あなたは「公文書管理法」を知っていますか?
――民主党政権と情報公開・公文書管理政策
瀬畑 源(せばたはじめ)
一橋大学大学院社会学研究科博士課程
2009年9月25日
◇日米密約問題
9月17日、就任直後の外務省における記者会見で、岡田克也外相は日米密約問題の解明を進めるために、事務次官に調査命令を出したことを発表した。→岡田外務大臣会見記録(9月17日)[外務省ウェブサイト]
これらの「密約」の存在は、すでにアメリカの国立公文書館で公開された文書で明らかになっている。また、歴代の事務次官などが密約文書の存在を証言しており、「密約」そのものが結ばれていたことは否定すべくもない状況になっている。
しかし、外務省はこのような「密約」は一切存在せず、文書も存在しないとの主張を一貫して繰り広げてきた。
なお、この「存在しない理由」について、『朝日新聞』は元外務官僚の「証言」を紹介している。(7月10日朝刊)
記事によれば、「核密約文書は存在していたが、2001年4月に情報公開法が施行される前に、発覚を恐れて廃棄した」ということだそうだ。
これが真実かどうかは、外務省の調査結果が出ればいずれわかるであろう。
ただ、この記事を見て、みなさんは何か「おかしい」と思わなかっただろうか。
「国の外交政策に関わる重要な文書が、なぜ外務官僚の独断で廃棄できたのか?」
この理由を説明する前に、なぜ外務官僚が「情報公開法施行前」に文書を捨てようとしたのかについて先に説明しておこう。
情報公開法に基づいた文書公開請求は、あくまでも「存在する文書」に対してしか公開を求めることしかできない。つまり、文書が「捨てられた」場合、その情報の公開を求めてもムダなのである。
だから、「見られたら危ない」と彼らが考えた文書は大量に廃棄されたのである。
(ちなみに、これは外務省だけの問題ではない。情報公開クリアリングハウスの調査によれば、他の省庁でも情報公開法施行前に大量の公文書が廃棄されていることがわかっている。)
では、なぜ「官僚」の「独断」で「廃棄」ができるのか。
それは、日本には「公文書管理法」がなかったからである。
「公文書管理法」とは、政策決定過程を「記録」させ、その文書を「保存」させ、重要な文書はきちんと国立公文書館に「移管」させるための法律である。
「情報公開法」はさきほど説明したように、あくまでも「存在する文書」に対する公開請求しか効力を発揮しない。
そのため、まず官僚に「文書を作らせる」こと、次にその文書を「きちんと保存させる」こと、そして保管期限が切れた際には重要な文書を国立公文書館に「移管させる」ことが重要になる。これらは情報公開法を有効にするためには不可欠だ。
もちろん、不要な文書(日常的な雑務関係の文書など)を「廃棄」する場合には、第三者機関が関与する形にして、その省庁が勝手に判断して廃棄することができないようにすることも重要である。
そして、これらの仕組みを決める法律が「公文書管理法」なのである。
本来、情報公開制度を有している国のほとんどは、先に公文書管理法が存在し、その後に情報公開法ができている。
だが、日本では情報公開法を作るだけで精一杯だった。
そのため、公文書を管理するルールが明確でないまま情報公開法の施行を迎えることになってしまった。その結果が、各省庁での大量の公文書廃棄という事態を招いたのである。外務省の密約文書廃棄も、この公文書廃棄の一端なのである。
さて、それなら「公文書管理法を早く作らなければ」と思う方もおられるかもしれない。
だが、先程、日本に「なかった」という過去形で書いていたことに気づかれていた方はいたであろうか。
そう、公文書管理法はすでに日本に「ある」のだ。
◇公文書管理法とはなにか?
公文書等の管理に関する法律
2009年7月1日公布(法律第66号)
http://law.e-gov.go.jp/announce/H21HO066.html
この公文書管理法、実は先の国会で成立していたのだ。施行は2011年4月からの予定である。
これは福田康夫元首相が強力にリーダーシップを取って進めた政策である。ただ、法律ができる前に政権を投げ出してしまったため、官僚に骨抜きの法案を作られる羽目になったが、重要法案と認識していた民主党が巻き返して、現状では十分な内容の法律になった。
この法律の第1条は次のような文面になっている。
第一条 この法律は、国及び独立行政法人等の諸活動や歴史的事実の記録である公文書等が、健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源として、主権者である国民が主体的に利用し得るものであることにかんがみ、国民主権の理念にのっとり、公文書等の管理に関する基本的事項を定めること等により、行政文書等の適正な管理、歴史公文書等の適切な保存及び利用等を図り、もって行政が適正かつ効率的に運営されるようにするとともに、国及び独立行政法人等の有するその諸活動を現在及び将来の国民に説明する責務が全うされるようにすることを目的とする。
これは事実上、国民の「知る権利」を認めているといえるかなり画期的な条文である。また、現在の国民に対してだけでなく「将来」の国民に対しても説明責任を果たさなければならないと述べており、公文書はきちんと保存され公開されることを前提として管理することを義務づけている。
では具体的にどういうことが規定されているのかを、いくつか紹介してみよう。
まず第4条を見てほしい。
第四条 行政機関の職員は、第一条の目的の達成に資するため、当該行政機関における経緯も含めた意思決定に至る過程並びに当該行政機関の事務及び事業の実績を合理的に跡付け、又は検証することができるよう、処理に係る事案が軽微なものである場合を除き、次に掲げる事項その他の事項について、文書を作成しなければならない。
一 法令の制定又は改廃及びその経緯
二 前号に定めるもののほか、閣議、関係行政機関の長で構成される会議又は省議(これらに準ずるものを含む。)の決定又は了解及びその経緯
三 複数の行政機関による申合せ又は他の行政機関若しくは地方公共団体に対して示す基準の設定及びその経緯
四 個人又は法人の権利義務の得喪及びその経緯
五 職員の人事に関する事項
これによれば、公務員は「経緯も含めた意思決定に至る過程」を必ず文書で作成しなければならないと義務づけられている。
つまり、今回問題になっているような「密約」が、たとえ今後また結ばれるような事があった場合、必ずそれは「なぜ結んだのか」がわかるような文書も含めて必ず「作成」しなければならなくなるのである。
また、文書の保存期間が切れたときに、それを国立公文書館に移管するか、廃棄するかを判断する際には「内閣総理大臣の同意」が必要になった(第8条)。これは、内閣府の管轄である国立公文書館が実際に廃棄に関与できることを意味している。
他にも、文書の保存義務(第6条)、文書管理状況の報告義務(第9条)、文書管理規則を定める際に内閣総理大臣の承認が必要(第10条)といったような、文書管理に各省庁の恣意性が入らないような規定が数多く含まれた。
つまり、この法律が施行されれば、二度と今回の外務省のようなことは起きなくなる「はず」である。
しかし、実は事態はそう簡単ではないのだ。
◇民主党の試金石となる情報公開・公文書管理政策
なぜ、事態はそう簡単ではないのか。
それは、この法律を執行するために必要な体制が全く整っていないからである。
まず、公文書管理に携わる人員が不足しているという問題がある。
国立公文書館の職員数はわずか42名。ちなみにアメリカは約2500人、韓国も約300人を有する。
さらに、公文書管理を統轄する部署である内閣府の公文書管理課は、職員数わずか10名の組織である。
このような人員で、年間10数万点も出てくる保管期限切れになる公文書の移管・廃棄のチェックを行わなければならない。
また、上記した管理法第4条の作成義務を守らせるためにも、各省庁での研修も行わなければならないし、違反していないかチェック体制も引かなければならない。
つまり、この人員数では法律がまともに執行できる状況でないことは明白である。
さらに、この法律は政令委任事項が非常に多い。よって、これから作成される政令によっては内容が骨抜きにされる可能性が残っている。
官僚側の巻き返しが予想されるのだ。
今回の政権交代で、この公文書管理を支える組織の充実化は民主党の手に託された。
民主党は、設立時の基本政策に「情報公開」を入れるなど、情報公開に積極的な政策を打ち出してきた。
情報公開にどこまで本気であるのかが、この公文書管理問題への対応で見極めることが可能になると思う。
情報公開は、何度も書いているように、あくまでも「存在する公文書」に対する開示に過ぎない。
その意味で、今の民主党にとって、情報公開は自民党の「悪事」をさらすためにいくらでも利用価値がある。(最近の岡田外相の動きもそれに入る。)
そのため、過去の出来事の情報公開が大幅に進むことは間違いないだろう。
だが、一方で、政権を取ったわけだから、これからの政策は民主党が担うことになる。つまり、民主党は公文書を残す側になったのである。
よって、公文書管理をきちんと行うということは、将来自分たちがやったことを全て開示される可能性をはらむということになるのだ。
だから、もし公文書管理をおろそかにする方針を民主党が取ったのであれば、彼らの言う「情報公開」とは、「過去を暴く」という意味しか持っていなかったことを意味する。
もちろん、「過去を暴く」こと自体にも意味が大きいことは確かだ。
だが、民主党がそこで止まってしまった場合、これから民主党が行うことに対する検証が不可能になる可能性も否定できないのだ。
ただ、産経新聞の報道によれば、民主党は「閣僚や副大臣らの政策判断や指示などを原則として全面文書化し、公開する」方針であるとのことである。
二度と外務省の「密約破棄」といったようなことを起こさないためにも、是非とも民主党には、そういった初心を忘れないでほしいと願っている。
なお、ここまで読んでみて「ああ自分には関係ないや」と思っていませんか?
よく考えてみてください。年金問題はなぜ起こったのでしょう?
本来なら保存されていなければならないものが、ずさんな管理をされていて無くなっていたからではないでしょうか。
公文書管理問題は、みなさんの生活に直結している問題なのです。是非とも少しでも多くの方が、この問題に関心を持ってくださることを希望します。
◇参考資料
私のブログ「源清流清――瀬畑源ブログ」では、この公文書管理問題について数多くの記事を書いてきました。
公文書管理法について詳しく知りたい方は、以下の連載を参照してください。それぞれ第1回の記事のリンクを記載しておきます。
公文書管理法案を読む(全8回)
http://h-sebata.blog.so-net.ne.jp/2009-03-06
公文書管理法案を読む・補遺(全3回)
http://h-sebata.blog.so-net.ne.jp/2009-04-23
公文書管理法修正案の解説(全3回)
http://h-sebata.blog.so-net.ne.jp/2009-06-12
――民主党政権と情報公開・公文書管理政策
瀬畑 源(せばたはじめ)
一橋大学大学院社会学研究科博士課程
2009年9月25日
◇日米密約問題
9月17日、就任直後の外務省における記者会見で、岡田克也外相は日米密約問題の解明を進めるために、事務次官に調査命令を出したことを発表した。→岡田外務大臣会見記録(9月17日)[外務省ウェブサイト]
これらの「密約」の存在は、すでにアメリカの国立公文書館で公開された文書で明らかになっている。また、歴代の事務次官などが密約文書の存在を証言しており、「密約」そのものが結ばれていたことは否定すべくもない状況になっている。
しかし、外務省はこのような「密約」は一切存在せず、文書も存在しないとの主張を一貫して繰り広げてきた。
なお、この「存在しない理由」について、『朝日新聞』は元外務官僚の「証言」を紹介している。(7月10日朝刊)
記事によれば、「核密約文書は存在していたが、2001年4月に情報公開法が施行される前に、発覚を恐れて廃棄した」ということだそうだ。
これが真実かどうかは、外務省の調査結果が出ればいずれわかるであろう。
ただ、この記事を見て、みなさんは何か「おかしい」と思わなかっただろうか。
「国の外交政策に関わる重要な文書が、なぜ外務官僚の独断で廃棄できたのか?」
この理由を説明する前に、なぜ外務官僚が「情報公開法施行前」に文書を捨てようとしたのかについて先に説明しておこう。
情報公開法に基づいた文書公開請求は、あくまでも「存在する文書」に対してしか公開を求めることしかできない。つまり、文書が「捨てられた」場合、その情報の公開を求めてもムダなのである。
だから、「見られたら危ない」と彼らが考えた文書は大量に廃棄されたのである。
(ちなみに、これは外務省だけの問題ではない。情報公開クリアリングハウスの調査によれば、他の省庁でも情報公開法施行前に大量の公文書が廃棄されていることがわかっている。)
では、なぜ「官僚」の「独断」で「廃棄」ができるのか。
それは、日本には「公文書管理法」がなかったからである。
「公文書管理法」とは、政策決定過程を「記録」させ、その文書を「保存」させ、重要な文書はきちんと国立公文書館に「移管」させるための法律である。
「情報公開法」はさきほど説明したように、あくまでも「存在する文書」に対する公開請求しか効力を発揮しない。
そのため、まず官僚に「文書を作らせる」こと、次にその文書を「きちんと保存させる」こと、そして保管期限が切れた際には重要な文書を国立公文書館に「移管させる」ことが重要になる。これらは情報公開法を有効にするためには不可欠だ。
もちろん、不要な文書(日常的な雑務関係の文書など)を「廃棄」する場合には、第三者機関が関与する形にして、その省庁が勝手に判断して廃棄することができないようにすることも重要である。
そして、これらの仕組みを決める法律が「公文書管理法」なのである。
本来、情報公開制度を有している国のほとんどは、先に公文書管理法が存在し、その後に情報公開法ができている。
だが、日本では情報公開法を作るだけで精一杯だった。
そのため、公文書を管理するルールが明確でないまま情報公開法の施行を迎えることになってしまった。その結果が、各省庁での大量の公文書廃棄という事態を招いたのである。外務省の密約文書廃棄も、この公文書廃棄の一端なのである。
さて、それなら「公文書管理法を早く作らなければ」と思う方もおられるかもしれない。
だが、先程、日本に「なかった」という過去形で書いていたことに気づかれていた方はいたであろうか。
そう、公文書管理法はすでに日本に「ある」のだ。
◇公文書管理法とはなにか?
公文書等の管理に関する法律
2009年7月1日公布(法律第66号)
http://law.e-gov.go.jp/announce/H21HO066.html
この公文書管理法、実は先の国会で成立していたのだ。施行は2011年4月からの予定である。
これは福田康夫元首相が強力にリーダーシップを取って進めた政策である。ただ、法律ができる前に政権を投げ出してしまったため、官僚に骨抜きの法案を作られる羽目になったが、重要法案と認識していた民主党が巻き返して、現状では十分な内容の法律になった。
この法律の第1条は次のような文面になっている。
第一条 この法律は、国及び独立行政法人等の諸活動や歴史的事実の記録である公文書等が、健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源として、主権者である国民が主体的に利用し得るものであることにかんがみ、国民主権の理念にのっとり、公文書等の管理に関する基本的事項を定めること等により、行政文書等の適正な管理、歴史公文書等の適切な保存及び利用等を図り、もって行政が適正かつ効率的に運営されるようにするとともに、国及び独立行政法人等の有するその諸活動を現在及び将来の国民に説明する責務が全うされるようにすることを目的とする。
これは事実上、国民の「知る権利」を認めているといえるかなり画期的な条文である。また、現在の国民に対してだけでなく「将来」の国民に対しても説明責任を果たさなければならないと述べており、公文書はきちんと保存され公開されることを前提として管理することを義務づけている。
では具体的にどういうことが規定されているのかを、いくつか紹介してみよう。
まず第4条を見てほしい。
第四条 行政機関の職員は、第一条の目的の達成に資するため、当該行政機関における経緯も含めた意思決定に至る過程並びに当該行政機関の事務及び事業の実績を合理的に跡付け、又は検証することができるよう、処理に係る事案が軽微なものである場合を除き、次に掲げる事項その他の事項について、文書を作成しなければならない。
一 法令の制定又は改廃及びその経緯
二 前号に定めるもののほか、閣議、関係行政機関の長で構成される会議又は省議(これらに準ずるものを含む。)の決定又は了解及びその経緯
三 複数の行政機関による申合せ又は他の行政機関若しくは地方公共団体に対して示す基準の設定及びその経緯
四 個人又は法人の権利義務の得喪及びその経緯
五 職員の人事に関する事項
これによれば、公務員は「経緯も含めた意思決定に至る過程」を必ず文書で作成しなければならないと義務づけられている。
つまり、今回問題になっているような「密約」が、たとえ今後また結ばれるような事があった場合、必ずそれは「なぜ結んだのか」がわかるような文書も含めて必ず「作成」しなければならなくなるのである。
また、文書の保存期間が切れたときに、それを国立公文書館に移管するか、廃棄するかを判断する際には「内閣総理大臣の同意」が必要になった(第8条)。これは、内閣府の管轄である国立公文書館が実際に廃棄に関与できることを意味している。
他にも、文書の保存義務(第6条)、文書管理状況の報告義務(第9条)、文書管理規則を定める際に内閣総理大臣の承認が必要(第10条)といったような、文書管理に各省庁の恣意性が入らないような規定が数多く含まれた。
つまり、この法律が施行されれば、二度と今回の外務省のようなことは起きなくなる「はず」である。
しかし、実は事態はそう簡単ではないのだ。
◇民主党の試金石となる情報公開・公文書管理政策
なぜ、事態はそう簡単ではないのか。
それは、この法律を執行するために必要な体制が全く整っていないからである。
まず、公文書管理に携わる人員が不足しているという問題がある。
国立公文書館の職員数はわずか42名。ちなみにアメリカは約2500人、韓国も約300人を有する。
さらに、公文書管理を統轄する部署である内閣府の公文書管理課は、職員数わずか10名の組織である。
このような人員で、年間10数万点も出てくる保管期限切れになる公文書の移管・廃棄のチェックを行わなければならない。
また、上記した管理法第4条の作成義務を守らせるためにも、各省庁での研修も行わなければならないし、違反していないかチェック体制も引かなければならない。
つまり、この人員数では法律がまともに執行できる状況でないことは明白である。
さらに、この法律は政令委任事項が非常に多い。よって、これから作成される政令によっては内容が骨抜きにされる可能性が残っている。
官僚側の巻き返しが予想されるのだ。
今回の政権交代で、この公文書管理を支える組織の充実化は民主党の手に託された。
民主党は、設立時の基本政策に「情報公開」を入れるなど、情報公開に積極的な政策を打ち出してきた。
情報公開にどこまで本気であるのかが、この公文書管理問題への対応で見極めることが可能になると思う。
情報公開は、何度も書いているように、あくまでも「存在する公文書」に対する開示に過ぎない。
その意味で、今の民主党にとって、情報公開は自民党の「悪事」をさらすためにいくらでも利用価値がある。(最近の岡田外相の動きもそれに入る。)
そのため、過去の出来事の情報公開が大幅に進むことは間違いないだろう。
だが、一方で、政権を取ったわけだから、これからの政策は民主党が担うことになる。つまり、民主党は公文書を残す側になったのである。
よって、公文書管理をきちんと行うということは、将来自分たちがやったことを全て開示される可能性をはらむということになるのだ。
だから、もし公文書管理をおろそかにする方針を民主党が取ったのであれば、彼らの言う「情報公開」とは、「過去を暴く」という意味しか持っていなかったことを意味する。
もちろん、「過去を暴く」こと自体にも意味が大きいことは確かだ。
だが、民主党がそこで止まってしまった場合、これから民主党が行うことに対する検証が不可能になる可能性も否定できないのだ。
ただ、産経新聞の報道によれば、民主党は「閣僚や副大臣らの政策判断や指示などを原則として全面文書化し、公開する」方針であるとのことである。
二度と外務省の「密約破棄」といったようなことを起こさないためにも、是非とも民主党には、そういった初心を忘れないでほしいと願っている。
なお、ここまで読んでみて「ああ自分には関係ないや」と思っていませんか?
よく考えてみてください。年金問題はなぜ起こったのでしょう?
本来なら保存されていなければならないものが、ずさんな管理をされていて無くなっていたからではないでしょうか。
公文書管理問題は、みなさんの生活に直結している問題なのです。是非とも少しでも多くの方が、この問題に関心を持ってくださることを希望します。
◇参考資料
私のブログ「源清流清――瀬畑源ブログ」では、この公文書管理問題について数多くの記事を書いてきました。
公文書管理法について詳しく知りたい方は、以下の連載を参照してください。それぞれ第1回の記事のリンクを記載しておきます。
公文書管理法案を読む(全8回)
http://h-sebata.blog.so-net.ne.jp/2009-03-06
公文書管理法案を読む・補遺(全3回)
http://h-sebata.blog.so-net.ne.jp/2009-04-23
公文書管理法修正案の解説(全3回)
http://h-sebata.blog.so-net.ne.jp/2009-06-12