植民地主義を葬ることのむずかしさ――その本質・主体・運動
2010年12月
※以下の文章は、ピープルズ・プラン研究所が12月11日に開催した、植民地主義をテーマとするシンポジウムに参加されたある方が、ご自身のブログに掲載された感想文です。重要な論点を含んでいますので、著者の許可を得て、こちらに転載させていただきます。
【出典】Gさんの政経問答ブログ
ピープルズ・プラン研究所が主催した12月11日のシンポジウム「植民地主義を葬る時代(とき)」に参加した。パネラーは高里鈴代(基地・軍隊を許さない行動する女たちの会)、李洪章(在日朝鮮人3世)、吉見俊哉(東大教授)の3氏。100人程の参加者だったのではないだろうか。
菅首相は12月17日、沖縄訪問の予定である。それに先立つ13日、仙谷官房長官は米軍基地の負担について「甘受していただく」と発言、沖縄の人々は「沖縄差別だ」と怒りの声をあげている。怒りは当然だ。沖縄ではこのかん、「差別」「植民地主義」という言葉をもって基地負担の強要を批判する声が高まっているが、まさにその正当性を証明するような仙谷の発言だった。仙谷はあわてて発言を撤回したが、菅政権の真意は明らかだ。仙谷糾弾、菅首相の訪沖阻止の声を、日本の私たちがあげるべきだろう。そのような状況下、シンポジウムの開催はタイムリーかつ有意義なものだったので、簡単に内容を紹介し感想を述べたい。
●3人のパネラーの発言と、反植民地主義の「運動主体」
かなり端折って紹介すると、パネラーの報告は以下のようだった。
高里さんのお話は、「今年は薩摩の琉球侵略から401年、日本の琉球処分から131年、日本の韓国併合から100年」という植民地主義の歴史を思い返させるものだった。沖縄の差別された地位を1つのベースにアジア侵略戦争が展開され、沖縄戦の悲劇に重ねて今日の「基地・沖縄」が存在しているという趣旨だったと思う。李さんは「在日朝鮮人のアイデンティテイは日本の継続する植民地主義に翻弄されている」と述べた。しかも朝鮮籍の人の抵抗の声、共和国との関係性についての語りは危険なもの=暴力と捉えられ、日本では加害と被害の関係が逆転している、と。植民地主義を克服するためには「マジョリティとマイノリティの連帯が効果的」という提案は、さまざま考えさせられる。そして吉見さんは、おおむね著書『親米と反米』(岩波新書)をたどり、「アメリカの力=まなざし+影響力+暴力の複合」という構図をアナロジーしつつ、関係性としての植民地主義ということを示唆したように見受けられた。フーコーの『監獄の誕生』に似通ったロジックかもしれない。
報告の紹介を端折ったのは、質疑・討論の内容が興味深かったからである。最初に質問したのは私だが、それは以下のような内容だ。「1960年には、沖縄の基地面積が『本土』と1対1にまで増加し、韓国で4・19革命が起こり、60年安保闘争が起こった。日本の植民地主義に関しては、安保闘争が『民主主義を守れ』という形に収束させられたことが大きかったのではないか?」。これに対しAさんは、共産党の反米―民主主義擁護、安保ブンドの反日帝復活―反安保という対立構造があった、と解説してくれた。またBさんは、所得倍増計画に足をすくわれた面もあるが、安保闘争は68年以降の闘いに引き継がれた、と話されていた。
そこでCさんが「反植民地主義の運動主体は誰か」と話題を振り、まず高里さんが「待ってました」と応じて昨年グアムで行われた女性たちの集会について話した。集会には1898年の米西戦争でアメリカの植民地となったフィリピン、プエルトリコなどを含め12の国・地域から参加者があり、タコの足のように世界にからみつく、アメリカの軍事基地に対する横につながった闘いなどが議論されたとのこと。一方、今年になって3回もたれた沖縄での女性の集会では、決議文の「沖縄差別」という言葉でもめたらしい。共産党系の女性たちから「日本人は差別していない」という異論が出たからで、最後は「日本政府による沖縄差別」という表現で折り合うことになったという。李さんは「一人ひとりが主体」「対話が重要」と言いつつ、「この場は(マイノリティである)高里さんと自分とが『さらし物』にされているようだ」と、微妙な表現をされていたように思う。
●日本人は差別していないのか? 植民地主義を助長していないか?
うがった見方かもしれないが、Cさんは「反植民地主義の運動主体は女性、沖縄の人々(などマイノリティ)」といった回答を望んでいたのではなかったのか? そもそも吉見さんが示唆したように植民地主義が関係または構造としてあるのなら、「主体は誰か」と問うこと自体が無効、または自らの立場をカッコに括るスタンスではなかったのか?――これが私がもった疑問である。実際、沖縄での集会の対立内容や、李さんのふと漏らした感想はCさんの質問そのものを問うているように思えた。端的に言えば「日本人は差別していない」のか、である。
もちろん私は「自己批判」や「決意」を求めているのでは全然ない。だから冒頭の質問のように、たとえば60年安保闘争の敗北のなかに沖縄差別や植民地主義の根源を探るような議論が必要だ、と考えるのである。60年安保闘争は5・19強行採決のあと民主主義擁護へと大きく転回する。議会制民主主義に収束したとすれば、安保=軍事は議会の手続き、政府の選択可能な政策の問題に矮小化される。国際主義ではなく「国家」という枠組みの中に私たちは見事に回収され、吉見さんが言う「アメリカの力」や植民地主義の関係性のメカニズムが働くことになる。国家、アメリカの力、植民地主義の根本的なファクターが暴力すなわち軍事であるとすれば、安保闘争の敗北を振り返ることこそが重要に思えたのである。60年安保闘争が韓国の4・19革命に連帯できず、65年の日韓条約に大衆的な反撃を組めなかったこと。60年安保と72年の沖縄返還をメルクマールに沖縄の基地が拡大されたこと。「軍隊慰安婦」の運動が冷戦の終結を待たねばならなかったこと――私たちが考えるべきことは多々ある。一方Bさんの「所得倍増計画に足をすくわれた」という指摘は、国家の枠組みへの回収の結果でしかない。
私たちは安保や植民地主義の問題に関し、あまりにも沖縄の人々や在日朝鮮人などマイノリティに寄りかかり、運動的に依存していないだろうか? 「日本人は沖縄を差別していない」という発言はともかく、依存し「さらし物」(沖縄には「闘争見物」という批判の言葉もある)にすることがあるとすれば、それが植民地主義を温存・助長する。植民地主義を葬るときは〈いま〉である。葬る主体は〈私たち日本人〉である。そしてそのためには、国家、アメリカの世界支配、植民地主義の根幹をなす〈安保〉を葬らなければならない。
2010年12月
※以下の文章は、ピープルズ・プラン研究所が12月11日に開催した、植民地主義をテーマとするシンポジウムに参加されたある方が、ご自身のブログに掲載された感想文です。重要な論点を含んでいますので、著者の許可を得て、こちらに転載させていただきます。
【出典】Gさんの政経問答ブログ
ピープルズ・プラン研究所が主催した12月11日のシンポジウム「植民地主義を葬る時代(とき)」に参加した。パネラーは高里鈴代(基地・軍隊を許さない行動する女たちの会)、李洪章(在日朝鮮人3世)、吉見俊哉(東大教授)の3氏。100人程の参加者だったのではないだろうか。
菅首相は12月17日、沖縄訪問の予定である。それに先立つ13日、仙谷官房長官は米軍基地の負担について「甘受していただく」と発言、沖縄の人々は「沖縄差別だ」と怒りの声をあげている。怒りは当然だ。沖縄ではこのかん、「差別」「植民地主義」という言葉をもって基地負担の強要を批判する声が高まっているが、まさにその正当性を証明するような仙谷の発言だった。仙谷はあわてて発言を撤回したが、菅政権の真意は明らかだ。仙谷糾弾、菅首相の訪沖阻止の声を、日本の私たちがあげるべきだろう。そのような状況下、シンポジウムの開催はタイムリーかつ有意義なものだったので、簡単に内容を紹介し感想を述べたい。
●3人のパネラーの発言と、反植民地主義の「運動主体」
かなり端折って紹介すると、パネラーの報告は以下のようだった。
高里さんのお話は、「今年は薩摩の琉球侵略から401年、日本の琉球処分から131年、日本の韓国併合から100年」という植民地主義の歴史を思い返させるものだった。沖縄の差別された地位を1つのベースにアジア侵略戦争が展開され、沖縄戦の悲劇に重ねて今日の「基地・沖縄」が存在しているという趣旨だったと思う。李さんは「在日朝鮮人のアイデンティテイは日本の継続する植民地主義に翻弄されている」と述べた。しかも朝鮮籍の人の抵抗の声、共和国との関係性についての語りは危険なもの=暴力と捉えられ、日本では加害と被害の関係が逆転している、と。植民地主義を克服するためには「マジョリティとマイノリティの連帯が効果的」という提案は、さまざま考えさせられる。そして吉見さんは、おおむね著書『親米と反米』(岩波新書)をたどり、「アメリカの力=まなざし+影響力+暴力の複合」という構図をアナロジーしつつ、関係性としての植民地主義ということを示唆したように見受けられた。フーコーの『監獄の誕生』に似通ったロジックかもしれない。
報告の紹介を端折ったのは、質疑・討論の内容が興味深かったからである。最初に質問したのは私だが、それは以下のような内容だ。「1960年には、沖縄の基地面積が『本土』と1対1にまで増加し、韓国で4・19革命が起こり、60年安保闘争が起こった。日本の植民地主義に関しては、安保闘争が『民主主義を守れ』という形に収束させられたことが大きかったのではないか?」。これに対しAさんは、共産党の反米―民主主義擁護、安保ブンドの反日帝復活―反安保という対立構造があった、と解説してくれた。またBさんは、所得倍増計画に足をすくわれた面もあるが、安保闘争は68年以降の闘いに引き継がれた、と話されていた。
そこでCさんが「反植民地主義の運動主体は誰か」と話題を振り、まず高里さんが「待ってました」と応じて昨年グアムで行われた女性たちの集会について話した。集会には1898年の米西戦争でアメリカの植民地となったフィリピン、プエルトリコなどを含め12の国・地域から参加者があり、タコの足のように世界にからみつく、アメリカの軍事基地に対する横につながった闘いなどが議論されたとのこと。一方、今年になって3回もたれた沖縄での女性の集会では、決議文の「沖縄差別」という言葉でもめたらしい。共産党系の女性たちから「日本人は差別していない」という異論が出たからで、最後は「日本政府による沖縄差別」という表現で折り合うことになったという。李さんは「一人ひとりが主体」「対話が重要」と言いつつ、「この場は(マイノリティである)高里さんと自分とが『さらし物』にされているようだ」と、微妙な表現をされていたように思う。
●日本人は差別していないのか? 植民地主義を助長していないか?
うがった見方かもしれないが、Cさんは「反植民地主義の運動主体は女性、沖縄の人々(などマイノリティ)」といった回答を望んでいたのではなかったのか? そもそも吉見さんが示唆したように植民地主義が関係または構造としてあるのなら、「主体は誰か」と問うこと自体が無効、または自らの立場をカッコに括るスタンスではなかったのか?――これが私がもった疑問である。実際、沖縄での集会の対立内容や、李さんのふと漏らした感想はCさんの質問そのものを問うているように思えた。端的に言えば「日本人は差別していない」のか、である。
もちろん私は「自己批判」や「決意」を求めているのでは全然ない。だから冒頭の質問のように、たとえば60年安保闘争の敗北のなかに沖縄差別や植民地主義の根源を探るような議論が必要だ、と考えるのである。60年安保闘争は5・19強行採決のあと民主主義擁護へと大きく転回する。議会制民主主義に収束したとすれば、安保=軍事は議会の手続き、政府の選択可能な政策の問題に矮小化される。国際主義ではなく「国家」という枠組みの中に私たちは見事に回収され、吉見さんが言う「アメリカの力」や植民地主義の関係性のメカニズムが働くことになる。国家、アメリカの力、植民地主義の根本的なファクターが暴力すなわち軍事であるとすれば、安保闘争の敗北を振り返ることこそが重要に思えたのである。60年安保闘争が韓国の4・19革命に連帯できず、65年の日韓条約に大衆的な反撃を組めなかったこと。60年安保と72年の沖縄返還をメルクマールに沖縄の基地が拡大されたこと。「軍隊慰安婦」の運動が冷戦の終結を待たねばならなかったこと――私たちが考えるべきことは多々ある。一方Bさんの「所得倍増計画に足をすくわれた」という指摘は、国家の枠組みへの回収の結果でしかない。
私たちは安保や植民地主義の問題に関し、あまりにも沖縄の人々や在日朝鮮人などマイノリティに寄りかかり、運動的に依存していないだろうか? 「日本人は沖縄を差別していない」という発言はともかく、依存し「さらし物」(沖縄には「闘争見物」という批判の言葉もある)にすることがあるとすれば、それが植民地主義を温存・助長する。植民地主義を葬るときは〈いま〉である。葬る主体は〈私たち日本人〉である。そしてそのためには、国家、アメリカの世界支配、植民地主義の根幹をなす〈安保〉を葬らなければならない。