脱原発を消去する野田新政権と対決しよう
白川真澄(『季刊ピープルズ・プラン』編集長)
2011年9月1日記
野田新政権が登場した。この政権の最大の使命は、脱原発を隠ぺいし政治的争点から消してしまうことにある。民主党の代表選では、菅前首相が唐突であれ打ち出した脱原発の路線の是非は、争点にもならなかった。新政権は脱原発の路線から後ずさりし、脱原発を隠ぺいする、つまり原発を維持・延命させる連立政治にのめり込もうとしている。
野田は、「わが政権構想」(『文芸春秋』9月号)のなかで、原発政策について、次のように述べている。「政府には電力を安定的に供給する体制をつくる責任があります。厳しい現実を直視すれば、安全性を徹底的に検証した原発について、当面は再稼動に向けて努力することが最善の策」である。「日本の原発輸出について、否定的な見方も出てい」るが、「世界を見渡せば依然として、新興国を中心に原発導入の流れが加速してい」るなかで「短兵急に原発輸出を止めるべきではない」、と。原発の再稼動と原発輸出の問題は、脱原発か原発延命かという政治的攻防の当面の焦点であるが、野田は再稼動と原発輸出を推進すると明言しているのだ。そして、「原発の依存度を減らす方向を目指しながらも、少なくとも2030年までは、一定割合を既存の発電所を活用する、原子力技術を蓄積することが現実的な選択であろう」と、原発延命の立場に立っている。
脱原発は、たんに原発依存から自然エネルギーへというエネルギー政策の転換を意味するだけではない。「安全」神話の上に原発を増殖させてきた戦後日本のシステム――成長至上主義の経済、専門家支配による科学技術、官僚主導の政治的決定システム、核と沖縄を柱とする日米同盟――の全体を根本から疑い、転換しようとする人びとの思いや意思の表現である。したがって、脱原発を消去することは、社会のなかで高まっている脱原発への思いや動きに真っ向から敵対し、3.11以前の古いパラダイムと政策に回帰することにほかならない。その政治的現われが、自公民の連立政治である。野田は「最大の課題は与野党の協力です」(前掲)と言い、連立政治の推進に最も積極的な姿勢をとってきた。連立政治の形が大連立になるか、三党の恒常的な協議の仕組みになるかは、大きい問題ではない。三党の合意が成り立つ政策しか出されなくなることが問題なのだ。
自公民の連立政治の枠組みから出てくるのは原発の維持・延命であり、さらに日米同盟の強化、TPP参加、「成長戦略」、消費税の10%への引き上げといった一連の政策の実行である。野田は、「最近の中国の軍事力を背景にした強圧的な対外姿勢は、域内の国際秩序を揺るがす恐れがあります」として、「日本の安全保障と外交にとっての最大の資産であり基盤をなす日米同盟」の深化を主張している。前原が政策面での舵取りを担う新政権は、政治・軍事面でも経済面でもひたすら日米一体化の再強化に向かうであろう。事実、野田の「政権構想」には中国やアジアとの友好・協力関係をどのように回復し発展させるかについては一言半句もない。韓国や中国では、野田が「『A級戦犯』と呼ばれる人たちは戦争犯罪人ではない」(8月15日の発言)と主張する右翼ナショナリストであることへの強い批判と警戒の声がいち早く上がっている。新政権を際立たせるのは、アジアに背を向けてアメリカにつき従うという使い古されたパラダイムへの回帰である。
経済・財政政策をめぐっては、財政再建を重視し消費税の早期増税をめざす路線(野田)とデフレ脱却と経済成長を優先する路線(前原)の対立が見られる。しかし、相変わらず国際競争力を高める「成長戦略」を追求するという点では同じである。増税をめぐる議論も、総選挙をにらんで消費税率引き上げをいつの時期に打ち出すかということに矮小化されるだろう。社会保障の拡充に必要不可欠な「公正な税負担の増大」のためには、どの税を引き上げるべきか、まず消費税なのか、それとも所得税・法人税・資産課税なのかという重要な選択は、封じ込められるにちがいない。
連立政治の枠組みを作って新政権がそこに戻ろうとしている古いパラダイムと政策は、しかし、3.11を経た社会においてもはや立ち行かなくなったものでしかない。しかも、古いパラダイムと政策を可能にしてきた国際的な条件は、昨今のドル没落(急激な円高という皮肉な現象)と世界経済の不安定性の極度の高まりによって音を立てて崩れている。
私たちは、脱原発をめざす政治的・社会的な運動と力をいっそう高め、脱原発を隠ぺいする野田新政権の連立政治に対して攻撃を仕掛けなければならない。脱原発か原発延命かの争点を中心にしながら、日米関係と対アジア関係、歴史認識、TPP参加、「成長戦略」、消費税増税といったすべての分野で明確な対抗線を引き、新政権と対決しよう。
白川真澄(『季刊ピープルズ・プラン』編集長)
2011年9月1日記
野田新政権が登場した。この政権の最大の使命は、脱原発を隠ぺいし政治的争点から消してしまうことにある。民主党の代表選では、菅前首相が唐突であれ打ち出した脱原発の路線の是非は、争点にもならなかった。新政権は脱原発の路線から後ずさりし、脱原発を隠ぺいする、つまり原発を維持・延命させる連立政治にのめり込もうとしている。
野田は、「わが政権構想」(『文芸春秋』9月号)のなかで、原発政策について、次のように述べている。「政府には電力を安定的に供給する体制をつくる責任があります。厳しい現実を直視すれば、安全性を徹底的に検証した原発について、当面は再稼動に向けて努力することが最善の策」である。「日本の原発輸出について、否定的な見方も出てい」るが、「世界を見渡せば依然として、新興国を中心に原発導入の流れが加速してい」るなかで「短兵急に原発輸出を止めるべきではない」、と。原発の再稼動と原発輸出の問題は、脱原発か原発延命かという政治的攻防の当面の焦点であるが、野田は再稼動と原発輸出を推進すると明言しているのだ。そして、「原発の依存度を減らす方向を目指しながらも、少なくとも2030年までは、一定割合を既存の発電所を活用する、原子力技術を蓄積することが現実的な選択であろう」と、原発延命の立場に立っている。
脱原発は、たんに原発依存から自然エネルギーへというエネルギー政策の転換を意味するだけではない。「安全」神話の上に原発を増殖させてきた戦後日本のシステム――成長至上主義の経済、専門家支配による科学技術、官僚主導の政治的決定システム、核と沖縄を柱とする日米同盟――の全体を根本から疑い、転換しようとする人びとの思いや意思の表現である。したがって、脱原発を消去することは、社会のなかで高まっている脱原発への思いや動きに真っ向から敵対し、3.11以前の古いパラダイムと政策に回帰することにほかならない。その政治的現われが、自公民の連立政治である。野田は「最大の課題は与野党の協力です」(前掲)と言い、連立政治の推進に最も積極的な姿勢をとってきた。連立政治の形が大連立になるか、三党の恒常的な協議の仕組みになるかは、大きい問題ではない。三党の合意が成り立つ政策しか出されなくなることが問題なのだ。
自公民の連立政治の枠組みから出てくるのは原発の維持・延命であり、さらに日米同盟の強化、TPP参加、「成長戦略」、消費税の10%への引き上げといった一連の政策の実行である。野田は、「最近の中国の軍事力を背景にした強圧的な対外姿勢は、域内の国際秩序を揺るがす恐れがあります」として、「日本の安全保障と外交にとっての最大の資産であり基盤をなす日米同盟」の深化を主張している。前原が政策面での舵取りを担う新政権は、政治・軍事面でも経済面でもひたすら日米一体化の再強化に向かうであろう。事実、野田の「政権構想」には中国やアジアとの友好・協力関係をどのように回復し発展させるかについては一言半句もない。韓国や中国では、野田が「『A級戦犯』と呼ばれる人たちは戦争犯罪人ではない」(8月15日の発言)と主張する右翼ナショナリストであることへの強い批判と警戒の声がいち早く上がっている。新政権を際立たせるのは、アジアに背を向けてアメリカにつき従うという使い古されたパラダイムへの回帰である。
経済・財政政策をめぐっては、財政再建を重視し消費税の早期増税をめざす路線(野田)とデフレ脱却と経済成長を優先する路線(前原)の対立が見られる。しかし、相変わらず国際競争力を高める「成長戦略」を追求するという点では同じである。増税をめぐる議論も、総選挙をにらんで消費税率引き上げをいつの時期に打ち出すかということに矮小化されるだろう。社会保障の拡充に必要不可欠な「公正な税負担の増大」のためには、どの税を引き上げるべきか、まず消費税なのか、それとも所得税・法人税・資産課税なのかという重要な選択は、封じ込められるにちがいない。
連立政治の枠組みを作って新政権がそこに戻ろうとしている古いパラダイムと政策は、しかし、3.11を経た社会においてもはや立ち行かなくなったものでしかない。しかも、古いパラダイムと政策を可能にしてきた国際的な条件は、昨今のドル没落(急激な円高という皮肉な現象)と世界経済の不安定性の極度の高まりによって音を立てて崩れている。
私たちは、脱原発をめざす政治的・社会的な運動と力をいっそう高め、脱原発を隠ぺいする野田新政権の連立政治に対して攻撃を仕掛けなければならない。脱原発か原発延命かの争点を中心にしながら、日米関係と対アジア関係、歴史認識、TPP参加、「成長戦略」、消費税増税といったすべての分野で明確な対抗線を引き、新政権と対決しよう。