ファタハ・ハマース合意――正念場はこれから
田浪亜央江
2011年5月
パレスチナがついに動いた。2006年以来分裂していたファタハとハマースの代表が、4月27日、エジプトの仲介によりカイロで和解合意をし、5月4日には正式署名と相成った。そのかんの5月2日には米軍がパキスタンでウサーマ・ビン・ラーディンを暗殺したが、あえてこのタイミングで作戦を実行したのは、アメリカがまったく介入できなかったファタハ・ハマースの和解の報を脇に追いやり、アメリカの存在感を思い出させてやりたいという思惑もあったのではないだろうか。ビン・ラーディン暗殺は、これはこれでまったくひどい話であり、批判はしていかねばならないとしても、革命の動きで盛り上がるアラブの大衆にしてみれば、こんなことで動揺を見せる暇はない。ここであらためて反米意識をかき立て復讐を誓うよりも、次々と動く自らの社会のことで夢中になるほうが面白いのだ。
失業中の若者が抗議の自殺をしたことに端を発して今年はじめからチュニジアで起きた民衆革命は、中東全体への影響力の大きさとしてはチュニジアの比ではないエジプトでの革命の成功を受けて一気にアラブ諸国に広がり、今や「アラブの春」と言われるようになった。当初の構図としては、親米・親イスラエルの国々で民主化要求の動きが起きたのに対し、両国に対して毅然としたスタンスをとりパレスチナの大義を掲げるシリアのような国では、民衆は「現状維持」を選ぶというものだった。それがついにシリアでもアサド退陣を要求する声が起き、もはやそれぞれの国単位で考える思考法では追いつかないことが明らかだ。
これらの動きは現在も進行形の状態で、今後長らくの中東のあり方を決してゆく大きな流れとなっている。その成果は単純に白黒で評価ができるものではないと私は思っているが、民衆の力が国を動かし、政権交代を実現させるという経験を中東の民衆がともかくも手にしたことの意味の大きさは明らかだ。しかし短・中期的に見れば、イスラエルが現状打開の手段としてまたもや最悪の暴挙に出ることも想定しなければならない。中東での事態に何ら関与できないアメリカの地位の低下に従って中東支配の要としての役割を失い存在理由を薄めていく状況を、イスラエルがこのまま黙って受け入れるとは思えない。
……と、思っていた矢先でのファタハ・ハマース合意である。おめでたいニュースにあえて水を差すことになるが、もしかしたらこれはイスラエルにとって、軍事力を使わずに「一気に大逆転」するための、最初のきっかけになるのかもしれない。アラブ革命の成果が、パレスチナにおいては、ファタハ・ハマースの和解という喜ばしい果実の装いのもと、そのじつはハマースの「ファタハ化」=イスラエルに従属した被占領地の治安管理組織化、への道をひらくことになるのかもしれない。
エジプトで民主化運動が起こる直前のパレスチナを思い出すと、今回の和解達成は狐につままれたような話だ。イスラエルのほうは昨年9月のイスラエルによる入植地建設凍結解除によって和平交渉が頓挫したのを口実に、「次なる戦争」への布石を次々に打っていた。ファタハ政府はイスラエルと治安管理で協力を続け、批判派の逮捕・拷問を加速し、ハマースはそれへの非難を強めていた。ハマースのミシュアル政治局長は1月半ば、「和解に向けた環境は現在最悪」だと言っていた。そして1月下旬には、アル・ジャジーラによる、イスラエルと自治政府の和平交渉に関する1600の秘密文書のリークである。これは2008年の和平交渉で、ファタハ政府が東エルサレムの入植地やパレスチナ人の帰還権放棄を容認していたことなどを明らかにしたもので、今さら驚くような内容ではなかったものの、ファタハ政府の信用はますます低下することになり、ハマースとしても和解に積極的になる理由を失ってしまった。
他方でハマースの求心力も、低下するばかりだった。ガザの「一般大衆」の意思を知るすべは限られているが、私がこの1、2年気にしてきたのは、ハマースをも背教的でイスラエルに対する敗北主義勢力だとみなし、彼らが考える「正しいムスリム」以外の存在に対し、極端に非寛容で排外主義的な思想の持ち主たちがガザに入り始めているということだ。4月半ばにガザに滞在していたイタリア人ヴットリオ・アリゴーニーがガザで殺害されたが、キリスト教徒の連帯活動家が殺害されるなどということは、これまでのガザではあり得なかった話だ。
直接的には、ハマースを財政的にも政治的にも支援していたシリアのアサド政権が3月下旬から民主化要求運動によって動揺し始めたことで、ハマースも危機感をもった。封鎖されて来たガザに大量の物資の支援を行なってきたリビアが国民の虐殺を始めると、きっぱりと距離を引いて公然とカダフィ批判を行なったハマースも、さすがにシリアについては同じことができないのだ。このようにファタハとハマースそれぞれの足もとで火がつくなか、ムバーラク退陣後に任命されたナビール・アラビー外相を中心としたエジプトの仲介をハマースが積極的に求める形で、和解が実現することになったのである。
和解合意が成立したことは、ともかくもよかったことだと思っている。しかし合意の中身を見れば、ハマース・ファタハ両政府が相当の危機感のなかで、はじめに「和解ありき」で合意したことが見て取れる。ハマースを認めないイスラエルとファタハが西岸において治安管理体制を敷くなか、いったいどのようなかたちで自由な選挙が実現できるというのだろうか。具体的な問題は不問に付され、棚上げされているのは、オスロ合意以来の伝統だ。パレスチナ民衆の闘いの正念場は、これからなのだ。
田浪亜央江
2011年5月
パレスチナがついに動いた。2006年以来分裂していたファタハとハマースの代表が、4月27日、エジプトの仲介によりカイロで和解合意をし、5月4日には正式署名と相成った。そのかんの5月2日には米軍がパキスタンでウサーマ・ビン・ラーディンを暗殺したが、あえてこのタイミングで作戦を実行したのは、アメリカがまったく介入できなかったファタハ・ハマースの和解の報を脇に追いやり、アメリカの存在感を思い出させてやりたいという思惑もあったのではないだろうか。ビン・ラーディン暗殺は、これはこれでまったくひどい話であり、批判はしていかねばならないとしても、革命の動きで盛り上がるアラブの大衆にしてみれば、こんなことで動揺を見せる暇はない。ここであらためて反米意識をかき立て復讐を誓うよりも、次々と動く自らの社会のことで夢中になるほうが面白いのだ。
失業中の若者が抗議の自殺をしたことに端を発して今年はじめからチュニジアで起きた民衆革命は、中東全体への影響力の大きさとしてはチュニジアの比ではないエジプトでの革命の成功を受けて一気にアラブ諸国に広がり、今や「アラブの春」と言われるようになった。当初の構図としては、親米・親イスラエルの国々で民主化要求の動きが起きたのに対し、両国に対して毅然としたスタンスをとりパレスチナの大義を掲げるシリアのような国では、民衆は「現状維持」を選ぶというものだった。それがついにシリアでもアサド退陣を要求する声が起き、もはやそれぞれの国単位で考える思考法では追いつかないことが明らかだ。
これらの動きは現在も進行形の状態で、今後長らくの中東のあり方を決してゆく大きな流れとなっている。その成果は単純に白黒で評価ができるものではないと私は思っているが、民衆の力が国を動かし、政権交代を実現させるという経験を中東の民衆がともかくも手にしたことの意味の大きさは明らかだ。しかし短・中期的に見れば、イスラエルが現状打開の手段としてまたもや最悪の暴挙に出ることも想定しなければならない。中東での事態に何ら関与できないアメリカの地位の低下に従って中東支配の要としての役割を失い存在理由を薄めていく状況を、イスラエルがこのまま黙って受け入れるとは思えない。
……と、思っていた矢先でのファタハ・ハマース合意である。おめでたいニュースにあえて水を差すことになるが、もしかしたらこれはイスラエルにとって、軍事力を使わずに「一気に大逆転」するための、最初のきっかけになるのかもしれない。アラブ革命の成果が、パレスチナにおいては、ファタハ・ハマースの和解という喜ばしい果実の装いのもと、そのじつはハマースの「ファタハ化」=イスラエルに従属した被占領地の治安管理組織化、への道をひらくことになるのかもしれない。
エジプトで民主化運動が起こる直前のパレスチナを思い出すと、今回の和解達成は狐につままれたような話だ。イスラエルのほうは昨年9月のイスラエルによる入植地建設凍結解除によって和平交渉が頓挫したのを口実に、「次なる戦争」への布石を次々に打っていた。ファタハ政府はイスラエルと治安管理で協力を続け、批判派の逮捕・拷問を加速し、ハマースはそれへの非難を強めていた。ハマースのミシュアル政治局長は1月半ば、「和解に向けた環境は現在最悪」だと言っていた。そして1月下旬には、アル・ジャジーラによる、イスラエルと自治政府の和平交渉に関する1600の秘密文書のリークである。これは2008年の和平交渉で、ファタハ政府が東エルサレムの入植地やパレスチナ人の帰還権放棄を容認していたことなどを明らかにしたもので、今さら驚くような内容ではなかったものの、ファタハ政府の信用はますます低下することになり、ハマースとしても和解に積極的になる理由を失ってしまった。
他方でハマースの求心力も、低下するばかりだった。ガザの「一般大衆」の意思を知るすべは限られているが、私がこの1、2年気にしてきたのは、ハマースをも背教的でイスラエルに対する敗北主義勢力だとみなし、彼らが考える「正しいムスリム」以外の存在に対し、極端に非寛容で排外主義的な思想の持ち主たちがガザに入り始めているということだ。4月半ばにガザに滞在していたイタリア人ヴットリオ・アリゴーニーがガザで殺害されたが、キリスト教徒の連帯活動家が殺害されるなどということは、これまでのガザではあり得なかった話だ。
直接的には、ハマースを財政的にも政治的にも支援していたシリアのアサド政権が3月下旬から民主化要求運動によって動揺し始めたことで、ハマースも危機感をもった。封鎖されて来たガザに大量の物資の支援を行なってきたリビアが国民の虐殺を始めると、きっぱりと距離を引いて公然とカダフィ批判を行なったハマースも、さすがにシリアについては同じことができないのだ。このようにファタハとハマースそれぞれの足もとで火がつくなか、ムバーラク退陣後に任命されたナビール・アラビー外相を中心としたエジプトの仲介をハマースが積極的に求める形で、和解が実現することになったのである。
和解合意が成立したことは、ともかくもよかったことだと思っている。しかし合意の中身を見れば、ハマース・ファタハ両政府が相当の危機感のなかで、はじめに「和解ありき」で合意したことが見て取れる。ハマースを認めないイスラエルとファタハが西岸において治安管理体制を敷くなか、いったいどのようなかたちで自由な選挙が実現できるというのだろうか。具体的な問題は不問に付され、棚上げされているのは、オスロ合意以来の伝統だ。パレスチナ民衆の闘いの正念場は、これからなのだ。