―――『人びとのなかの冷戦世界』・『朝鮮戦争全史』・『松本清張の陰謀』・『日本冷戦史』を読む 天野恵一
2022年2月24日、突然(と、とりあえず私たちには見えた)、ロシア(プーチン大統領)はウクライナへ全面軍事侵攻を開始した。この稼働中の原発がいくつもある地域での戦闘という恐るべき戦争。この史上初めての蛮行。日本のマスコミは、こぞって侵略(領土拡大)への野望に燃えた、「悪魔のプーチン」による侵略と非難、逃げまどい殺されるウクライナの人々の悲惨さのクローズアップ(なにせ避難所や病院にまでロケット弾が大量に撃ち込まれるのだ)。テレビは戦闘員でない住民まで虐殺するロシア兵の戦争「犯罪」を、日々映像で示し続ける。まるで、大殺傷戦争「実況中継」の観客であることを強いられる日々が続いた。抵抗するウクライナのゼレンスキー大統領の「正義」は自明とし、さらに自国の軍隊を直接送る以外の戦争協力(大量の兵器そして金の支援)は惜しまないアメリカとヨーロッパを中心とするNATO軍の戦争加担の「正義」をも自明とする大量の戦争報道である。それはアメリカに追従し、軍事協力に加担している日本政府の姿勢をも「正当化」する心情と論理に満ち溢れた報道の日常化である。アメリカ・イギリスに支えられたウクライナの軍事力は、はるか以前からかなり強化されていたこともあって<この事実も後から見えてきたのだが>、戦争は予想よりはるかに長く続いている。
このウクライナ戦争が開始された時、私は、「毎日出版文化賞」と「大佛次郎論壇賞」のダブル受賞とかで話題になっている、岩波書店で2021年に出版された、国際関係論の専門家、益田肇の『人びとのなかの冷戦世界――想像が現実となるとき』を読みだしていた。この本のユニークさは、その分析視座<方法>の新しさによって示されている。イメージとして生まれた東西冷戦対立構造が、朝鮮戦争という、戦闘地域が朝鮮半島に限定された「世界戦争」によって世界各地で「現実」のものになっていくプロセスが、世界大で、具体的に示されているのだ。世界各国の人々の朝鮮戦争の時代の生活が、前例のないほど広く、同時代史として分析されている。この外交史と社会史、ローカル史とグローバル史を総合的に組み上げると語られている研究方法については、「あとがき」に代えて書かれている、著者自身による「解題」から引こう。
「本書が試みたことは、そうした起源を探し求めるアプローチを避けて、むしろ冷戦という『現実』が実体化していく過程に焦点を当てること、そして、どのようにして(またなぜ)それが後戻りできない段階に至ったかを検証することだった。つまり、ものごとの『始まり』自体よりも、ものごとの『凝固』過程を問題にしている。/では、なぜ起源追求アプローチを避けるのか。率直に言ってそこに問題があるからだ。そもそもなぜ私たちは『起源』に惹かれるのか、それは『始まり』にこそ、その後の事象の本質が隠されている、との前提があるからだろう。しかし、これはそれほど自明のことではない。実際には、ある特定のパターンが何度か繰り返されて、それが認識されて、そこで初めて『始まり』が思い起こされ、確認されることになる。言い換えれば、ものごとの繰り返しと固定化の過程が、何が『起源』なのかをさかのぼって定義しているのだ。その逆、つまり何か一つの行為か出来事がその後に起きることを運命づけるわけではない。こうした性質上、多くの人びとが何らかの『現実』を共に信じ切っているときにこそ、その『始まり』はより自然で説得力があるように立ち現れ、まるで、疑う余地すらないように見えてくることになる。/そして、ここに起源追求アプローチの問題点がある。本来的に、『起源』の追求は、その後に起きたことの知識を前提にしている。そうした知識があるからこそ、私たちはどのような出来事を優先的に検証していくべきかが分かる、というわけだ。その結果、ある種の出来事より重要性が高いように見え、別の種の出来事は歴史の脇道でおきた些末な出来事であるかのように見えることになる。その選考基準は、実は、当時の人々のものというよりも、私たち自身のものに過ぎないにもかかわらず、だ。端的に言えば,『起源を求める』研究とは、ただ単に中立的で無色のアプローチではない。それは、それ自体のレンズを備えたもので、研究の方向性をほとんど気づかれないうちにこっそりと条件づけているものなのだ」。
ここまでくると、思わず、思想(イデオロギー)のレンズのかかっていない、純粋中立で無色な方法やアプローチなんてものがあるのかい、などと茶々を入れたくなるが、不満や批判は後まわし。
著者にとっても、東西冷戦世界のイメージが広く世界に現実のものとして定着させた出来事としての<朝鮮戦争>の決定的な意味をこそ論じているのである。それが「第三次世界大戦の発端」と広く恐れられ、「いま」がその新しい世界大戦の入り口としての「冷戦の時代」と広く概念化された事にこそ注目しているのである。結論的に著者は、こう語る。
「朝鮮戦争をめぐる人びとの認識が、冷戦という『現実』をそれまでにないほど強化し、それに代わるさまざまな現実の見方を押し殺し、それによってそれを反駁の余地すらない世界の現実として仕立て上げた」。
朝鮮戦争の時代の軍隊が参戦した国はもちろん、それはなかった関係国も含めたグローバルな世界社会史、これをまとめるために著者は、信じられないぐらい大量の各国の資料にあたっている。私だけでなく多くの読者が、よく、あるいはまったく知らない事実が、そこにいくつも提示されているはずである。一つだけ例を挙げる。マッカーシズムのアメリカについての知識は、私にもそれなりにあったが、中国の「鎮圧反革命運動」の歴史については、私はまったく無知であり、この「文化大革命」の前史ともいうべき事実にはあらためて驚かされた。この大作については、ひとまずここまで。
私は、この後、その群を抜いた緻密さにおいて定評のある和田春樹の『朝鮮戦争全史』(岩波書店、2002年)を、今度こそキチンと精読しようと読みだした。もちろん、この本は国の政治的あるいは軍事的トップリーダーたちの動向を中心においた戦争分析である。ソ連邦共産党の崩壊が可能にしたのであろう、国家の秘密文書が大量に読めることになった状況以降の分析である。スターリン、毛沢東、金日成相互間の電報でのやりとりなどがフルに活用されて、金日成軍と共に地上戦の中心を担った毛沢東(中国)軍だけではなくて、スターリン(ソ連)の大量な兵器と戦費(マネー)が「共産軍」を支え続けたさまが、時間軸に沿ってリアルに分析されている。もちろん、すぐ現地に「国連軍」として投入された、とびぬけた米軍の軍事力を中心とするパワー抜きで、李承晩(韓国)の軍隊の闘いは持続できなかった実態も。
私は、この戦闘空間が朝鮮半島に限定された世界戦争の「発端」というより、外からの軍事協力のみで軍隊を直接派兵しなかった国を含めた「世界戦争」(米ソ両大国間の「代理戦争」)である朝鮮戦争の実態を、実にわかりやすく詳細かつ正確に明らかにした力作を読み続けながら、今、この時間に展開されているウクライナ戦争との類似性に気づかされた。戦闘空間の限定は、核兵器がつくられ、アメリカによって日本に使用され、その大量殺傷兵器の恐ろしさが世界に認識されている第二次世界大戦後であることによって発生している。両核武装大国は原爆使用は禁じ手にせざるを得なかった(もっともアメリカ大統領にトルーマンが「原爆使用もありうる」と公言したのは1950年11月30日である、だから全くその可能性がなかったわけではない。そうしたアメリカサイドの裏事情にも、和田の分析は行き届いている)。そして、実はウクライナ軍の力は、兵隊を送らないアメリカの大量の金と兵器によって支えられている(今回は国連軍は編成できずに、派兵はしない米英を中心とするNATO国軍のパックアップで、その戦闘力は支えられている)。
今回も、戦闘空間限定型「代理戦争」という世界戦争。自国の死者を出さない戦争というアメリカの支配者にとっては夢のような戦争である。朝鮮戦争の時は、戦場に近い日本国内の米軍基地がフル活用され、あの米軍の恐るべき大量空爆は、その基地の存在抜きで考えようもなかった事実を踏まえれば、ひそかに参戦した日本兵がいた事実や、日本の「掃海艇」の活動とその作業中の死者の存在は、公的に確認されている事実をも踏まえれば、和田が本書で細かく分析レポートしているように、日本も、間違いなく日米軍事同盟下の「参戦国」であった。ウクライナ戦争はどうか、米軍は直接派兵しておらず、日本の基地も活用されていないとはいえ、日本も、ドローンや防弾チョッキなどの兵器はウクライナに提供している事実に象徴されるように米国(NATO)サイドでの戦争加担は明らかである。
日本の民衆の多くは朝鮮戦争についても、事実上「参戦国」であったという歴史認識はほとんど欠落しており、現在のウクライナ戦争についても戦争「中立国」として、ロシアの侵攻に怒りをぶつけていると多くの人は思いこんでいるようだ。
この意識が内側から突破されなければ、日本にウクライナ<反戦>の運動は、まともに成立しまい。
和田は以下の言葉で、「朝鮮戦争全史」を締めくくっている。
「朝鮮戦争の過程で、韓国に対しても、朝鮮民族に対しても、同情心というものが発揮されることがなかったことは致命的である。たしかに台湾や韓国に対する同情、連帯を示せば、反共軍事同盟への方向性を持たざるを得なかったことはたしかであり、日本政府と国民にはそれから逃げる気持ちは強かったのはたしかである。しかし、ここから否応なしに日本国民にとっては、自分たちだけが平和であればよいという意識、地域の運命に対する無関心、知己主義の否定が強まったのである。それは横田基地からB29が飛び立って、北朝鮮を最後まで空襲、空爆したことに気づかずに終わる精神の構造であった。/かくて、東北アジア国際構造が朝鮮戦争から姿をあらわしたのである」。
ウクライナ戦争が、和田がここで朝鮮戦争こそがつくりだしたとする日本の「憲法9条と軽武装と日米安保条約の三位一体の体制」の最終的解体の局面をつくりだしつつある。「朝鮮戦争」の時代とは反対に、ロシアの日常化された攻撃にさらされるウクライナ住民への、虐殺攻撃への絶え間のない全マスコミ上げてのクローズアップは、必然的にウクライナへの強烈な同情を組織化し、そのことを通して侵略攻撃軍ロシア(プーチン)への恐怖を、そしてアメリカに協力しない中国と「北朝鮮」への恐怖をともに煽り立て、人びとの心を日本の大軍拡はやむなしの心情と論理に組織化し、日本の核武装の必要を力説する権力政治家の大きな声の突出にも、強い反発は生まれない状況が今、現出しているのである。
この状況を撃ち返すには、ウクライナ戦争はもはや日本も一方に加担している「世界戦争」となっているという、隠されている現実を踏まえなければならない。この大切な事実をこそ、私は和田の『朝鮮戦争全史』から教えられた。
益田の『人びとのなかの冷戦世界』は、あれだけグローバル(かつローカル)な時代分析であるにもかかわらず、私のような無知な人間でも、それなりに調べたことのある、肝心な日本の政治社会分析が、どういうわけか、とってもお手軽にすまされすぎている。
この点は、当時は「非武装中立論の一翼を担っていた」清水幾太郎の、戦後転向(政治的な立場が逆転した)後の回想記の北朝鮮の侵攻への「バカらしい」という当時の日記の言葉を引いた文章をそのまま紹介して、それを「非武装中立論」の無効に即転じた人々の代表として紹介している点によく示されている。
こまかく論ずるスペースはないが、この代表的戦後平和主義のイデオローグであった清水の当時の主張は、もっと複雑怪奇なものである。
北朝鮮の侵略から開始された戦争という評価への反撃するためのテキストとして活用された、I・F・ストーンというアメリカのジャーナリストの『秘史 朝鮮戦争』の帯につけられた清水の「これを読んで眼が覚めない者を白痴という」くだりのある推薦文に、「清水のような主張をする人を私たち『白痴』の言葉ではデマゴーグといいます」と、三好十郎は激しくかみついた。三好の批判を軸にする論戦については、私はかつて整理して論じたことがある<注1>。 いくらなんでも、この時代の進歩派左翼平和運動にもたらした大混乱が見えていなすぎる。
私は、佐藤一の『松本清張の陰謀――「日本の黒い霧」に仕組まれたもの』(草思社、2006年)もあらためて引っ張り出し読み直してみた。朝鮮戦争は日本共産党を武装闘争へ突き動かす(もちろん中ソの指令の下で)。元共産党員であり、松川事件の被告として死刑判決を受けたことのある佐藤は、そこで、こう語っている。「中国やソ連の指示に従うことに『大義』アリと考えた知識人は共産党員だけではなかった」。そう論じた後に、彼はこう続ける。
「大河内一男、大塚久雄、大山郁夫、井上清など、当時最高の知識人35名が監・編集者となって、『日本資本主義講座』全11巻を岩波書店から急遽出版する。同『講座』は、共産党の解放闘争に理論的根拠を与え、教育・宣伝に資するものといわれ、当然のことながら『序文』や『「講座」出版のために』が、コミンフォルム批判や日共の『51年綱領』の語り口に余りによく似ていた。そればかりか、発刊の時期にも経済状況の著しい読み間違いがあり、さらに朝鮮戦争開始をアメリカ指導による韓国側の北への侵攻とする事実無視の説を、1,2,3,9,10巻の合わせて11ヶ所で執拗に説き、アメリカと韓国への悪意と偏見を丸出しにしている。監・編集者たちはひたすら、正義は北朝鮮側にありと思念し、日本国憲法などはまったく念頭になかったのだろう」(傍線引用者)。
弾圧されながらも侵略戦争に反対し続けた唯一の公党<日本共産党>という神話につつまれた戦後のスタートは、知識人・学生の世界に共産党ブームともいわれる時代をつくりだした。朝鮮戦争は、この信頼と人気の大崩壊の大きな第一歩だったわけである。
このコミンフォルムと朝鮮戦争と日本共産党の関係の歴史を私にクリアーに提示してくれた本は、2011年の、あの<3・11>直後に出版された下斗米伸夫の『日本冷戦史――帝国の崩壊から55年体制へ』(岩波書店)であったことを思い出し、それも引っ張り出して手にした。下斗米の方法は、米ソ英中の、東アジアでのヘゲモニーをめぐるせめぎあいのプロセスの鋭い分析を媒介に、冷戦構造成立の<起源>を探ってみせたものであった。下斗米の<起源><始まり>へのアプローチには、そこにこそ事象の本質が隠されているとする、益田肇の方法批判は、あまり妥当性を感じさせない具体的分析が果たされていることが、あらためて実感できた。
<起源>アプローチ批判の論理的妥当性についても、キチンと考え直す機会を持ちたい。そう思った。
ウクライナ戦争下で「朝鮮戦争」を読む作業。このあわてふためいて大混乱の作業を、ここにそのまま記した。
<注1>私のその論文は「<暴力>と<非暴力>−−運動の中の、あるいは運動としての」(フォーラム90S研究会編の『20世紀の政治思想と社会運動』(社会評論社、1998年)に収められている。
(2022年6月26日)
2022年2月24日、突然(と、とりあえず私たちには見えた)、ロシア(プーチン大統領)はウクライナへ全面軍事侵攻を開始した。この稼働中の原発がいくつもある地域での戦闘という恐るべき戦争。この史上初めての蛮行。日本のマスコミは、こぞって侵略(領土拡大)への野望に燃えた、「悪魔のプーチン」による侵略と非難、逃げまどい殺されるウクライナの人々の悲惨さのクローズアップ(なにせ避難所や病院にまでロケット弾が大量に撃ち込まれるのだ)。テレビは戦闘員でない住民まで虐殺するロシア兵の戦争「犯罪」を、日々映像で示し続ける。まるで、大殺傷戦争「実況中継」の観客であることを強いられる日々が続いた。抵抗するウクライナのゼレンスキー大統領の「正義」は自明とし、さらに自国の軍隊を直接送る以外の戦争協力(大量の兵器そして金の支援)は惜しまないアメリカとヨーロッパを中心とするNATO軍の戦争加担の「正義」をも自明とする大量の戦争報道である。それはアメリカに追従し、軍事協力に加担している日本政府の姿勢をも「正当化」する心情と論理に満ち溢れた報道の日常化である。アメリカ・イギリスに支えられたウクライナの軍事力は、はるか以前からかなり強化されていたこともあって<この事実も後から見えてきたのだが>、戦争は予想よりはるかに長く続いている。
このウクライナ戦争が開始された時、私は、「毎日出版文化賞」と「大佛次郎論壇賞」のダブル受賞とかで話題になっている、岩波書店で2021年に出版された、国際関係論の専門家、益田肇の『人びとのなかの冷戦世界――想像が現実となるとき』を読みだしていた。この本のユニークさは、その分析視座<方法>の新しさによって示されている。イメージとして生まれた東西冷戦対立構造が、朝鮮戦争という、戦闘地域が朝鮮半島に限定された「世界戦争」によって世界各地で「現実」のものになっていくプロセスが、世界大で、具体的に示されているのだ。世界各国の人々の朝鮮戦争の時代の生活が、前例のないほど広く、同時代史として分析されている。この外交史と社会史、ローカル史とグローバル史を総合的に組み上げると語られている研究方法については、「あとがき」に代えて書かれている、著者自身による「解題」から引こう。
「本書が試みたことは、そうした起源を探し求めるアプローチを避けて、むしろ冷戦という『現実』が実体化していく過程に焦点を当てること、そして、どのようにして(またなぜ)それが後戻りできない段階に至ったかを検証することだった。つまり、ものごとの『始まり』自体よりも、ものごとの『凝固』過程を問題にしている。/では、なぜ起源追求アプローチを避けるのか。率直に言ってそこに問題があるからだ。そもそもなぜ私たちは『起源』に惹かれるのか、それは『始まり』にこそ、その後の事象の本質が隠されている、との前提があるからだろう。しかし、これはそれほど自明のことではない。実際には、ある特定のパターンが何度か繰り返されて、それが認識されて、そこで初めて『始まり』が思い起こされ、確認されることになる。言い換えれば、ものごとの繰り返しと固定化の過程が、何が『起源』なのかをさかのぼって定義しているのだ。その逆、つまり何か一つの行為か出来事がその後に起きることを運命づけるわけではない。こうした性質上、多くの人びとが何らかの『現実』を共に信じ切っているときにこそ、その『始まり』はより自然で説得力があるように立ち現れ、まるで、疑う余地すらないように見えてくることになる。/そして、ここに起源追求アプローチの問題点がある。本来的に、『起源』の追求は、その後に起きたことの知識を前提にしている。そうした知識があるからこそ、私たちはどのような出来事を優先的に検証していくべきかが分かる、というわけだ。その結果、ある種の出来事より重要性が高いように見え、別の種の出来事は歴史の脇道でおきた些末な出来事であるかのように見えることになる。その選考基準は、実は、当時の人々のものというよりも、私たち自身のものに過ぎないにもかかわらず、だ。端的に言えば,『起源を求める』研究とは、ただ単に中立的で無色のアプローチではない。それは、それ自体のレンズを備えたもので、研究の方向性をほとんど気づかれないうちにこっそりと条件づけているものなのだ」。
ここまでくると、思わず、思想(イデオロギー)のレンズのかかっていない、純粋中立で無色な方法やアプローチなんてものがあるのかい、などと茶々を入れたくなるが、不満や批判は後まわし。
著者にとっても、東西冷戦世界のイメージが広く世界に現実のものとして定着させた出来事としての<朝鮮戦争>の決定的な意味をこそ論じているのである。それが「第三次世界大戦の発端」と広く恐れられ、「いま」がその新しい世界大戦の入り口としての「冷戦の時代」と広く概念化された事にこそ注目しているのである。結論的に著者は、こう語る。
「朝鮮戦争をめぐる人びとの認識が、冷戦という『現実』をそれまでにないほど強化し、それに代わるさまざまな現実の見方を押し殺し、それによってそれを反駁の余地すらない世界の現実として仕立て上げた」。
朝鮮戦争の時代の軍隊が参戦した国はもちろん、それはなかった関係国も含めたグローバルな世界社会史、これをまとめるために著者は、信じられないぐらい大量の各国の資料にあたっている。私だけでなく多くの読者が、よく、あるいはまったく知らない事実が、そこにいくつも提示されているはずである。一つだけ例を挙げる。マッカーシズムのアメリカについての知識は、私にもそれなりにあったが、中国の「鎮圧反革命運動」の歴史については、私はまったく無知であり、この「文化大革命」の前史ともいうべき事実にはあらためて驚かされた。この大作については、ひとまずここまで。
私は、この後、その群を抜いた緻密さにおいて定評のある和田春樹の『朝鮮戦争全史』(岩波書店、2002年)を、今度こそキチンと精読しようと読みだした。もちろん、この本は国の政治的あるいは軍事的トップリーダーたちの動向を中心においた戦争分析である。ソ連邦共産党の崩壊が可能にしたのであろう、国家の秘密文書が大量に読めることになった状況以降の分析である。スターリン、毛沢東、金日成相互間の電報でのやりとりなどがフルに活用されて、金日成軍と共に地上戦の中心を担った毛沢東(中国)軍だけではなくて、スターリン(ソ連)の大量な兵器と戦費(マネー)が「共産軍」を支え続けたさまが、時間軸に沿ってリアルに分析されている。もちろん、すぐ現地に「国連軍」として投入された、とびぬけた米軍の軍事力を中心とするパワー抜きで、李承晩(韓国)の軍隊の闘いは持続できなかった実態も。
私は、この戦闘空間が朝鮮半島に限定された世界戦争の「発端」というより、外からの軍事協力のみで軍隊を直接派兵しなかった国を含めた「世界戦争」(米ソ両大国間の「代理戦争」)である朝鮮戦争の実態を、実にわかりやすく詳細かつ正確に明らかにした力作を読み続けながら、今、この時間に展開されているウクライナ戦争との類似性に気づかされた。戦闘空間の限定は、核兵器がつくられ、アメリカによって日本に使用され、その大量殺傷兵器の恐ろしさが世界に認識されている第二次世界大戦後であることによって発生している。両核武装大国は原爆使用は禁じ手にせざるを得なかった(もっともアメリカ大統領にトルーマンが「原爆使用もありうる」と公言したのは1950年11月30日である、だから全くその可能性がなかったわけではない。そうしたアメリカサイドの裏事情にも、和田の分析は行き届いている)。そして、実はウクライナ軍の力は、兵隊を送らないアメリカの大量の金と兵器によって支えられている(今回は国連軍は編成できずに、派兵はしない米英を中心とするNATO国軍のパックアップで、その戦闘力は支えられている)。
今回も、戦闘空間限定型「代理戦争」という世界戦争。自国の死者を出さない戦争というアメリカの支配者にとっては夢のような戦争である。朝鮮戦争の時は、戦場に近い日本国内の米軍基地がフル活用され、あの米軍の恐るべき大量空爆は、その基地の存在抜きで考えようもなかった事実を踏まえれば、ひそかに参戦した日本兵がいた事実や、日本の「掃海艇」の活動とその作業中の死者の存在は、公的に確認されている事実をも踏まえれば、和田が本書で細かく分析レポートしているように、日本も、間違いなく日米軍事同盟下の「参戦国」であった。ウクライナ戦争はどうか、米軍は直接派兵しておらず、日本の基地も活用されていないとはいえ、日本も、ドローンや防弾チョッキなどの兵器はウクライナに提供している事実に象徴されるように米国(NATO)サイドでの戦争加担は明らかである。
日本の民衆の多くは朝鮮戦争についても、事実上「参戦国」であったという歴史認識はほとんど欠落しており、現在のウクライナ戦争についても戦争「中立国」として、ロシアの侵攻に怒りをぶつけていると多くの人は思いこんでいるようだ。
この意識が内側から突破されなければ、日本にウクライナ<反戦>の運動は、まともに成立しまい。
和田は以下の言葉で、「朝鮮戦争全史」を締めくくっている。
「朝鮮戦争の過程で、韓国に対しても、朝鮮民族に対しても、同情心というものが発揮されることがなかったことは致命的である。たしかに台湾や韓国に対する同情、連帯を示せば、反共軍事同盟への方向性を持たざるを得なかったことはたしかであり、日本政府と国民にはそれから逃げる気持ちは強かったのはたしかである。しかし、ここから否応なしに日本国民にとっては、自分たちだけが平和であればよいという意識、地域の運命に対する無関心、知己主義の否定が強まったのである。それは横田基地からB29が飛び立って、北朝鮮を最後まで空襲、空爆したことに気づかずに終わる精神の構造であった。/かくて、東北アジア国際構造が朝鮮戦争から姿をあらわしたのである」。
ウクライナ戦争が、和田がここで朝鮮戦争こそがつくりだしたとする日本の「憲法9条と軽武装と日米安保条約の三位一体の体制」の最終的解体の局面をつくりだしつつある。「朝鮮戦争」の時代とは反対に、ロシアの日常化された攻撃にさらされるウクライナ住民への、虐殺攻撃への絶え間のない全マスコミ上げてのクローズアップは、必然的にウクライナへの強烈な同情を組織化し、そのことを通して侵略攻撃軍ロシア(プーチン)への恐怖を、そしてアメリカに協力しない中国と「北朝鮮」への恐怖をともに煽り立て、人びとの心を日本の大軍拡はやむなしの心情と論理に組織化し、日本の核武装の必要を力説する権力政治家の大きな声の突出にも、強い反発は生まれない状況が今、現出しているのである。
この状況を撃ち返すには、ウクライナ戦争はもはや日本も一方に加担している「世界戦争」となっているという、隠されている現実を踏まえなければならない。この大切な事実をこそ、私は和田の『朝鮮戦争全史』から教えられた。
益田の『人びとのなかの冷戦世界』は、あれだけグローバル(かつローカル)な時代分析であるにもかかわらず、私のような無知な人間でも、それなりに調べたことのある、肝心な日本の政治社会分析が、どういうわけか、とってもお手軽にすまされすぎている。
この点は、当時は「非武装中立論の一翼を担っていた」清水幾太郎の、戦後転向(政治的な立場が逆転した)後の回想記の北朝鮮の侵攻への「バカらしい」という当時の日記の言葉を引いた文章をそのまま紹介して、それを「非武装中立論」の無効に即転じた人々の代表として紹介している点によく示されている。
こまかく論ずるスペースはないが、この代表的戦後平和主義のイデオローグであった清水の当時の主張は、もっと複雑怪奇なものである。
北朝鮮の侵略から開始された戦争という評価への反撃するためのテキストとして活用された、I・F・ストーンというアメリカのジャーナリストの『秘史 朝鮮戦争』の帯につけられた清水の「これを読んで眼が覚めない者を白痴という」くだりのある推薦文に、「清水のような主張をする人を私たち『白痴』の言葉ではデマゴーグといいます」と、三好十郎は激しくかみついた。三好の批判を軸にする論戦については、私はかつて整理して論じたことがある<注1>。 いくらなんでも、この時代の進歩派左翼平和運動にもたらした大混乱が見えていなすぎる。
私は、佐藤一の『松本清張の陰謀――「日本の黒い霧」に仕組まれたもの』(草思社、2006年)もあらためて引っ張り出し読み直してみた。朝鮮戦争は日本共産党を武装闘争へ突き動かす(もちろん中ソの指令の下で)。元共産党員であり、松川事件の被告として死刑判決を受けたことのある佐藤は、そこで、こう語っている。「中国やソ連の指示に従うことに『大義』アリと考えた知識人は共産党員だけではなかった」。そう論じた後に、彼はこう続ける。
「大河内一男、大塚久雄、大山郁夫、井上清など、当時最高の知識人35名が監・編集者となって、『日本資本主義講座』全11巻を岩波書店から急遽出版する。同『講座』は、共産党の解放闘争に理論的根拠を与え、教育・宣伝に資するものといわれ、当然のことながら『序文』や『「講座」出版のために』が、コミンフォルム批判や日共の『51年綱領』の語り口に余りによく似ていた。そればかりか、発刊の時期にも経済状況の著しい読み間違いがあり、さらに朝鮮戦争開始をアメリカ指導による韓国側の北への侵攻とする事実無視の説を、1,2,3,9,10巻の合わせて11ヶ所で執拗に説き、アメリカと韓国への悪意と偏見を丸出しにしている。監・編集者たちはひたすら、正義は北朝鮮側にありと思念し、日本国憲法などはまったく念頭になかったのだろう」(傍線引用者)。
弾圧されながらも侵略戦争に反対し続けた唯一の公党<日本共産党>という神話につつまれた戦後のスタートは、知識人・学生の世界に共産党ブームともいわれる時代をつくりだした。朝鮮戦争は、この信頼と人気の大崩壊の大きな第一歩だったわけである。
このコミンフォルムと朝鮮戦争と日本共産党の関係の歴史を私にクリアーに提示してくれた本は、2011年の、あの<3・11>直後に出版された下斗米伸夫の『日本冷戦史――帝国の崩壊から55年体制へ』(岩波書店)であったことを思い出し、それも引っ張り出して手にした。下斗米の方法は、米ソ英中の、東アジアでのヘゲモニーをめぐるせめぎあいのプロセスの鋭い分析を媒介に、冷戦構造成立の<起源>を探ってみせたものであった。下斗米の<起源><始まり>へのアプローチには、そこにこそ事象の本質が隠されているとする、益田肇の方法批判は、あまり妥当性を感じさせない具体的分析が果たされていることが、あらためて実感できた。
<起源>アプローチ批判の論理的妥当性についても、キチンと考え直す機会を持ちたい。そう思った。
ウクライナ戦争下で「朝鮮戦争」を読む作業。このあわてふためいて大混乱の作業を、ここにそのまま記した。
<注1>私のその論文は「<暴力>と<非暴力>−−運動の中の、あるいは運動としての」(フォーラム90S研究会編の『20世紀の政治思想と社会運動』(社会評論社、1998年)に収められている。
(2022年6月26日)