際に、トルコの同意を迅速にとりつけるのは容易なことではないからです。
この核兵器は、シリア国境から100キロメートルほど離れた場所に位置します。インジルリクは安全な場所ではありません。なぜなら、クルド人がシリア戦争の余波で蜂起して、インジルリク周辺で内戦に拡大する可能性があるからです。
最近ではクーデターの失敗以降、多くのNATO同盟国の見るところでは、トルコは不安定なNATO加盟国になりました。NATOの観測筋によれば、政変は軍部で伝統的に支配的であった大西洋主義者、いわゆるユーラシア主義者の立場を弱めたのです。その結果、トルコの外交安全保障政策は大きく変化し、ロシアとの同盟も考えられるようになりました。
インジルリクのB61がテロリスト勢力の手に落ちるという急迫の危険性について、大半の専門家はその事態を想定しています。状況が本当に悪化すれば、米国は迅速に行動するでしょう。キール大学の安全保障研究所所長のヨアヒム・クラウゼ氏は米国が準備をしていると推測します。「現在、インジルリク空軍基地の安全は十分に保証されていますが、長期間にわたって安全が維持されるかどうかは疑問です。核爆弾の退避計画があると私は確信しています。トルコが不安定化すれば、核兵器は真っ先に撤去されるでしょう。7月の政変時には、2,500名の米兵が急遽インジルリクに配置され、空軍基地がクーデター派の手に落ちる危険に備えました。」
インジルリクには軍事的な利点はまったくなく、危険な環境です。このような状況下で、米国はなぜ核兵器を撤去しないのでしょうか。ベルリンの核問題の専門家オリバー・マイヤー氏によれば、「配備数を削減したり他の場所へ配備を変更したりするような配備方針の変更はNATO弱体化の兆候と解釈される恐れがあります。トルコは、これを、米国の安全保障およびNATOの安全保障がもはや以前のようには強固なものではなくなったと解釈する恐れがあるのです。」今日では核爆弾は軍事的用途よりもはるかに重要な象徴的な意味を担っているのです。同氏はインジルリクからB61核爆弾を撤去することがきわめて不透明な核兵器条約(核兵器不拡散条約)を強化するための肯定的なサインを送ることになるとも考えています。この不拡散条約の核心は、核兵器国のみが核兵器を保有し、他の国々は核兵器を保持しないことにあります。核戦争の専門家であるマイヤー氏は、シリア戦争を不拡散政策推進のための好機だと捉えています。「トルコからの核兵器の撤去は、とりわけこの地域に存在する安全保障上の問題と抱き合わせで考えることで正当化されるのです。これにより、私の考えるところでは、トルコの政策が必ずしも変更されるわけではなく、核兵器撤去に合意するための都合の良い動機をトルコに与えることができるでしょう。」
ハンブルク平和安全保障政策研究所のウルリッヒ・キューン氏は別の議論に焦点を絞ります。「私は、この兵器をトルコから即座に撤去すべきであると今ヒステリックに呼びかけることは有益ではないと思います。この兵器はまた政治的重要性を有しているからです。しかし、実際にこの兵器に関する議論を進めるための方策は講じられる必要があります。」
ベルリン在住の安全保障問題を論ずるビヨルン・ミュラー氏は「目下のところ、この議論は専門家によって導かれています。トルコだけでなくドイツのような他のNATO諸国に配備された米国の戦術核兵器がなんの軍事的役割も担っていないことは今や明白になりました」と、隔週誌『ブラッチェン』に寄せた論考「トルコに配備された米国の核兵器は危険で軍事的に意味がないのか?」を結んでいます。米国が核爆弾を多くの予算を費やして近代化することを計画していることを鑑みると、NATO内部でこの核爆弾の実際の役割について幅広い議論をし始めるのは既に時機を逸しているのかもしれません。
みなさま
毎年、大手5紙の元旦社説を読むことを習慣とされている白川さんが、以下の紹介文を寄せてくださいました。ぜひご一読ください。
何が論点か――大手5紙の元旦社説を読む
白川真澄
(2017年1月6日)
読売新聞――反グローバリズムの波に日米同盟強化で対抗せよ
ここ数年、読売新聞の元旦社説は、安倍首相の所信表明演説の下書きかと思わせるような内容を書き連ねてきた。ところが、今年は「反グローバリズムの拡大防げ」と題して、めずらしく論点を絞った議論を展開している。
トランプ米国大統領の登場を取り上げ、「『反グローバリズム』の波が世界でうねりを増し、排他的な主張で大衆を扇動するポピュリズムが広がっている」と、危機意識を募らせた現状評価をしている。「力による独善的な行動を強めるロシアや中国に、トランプ氏はどう対応するのか。既存の国際秩序の維持よりも、自国の利益を追求する『取引』に重きを置くのであれば、心配だ。米国が、自由や民主主義といった普遍的な価値観で世界をリードする役を降りれば、その空白を埋める存在は見当たらない」。
社説は、トランプ外交への危惧を述べた上で、日本が米国に同盟強化を働きかけトランプを説得せよと主張している。「日米同盟の重要性をトランプ氏と再確認し、さらに強化する道筋をつけるべきだ」、「日米同盟による抑止力の強化が、東アジア地域の安定に不可欠で、米国の国益にも適うことを、粘り強く説明していくべきだ」、「[安倍]首相には国際政治が混迷しないよう、トランプ外交に注文をつけていく役回りも期待される」。安倍首相とそっくりの独りよがりの政治感覚だ。12月に真っ先にトランプに会いにいった直後に、TPPからの離脱のあらためての表明という返礼を受けるという大恥をかいたことは、もう忘れているようである。
社説は、ポピュリズムが欧州諸国を席巻している現状を憂慮し、「米欧で反グローバリズムやポピュリズムが伸長する背景には、リーマン・ショックを契機とした世界的な経済成長の停滞がある」と分析する。グローバル化がもたらした巨大格差や中間層の没落、既成の政治システムへの不信や機能マヒといった事柄に目を向けない、おそろしく表層的な分析である。そこから、「自由貿易で成長復活を」という陳腐な処方箋が提案されている。自由貿易で「成長の復活を目指すしかない。それが国際政治の安定の基盤ともなろう」が結論である。経済成長を追い求めたグローバリゼーションが、反グローバリズムやポピュリズムを生み落としたというのに。
日本経済新聞――自由主義経済の旗を守り、第4次産業革命で活力復活を
この新聞の社説も、読売社説と同じく、トランプが登場した世界では自由主義経済(自由貿易)の推進が必要だと主張している。
社説は、トランプの登場が呼び起こしている株高・ドル高(円安)をまずは歓迎しながら、それに甘えるなと警告している。「トランプ次期米大統領が掲げるのは大減税、公共投資、規制緩和の『3本の矢』だ。世界的なデフレに幕を引くリフレーション政策だとはやす人々もいる。足元の円安・株高は日本企業に収益の改善をもたらしている。……。日本政府や企業はそれに甘えてはいけない」。
一方で、トランプの掲げる政策には「自由主義経済を損ねる要素も数多く含まれている」。「だからこそ、日本は自由主義の旗を掲げる責務を負っている」、「安倍首相はトランプ氏にTPPへの参加を粘り強く説くべきだ」。力がこもっていない論調になっている。
社説は、話題を変えて「加速するデジタル社会への対応」の必要性を訴え、「第4次産業革命を担う……物心ついたときからデジタルに親しんできた若手人材」の育成を主張する。「若者を前面に押し出せば、日本に活力が戻るだろう」。たしかに、人口減少=労働力不足の時代には、労働生産性の飛躍的な上昇に賭ける以外に経済成長の可能性は残されていないだろう。その意味で、AIやIoTなど第4次産業革命の推進を強調するのは分からないでもない。しかし、元旦の社説としては、勢いが感じられない。アベノミクスの大失速、ひいては「成長なき時代」の到来を映し出しているのかもしれない。
毎日新聞――持続可能な国内システムの再構築でグローバル化と共存しよう
毎日新聞の元旦社説も、「世界とつながってこそ」と題して、「グローバル化がもたらす負の課題」にどのように対応するかを論じている。
「トランプ氏の勝利と、それに先立つ英国のEU離脱は、ヒトやカネの自由な行き来に対する大衆の逆襲だ。グローバルな資本の論理と、民主主義の衝突と言い換えることもできる」というのが、現状認識である。この社説では「民主主義」の内容がイマイチ明確ではないが、グローバルな資本の論理と民主主義(大衆の意思)の衝突は「ポピュリズム政治家の台頭」、しかも「国際協調の放棄や排外的ナショナリズムといった『毒素』を含んで」いるポピュリズムの台頭という姿をとって現われたと捉えているようだ。この認識は、基本的に間違っていない。
「米国がこうした[排外的ナショナリズムの]潮流をけん引す」れば「国際秩序は流動化し、国際経済は収縮に向かう」が、「日本はこの転換期にどう立ち向かえばいいのだろうか」。社説は「他国との平和的な結びつきこそ日本の生命線であるという大原則」に立ち帰るべきだと主張する。「自由貿易を軸とした通商政策やグローバル企業への課税のあり方、地球温暖化の防止対策など」を「多国間の協調」によって進めると述べられているが、まだ抽象的で部分的である。日米同盟の根本的な見直し、中国などアジア諸国との友好・協力関係の優先的な構築、世界的なマネーの動きと多国籍企業への国際的規制、そのための市民と労働者の国境を超える連帯といった課題は、(ないものねだりではあるが)提示されていない。
次に、社説は「戦略的に国際協調の路線を歩むには、足元の安定が欠かせない」として、「少子化、その下での社会保障政策、借金頼みの財政、日銀の異次元緩和というサイクルが長続きしないのは明らかだ」と言う。アベノミクスへの批判を含意していることは、明らかだ。そこから、「日本がグローバリズムと共存していくには、国民の中間的な所得層をこれ以上細らせないことが最低限の条件になる」。民主主義には「社会の構成員として何らかの一体感」の保持が不可欠だが、「所得分布が貧富の両極に分かれていくと、この一体感が損なわれ」、民主主義が危うくなるからである。貧富の格差是正のための具体的方策は述べられていないが、「持続可能な国内システムの再構築に努めながら、……世界とのつながりを求めよう」というのが、結論である。
なお、日経新聞も、1月3日の社説で「中間層を分厚くする工夫が大切であり」、「豊かで活力あふれる国であり続けるために重要なのは、開放的な経済であり、中間層が希望を持てる社会だ」と主張している。いまや全体の20%にも達する貧しい人びと(年所得200万円以下の世帯)は、置き去りにするのか、と思わず反問したくなる。
朝日新聞――民主主義の暴走への歯止めとしての立憲主義を再確認しよう
朝日新聞の元旦社説のタイトルは、「『立憲』の理念をより深く」である。「あれっ」と思わせるが、民主主義が産み落とす鬼っ子としてのポピュリズムを意識しながら、それと対抗する原則として立憲主義が強調されている。
「昨今、各国を席巻するポピュリズムは、人々をあおり、社会に分断や亀裂をもたらしている。民主主義における獅子身中の虫というべきか」と、現状を見ている。「民主主義は人類の生んだ知恵だが、危うさもある。独裁者が民主的に選ばれた例は、歴史上数多い」。たしかに、イギリスのEU離脱(そこにはEUの新自由主義的な支配に対する批判と抗議が含まれてはいたが)を決めたのは、国民投票という直接民主主義的な方法であった。トランプも民主主義的な手続きで選ばれたし、EU諸国の極右政党も選挙という仕組みを使って伸長している。民主主義は、移民排斥や女性・マイノリティへの差別の根深い意識や感情を表出させ同調的に大きくさせる装置になりうる。
社説は、このポピュリズムに対抗する手段、民主主義の暴走への歯止めとして、立憲主義を持ち出している。「立憲主義は、時に民主主義ともぶつかる」、「立憲主義は、その疑い深さによって民主主義の暴走への歯止めとなる」。なぜなら、立憲主義は、「個人の尊重」を原理とするからである。
排外主義的ポピュリズムとたたかうためには、グローバル化がもたらした巨大格差、政党間の対立や差異が消失した政治システムといった問題に立ち向かっていく必要がある。しかし、個人の自由の尊重に強くこだわる立憲主義も、対抗する理念として有効性をもつと言えるだろう。
立憲主義の賞揚は、もちろん安倍政権による明文改憲への危機感による。社説は「自民党は立憲主義を否定しないとしつつ、その改憲草案で『天賦人権』の全面的な見直しを試みている」と批判している。しかし、安倍政権の改憲攻撃に対抗する理念や原則という役割にとどまらず、世界的な排外主義的ポピュリズムの波に抗する理念や原則として立憲主義の役割を位置づけたことは、評価できる。
しかし、同じ元旦の一面を飾った「試される民主主義」では、ポピュリズムが恣意的な「敵と味方」の区分によって社会の内部に多くの分断を持ちこんでいることを指摘している。とすれば、ポピュリズムの席巻に抗するためには、人びとのなかの多重的・多層的な分断を超えていく「連帯」の形成が求められていると言わねばならない。その意味で、個人の自由の尊重という立憲主義(リベラリズム)の論理だけではとうてい不足だ。連帯の構築、つまり「社会的なもの」の回復という論理が対置されねばならないだろう。
東京新聞――憲法の平和主義をあらためて確認する
東京新聞の元旦社説は、驚くほど愚直である。「不戦を誇る国であれ」と題して、「平和主義、世界に貢献する日本の平和主義をあらためて」強調している。
社説は、日本の平和主義を「先の大戦に対する痛切な反省」と「戦後憲法との関係」という2つの観点から捉えかえしている。そして、「日本国憲法の求める平和主義とは武力によらない平和の実現というものです」とシンプルに述べ、貧困や飢餓など「暴力の原因を取り去る」国際的な非軍事的活動を語っている。つまり「積極的平和」の構築を主張している。これは、集団的自衛権行使を可能にする憲法解釈を強行し「駆け付け警護」の任務を課せられた自衛隊を南スーダンに派兵する安倍の「積極的平和主義」に対する痛烈な批判である。
米国は、読売新聞社説が不安がるように、世界秩序を維持する覇権国(「世界の警察官」)から降りつつある。オバマが始めたこの撤退を、トランプはさらに加速しようとしている。覇権国として振る舞うために必要な普遍性のある理念さえ捨てて。混沌と不確実性に満ちた世界に入る時代に、米国覇権の永続を前提にした「武力による平和」(抑止力論)という安倍流の「積極的平和主義」は役立たず、危うい。「武力によらない平和の実現」という平和主義の構想と実践にこそ、リアリティがあるはずだ。
明文改憲への意欲をたぎらせる安倍政権と対抗する上で、このことを再確認する意義は小さくない。
〈追記〉
1月4日付けの朝日新聞は、「資本主義の未来 不信をぬぐうためには」と題する社説を載せている。資本主義それ自体があらためて懐疑と不信にさらされている時代状況を反映していて興味深い。しかし、その結論は、「当面は資本主義を使い続けるしかない」、「経済成長を自己目的化するのは誤りだが、敵視したり不要視したりしても展望は開けない」とつまらない。
ところが、同じ日の1面から2面には「『経済成長』永遠なのか」と題する論評(原真人)が掲載されている。「成長信仰」を批判し、「成長の鈍化はむしろ経済活動の『正常化』を意味しているのかもしれない。少なくとも成長は『永遠』だと思わないほうがいい」と締めくくっている。こうした脱成長の考え方が大新聞の一面を飾ることに、時代と社会の変化が端的に表れている、と思う。
みなさま
先般、武藤一羊さんの「試論 戦後国家解体プロセスでの「象徴権力」の露出――安倍政権下の平成天皇制と「お気持」の位相」の第一弾を掲載しました。その際、全三回にわたっての分割掲載ということをアナウンスしましたが、それに加えて、読者の皆さまの読みやすさも考慮し、このたび一括掲載することといたしました。また、第二部でどういうことについて議論するのか、目次項目も新たに加えました。
なお、当ニュース欄には文字数の関係で全文掲載できません。したがって、全文は以下のURLからアクセスしてください。
http://www.peoples-plan.org/jp/modules/article/index.php?content_id=187
PP研では11月13日(日)のシンポジウムにおいても、同様の問題について議論する予定ですので、ぜひご関心のある方にはご一読いただければと思います。どうぞよろしくお願い致します。
試論 戦後国家解体プロセスでの「象徴権力」の露出――安倍政権下の平成天皇制と「お気持」の位相?
武藤一羊
(二〇一六年一〇月一九日)
第一部 安倍改憲と平成天皇制―「象徴権力」の解明
象徴的行為
NHKによる七月一三日の天皇明仁の「生前退位」意向の「スクープ」という異例の形で口火を切られ、続く八月八日の明仁天皇の国民向けビデオメッセージで後戻りできぬ現実となった天皇家と天皇制をめぐる新展開は、安倍政権の手による戦後日本国家の破壊・解体・再編プロセスにおいて、新手の戦略的政治要素の浮上を表している、と私は考えている。
結論を先に言えば、明仁の「お気持ち」声明は、安倍の支配する政治権力にたいする明仁夫妻の象徴権力ともいうべきものの挑戦的自己防衛の試み、そしてそれを通じて、進行する国家レジーム再編過程において、天皇家=皇室の独自の民衆支配力を守り、維持するための大胆な試み、と読むべきものである。この文書で最も注目すべきことはそれが「国民の理解を得られることを切に願っています」と国民への訴えで締めくくられている点であろう。天皇の象徴としての地位は「主権を有する国民の総意」に基づいていると憲法は定めている。天皇のこの文書は安倍政権に宛てられていない。政権の頭越しに、象徴の地位を最終的に決定するこの主権者への呼びかけとしてだされている。
この明仁ステートメントに宣言されているのは一個の明確な政治意志であり、その文言はその政治意志を伝達する隠語として周到に組み立てられたものである。これが単なる高齢や体調で象徴天皇としての任に耐えなくなったので退位さしてほしいという訴えなどではないことは誰でも直ちに読み取れるだろう。だが、政治家もマスコミも、ここにかなり露骨に表明されている政治意志を読み取りながら、いや読み取っているがゆえに、その核心だけを避けて、周辺をぐるぐる回りながら、「生前退位」は可能かどうか、皇室典範をいじるべきか、明仁天皇だけに適用される特別立法はどうか、いややはり摂政を置くべきだなどと、あらぬ議論を展開して見せ、問題から逃げ回っているのである。私にはそう見える。
この「お気持ち」文書の核心は「象徴的行為」という概念にある、と私は読む。「天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たす」ためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への「理解を求める」行為・活動が必要である、とこの文書で明仁天皇は主張する。ここが肝心である。このような行為を明仁は「象徴的行為」と呼ぶのである。明仁によればこの「象徴的行為」は一方通行でなく、双方向的交通として成立している。すなわち「天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要」があると言う。天皇夫妻がこれまで行ってきた国事行為外の活発な活動は、ほぼすべてこの意味の「象徴的行為」と説明されるのであろう。
このような意味を担う明仁の「象徴的行為」が憲法学で用いられている概念と同じかどうか、私には判断しかねる。しかし「お気持ち」ではそれは上記のように明確に定義されている。象徴に関連する行為が天皇自身によってはっきり概念化さるのはこれが初めてではないか。
そこで、以下、戦後国家の破壊がすすむ現在の時点で、〈象徴〉に与えられる意味に照明を当ててみることにする。
一九四七年「あたらしい憲法のはなし」
象徴とは何か。日本国憲法は第一条に天皇を置き、「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基ずく」と規定している。
中学2年途中まで教育勅語で教育された私などの世代は,「新憲法」と呼ばれていたこの憲法で,象徴という言葉に初めて出会ったと言えるだろう。いや日本国民の大多数にとってもそうだったに違いない。「象徴」とは何のことか、教師は答えなければならなかった。いまでも私の耳に残っているのは、象徴とは学帽についている記章みたいなもの、という教師の説明であった。(その頃中学生はみな自校を表す記章つきの学帽をかぶっていた)。
当時文部省は、新憲法をやさしく解説する「あたらしい憲法のはなし」という新制中学向けの教科書を編集して、それが全国で教材として使われたらしい。「らしい」というのは、私は戦後学制改革で旧制中学から新制高校に横滑りしたせいか、当時この教科書を目にした記憶がないからだ。しかし教師から聞いた天皇=象徴=「記章」という説明がそこから出ていたことは疑いない。この教科書は記録によれば一九四八年から朝鮮戦争勃発の一九五〇年まで中学の教科書として用いられたが、五〇年度に副読本とされ、五一年度から使用が打ち切られている。しかし憲法施行直後の文部省、そして日本政府の公式の憲法解釈をこの教科書が表していたことは間違いない。その意味でこれは現在にとって価値ある歴史的文書である。(以後この冊子を「新憲法冊子」、もしくは「冊子」と呼ぶ)。
その上この「新憲法冊子」は後に護憲運動のなかで生き返る。八〇年代以降、憲法改正が叫ばれ、日米安保の下での日本自衛隊の飛躍的増強が進むなかで、この「冊子」は、戦後初期の日本政府がいかに憲法平和主義と民主主義をまじめに受け取り、実施しようとしていたかを示す例証として、復刻され、護憲の立場に立つ運動の中でてかなり広く用いられてきた。岩波書店や日本平和委員会が小冊子として復刻版を出している。確かに九条の解説は非武装がしっかり書かれていて役に立つ。
だがこの「冊子」を再利用した人びとは、以下の「天皇陛下」の項をどう読んだだろうか。あるいは読み飛ばしていたのだろうか。本文をちょっと覗いて見ることにしよう。
天皇と戦争
まず「象徴天皇制」について、「冊子」はどのように説明していただろうか。この教科書の目次立てでは、(一)憲法、(二)民主主義とは、(三)国際平和主義、(四)主権在民主義、と続き、その次に(五)天皇陛下、が来るという順序になっている。その天皇項目はこう始まっている。
五 天皇陛下 こんどの戰爭で、天皇陛下は、たいへんごくろうをなさいました。なぜならば、古い憲法では、天皇をお助けして國の仕事をした人々は、國民ぜんたいがえらんだものでなかったので、國民の考えとはなれて、とう/?戰爭になったからです。そこで、これからさき國を治めてゆくについて、二度とこのようなことのないように、あたらしい憲法をこしらえるとき、たいへん苦心をいたしました。ですから、天皇は、憲法で定めたお仕事だけをされ、政治には関係されないことになりました。
筆者は憲法を「こしらえる」のにだいぶ苦心したようだが、この解説も苦心の作である。しかし苦心はまったく報われていない。目を覆うばかりの自己分裂に引き裂かれた文章だからである。だいたい、冒頭の「こんどの戦争」での最高責任者、最高指揮官だった大元帥裕仁天皇への言及を「ごくろうなさった」ですませるのは、ふざけている。そのうえで戦争責任を「国の仕事をした人々」になすりつける。しかしこれらの「人々」が「天皇をお助けして」仕事をした人々だとも言う。つまり彼らは助手で、主要な行為者は天皇だったことを事実上認めることになっている。だからこそ、これからは、天皇は「憲法で定めたお仕事しか」してはならないと憲法は定めたという論理の運びになる。支離滅裂である。1947年の段階で、裕仁天皇を真っ白に描くことはさすがにできなかった。だが責任を取らせることはしたくないし、できない。だからそこは「たいへんごくろうなさいました」と裕仁の主観的状態の描写でごまかしたのである。
おまけに「天皇をお助け」した人々は「国民の考えとはなれて」いたとして、国民はみな戦争に反対していたみたいなフィクションを導入している。それによって、戦争を支持した国民の反省の道を閉ざしている。戦争責任についての裕仁天皇の免責から日本国民の自己免責を導く戦後国家を貫く最悪のごまかしがすでにここで始められていたのである。
象徴A,象徴B
さてこの後に〈象徴〉がくる。二段に分かれている。以下はその第一段である。
憲法は、天皇陛下を「象徴」としてゆくことにきめました。みなさんは、この象徴ということを、はっきり知らなければなりません。日の丸の國旗を見れば、日本の國をおもいだすでしょう。國旗が國の代わりになって、國をあらわすからです。みなさんの学校の記章を見れば、どこの学校の生徒かがわかるでしょう。記章が学校の代わりになって、学校をあらわすからです。いまこゝに何か眼に見えるものがあって、ほかの眼に見えないものの代わりになって、それをあらわすときに、これを「象徴」ということばでいいあらわすのです。こんどの憲法の第一條は、天皇陛下を「日本國の象徴」としているのです。つまり天皇陛下は、日本の國をあらわされるお方ということであります。
ここで挙げられている象徴とはたいていはモノである。校章ならそれは特定の図柄を打ち出した金属片である。だが、日本国の象徴は、人間である。天皇とは、血筋によって運命付けられた特定の人物が埋めなければならぬ地位・身分を指し、同時にその地位と一体化している人間そのものを意味する。記章のように金属製でなく、国旗のように布製でなく、オオムラサキのような昆虫でもない生身の個人を生まれによって国家の象徴(シンボル)と固定するというのは、それ自身、相当無理のあることだと誰でも思うだろう。職業選択の自由も奪うわけだから、この憲法の謳う基本的人権は保障されていない。このような存在を憲法全体を貫く人権と個人の平等の原理と両立させることができるのか、という根本的な難問が存在する。これはしかし後に回そう。
ここで「冊子」は次に移る。ここが一番肝心なところである。旗や記章の例えには収まらない憲法第一条の二番目の象徴規定である。「(A)天皇は日本国の象徴であり(B)日本国民統合の象徴であり、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基ずく」の(B)の部分である。A,Bは便宜上筆者が入れたもので、憲法では(A)と(B)は、句読点も置かずにさらりとつなげられている。しかし「冊子」は(B)を単独で取り出してちょっと熱っぽく議論を展開する。以下のようにである。
また憲法第一條は、天皇陛下を「日本國民統合の象徴」であるとも書いてあるのです。「統合」というのは「一つにまとまっている」ということです。つまり天皇陛下は、一つにまとまった日本國民の象徴でいらっしゃいます。これは、私たち日本國民ぜんたいの中心としておいでになるお方ということなのです。それで天皇陛下は、日本國民ぜんたいをあらわされるのです。
このような地位に天皇陛下をお置き申したのは、日本國民ぜんたいの考えにあるのです。これからさき、國を治めてゆく仕事は、みな國民がじぶんでやってゆかなければなりません。天皇陛下は、けっして 神様ではありません。國民と同じような人間でいらっしゃいます。ラジオのほうそうもなさいました。小さな町のすみにもおいでになりました。ですから私たちは、天皇陛下を私たちのまん中にしっかりとお置きして、國を治めてゆくについてごくろうのないようにしなければなりません。これで憲法が天皇陛下を象徴とした意味がおわかりでしょう。
なるほど。「日本国民の統合の象徴」というのは、「日本国の象徴」とはかなりちがったものなのである。「日本国民統合の象徴」の方には天皇は自動的になれるわけではない。天皇が「日本国民統合の象徴」になるためには、国民側がかなり努力しなければならない。「国を治めていくしごと」はこれからは全部国民がやるが、そのなかで、天皇が「私たち日本國民ぜんたいの中心としておいでになる」ようにしなければならないのである。「日本國民ぜんたいの考え」によって「このような地位に天皇陛下をお置き申した」ので、国民は「國を治めてゆくについてごくろうのないようにしなければなりません」ということになる。天皇に「ごくろう」をかけず、彼をたえず日本国民全体の中心に保持しておく責任を国民が負うということになる。天皇が国の中心にいる状態を維持するためにはーすなわち戦後天皇制を維持するためにはー国民はそのために一生懸命努力しなければならない、となる。
しかし国民はいつどこで「総意」を表明したのか。天皇制の維持のために、国民は一体、なぜそんな努力をしなければならないのか。そういう疑問が出されても不思議ではないはずだ。だが文部省にとって、つまり日本政府にとっては、それはあるはずのない質問である。天皇制はまずあるのである。天皇陛下あっての日本。日本という定義にすでに天皇というものが入っている。それが文部省のこの「あたらしい憲法のはなし」の語られない前提なのである。ちなみにそれは、自民党の憲法改正草案にそっくり、いやもっとはっきり、気兼ねなしに引き継がれている。戦後日本国憲法体制というものは出発点においてそのように観念され、組み立てられていた。「冊子」の記述は、戦後日本が依然天皇制国家として、ただし象徴天皇制国家として、再出発したこと明らかにしているのだ。
時を隔ててデュエットが歌い交わされる
さて、私のこのエッセーのテーマは二〇一六年の明仁天皇の「お気持ち」声明の意味するものについてであった。それを論じるのに、なぜ大昔の「あたらしい憲法のはなし」なぞを古証文みたいに持ち出したのか。
それは二〇一六年の「お気持ち」声明と今から七〇年近く前に日本国文部省によって書かれたこの「あたらしい憲法のはなし」がどこか、ひどく似ていると感じたからである。この二つのテキストを並べてみるとよい。そこには同じテーマが、別の立位置から、展開されていることがわかる。それは天皇を中心にした日本国民の統合というテーマ、それを実現するための象徴作用=象徴実践の要請というテーマである。対極に立つ二つの立場から、すなわち一方は文部省の理解する〈国民〉の方から、他方は天皇の方から、時代を隔てて、掛け合いの二重唱が歌われているかのようである。それは象徴されるものと、象徴するものの恋のデュエットである。
この両者には「国民統合の象徴」という概念が〈国民統合活動〉=〈象徴的活動〉を要求しているという共通了解がある。「冊子」の方は、天皇を国民の中心に象徴として置いておく国民側の活動を「国民統合」のための活動とし、「お気持ち」の方では天皇が国民統合の象徴になるための天皇の「象徴的行為」が語られる。すなわち「天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには」、天皇のがわからの「象徴的行為」が肝要だと「お気持ち」は主張し、「常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる」ために「日本の各地、とりわけ遠隔後や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なもの」とする。
明仁は、だいぶ前から「象徴である」ことと、「国民統合の象徴としての役割を果たす」ことを明確に区別して用いている。前者は「日本国の象徴」のことである。天皇は「国家の象徴」だけであるなら、憲法七条に挙げられた国事だけを黙々とこなしていればよい。東京都千代田区の居城に腰を据えて、差し出される書類に署名捺印し、賓客の接受など儀礼的な仕事をこなしていればよい。いや憲法はそれだけをやれと命じている。憲法は第4条で「天皇は、この憲法に定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」とさだめ、第七条で、一〇項目にわたる「天皇の国事行為」を列挙している。「のみを行い」というのはそれ以外の行為にたいするきわめて強い禁止規定と読める。
ちなみに国民統合の象徴についての「冊子」・明仁のような理解は、憲法学会の多数の理解ではないようである。日本国民統合の象徴ということについて、衆議院憲法調査会の小委員会で参考人として発言した憲法学者の横田耕一は、憲法学会では「統合とは日本国民を能動的、積極的に統合するというものではなくて、国民の統合というものを受動的に、受け身的にあらわす」と考えられていると述べ、それは鏡のようなもので、「国民がまとまっておればまとまった国民を映す、国民がばらばらであればばらばらな国民を映す、そういったものとして理解されて」いると陳述している。(第一五九回国会憲法調査会最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会、二〇〇四年二月五日)
明仁天皇はこのような見解に立たなかった。
裕仁天皇の場合―他人ではない関係
現実には、戦後日本において、憲法七条の「国事行為」以外の行為の禁止規定は、象徴天皇制成立以来、一度も守られたことなかったと言っていいだろう。それを最初に大規模、かつ無神経に破ったのは昭和天皇であり、彼の全国巡行という天皇制存続のための一大政治キャンペーンであった。マッカーサー司令部の庇護のもと行われたこのキャンペーンは、天皇家・天皇制の生き残りを賭けた必死の大事業であり、それは裕仁本人にとって、もはや大元帥ではない自分と臣民大衆の関係を過去とは別の関係に組み替えられるかどうかが賭けられた乾坤一擲の大勝負だった。罵声と石礫に見舞われるかも知れなかった。だがこの賭けに裕仁は勝った。行く先々で彼を迎えて歓呼する群衆が出現し、彼はもみくちゃにならんばかりだった。軍装に白馬の人だった同じ人物は、今度はソフト帽に草臥れた背広の猫背の中年男として、大衆の前に出現した。もはや神ではなく人間だった。だが称号は同じ「天皇」であった。一九四六年から五四年まで実に四九回、沖縄を除く全県、三万三〇〇〇キロの旅を裕仁はやり遂げた。そういう彼を「国民」は受け入れ、それによってかつてとは異なる関係が新たに取り結ばれた、と天皇側は解釈した。この関係に中身はなかった。象徴とはそういうものであった。「生活は苦しいか」、「何とかやっております」、「アッソー」、「ご苦労であった」、そしてちょっと帽子を持ち上げ、去る。戦後日本において、国民統合の象徴という新しい関係はこうして天皇側からの積極的活動を通じて構築されなければならなかった。
昭和天皇については言い出せばきりがないので、ここではあまり立ち入るまい。彼は、悪名高い「沖縄メッセージ」をはじめ、講和交渉への介入など戦後の国の進路について露骨に政治介入し、歴代首相との間に「内奏・御下問」関係を維持するなど、憲法4条などほとんど無視して振舞った。米英をはじめ旧敵国への訪問―皇室外交と呼ばれたーも裕仁の活動領域であり、政治権力は戦後外交にそれを有効に利用した。国事行為から逸脱したこれら広範な活動―厳密に言えばすべて違憲であったーは「公的活動」、「公務」などとして事実上認められるようになり、それが平成期に引き継がれて、明仁天皇夫妻に活動領域を保証したのである。
昭和天皇は、おそらく「国民統合の象徴」の意味などに反省的に考えをめぐらすことはなかったであろう。敗戦・降伏・占領という天皇制の存続が危機にさらされる環境、そして彼の恐怖する〈共産主義〉の波が「食料メーデー」など大衆行動の姿で〈宮城〉に押し寄せる中で、必死に自己の生き残りをさぐり、米占領軍に取り入ると共に、日本国民大衆との関係をつなぎなおそうとしたのが戦後初期における昭和天皇の姿であった。
ここで押さえておくべきは、裕仁天皇の場合は、日本国民大衆とのあいだにすでに切っても切れない関係が存在していたことだ。夥しい死者の姿が人々の目に焼き付いている時代、人々の間に戦争の体験がまだ生きていた時代、「ご真影」とか「宮城遥拝」とか「米穀通帳」とかの語彙がまだ理解されていた時代、そして、それらについて親から直接聞かされていた時代にあっては、人々は否応なく天皇裕仁と関係させられていた。それは歴史的関係であった。天皇の名のもとに戦争に駆り出され、その戦争で家を焼かれ、夫を失い、といった関係、怒り、恨み、同時に苦難の時代を一緒に過ごしたという一体感、などなど、愛憎ともに、裕仁天皇という人物は日本国民大衆にとって無関係な他人ではなかった。裕仁天皇にとって、新しい象徴関係の構築はこの既存の関係を土台にすることができた。両者を結びつけていたのが、侵略と戦争の過去の不総括と自己免責という共通分母であったにしても。
〈つづく〉
みなさま
編集委員の平忠人さんが「マイナス金利」について
金融機関の関連諸事情を簡潔にまとめてくださいま
した。この機会にぜひご一読ください。
「路地裏のアベノミクス〈金融政策の限界を露呈〉」/平忠人
2016年2月17日
以下のURLよりアクセスできます。
→http://www.peoples-plan.org/jp/modules/article/index.php?content_id=184
以下の論文を掲載しました。
これらは武藤一羊氏がれんが書房新社から近く公刊予定の論文集のために書き下ろした前書きの後半部の一部(?章および?章)です。
活発な議論につながることを期待しています。ご意見等、お寄せください。
***
戦後日本における憲法平和主義の原理としての生成
http://www.peoples-plan.org/jp/modules/article/index.php?content_id=182
代案は存在し、すでに提起されている
http://www.peoples-plan.org/jp/modules/article/index.php?content_id=183
武藤一羊 (ピープルズ・プラン研究所運営委員)
2015年10月
***
以下の論説を掲載しました。
コメント、ご意見等お待ちしています。
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2015年安保闘争について――その意味と課題(覚書)
白川真澄 (『季刊ピープルズ・プラン』編集長)
2015年9月
以下のURLよりアクセスしてください。
http://www.peoples-plan.org/jp/modules/article/index.php?content_id=180
***
みなさま
武藤さんのご論説、第五弾をアップロードしました!
この機会にぜひご一読ください!
なお、全5回にわたって掲載してきました武藤さんのご論説ですが、
今回のアップロードをもちまして終了となります。
どうぞご了承ください。
以下のURLよりアクセスしてください。
→http://www.peoples-plan.org/jp/modules/article/index.php?content_id=179
PP研事務局
みなさま
武藤さんのご論説、第四弾をアップロードしました。
この機会にぜひご一読ください!
以下のURLよりアクセスしてください。
→http://www.peoples-plan.org/jp/modules/article/index.php?content_id=178
※次回のアップロードは、9月4日(金)を予定しています。
PP研事務局
みなさま
武藤さんのご論説、第三弾をアップロードしました。
この機会にぜひご一読ください!
以下のURLよりアクセスしてください。
→http://www.peoples-plan.org/jp/modules/article/index.php?content_id=177
※次回のアップロードは、8月26日(水)を予定しています。
PP研事務局