続編 河野談話検証報告を検証する
――なぜ朝日新聞は攻撃目標にされたのか――
河野談話検証報告、国連自由権規約人権委員会勧告と朝日新聞攻撃をつなぐ流れ
田中利幸(広島市立大学教授・広島平和研究所研究員)
2014年9月19日記
河野談話検証報告が公表されて1ヶ月も経たない7月15?16日、ジュネーブで国連の自由権規約人権委員会が開かれ、6年ぶりで日本の人権保護状況に関する審査が行われた。審査の対象として、秘密保護法、ヘイト・スピーチ、福島原発事故影響など、前回の委員会ではとりあげられなかったテーマが新たに加えられたが、昨年2013年5月に開かれた国連拷問禁止委員会でと同様に、日本軍性奴隷問題、女性差別問題などが再び審査の対象となった。委員の質問に日本政府代表団(内閣官房、外務省、男女平等参画局、法務省などからの各担当者で組織されたグループ)が答えるという形で審査は行われた。その折、河野談話の検証について質問した女性委員ゾンケ・マジョディナ(南アフリカ)に対し、日本政府担当者は「当時、植民地統治下にあり、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意志に反してなされた」ことを認めつつも、「強制連行の事実は確認できない」という安倍政権の主張を繰り返した。マジョディナ委員が「『慰安婦』という言い方をやめて、強制的な『性的奴隷』と言うべき」であるとの発言に対しても、強制連行の事実は確認できないことから、『性奴隷』という表現は適切ではないと強く反論した。前述したように、「甘言、強圧による等、総じて本人たちの意志に反してなされた」行為が由々しい人権侵害であり犯罪行為であるという認識が政府代表者にも完全に欠落している。この日本軍性奴隷問題については、日本の死刑制度などと同様に、過去に何度も委員会から勧告を受けているにもかかわらず、日本政府が改善処置をとろうとは全く努力していないことを委員会のナイジェル・ロドリー議長(英国)が指摘して、「日本は国際社会に抵抗しているように見える」と苦言を呈する場面もあった。
ちなみに、この審査会には、日本から「慰安婦の真実国民運動 対国連委員会調査団」と称する10名ほどの日本人グループが傍聴に来ていた。その代表は、戦時中の日本軍による強制連行を「事実無根」と主張する女性団体「なでしこアクション」の代表でもあり、「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の副会長を2011年まで務めていた山本優美子である。またこのグループには、アメリカのカリフォルニア州グレンデール市に設置された慰安婦像の撤去を求めて訴訟を起こした原告団、「歴史の真実を求める世界連合」の代表である目良浩一も加わっていた。このグループは、前述のマジョディナ委員の日本軍性奴隷問題に関する日本政府側の答弁に一斉に拍手を行って、審査の妨害行為とも受け取れるようなふるまいを行い、ロドリー議長から「許されない行為だ」と強く注意された。それのみか、審査セッション終了後には、彼女たちはマジョディナ委員に詰め寄って、「慰安婦は高額の給料を支払われていた売春婦」、「性奴隷20万人という数字の根拠は何か」などとまくしたてて抗議したため、マジョディナ委員が会場から助け出されなければならならないような状態になったとのこと。今回の審査では、女性差別、女性に対する家庭内暴力問題の上に、日本政府が表現の自由を侵害するとして規制を棚上げにしてきた、在特会に代表されるような組織によるヘイト・スピーチや拝外デモも審議されたが、まさにこの会場で、このグループは、審査対象となったヘイト・スピーチや拝外デモを、こともあろうに、委員たちの面前で実証した形となったのである。かくして、日本国首相である安倍とその一派を支援する右翼団体の一つが、国連の人権委員会の場で、首相と共有する女性差別意識と民族差別意識をあからさまにするという前代未聞の恥ずべき奇行を演じたわけである。つまり、日本政府と右翼団体の人権保護感覚の低劣さを、国連人権委員会の場で文字通り実証してしまった。
審査を終え、2014年7月23日、自由権規約人権委員会は日本政府への勧告文を発表した。その中で、「慰安婦」問題については、以下のようなコメントと勧告を行っている。「軍による強制連行」はなかったという主張にもかかわらず、多くの場合、女性の募集、輸送と「慰安所」における女性の管理が、軍または軍の委託業者によって、「女性の意思に反して、強圧や脅迫という手段で」行われたという日本政府の説明は矛盾している。そして、「本人の意思に反して行われるそのような行為は、いかなるものであろうと、十分、人権侵害にあたるものであり、国家に法的責任が伴う」と結論づけている。さらに、そのような日本政府の矛盾した見解に助長された人間や公的人物が、元「慰安婦」の名誉を傷つけることで彼女たちを再び犠牲者にしていると厳しく批判している。「公的人物」が安倍ならびに安倍一派の政治家、NHK会長や経営委員の一部を指していることは明らかである。人権委員会は、さらに、日本軍性奴隷の被害者が日本政府に謝罪と賠償を求めて日本の裁判所に訴えたケースにも言及し、国家無答責を理由に彼女たちの訴えを裁判所が退けることは人権侵害であるとも主張している。その上で、日本政府に対して、以下のような6つの「即時かつ効果的な立法的および行政的措置をとるよう」要求している。
1)「慰安婦」に対して戦時中に日本軍が犯した性奴隷制ならびにその他の人権侵害に関する訴えを、効果的に、自律的に且つ公正に審査し、加害者を訴追し、有罪と見なされた場合には処罰すること
2)被害者ならびにその家族に正義がもたらされ、完全な賠償が与えられるようにすること
3)関連する全ての証拠を公開すること
4)この問題に関して学生ならびに一般市民を教育し、その教育には教科書による適切な参考書を含むこと
5)国家責任を公式に認め、公的謝罪を表明すること
6)被害者を誹謗中傷したり、事実を否定するいかなる試みも糾弾すること
これらの勧告内容は、これまで国連の人権関連委員会が繰り返し出してきた勧告とほぼ同じ内容の繰り返しであるが、今回は「関連する全ての証拠を公開すること」、「被害者を誹謗中傷したり、事実を否定するいかなる試みも糾弾すること」という2点が強調されている。これは、明らかに「河野談話検証」の不正なやり方と安倍一派ならびに在特会のような安倍支持団体が行っている「慰安婦バッシング」を念頭において入れられた厳しい勧告条項である。
この勧告発表に続き、8月6日には、国連人権高等弁務官の一人、ナバセム・ピレイ(南アフリカ)もまたこの日本軍性奴隷問題について意見を表明し、「(自分は)2010年に訪日した際、戦時性奴隷被害者に救済措置を提供するよう日本政府に求めたが、権利を求めて闘ってきた勇気ある女性たちが権利回復や賠償を手にすることなく、亡くなっているのを目にして心が痛む」と述べた。さらに、河野談話検証報告書が6月20日に公表された後、 「東京のグループが『慰安婦は性奴隷でなく、戦時売春婦だった』と公言した」が、「こうした発言は女性たちに多大な苦痛をもたらすにちがいない」とも述べて、安倍政権を厳しく批判した。
自由権規約委員会による勧告が出された翌日の7月24日、官房長官・菅義偉は記者会見で、「わが国の基本的な立場や取り組みを真摯に説明したにも関わらず、十分に理解されなかったことは非常に残念だ」述べて、勧告内容に真っ向から対抗する姿勢を見せた。また、ピレイ発言に対しても菅は8月7日の記者会見で、「慰安婦問題は日韓請求権協定により完全に解決済みだというのが、わが国の一貫した立場だ」と反論。同時に「日本政府は道義的観点から、アジア女性基金を通じておわびの手紙や償い金を出し医療福祉事業を実施してきた」のだとも主張し、 今後も「粘り強く日本の立場を説明していきたい」と述べた。しかし、どれほど「粘り強く立場を説明」したところで、その「立場」自体が、被害者を「嘘つき」呼ばわりして彼女たちの人権を侵害し続けるようなものであるならば、事態がいつまでたっても改善しないことは自明である。
こうして国連自由権規約委員会や人権高等弁務官による安部政権批判、とりわけ公表されたばかりの河野談話検証報告に対する厳しい批判に政府がさらされていた最中の8月5日、朝日新聞が、ひじょうに唐突と思われる「謝罪記事」を発表した。それは「『済州島で連行』証言 裏付け得られず虚偽と判断」と題されたもので、戦時中は日雇い労働者らを統制する組織である山口県労務報国会下関支部の動員部長をしていたと自称する吉田清治の虚偽の証言に基づいて、1982年9月から97年3月の間に16回「慰安婦」問題に関する記事を掲載したというもので、これらの記事を全部取り消すという発表であった。それと同時に、「慰安婦」の歴史に関する極めて基礎的な解説、強制性の問題、河野談話、アジア女性基金などの関連重要事項について合計8本の記事と識者5名(吉見義明、秦郁彦を含む日本人3名、アメリカ人日本研究者2名)へのインタヴュー、合計14本にものぼる記事を8月5?6日の2日間にわたって掲載。その結果発表した朝日新聞の結論は、下記のように、ほぼ河野談話の内容に沿ったものとなっている。
「日本の植民地だった朝鮮や台湾では、軍の意向を受けた業者が『良い仕事がある』などとだまして多くの女性を集めることができ、軍などが組織的に人さらいのように連行した資料は見つかっていません。一方、インドネシアなど日本軍の占領下にあった地域では、軍が現地の女性を無理やり連行したことを示す資料が確認されています。共通するのは、女性たちが本人の意に反して慰安婦にされる強制性があったことです。」
つまり、朝鮮・台湾では女性の強制連行を証明する資料は発見されていないが、インドネシアでは確実に資料が存在すること。朝鮮・台湾では騙された結果「慰安婦」にされた女性が数多くいること。しかし、この場合も「本人の意志に反して『慰安婦』にされた」という意味では「強制性」があった、という3点を朝日新聞はここで確認したのである。この結論自体は、歴史的事実に沿った極めて正当なものである。
問題は、吉田清治の虚偽の証言である。吉田は、1983年に『私の戦争犯罪』という題名の著書を出版し、その中で、1943年5月、西部軍動員命令で韓国の済州島に行き、兵士10人の応援をえて、205人の婦女子を「慰安婦」として強制連行したと書いた。さらに吉田は、済州島で多くの若い朝鮮人女性を「慰安婦」にするため、軍令によって、アフリカの奴隷狩りのごとく捕獲、拉致して強制連行したと講演会で繰り返し語り、朝日新聞だけではなく毎日新聞、読売新聞、産経新聞、共同通信などの記者にも「告白」していた。ところが、1992年3月、秦郁彦が済州島におもむき現地で聞き取り調査を行った結果、吉田証言には信憑性がないと結論し、同年4月30日に産経新聞でこれを発表。にもかかわらず、産経新聞は、1993年9月1日の紙面でも吉田を大きくとりあげ、「(証言の)信ぴょう性に疑問をとなえる声があがり始めた」が、「被害証言がなくとも、それで強制連行がなかったともいえない。吉田さんが、証言者として重要なかぎを握っていることは確かだ」と報道している。1992年8月には、読売新聞も毎日新聞も吉田に関する記事を発表しているが、証言に疑いがあるなどとは全く記していない。吉見義明も、1993年5月に吉田に直接会って話を聞いてから、証言内容は信頼できないと判断した。朝日新聞は、1997年3月の段階で、吉田証言が虚偽だという確証はなかったが、真偽も確認できないため、これ以降は吉田証言に基づく記事掲載を止めた。ちなみに、
確かに、吉田偽証に基づく朝日新聞の掲載記事の数は、他紙発表のものよりはるかに多いように思われる。ところが、2014年8月5日に朝日新聞がこの件で訂正記事を大々的に掲載するまで、どの新聞社も自社の「誤報」を訂正するという記事は発表していない。ところが、この朝日新聞の記事訂正が発表されるや、産経、読売、毎日の各紙が、自社の誤報は棚に上げて、朝日新聞誤報を痛烈に批判する記事をこぞって発表。それに続いて、これまで長年にわたって韓国や中国に対する赤裸々な民族差別的記事と女性差別的な記事を毎週のごとく発表してきた週刊誌『週刊文春』、『週刊新潮』と『週刊ポスト』が、朝日新聞を文字通り口汚く罵倒する記事を掲載し、あたかも「慰安婦制度」そのものがデッチアゲであるかのような記事を堂々と発表した。例えば、『週刊文春』は「1億国民が被害者になった『従軍慰安婦』大誤報 朝日新聞の辞書に『反省』『謝罪』の言葉はない」(8月28日)、『週刊新潮』は世界中に「『日本の恥』を喧伝した『従軍慰安婦』大誤報 全国民をはずかしめた『朝日新聞』七つの大罪 全世界で日本人を『性暴力民族』の子孫と大宣伝…」(8月28日)といった具合である。これらの新聞、雑誌の朝日新聞批判の論調はどれもほとんど同じで、「訂正記事」だけを載せ誤報に関する「謝罪」がないのはけしからん、朝日新聞の誤報のゆえに「慰安婦強制連行」があったという事実無根の情報が世界中に流れ、日韓関係の悪化の原因となった、というものである。とりわけ、日韓関係を悪化させる憎悪に満ちた激しい民族差別的記事を長年にわたって毎週のように載せている『週刊文春』が、朝日新聞の誤報を日韓関係悪化の「唯一無二の原因」と非難していることはあまりにも皮肉で、滑稽とすら聞こえる。
この機会を待っていたとばかり、9月5日の記者会見で官房長官・菅は、1996年に国連人権委員会が「慰安婦問題」で初めて出した調査報告書「クマラスワミ報告」について、「その報告書の一部が、先般、朝日新聞が取り消した記事の内容に影響を受けていることは間違いないと思う。我が国としては強制連行を証明する客観資料は確認されていないと思う」(強調 – 引用者)と述べた。この報告書は、スリランカの女性法律家ラディカ・クマラスワミ特別報告官による調査結果で、数多くの被害者への聞き取り調査と出版物を基に作成されており、吉田証言はごく一部で使用されているだけである。この報告書が「慰安婦」を「性奴隷」と認定して日本に法的責任をとることを求めたことから、安倍一派ならびに安倍を支持する右派勢力から「河野談話」とともに目の敵にされてきた。菅は、ここでも元凶は朝日新聞の誤報であり、これが国際社会での誤解を生んだと朝日新聞を非難することで、国連人権委員会が事実に反する情報に基づいて日本政府に法的責任を求めているのだと主張したわけである。安倍政権による「クマラスワミ報告」批判の真の目的は、「クマラスワミ報告」以降、国連の人権関連委員会が幾度も出している「慰安婦問題」での勧告を、これ以上出させないように牽制することにあることは明らかである。このような姑息で野卑なやり方で国連人権委員会の勧告をなじることで、安倍政権の「慰安婦」問題への対応が極めて不当且つ不法であり、自分たちがどれほど人権感覚を欠落させているかをさらに世界に自ら知らしめているということにすら気がつかない、その国際政治感覚の低劣さは悲惨である。
安倍自身も、朝日新聞の誤報は、「日本兵が、人さらいのように人の家に入っていって子どもをさらって慰安婦にしたという、そういう記事だった。世界中でそれを事実だと思って、非難するいろんな碑が出来ているのも事実だ」と朝日新聞を非難。「世界に向かってしっかりと取り消していくことが求められている」、「一度できてしまった固定観念を変えていくのは、外交が絡む上では非常に難しい」などと述べて、朝日新聞の誤報のゆえに、日本は「慰安婦」問題で全くいわれなき非難を受けていると主張している。一方で「河野談話は継承する」と堂々と述べていながら、実際には「慰安婦に対する人権侵害などはなかった」のだ、それは朝日新聞の誤報のせいだと「朝日新聞バッシング」をやりながら「慰安婦バッシング」を展開しているのである。同時に、安倍支持者で「河野談話撤回要求」を出している高市早苗、有村治子、山谷えり子といった民族差別主義者を閣僚として取込み、「女性活用モデル」として利用しているのである。すなわち、すでに幾度も述べたように、この朝日新聞攻撃でも、安倍ならびに安倍一派が押し進めているのは河野談話の「空洞化」、そして最終的な「無効化」である。
筆者は、ここで朝日新聞を弁護しようなどという意図は全くない。1997年3月に吉田証言に基づく記事をそれ以後は掲載しないことを決定した段階で、記事訂正と謝罪を明確にしなかった朝日新聞側に落度があったことは明らかである。さらに、2014年8月5日に訂正記事を出したのと同時に謝罪文を掲載しなかったことも、大きな間違いであった。しかし、同時に、ひじょうに奇妙なことには、掲載記事数は少ないとはいえ、産経、読売、毎日などが訂正や謝罪をするどころか、強烈な朝日新聞批判記事を、恥じることもなく一方的に出していることである。ジャーナリストとしての倫理性に全く欠けるこれらの新聞社スタッフの良心は、いったいどこにあるのかと問いただしたい。さらに奇妙なことは、1997年に記事掲載停止を決めてから17年も経た今この時期になって、なぜゆえに突如として朝日新聞だけがこの問題で大々的な訂正記事と関連記事を2日間にわたって掲載したのか、その理由と動機はいったいなんだったのか、という疑問である。しかも、その時期が、河野談話検証報告発表、それに続く国連自由権規約委員会や人権高等弁務官による厳しい安部政権批判と、偶然にしてはタイミングがあまりにも合い過ぎていると思われることである。さらに、朝日新聞だけが攻撃目標とされたことは、2001年1月30日にNHKが放送した「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」に関するテレビ・ドキュメンタリー番組を、当時、内閣官房副長官であった安倍晋三と中川昭一(当時、経済産業相)の2人が、NHKに圧力をかけてその番組内容を変更させていたことを、朝日新聞が2005年1月に暴露したことと関係があるのではないか?どこかで何か、我々が知らない、おぞましい政治的操作があったのではないかと推測したくなる。
安倍が国会議員となった1993年以来のこれまでの「慰安婦」問題をめぐる言動を詳しく分析してみると(残念ながらこの論考ではスペースの関係でそれができないが)、その結果として言えることは、安倍発言はその時々の政治状況によって頻繁に変節するのである。しかし、その変節が実は明らかな「虚偽」に基づいていることである。もちろん、彼の虚偽発言は「慰安婦」問題にとどまらない。典型的な一例は、2013年9月、ブエノスアイレスで開催された IOC 総会でのオリンピック東京招致委員会のプレゼンテーションで安倍が述べた、「私が保証します。(福島原発の)状況はコントロールされています」という明白な嘘である。ところが、不思議なことに、本人に「虚偽発言」を行っているという自覚が全くないことである。しかもその「虚偽発言」を、多くの安倍支持者たちも「虚偽」と思っていない、あるいは、思っていても言わないことである。つまり、文字通り「裸の王様」現象が起きているのである。これをどのように理解したらよいのであろうか。政治批評家・武藤一羊は、その理由を次のように明快に説明している。
「安倍政権を特徴づけているのは、願望と自己都合に基づいて仮想現実をでっちあげ、それを現実に貼り付け、仮想現実の方を対象にして政治を展開するという政治手法である。
しかしそれだけであろうか。安倍がマジシャンなら、観客の目前で、たくみに巨象を消して見せる、そこまでは彼の能力として認めてみよう。だが当のマジシャンが、象が本当に消えたと信じ始めたらどうであろう。そして、それに調子を合わせ、助手たちも、観客(の多数)も、象は本当に消えたとして振舞い始めたらどうであろう。そう信じなくても、信じるふりをして振舞い始めたらどうであろう。象はいつか、どこからか出現し、装置を破壊し、彼と観客を踏みつぶすであろう。」(強調 - 引用者)
我々市民がその「象」に踏みつぶされる前に、マジシャンそのものを舞台から引き下ろさなければならない。
しかし、なぜ日本国民はこうもたやすく政治家の「虚言」にだまされてしまうのであろうか。アジア太平洋戦争が終わったとき、当時の多くの国民が、政治家や軍人にだまされていたと感じた。政治家が国民を「だます」ことに関しては、敗戦1年後の1946年8月に、伊丹万作が記した有名な「戦争責任者の問題」というエッセイがある。その中で、彼は次のように述べている。
「多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知っている範囲ではおれがだましたのだといった人間はまだ一人もいない。………… だますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。………… それは少なくとも個人の尊厳の冒涜、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。『だまされていた』といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。」
残念ながら、伊丹のこの言葉は当たっていた。戦後も「米軍核兵器の日本への持込みは許さない」、「非核三原則を維持する」、「沖縄返還密約はない」、「原子力安全神話」等々、次々と何度も日本国民はだまされてきた(奇しくも、だました政治家の中に安倍の祖父・岸信介と大叔父・佐藤栄作が含まれる)。そして今また、「福島第1原発の放射能汚染はコントロールされている」、「原子力規制委員会の安全審査に基づく原子力再稼働許可」、「平和憲法に則した集団的自衛権使用」、そして「慰安婦は高額の給料を支払われていた売春婦」と、安倍政権はいろいろと我々をだまし続けようとしている。ここで我々はもう一度、「あんなにも造作なくだまされるほど