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帝国の危機の中での「チェンジ」と「政権交代」
――どんな争点をだれがつくるかが勝負をきめる

武藤一羊
(ピープルズ・プラン研究所運営委員)
出典:『市民の意見』No.115(2009/8/1発行)

オバマの任務は巨人機の不時着
 バラク・オバマが「チェンジ」を訴え、米国の建国の精神を呼び覚ます魅力的な弁舌の力で、何百万の草の根のアメリカ人の心を揺り動かし、大方の予想を裏切って当選し、アメリカ大統領に就任してから半年余が過ぎた。オバマ政権が何であるのか、この政権の率いるアメリカはどこへ行こうとしているのかについて分析することがこの文章の目的ではない。だが、投票直前、フランシス・フクヤマが「オバマの方が(マケインより)帝国の没落をうまく管理できる」としてオバマ支持に踏み切ったことが強い印象に残っている。フランシス・フクヤマは、ソ連の崩壊でリベラル・デモクラシーが最終的に勝利し、それによって「歴史は終焉」したと論じた右派の論客だが、彼のこの言葉はオバマ政権の性格を言い当てていた。アメリカ帝国という巨人機はブッシュ機長による能力を超える機首の上げすぎで失速し墜落寸前の状態に陥っていた。この巨人機を失速から救い、どこかに不時着させるのが、すなわち帝国支配を崩壊から救い出すのが、パイロット席に到達したオバマの任務なのである。

 だから私は、オバマ大統領とその政権には少しも幻想を持っていない。だが彼の「チェンジ」の約束が若者を含む大きな草の根のうねりを作り出し、それによって当選を勝ち取ったことはやはり大きい意味を持ち続けていると思う。ヒラリー・クリントンが候補者になっていれば、民主党の伝統的な選挙マシーンは能率的に動いただろう。だがオバマの場合のような予想外の横への自発的な動きは起こらなかっただろう。そのような事情から、またアメリカにとっての危機の深さのせいで、オバマ大統領は戦後の歴代大統領の誰よりも下からの進歩的世論の圧力に影響されやすい大統領になったと言えるだろう。逆に言えばアメリカ国内と国際的な民衆の連携によってアメリカ政府の政策を多少でも変更させる手掛かりとなる隙間が生じていると見るべきだろう。その隙間にテコを差し入れ、政策変更への圧力を――例えば沖縄の基地について――強めるべき状況が生まれているのである。

 オバマの「チェンジ」の訴えは、ブッシュ時代に失われたアメリカの威信や指導力を回復しよう――つまり挙国一致でアメリカ帝国を救おう、という「ユニティ」の訴えとセットになっていて、逆にアメリカ国民の帝国意識を煽る力を持っていた。とはいえ、オバマ政権は、ブッシュ政権と明確な一線を画することで誕生したのである。先制攻撃の正当化とイラク戦争は否定され、世界的孤立を招いた一方的行動主義は放棄され、国際協調と「敵とも対話する」路線に転換する。グアンタナモの収容所の閉鎖が約束された。大金持ちを超・超大金持ちにすることが国益を増進するという式の経済・財政政策は否定された。オバマ政権は「テロとの戦争」という用語を静かに引っ込め、過激主義者との闘いという言葉に差し替えた。「テロとの戦争」が続けられる限り、アメリカは戦時国家、大統領は戦時大統領だからである。だがその一方、「テロとの戦争」の終結も宣言されず、アフガニスタンでは米軍の大量増派による軍事解決が追求されている。オバマにとってこれは致命的な選択になる確率が高い。アメリカ帝国「中興の祖」を期待されているオバマが、立て直しに成功するかどうか行き先はひどく不透明である。

「チェンジ」と似て非なる政権交代
 さて日本である。オバマ政権の誕生は、ブッシュ共和党政権にしがみついてきた日本政府にとって、屋根に登って梯子を外されたにも等しい出来事だった。だが米国での変化を待つまでもなく、ブッシュの没落とオバマの台頭を招いた同じ状況変化は、自民党の支配体制の根本をぐらぐらに揺すぶっていたのである。危機状況への応答がアメリカではオバマの「チェンジ」だったとすれば、日本でのその対応物は「政権交代」という叫びである。50年を越す自民党支配を終わらせ、民主党を中心とした政権をつくるという話である。だがマスコミを賑わし、当事者によっても高唱されている「政権交代」は、どうもオバマの「チェンジ」とは似て非なるものではないかと思われるのである。なぜならこの「政権交代」が日本政治の何から何への交代を意味するかが一向にはっきりせず、衆議院選挙を目前に、いわゆる「政局」についてどうでもいい話題が洪水のように提供されながら、当事者からさえ明確な争点が提起されていないからだ。最近のBSテレビの番組で、民主党の岡田幹事長が、来るべき選挙の最大の争点は何かときかれて、「政権交代そのものが最大の争点だ」と真顔で答えていた。

 これはいったい何であろうか。催眠術に長けていた小泉が去ってみると、有権者の信任を受けずに次々に首相の座についた安倍、福田、麻生は、ことごとく民衆の信頼を失い、自公政権が破たんしたことは誰の目にも明らかなった。その破たんした自公政権とは何だったのか、その何が批判され、断罪されるべきなのか。

 野党が「政権交代」の必要を説くとするなら、まずこの自公政権がどのような基本政策や行為で国を誤らせたのか、責任ある判断を明らかにすることが必要だ。そしてそうした政策や行為に終止符を打ち、その代わりに自分たちの政策を打ち出すのが当然だろう。だがそのような議論は、「政局」議論のから騒ぎの中で少しも聞こえてこない。いや聞こえてこないのではなくて、もともと政治世界では行われていないのではないだろうか。7月7日現在、選挙の日取りについての大騒ぎにもかかわらず、選挙公約であるはずの「マニフェスト」は、自民党からも民主党からもまだ出ていない。公約は原則的問題ではなく、人気取りと党内調整の産物という位置づけしかないかのようなのだ。

自公政権が犯した三つの誤り
 政権交代を目指す野党勢力は、最低限ブッシュ政権期に、自公政権が犯した明白な誤りから手を切らなければならない。それらは、部分的な失政や誤りではなく、日本列島社会の在り方にかかわることがらだからである。以下のような誤りである。

(一)〈日米同盟〉ブッシュ政権の「反テロ」戦争、とくにイラク侵略戦争への無条件支持と、「日米同盟―未来のための変革と再編」の取り決めのもとに、沖縄を国内植民地として扱いつつ、日本の米軍指揮下への完全統合を推進し、憲法を無視して、インド洋、イラクに派兵したこと。
(二)〈右翼の支配〉日本帝国を美化する極右勢力が政権を支配し、この流れが社会的に主流化することを陰に陽に支えてきたこと。その下で歴史の捻じ曲げ、アジアとの関係の悪化、とくに北朝鮮と在日朝鮮人への排外主義の扇動、女性の権利へのバックラッシュ、教育の国家支配、海外派兵の日常化、その総仕上げとしての強引な明文改憲へのドライブが進められてきたのである。
(三)〈小泉「改革」〉資本の利益と競争を至上命題にするネオリベラル「改革」とグローバル化によって「公共」を解体して私営化(民営化)し、労働者の権利を否定する財界提案の労働法制を垂れ流し的に政策化し、格差の拡大と地域の空洞化と社会の荒廃を招き、弱者を切り捨て、労働を使い捨てることを当然視する風潮を定着させたこと。

 オバマの「チェンジ」に見合う変化が日本に起るとすれば、それは最低限、上の三項目について自公政権の既成事実を取り消し、責任を問い、別の路線で置き換えなければなるまい。それは次のような方向をもつ路線であろう。(一)小泉政権以来なされた対米軍事取り決めの再検討に向けて再交渉を開始し、(二)日本帝国の戦争と侵略を正当化する言説への国家の加担を一切やめ、戦後補償の要求にこたえ、改憲を行わないことを宣言しつつ、憲法の前文および九条の実現に向けて積極的にとりくみ、(三)格差を減らし、地方と農業を復興させ、労働の権利を最確立し、すべての住民の平和的生存権を保障し、下から大資本を規制する体系的プログラムを実施する。

 これらは日本社会を革命的に変えるような大層な提案ではない。むしろ米国におけるブッシュからオバマへの変化、すなわちかの「チェンジ」の幅に相当するくらいの微温的といえる提案である。つまり普通に考えれば、二大政党間の「政権交代」でこなすことを期待できるはずの変化である。例えばブッシュの戦争が誤りであったことがアメリカ政府によって認められているとき、その戦争を支持したことも誤りであったと認め、それが正しいとして行われた行動、政策、立法もまた誤りであったとすることは、当たり前ではないか。

真の問題を回避する民主党
 自民党が当たり前のことを認められないのは仕方ない。自分でやったことだからである。しかしその自民党にとって代わろうとする民主党は、上記の三項目について、オバマのブッシュ批判の程度でも、立場や原則を明確にしているか。ことごとくあいまいである。自民党との違いを見せるために対米軍事協力についてなにがしかのことは口にする。だが普天間基地の無条件閉鎖や辺野古新基地建設の撤回や地位協定の改定やについて米国との交渉を本気で行うつもりかどうか、それは未知数である。肝心の改憲については、党首の鳩山由紀夫は『新憲法試案』という著書まである明確な改憲論者で、自衛軍や集団安全保障を憲法に書き込めと提案している人物である。今年の3月、鳩山氏はメールマガジンで「早く政権交代を実現させ、憲法の論議も可能になるような安定政局をつくりださなればなりません」と述べていたと、『しんぶん赤旗』は報じていた(2009年3月13日)。民主党はその成り立ちからして、旧社会党の護憲論者から、核武装の提唱者、軍産複合体の代弁者、「靖国派」右翼までを含むたいへん幅広い政党であることはよく知られている。民主党に担ぎ出されて静岡県知事に当選した川勝平太ははっきりした右翼知識人の一人である。川勝は「安倍内閣では教育再生会議の分科会主査や「美しい国づくり」企画会議の委員などを務め、有識者メンバーとして国政にかかわった。〈新しい歴史教科書をつくる会〉の賛同者にも名を連ねている」という(産経ニュース、2009年7月5日)。

 民主党とはこういう党であるから、真の問題を回避するしかない。そこで、「政権交代」そのものが最大の争点ということになるのだ。そして、本当の争点の代わりに登場させられたのが「官僚政治の打破」、「霞が関打倒」、「地方分権」などというスローガンなのである。自民党の地盤沈下に悪乗りして、「地方分権」を旗印に、自分を総裁候補にしてくれれば自民党から立候補してあげよう、などと言いだすピエロのような人物も現れ、ピエロでもお客が入りさえすればいいか、とそれに乗るそぶりを見せる選対責任者も出てきて、その掛け合い漫才風のやりとりをマスコミが面白く伝える。ここで言われている「地方分権」は、中央政府と県知事の予算と権限の配分をめぐる権力闘争で、住民自治や民主主義の活発化とはまったく関係ない話なのだ。

 真の争点はこうして騒音で耳から遮断され、迷彩で目から隠され、そのうえでニセの争点、あるいはたかだか真の争点の尻尾か切れっぱしが有権者の群れに投げ与えられる。そういう風に事態は進行している。

争点をつくる力を取り戻そう
 どうすればいいのか。簡単なことである。争点をつくる力を列島住民の側に取り戻せばいいのである。争点をどちらが作るのかが勝負を決める。名前をつけたり議題を設定したり日程を決めたりすることは一つの権力の行使である。マスコミと政党がその権力を勝手に行使しているのが現状なのだ。その力を列島住民の方にとりもどすことが必要だ。

 そんなことができるだろうか。できる、というよりすでにそのような力を民衆側は部分的にだが行使してきているのである。昨年末の「派遣村」で東京のど真ん中に出現したのはそのような力であった。それは、「派遣切り」の不正義を明るみに出し、派遣労働をはじめとする「不正規雇用」を社会問題化し、それへのなにがしかの「対策」を講じることを、あの大企業べったりの自民党や本工組合である「連合」に支持される民主党にさえ強いたのである。沖縄での「集団自決」への軍の強制記述を削除した日本政府の教科書検定に抗議する沖縄の人びとの決起がこの問題を第一級の政治課題に押し上げた2007年のことを想起しよう。ここでは政治の議題は民衆の運動によって設定され、権力はその議題に沿って対応を迫られる。そして個々の政治家はそれに沿って態度を問われ、審査される。

 だがいま、支配的体制の腐敗は手に負えないものとなり、対決は、個別課題のレベルを越えて、政権選択という領域に突き進んできたのである。だから個別の争点だけではなく、それらをつなぐ総合的な民衆側の議題をつくりだす自主的なプロセスが必要なのである。政治家に期待をかけたり、お願いしたりするのではなく、また政党の動向に振り回されたり、「政権交代」に参入してミイラとりがミイラになるのではなく、民衆がドンとかまえて、自分たちの議題に照らして、政党や個々の政治家の意見と行動を審査することが必要であろう。そしてその審査にてらして、よりましな側に投票することが必要だろう。私は審査の基準として、三項目を挙げてみた。いろいろな審査の基準があるはずである。それらが持ち寄られ、突きあわされ、相互に関連させられれば、おのずと厚く重なり合う部分が生じてくるだろう。それが民衆の側の議題設定となるだろう。

 迫りつつある総選挙によって民主党中心の「政権交代」が実現する可能性は高い。しかしそれは終着点ではなく、いま自民党や民主党を名乗っているさまざまな政治潮流の新たな離合集散の始まりとなるだろう。そのなかで社民党や共産党や無所属勢力はどう動くだろうか。そのとき、議会から独立に大きな原則的な議題を共有する横につながった民衆の存在が、強い磁場をつくっているかどうか、それが次の時代をきめるだろう。そのような磁場のなかではじめて、異質な潮流の寄り合い所帯ではない、原則にしたがった「政界再編」が起こりうるのである。ここ10年、淀み腐っていたかに見えた事態が大きく流動し始めたことは、まぎれもなく歓迎すべき事実なのだ。いたるところから行動を起こしてこの流動に新しい水路をつくろう。(2009年7月8日記)
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