「忘却の穴」と安倍晋三
――安倍の中東訪問と人質事件に関する私見
田中利幸(広島市立大学教授・広島平和研究所研究員)
2015年1月23日記
実際には「積極的軍事力使用政策」であることを、厚顔無恥にも「積極的平和主義」という言葉でごまかすことは、安倍晋三が頻繁に使う欺瞞的レトリックの典型的な一例である。あらためて説明するまでもないことであろうが、「積極的平和主義」とは、ヨハン・ガルトゥングが定義したように、貧困、抑圧、差別などの構造的暴力がない社会状況を作り出すことが平和構築につながることを意味する。首相のこうした欺瞞言動によって遅かれ早かれ起こるであろうと多くの日本市民が心配していたことが、現実となってしまった「イスラム国(正式にはイラク・レヴァント・イスラム国)ISIL (Islamic State in Iraq and the Levant)に捕われた二人の日本人のうち、すでに一人の生命が失われ、もう一人の命も奪われる危険が刻一刻と迫りつつある(2015年1月26日現在)。
今回、安倍が中東訪問中に誇らしげに幾度も言及した「ISIL対策」のために拠出する2億ドル(約236億円)については、2人の人質問題が起きるや、この2億ドルは「人道支援」のものであると正当化する主張を安倍と日本政府は繰り返すと同時に、「卑劣なテロには決して屈しない」とも言い続けている。しかし、外務省のホームページに記されている情報によれば、「日本のISIL対策」には、エジプトに対する「国境管理能力強化のための50万ドル」も含んでいるとのこと。「国境管理能力強化」とは具体的にはいったいどのようなことを指すのか分からないが、「人道支援」でないことは明らかであろう。この2億ドルには確かに「人道支援」も含まれているであろうが、「ISIL(イスラム国)戦う周辺国に総額2億ドル程度支援を約束します」(強調:引用者)とエジプト・カイロで安倍が公言したように、基本的には「イスラム国」の勢力拡大を抑える目的のためのシリア反体制派支援という米国の政策に沿うものであることは明らかである。したがって、「イスラム国」の側から見れば日本の行動は「戦争加担」であり、よって今回の人質事件は、起こるべきして起きた事件なのである。(しかし、誤解のないように明言しておくが、私は「イスラム国」の行動をはっきりと「テロ行為」であると見なしており、決して容認してなどいない。)
あらためて言うまでもないが、「卑劣なテロ行為」を頻繁に行っているのは「イスラム国」だけではない。パレスチナ住民への激しい無差別爆撃を含むテロ行為を長年にわたり繰返し、市民殺戮を行っているのはイスラエルである。安倍は、2013年3月にF-35戦闘機の日米共同開発を武器輸出三原則の例外とすることで、イスラエルにこのF-35戦闘機が渡ることを事実上可能にした。さらに2014年4月、安倍は武器輸出三原則自体を国会で議論することなく閣議決定のみで撤廃してしまい、「防衛装備移転三原則」などと、これまた欺瞞的名称の「原則」に置き換えて、武器の国際共同開発を推進している。2014年5月にイスラエルのネタニヤフ首相が訪日した折には、諜報・軍事分野での日本・イスラエルの関係強化でも合意している。今回の安倍のイスラエル訪問中に、ネタニヤフは「現下のテロの動きは世界に広がり、日本も巻き込まれる可能性がある。グローバルなテロを止めなければならない」(強調:引用者)と述べたが、まさにその予測が的中した形となった。実は、巻き込んだ要因の中にネタニヤフ自身によるテロ行為と安倍の欺瞞政策が含まれているという自覚は、この2人には全くないようだが。
この人質事件が起きる前日の1月19日、安倍はイスラエルの国立ホロコースト記念館「ヤド・バシェム」を訪れ、短い演説を行っている。この演説の中で安倍は、「特定の民族を差別し、憎悪の対象とすることが、人間をどれほど残酷にするのか、そのことを学ぶことができました」と述べた。このことを日本人として本当に学びたいならば、安倍は中国の「南京大虐殺記念館」や韓国ソウルの「西大門刑務所歴史館」に行くべきであろう。しかも、日本軍性奴隷制の犠牲者となった女性たちを「嘘つき」と呼び、南京大虐殺に代表されるような様々な蛮行をアジア太平洋各地で犯した日本軍の行動を「侵略戦争ではない」などと主張して、「特定の民族を差別し、憎悪の対象と」しているその張本人が、ホロコースト記念館でいったい何を学んだと言うのであろうか。戦時中にユダヤ難民を助けた杉原千畝領事の美談をここでも紹介することで、都合の良い「記憶」だけを政治的に利用し、都合の悪い「記憶」は抹消するという、「記憶の操作」を安倍がやっていることを我々は決して見逃してはならない。
この「記憶の操作」がいかに恐ろしいものであるかを、本来は、ホロコースト記念館でこそ安倍が学ぶべきことなのである。少し長くなるが、「記憶の操作」をめぐってハナ・アーレントがその大著『全体主義の起源』第3巻の第3章で展開した鋭い指摘の中から幾つかを引用してみよう。(ハナ・アーレントの生涯については、最近、映画にもなっており、知っている人も少なくないと思うので、詳しい紹介は省く。)なお、赤字の強調は引用した私がつけたものである。
ナチスやスターリン政権という全体主義下での牢獄や収容所での殺戮に関して、彼女は次のように述べる。
「牢獄や収容所は単に不法と犯罪のおこなわれる場所ではなかった。それらは、誰もがいつなんどき落ち込むかもしれず、落ち込んだら嘗てこの世に存在したことがなかったかのように消滅してしまう忘却の穴に仕立てられていたのである。殺害がおこなわれた、もしくは誰かが死んだことを教える屍体も墓もなかった。……. 屍体を後に残し、ただ自分が誰かを知らせる手がかりを消すことだけに気をくばっている殺人者などは、犯行の痕を残さず、犠牲者を生きている人間たちの記憶のなかから抹消するに足る大きな組織された権力を持っている現代の大量逆虐殺者の足もとにも寄れない。」
「殺害者は屍体を後に残して行くし、自分の犠牲者が存在しなかったなどとは主張しない。殺害者は手がかりを消すが、それは自分が誰かを示す手がかりであって、人々の記憶に残る痕跡や犠牲者を愛した人々の悲しみを消しはしない。彼は一個の生命を消滅させるが、一人の人間が生きていたという事実を消滅させるのではない。
ナチは彼らの一流の几帳面さをもって強制収容所計画を<夜と霧>Nacht und Nebel という項目のもとに記録することにしていた。あたかもその人間がかつて存在しなかったかのように人間を扱うこと、文字どおり人間を消えさせること、こういうやりかたの徹底性は往々にしてちょっと見ただけではわからないこともある。」
「望ましからぬ者や生きる資格のない者は、あたかもそんなものは嘗て存在しなかったかのように地表から抹殺してしまうのである。彼らを見せしめに仕立て上げることなどは決してない。彼らが後に残す唯一の形見は、彼らを知り、彼らを愛し、彼らと同じ世界に生きていた人々の記憶だけだ。だから、死者と同時にその形見をも消し去ることが全体主義の警察の最も重要な、最も困難な任務の一つなのである。」
つまり、ホロコーストの真に恐ろしい本質は、その犠牲者が殺害されるということだけではなく、その人が生きていたという存在そのものの記録のみならずその人に関する「記憶」自体が、「忘却の穴」に落とされて抹消されてしまうことであると、アーレントは述べているのである。
ホロコーストの本質を実に鋭く抉り出した分析だと私は考える。しかし、このホロコースト犠牲者の「記憶」をめぐる分析は、他の戦争被害者の「記憶」にも当てはまると私は考える。例えば、今も存命中の日本軍性奴隷、いわゆる「元慰安婦」の女性たちに対して、「性奴隷」など存在しなかったと「嘘つき」呼ばわりすることは、彼女たちに関する「記憶」を「忘却の穴」に落とし込み、「あたかもそんなものは嘗て存在しなかったかのように地表から抹殺してしまう」ことなのである。それは、「人々の記憶に残る痕跡や犠牲者を愛した人々の悲しみ」をも消し去ってしまうことなのである。これは、まさに由々しい犯罪行為であると言える。その意味では、安倍晋三や彼を支える政治家や右翼知識人、活動家は、まさに「忘却の穴」を掘り続けている「記憶の殺人者」という名札をつけた「墓堀人」なのである。この事の本質を我々は深く且つ明確に認識しておかなくてはならない。
日本軍性奴隷問題に限らず、安倍晋三が様々なことで虚偽や欺瞞の発言を繰返していることは周知のところである。この「嘘」についても、アーレントがひじょうに的確な分析をしているので、引用しておこう。
「ヒットラーは嘘というものは法外なものである場合にのみ効果を挙げ得ると数百万部の刷られた本の中で宣伝した。法外というのは、事実の連関全体はそのままにしておいて個々の事実を否定する ― その場合には否定しておかなかった事実のおかげで嘘がばれてしまう ― ような小細工をせず、事実全体を歪めてしまって、その結果、個々の虚偽の事実が矛盾を含まぬ一つの関連をなし、現実の世界のかわりに一つの仮構の世界を作り出すようにするということなのである。周知のようにこれは何の支障もなくおこなわれ、人々はそれを信じた。たとえば、ユダヤ人は絶滅しなければならない寄生者であるという何百回もくりかえされた言明の結果、人々は組織的な絶滅のプログラムを信じるようになった。」
例えば、安倍の日本軍性奴隷に関するこれまでのたび重なる言及 — 「河野談話を継承」しながら「慰安婦の強制連行はなかった」— は、まさに「事実の連関全体」はそのままにしておきながら、同時にある「特定の事実は否定」し「他の事実」は否定しないという態度をとる典型的な例である。ところが、特定の事実の否定を繰返すことで作り上げられた「虚偽の事実」があたかも事実であるかのように信じ込ませてしまう。そうしたプロセスを繰返すことで、「事実の連関全体」を歪てしまうという点で、ヒットラーがとった「嘘」の手法と同じなのである。したがって、アーレントが解説するように、まもなく「個々の虚偽の事実が矛盾を含まぬ一つの関連をなし、現実の世界のかわりに一つの仮構の世界を作り出す」という結果に多くの人がだまされてしまい、容易にそのことに気がつかないという現象を産み出している。安倍は、憲法問題をはじめ他の様々な政治問題についても同じような「法外な嘘」の手法を駆使し、その結果、「現実の世界のかわりに一つの仮構の世界を作り出」し、その「虚構の政治世界」の中で我々を振り回すということを平気でやっている。にもかかわらず、なんら矛盾を感じない「裸の王様」なのである。この事態を放置しておけば、我々はみな安倍の「忘却の穴」に落とされて、文字通り殺されてしまうであろう。
ホロコースト記念館での安倍の今回の演説に、安倍は、「終戦70周年記念安倍談話」のイントロ的な意味をもたせたのではないかと私は深く懸念している。安倍が再び「安倍談話」で「法外な嘘」をついて、さらに日本を「破滅の穴」へと引きずりこんでいくことを、我々はなんとしても阻止しなければならない。
※著者により一部加筆(1月25日)
※著者により一部修正(1月26日)