【今月のお薦め/つるたまさひで】
最近読んだ本のことを書くことになりました。
PP研のサイトに最近読んだ本のことを書くことになりました。
言い訳から書かないと書き始められないのは性格なので、「なんでぼくが書くのか」「ぼくが書くのもはどれだけいいかげんか」というような言い訳から書き始めようと思ったのですが(笑)、そこは置きます。
で、別の言い訳をちょっと。今回は最初だから最近読んだ本、5冊分くらいの紹介をしようと意気込んだのです。でも、結局書けないので、この1回目は薄い小さなパンフレットのような雑誌の紹介というか、宣伝のようなものになってしまいました。
紹介するのは
===
農村文化運動 No.192
都市が〈村の暮らし〉に学ぶ時代
―世界経済危機と「ローカリゼーション」への転換
懐かしい未来ネットワーク編
農文協(農山漁村文化協会)発行
600円
===
(街の本屋で買うのが正しいと思いますが、セブンイレブンでも買えます。画像はこちら)
また、PP研にも預けておきます。
版元の正式名称である農山漁村文化協会というのはなかなかの名称ですよね。で、ここから出ている「現代農業」という雑誌を見たことがある人もいるかも。そして、この「農村文化運動」という雑誌、これも歴史を感じさせるタイトルの雑誌ですが、これは見たことがない人も多いでしょう。最近のバックナンバーのタイトルはここで読めますが、なかなか興味深いラインアップです。
(ぼくはほとんど読んでませんが)
今回紹介する号を編集しているのは「懐かしい未来ネットワーク」。ここはPP研とは出自もメンバーも違うグループですが、ぼくは参加してます。PP研とは少し違う角度から公正で持続可能な社会を実現することをめざしています。
(興味がある人は「懐かしい未来ネットワークとは?」を参照してください)
さて、ここからやっとこの本の話です。
これは、去年ぼくがかなり深く企画にかかわったシンポジウム、「地域のチカラ」の記録を軸に編集されたものです。シンポジウムは人の入りがあまりよくなくて(とりわけ2日目)、実行委員長(私)の責任が問われたりしたのですが(笑)、中身はとてもよかったので、この本で日の目を見ることができて、ほっとしています。
この号の目次はこちら(5月22日現在のURL、次の号の目次がでたら変ります)。
ただ、このシンポジウムに呼んだもう一人の話し手、素人の乱の松本哉さんと、映画『パワーオブコミュニティ キューバはいかにしてピークオイルを生きのびたか?』 の解説に急遽、来てもらった吉田太郎さんの話の記録が掲載出来なかったのは残念です。
さて、この本の「序」によれば、このヘレナ・ノーバーグ=ホッジさんの文章はそのシンポジウムでの講演録そのものではなく、「その直前に行われたエコビレッジ・デザイン・エデュケーション(*1)というコミュニティづくりの学びの場(こちらを参照)での講演を骨格として、シンポジウムでの話を加えたもの」とのこと。
彼女はここで「グローバル化をめぐる10の神話」という問題提起をしていてます。わかりやすい話で、とりわけ最後のほうがとても新鮮で面白かったので、すごくおおざっぱに紹介します。( )の中はぼくの主観でまとめたものなので、必ずしもヘレナさんの主張だけではありません。
神話1、経済成長
「GDPで表される経済成長が人を幸せにする」
(その経済成長でどれだけ私たちが幸せになったか。)
神話2、途上国には開発が必要
「開発は人を幸せに」
(これまでの開発が途上国に何をもたらしたか。)
神話3、人間の本性
「人間は貪欲で利己的だから、現在の主流の経済システムは変えられない」
(巨大なメディアが消費主義モノカルチャーを宣伝し続けている。それが貪欲を生み出している。愛されること、分かちあうことの必要性を人は内心ではわかっているのではないか)
神話4、進化の最終段階
「現在のグローバルな経済システムは人間の自然な進化の結果」
(現在のグローバルな経済システムは自然な進化の結果などではなく、植民地主義の形を変えた延長とその結果)
神話5、エリート主義
「より環境にやさしい食べ物や服、地球にやさしい建材、質素だけど健康的な暮らしを実現できるのは一部のエリートだけ」
(コミュニティに根ざした文化と経済を創造する努力の中で、本来の意味で豊かなそのような生活は、エリートと呼ばれる人だけでなく、すべての人に実現できるはず)
神話6、教育
「途上国には教育が何よりも大切、特にその女性のために学校教育が」
(西欧モデルの学校教育ではなく、それぞれの地域での伝統的な特質を生かした生活の中で学べることがあるはず)
神話7、リサイクル
「リサイクルによって環境問題を解決できる」
(リサイクルが石油由来製品の使用を促している面がある。ペットボトルはリサイクルされるからいいじゃないか、というような言説を資本は利用し、その規制に反対する)
神話8、自然を破壊するしか選択肢はない
「人間のニーズを満たすために」
(例えばエコビレッジはそうではない道を示している)
神話9、社会に変化をもたらしたいなら、まずは自分がその変化になれ
(これが神話だというとガンディー好きの人に怒られるかもしれない。ヘレナさんもこの標語は素晴らしいと評価している、しかし、「個人に責任を負わせることによって構造的な問題にメスを入れていく力を削いでしまうことになりかねません」という。彼女は車を使ったり、ペットボトルの水を飲んだりすることで、企業を批判できなくなったり、「自分だって悪いんだから」という風潮を作ってしまうことを危惧する)
神話10、あとは行動あるのみ
(これも神話だといわれてしまう。自戒のためにもここは長めに転載。(一部省略あり)
===
最後の神話は「(もうすでに問題の所在はわかっているのだから)あとは行動あるのみ」という考え方です。こうした論議は草の根の市民運動でもよく見られるのですが、じつは大きな弊害を含んでいるのです。なぜならば、私たちがより構造的な問題に目を向けることを妨げているからです。むしろ、私たちが本当に現代社会の構造に目を向けてこそ、地球上のすべての人々を巻き込むような大きな運動ができるはずなのに、そこから目を背けさせてしまうのです。
==転載ここまで==
自戒と書いたのですが、「もう問題は明らかになっているのではないか、問題はこれをどう解決するかだ」というようなことをぼくもいろいろ書いてきた記憶があります。
現代社会の構造に目をむけ、それを明らかにするプロセスを共有すること、その勉強のような活動自体が運動であるようなプロセスを作っていく必要があります。そういう作業を抜きにして、街頭に出たり抗議行動をしたりするだけはだめだという指摘でしょう。そうも言えるかもしれません。しかし、日本の場合は街頭に出たり抗議行動をしたりすることがまだまだ不足しているのだとも感じています。とりあえず、感じるままに行動してから考えてもいいかもしれないと思います。
また、ここでヘレナさんは「行動する」の意味を狭くとらえ過ぎているように感じます(英語と日本語の感覚の違いかもしれませんが)。「行動する」の中に、「どうして、世界はこのようになってしまっているのか」と問いを立て、とても不公正なそれらの問題群を構造的に理解する営みが、それを個々に勉強するというよりも共同作業としてみんなで行うことが含まれてるとぼくは思います。
この話の後のほうで、ヘレナさんもアクティビズムとしての教育の重要性を語っています。ぼくが言いたいのはまさにそういうことです。
この話は講演をもとにしたものなので、多少、説明不足のところもあるかもしれませんが、この10の神話の話以降の具体的な政策転換を求める提案もとても興味深いです。でも、ここまでの紹介がとても長くなってしまいまったので、関心のある方はどうぞ読んでみてください。
他に掲載されているのが
コモンズの大江正章さんの
<「食と農」の取組みで都市にコミュニティを創り、地域の文化を創りだす>
横浜市の農業振興担当職員の森能文さんの
<「市民皆農」を旗印に「耕す市民」を育てる>
農家女性の研究をしている靏(つる)理恵子さんの。
<農家女性の視点から「地域の力」を発揮する方法を考える>
懐かしい未来ネットワークの加藤久人さんの緊急提言
<景気回復よりも、セーフティ・ネットの充実とローカリゼーションへのシフトを!>
それぞれ興味深い話なので、ぜひ読んで欲しいと思います。とりわけ、この緊急提言は白川真澄さんの『金融危機が人びとを襲う――地域からオルタナティブの構想を』での提言と響きあうところもあると思います。
「オルタナティブとは何か、それを具体的にどう実現していくのか、という風に問いに対するヒントはここにたくさん入っているように感じます」
というようなことを安直に書いてしまいがちで、今回も書いてしまってから思うのですが、いったい「オルタナティブ」って何なのでしょう。そこでイメージするものは一人ひとりかなり違うものだったりするような気がします。それらの違いを意見の違いとして尊重しながら、しかし、それでも「こうあってほしい」という社会を実現するために、何がオルタナティブで、どのような、道筋が考えられるのかを幅広い人たちが集まって考え、行動に移していくような「場所」がいま求められているのは間違いなさそうです。それがいくつかの場所ですでに試みられ始めているようにも思います。PP研もそういうプロセスを準備しているのだと思います。
もう少し人に読ませるようなものを書きたいと思いつつ、いつも自分のブログに書いてるものと同じような内容になってしまいました。ご意見などいただけたら、うれしいです。
P.S.
「オルタナティブとは何か」ということに関連していえば、PARCで発行しているオルタの3・4月号(最近出たもの)の連帯経済特集のイーサン・ミラーという人のが書いたものがぼくには面白かったです。
こんな風に言っています。
===
「オルタナティブとはいったい何か?」という壮大な疑問を持つ人に対して、連帯経済学は「資本主義や社会主義を超えた壮大なスキーム」を提示してくれはしない。むしろ逆に、このような設問を投げかけてくれる。
「どのような手段で、どういう語彙や語句を使い、どのような倫理的な原則を用いれば、私たちは新しい経済のしくみや人間関係をつくるための共同作業ができるだろうか?」
===
この前後に書かれている論考もまた興味深いものでした。
(*1)
ここで紹介したURLに掲載しているエコビレッジ・デザイン・エデュケーションだけでなく、他にエコビレッジそのもののの運動やトランジッションタウンをめざす運動、あるいはパーマカルチャーの取組み。
これらはそれぞれ、農に重きを置いた持続可能な地域社会を再生させる取組みです。ここに紹介したものは、すべて英語そのままの名称で、URLをつけて説明しなくてはならないのがくやしい感じもしますが、日本語の名称であってもやっぱり説明は必要なのだろうと思います。これらをサブシステンス志向の運動と呼べるかもしれませんが、サブシステンスの説明を始めたらまた長くなりそうなのでやめます。とりあえず興味のある方はこっちをどうぞ。
で、これらの運動と、現状でPP研のかかわってい運動の具体的な距離はまだ小さくないと感じますが、目指していることは近いはずです。これらのURLの文章だけ見ると、現状の不公正な社会を作っている原因に対する怒りなどが希薄な感じは否めないし、「権力」をどう考えるのか、従来の運動をどう評価するのかという点での齟齬はないわけではないと思います。それでも、オルタナティブをめざすというときに、そこに集まる彼や彼女の動きを無視して、何かが出来るというわけではないくらいの影響力を持ち始めているし、そこで主張されている内容や運動の進め方についても、学ぶべきところは少なくないと思っています。
最近読んだ本のことを書くことになりました。
PP研のサイトに最近読んだ本のことを書くことになりました。
言い訳から書かないと書き始められないのは性格なので、「なんでぼくが書くのか」「ぼくが書くのもはどれだけいいかげんか」というような言い訳から書き始めようと思ったのですが(笑)、そこは置きます。
で、別の言い訳をちょっと。今回は最初だから最近読んだ本、5冊分くらいの紹介をしようと意気込んだのです。でも、結局書けないので、この1回目は薄い小さなパンフレットのような雑誌の紹介というか、宣伝のようなものになってしまいました。
紹介するのは
===
農村文化運動 No.192
都市が〈村の暮らし〉に学ぶ時代
―世界経済危機と「ローカリゼーション」への転換
懐かしい未来ネットワーク編
農文協(農山漁村文化協会)発行
600円
===
(街の本屋で買うのが正しいと思いますが、セブンイレブンでも買えます。画像はこちら)
また、PP研にも預けておきます。
版元の正式名称である農山漁村文化協会というのはなかなかの名称ですよね。で、ここから出ている「現代農業」という雑誌を見たことがある人もいるかも。そして、この「農村文化運動」という雑誌、これも歴史を感じさせるタイトルの雑誌ですが、これは見たことがない人も多いでしょう。最近のバックナンバーのタイトルはここで読めますが、なかなか興味深いラインアップです。
(ぼくはほとんど読んでませんが)
今回紹介する号を編集しているのは「懐かしい未来ネットワーク」。ここはPP研とは出自もメンバーも違うグループですが、ぼくは参加してます。PP研とは少し違う角度から公正で持続可能な社会を実現することをめざしています。
(興味がある人は「懐かしい未来ネットワークとは?」を参照してください)
さて、ここからやっとこの本の話です。
これは、去年ぼくがかなり深く企画にかかわったシンポジウム、「地域のチカラ」の記録を軸に編集されたものです。シンポジウムは人の入りがあまりよくなくて(とりわけ2日目)、実行委員長(私)の責任が問われたりしたのですが(笑)、中身はとてもよかったので、この本で日の目を見ることができて、ほっとしています。
この号の目次はこちら(5月22日現在のURL、次の号の目次がでたら変ります)。
ただ、このシンポジウムに呼んだもう一人の話し手、素人の乱の松本哉さんと、映画『パワーオブコミュニティ キューバはいかにしてピークオイルを生きのびたか?』 の解説に急遽、来てもらった吉田太郎さんの話の記録が掲載出来なかったのは残念です。
さて、この本の「序」によれば、このヘレナ・ノーバーグ=ホッジさんの文章はそのシンポジウムでの講演録そのものではなく、「その直前に行われたエコビレッジ・デザイン・エデュケーション(*1)というコミュニティづくりの学びの場(こちらを参照)での講演を骨格として、シンポジウムでの話を加えたもの」とのこと。
彼女はここで「グローバル化をめぐる10の神話」という問題提起をしていてます。わかりやすい話で、とりわけ最後のほうがとても新鮮で面白かったので、すごくおおざっぱに紹介します。( )の中はぼくの主観でまとめたものなので、必ずしもヘレナさんの主張だけではありません。
神話1、経済成長
「GDPで表される経済成長が人を幸せにする」
(その経済成長でどれだけ私たちが幸せになったか。)
神話2、途上国には開発が必要
「開発は人を幸せに」
(これまでの開発が途上国に何をもたらしたか。)
神話3、人間の本性
「人間は貪欲で利己的だから、現在の主流の経済システムは変えられない」
(巨大なメディアが消費主義モノカルチャーを宣伝し続けている。それが貪欲を生み出している。愛されること、分かちあうことの必要性を人は内心ではわかっているのではないか)
神話4、進化の最終段階
「現在のグローバルな経済システムは人間の自然な進化の結果」
(現在のグローバルな経済システムは自然な進化の結果などではなく、植民地主義の形を変えた延長とその結果)
神話5、エリート主義
「より環境にやさしい食べ物や服、地球にやさしい建材、質素だけど健康的な暮らしを実現できるのは一部のエリートだけ」
(コミュニティに根ざした文化と経済を創造する努力の中で、本来の意味で豊かなそのような生活は、エリートと呼ばれる人だけでなく、すべての人に実現できるはず)
神話6、教育
「途上国には教育が何よりも大切、特にその女性のために学校教育が」
(西欧モデルの学校教育ではなく、それぞれの地域での伝統的な特質を生かした生活の中で学べることがあるはず)
神話7、リサイクル
「リサイクルによって環境問題を解決できる」
(リサイクルが石油由来製品の使用を促している面がある。ペットボトルはリサイクルされるからいいじゃないか、というような言説を資本は利用し、その規制に反対する)
神話8、自然を破壊するしか選択肢はない
「人間のニーズを満たすために」
(例えばエコビレッジはそうではない道を示している)
神話9、社会に変化をもたらしたいなら、まずは自分がその変化になれ
(これが神話だというとガンディー好きの人に怒られるかもしれない。ヘレナさんもこの標語は素晴らしいと評価している、しかし、「個人に責任を負わせることによって構造的な問題にメスを入れていく力を削いでしまうことになりかねません」という。彼女は車を使ったり、ペットボトルの水を飲んだりすることで、企業を批判できなくなったり、「自分だって悪いんだから」という風潮を作ってしまうことを危惧する)
神話10、あとは行動あるのみ
(これも神話だといわれてしまう。自戒のためにもここは長めに転載。(一部省略あり)
===
最後の神話は「(もうすでに問題の所在はわかっているのだから)あとは行動あるのみ」という考え方です。こうした論議は草の根の市民運動でもよく見られるのですが、じつは大きな弊害を含んでいるのです。なぜならば、私たちがより構造的な問題に目を向けることを妨げているからです。むしろ、私たちが本当に現代社会の構造に目を向けてこそ、地球上のすべての人々を巻き込むような大きな運動ができるはずなのに、そこから目を背けさせてしまうのです。
==転載ここまで==
自戒と書いたのですが、「もう問題は明らかになっているのではないか、問題はこれをどう解決するかだ」というようなことをぼくもいろいろ書いてきた記憶があります。
現代社会の構造に目をむけ、それを明らかにするプロセスを共有すること、その勉強のような活動自体が運動であるようなプロセスを作っていく必要があります。そういう作業を抜きにして、街頭に出たり抗議行動をしたりするだけはだめだという指摘でしょう。そうも言えるかもしれません。しかし、日本の場合は街頭に出たり抗議行動をしたりすることがまだまだ不足しているのだとも感じています。とりあえず、感じるままに行動してから考えてもいいかもしれないと思います。
また、ここでヘレナさんは「行動する」の意味を狭くとらえ過ぎているように感じます(英語と日本語の感覚の違いかもしれませんが)。「行動する」の中に、「どうして、世界はこのようになってしまっているのか」と問いを立て、とても不公正なそれらの問題群を構造的に理解する営みが、それを個々に勉強するというよりも共同作業としてみんなで行うことが含まれてるとぼくは思います。
この話の後のほうで、ヘレナさんもアクティビズムとしての教育の重要性を語っています。ぼくが言いたいのはまさにそういうことです。
この話は講演をもとにしたものなので、多少、説明不足のところもあるかもしれませんが、この10の神話の話以降の具体的な政策転換を求める提案もとても興味深いです。でも、ここまでの紹介がとても長くなってしまいまったので、関心のある方はどうぞ読んでみてください。
他に掲載されているのが
コモンズの大江正章さんの
<「食と農」の取組みで都市にコミュニティを創り、地域の文化を創りだす>
横浜市の農業振興担当職員の森能文さんの
<「市民皆農」を旗印に「耕す市民」を育てる>
農家女性の研究をしている靏(つる)理恵子さんの。
<農家女性の視点から「地域の力」を発揮する方法を考える>
懐かしい未来ネットワークの加藤久人さんの緊急提言
<景気回復よりも、セーフティ・ネットの充実とローカリゼーションへのシフトを!>
それぞれ興味深い話なので、ぜひ読んで欲しいと思います。とりわけ、この緊急提言は白川真澄さんの『金融危機が人びとを襲う――地域からオルタナティブの構想を』での提言と響きあうところもあると思います。
「オルタナティブとは何か、それを具体的にどう実現していくのか、という風に問いに対するヒントはここにたくさん入っているように感じます」
というようなことを安直に書いてしまいがちで、今回も書いてしまってから思うのですが、いったい「オルタナティブ」って何なのでしょう。そこでイメージするものは一人ひとりかなり違うものだったりするような気がします。それらの違いを意見の違いとして尊重しながら、しかし、それでも「こうあってほしい」という社会を実現するために、何がオルタナティブで、どのような、道筋が考えられるのかを幅広い人たちが集まって考え、行動に移していくような「場所」がいま求められているのは間違いなさそうです。それがいくつかの場所ですでに試みられ始めているようにも思います。PP研もそういうプロセスを準備しているのだと思います。
もう少し人に読ませるようなものを書きたいと思いつつ、いつも自分のブログに書いてるものと同じような内容になってしまいました。ご意見などいただけたら、うれしいです。
P.S.
「オルタナティブとは何か」ということに関連していえば、PARCで発行しているオルタの3・4月号(最近出たもの)の連帯経済特集のイーサン・ミラーという人のが書いたものがぼくには面白かったです。
こんな風に言っています。
===
「オルタナティブとはいったい何か?」という壮大な疑問を持つ人に対して、連帯経済学は「資本主義や社会主義を超えた壮大なスキーム」を提示してくれはしない。むしろ逆に、このような設問を投げかけてくれる。
「どのような手段で、どういう語彙や語句を使い、どのような倫理的な原則を用いれば、私たちは新しい経済のしくみや人間関係をつくるための共同作業ができるだろうか?」
===
この前後に書かれている論考もまた興味深いものでした。
(*1)
ここで紹介したURLに掲載しているエコビレッジ・デザイン・エデュケーションだけでなく、他にエコビレッジそのもののの運動やトランジッションタウンをめざす運動、あるいはパーマカルチャーの取組み。
これらはそれぞれ、農に重きを置いた持続可能な地域社会を再生させる取組みです。ここに紹介したものは、すべて英語そのままの名称で、URLをつけて説明しなくてはならないのがくやしい感じもしますが、日本語の名称であってもやっぱり説明は必要なのだろうと思います。これらをサブシステンス志向の運動と呼べるかもしれませんが、サブシステンスの説明を始めたらまた長くなりそうなのでやめます。とりあえず興味のある方はこっちをどうぞ。
で、これらの運動と、現状でPP研のかかわってい運動の具体的な距離はまだ小さくないと感じますが、目指していることは近いはずです。これらのURLの文章だけ見ると、現状の不公正な社会を作っている原因に対する怒りなどが希薄な感じは否めないし、「権力」をどう考えるのか、従来の運動をどう評価するのかという点での齟齬はないわけではないと思います。それでも、オルタナティブをめざすというときに、そこに集まる彼や彼女の動きを無視して、何かが出来るというわけではないくらいの影響力を持ち始めているし、そこで主張されている内容や運動の進め方についても、学ぶべきところは少なくないと思っています。
肯定と否定の間を行ったり来たり |
今月のお薦め/つるたまさひで |